非連続の連続

>絶対自由意志を持った時、その時、全ての既成のものはいったん否定され、再吟味され、新たに意志に叶ったものだけが再生するわけですね。まるで審判の時が来て、いったん時が止まるみたいだわ。
幾多郎>単なる事物では時は過去から未来へ連続的に流れるだけです。自覚つまり世界が自己の意識であるという立場に立って、時というものを捉え返しますと、時はいつも現在から始まります。各瞬間に於いて絶対無に触れて、消え去るのです。そう審判です。自分で自分に判決を下すのです。今までの自分は罪に於いて死に、私は復活のキリストとして甦ります。
>今罪によって裁かれて死んだところなのに、もう次の瞬間には生き返っちゃった、現金なものですね。
幾多郎>だって生きるのは今までの自分に決着をつける為に、つまり死ぬ為に生きるのであり、死ぬのは新しく生まれ変わる為に死ぬのですから。こうして人間は瞬間から瞬間へ点から点へ非連続の連続を生きるわけです。
>えらくせわしないですね、じゃあ今こうして話している間にもあなたと私は無限の生と死を繰り返したのですか?
幾多郎>数学的に線は点の連続ですね、各点が個として独立しているならこれは無数の非連続の連続です。というのはあくまで点なり線の概念としてそう言えるということです。時も真の個物にとっては、非連続の連続だという場合でも時の単位を小さくしていけばそれこそ無数の生死の繰り返しで、罪を犯す暇も反省の暇もあったものじゃありません。私たちは今人間の生き方、人生の捉え方について語りあっているんです。ですからそうした非連続の連続という生き方が、自己自身を限定する人格的自由を踏まえたら浮かび上がってくるということです。

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