唯物論の諸傾向

やすい>そう捉えるのが唯物論でしょう。立命館大学の大学院での私の恩師の舩山信一先生は、定年退職後の西田先生の講義を受けておられます。舩山先生は、三木清の影響でマルクス主義に接近されました。三木は入獄中にプロレタリア科学の後輩達に批判され、左翼運動と絶縁します。舩山先生は、やがて『唯物論研究』の活動をするために上京されました。逮捕され転向されてからは、フォイエルバッハの人間学的唯物論に共鳴され、戦後『人間学的唯物論の立場と体系』(勁草書房)を書いておられます。その内容は今から思えば、この時期の西田哲学の影響が強かったのですね。身体的な人間を主体即客体として捉え、その相互関係を内在とか超越として捉え返します。
西田>舩山信一という人は、転向後は三木清と昭和研究会の活動をしていたようです。昭和研究会は近衛文麿内閣に助言する為のものでした。近衛文麿は私の教え子でしたので、私も新体制の理念づくりに協力させられました。
やすい>私のもう一人の恩師は梯明秀先生です。彼は西田哲学とヘーゲル弁証法を使って、マルクス『資本論』を経済哲学されました。『哲学の根本問題続編』の「現実の世界の論理構造」で西田先生は、商品をそれ自身に矛盾する物、弁証法的一般者の限定として弁証法的に動く物として捉えられていますが、西田先生のこの視点を梯先生は深めていかれたのです。
西田>そういえば梯君から初期マルクスの経済哲学的な論稿をもらったことがあります。
やすい>やっぱり、そうでしたか。梯先生は西田先生に若きマルクスの疎外論を読ませたというのが最大の自慢でした。1971年の大学院の授業で毎回その話をされたんです。梯先生の唯物論は一種の物質の形而上学です。『物質の哲学的概念』(青木書店)で自己運動する弁証法的な物質としてコスモス全体を展開され、無生物から生物、下等生物から高等生物、さらに人間への進化を展開されたのです。人間の段階になれば地殻の自己反省として思惟が発生するというわけです。それで私は舩山・梯両先生のような形而上学的な唯物論に親しみを感じていたんです。ところがむしろ現代唯物論者と言われる人の多くは、そういう形而上学的なのは存在論であって唯物論ではない、少なくとも現代唯物論じゃないというんです。レーニンの『唯物論と経験批判論』に基づいて、物質の観念に対する存在的な第一義性を承認した上で、支配イデオロギーや階級意識を物質的基礎から説明することが唯物論だと思っていたようです。
西田>唯物論者達の議論の多くは、相手をやっつけるのが目的だから、建設的な対話ができない者が多かったようです。西田哲学についても封建的イデオロギーかブルジョワ哲学かの階級的性格規定ばかりやっていました。だからこちら側の問題提起をまともに受け止めようとしなかったのです。

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