愛の対話篇

 私はまた夢を見ました。西田哲学の解釈に余程窮していたのでしょう。それで西田を苦しめてやろうという意識が働いたのかもしれません。夢の中で私は西田幾多郎になっていました。時は結婚1月前の1931(昭和6)年11月です。その西田が夢を見ているのです。西田は婚約中で京都にいて、津田英学塾(現津田塾大学)の山田琴教授とはもうふたつき以上逢ってないので、「かくてのみ直に逢はずばうば玉の夜の夢にぞつぎて見えこそ」という思いが叶ったのです。
 西田の夢の中で、琴はとても47歳には見えません。20歳はそれより若く見えたでしょう。「歳に似合わぬ初々しさを残してい」て、そこに惹かれたと『続祖父西田幾多郎』で上田久は述べていますから、その印象が西田の夢では強調されたのかもしれません。西田自身も夢の中では還暦を越えているとはとても見えません。40代前半には見えました。
 琴は西田の前ではおそらくおしとやかにしていたでしょうが、津田英学塾では塾長の片腕となって中心的に活躍していたぐらいですから、ずいぶん利発で、明るい、物おじしないで何でも言える性格だったかもしれません。そこで夢の中ではふたりはすっかり打ち解けてラブラブだったのです。

幾多郎>おお琴さん、あなたは事によったら琴さんじゃないですか?
>そういうあなたは凄いダサイ恰好をされてゲゲゲの鬼太郎さんじゃないですか?
(おっといけない、これじゃあ吉本新喜劇の乗りですね。)
幾多郎>いやこの着古した丹前姿がすっかりトレードマークになっていましてね。学生達の憧れの的になっているものですから。
>欧米帰りの哲学科の先生たちはみんな立派な背広を凛々しく着こなしてなさるのに、骨董屋で黴が生えたままのような恰好はあまりに見すぼらしすぎますよ。
幾多郎>これはこれは、若い女性の前では失礼にあたったのかもしれません。なにぶん恋愛などこの四十年間、御無沙汰でしたからね。前の女房は田舎者で、それに病気がちだったこともあり、私の身なりにはとんと無関心だったこともあります。
>先生ももう定年退官されたのですから、背広姿になる必要はないでしよう。でも和服にしてもきちんとしたものを着るようになさらないとね、私が笑われますわ。
幾多郎>琴さん、その「先生」というのはやめてくれませんか、家庭でも先生じゃどうも落ち着きません。「幾多郎さん」と呼んで下さい。
>はい、先生、じゃなかった「幾多郎さん」。
幾多郎>琴さん」」」ッ。(これじゃ西田哲学入門講座になりません。)

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