皇室による肇国の事実

西田>天皇制が郷土意識になるというのは、皇室は主体的なものを超越した存在だということなんです。つまり場所であり、世界であるということなのです。これは『日本文化の問題』でも強調したのですが。
やすい>主体的なものの例として、蘇我氏や藤原氏、足利氏などを挙げておられますね。ですから現実に権力を行使した為政者が主体だというわけですね。皇室でも主体として登場した例はありますね、天武天皇や後醍醐天皇のような。
西田>もちろん主体的なものは場所や世界の現れなのですから、直接皇室が主体として現れ得るわけです。ただ日本の場合は皇室というのがあって、その権威を借りることで主体に成れたという事情があります。それで暫く権力をふるいますが、やがてそぐわなくなりますといつも皇室に返って、そこから又新しい主体が生み出されたわけです。復古が維新であったのです。つまり万世不易の皇室が永遠の今として、つまり過去や未来の主体を包む場所としてあるわけです。
やすい>そういう歴史の捉え方は皇室を中心に国のまとまりを確立した上で、国家的な発展を図っていこうとされていたから成立する捉え方です。それは服部健二さんも「天皇制国家論ー西田幾多郎の場合ー」(『知識人の天皇観』三一書房)でふれておられますが、明治維新や『大日本帝国憲法』による近代日本の肇国が原体験になっていて、明治人間である西田先生のアイデンティティをつくっているからでしょう。我々の場合は、戦後1947年に憲法が改正されて、国民主権となり、天皇は政治的な権限を一切持たない象徴天皇になりました。民主主義を根づかせて、互いの人権を尊重し、共同の課題で協力し合える社会を一緒に作っていくなかで、まとまりを作るべきだと思います。ですから皇室が日本のまとまりの根源だとは全く思いませんね。
西田>しかし敗戦でも皇室は廃止されず、国民統合の象徴として残ったのでしょう?それじゃあ、皇室がやはり主体的一と個物的多との矛盾的自己同一として自己自身を限定する世界の位置にあるということでしょう。それはさておき明治維新や帝国憲法などの肇国が私の原体験だというのは、なるほどと思いますね。天皇が『五箇条の御誓文』や『大日本帝国憲法』で国家の理念を打ち立てて、日本形成の原理を明らかにされた。それが天讓無窮の皇運に基づき、それを国民がみんなで輔翼するということです。この根底にあるのが神武天皇の建国なのです。それまで日本民族は無かった。だから日本精神は日本歴史の建設にあったのです。皇国を建て、その皇国の建国、歴史形成を子々孫々に伝えていくのです。国が行き詰まる度にこの原点に立ち返るのです。明治維新はその恰好の例です。
やすい>それは為政者の権威づけのために神的・超越的な権威を借りようとしたに過ぎません。宗教的な権威づけなのです。それに対して人民の生活文化の必要に根ざした社会形成、コミュニティやアソシエーション形成を根拠にした国民統合にはそういう神がかりの権威は全くお呼びでないのです。近代日本は天皇を担いでしまった為に軍部などに利用されてしまったのです。
西田>人民こそ自らの統合の為に宗教を必要としてきたじゃないですか。村々の鎮守の神や中世の仏教の講などでもそうです。そして為政者を生み出したのもそういう人民の自己統合の必要が根底にあったからです。それが民族国家統合の場合は、その時々の主体間の力関係を超越した、根源的で絶対的な今を象徴する万世一系の皇統が求められる由縁なのです。
やすい>万世一系というのはフィクションなんです。継体までで三王朝が交代していたそうですし、明治天皇は北朝の血統で、正当とされる南朝じゃありません。
西田>国民統合の為だったら皇室による肇国の事実がフィクションかどうかより、それを信仰することで心を一つにすることのほうが余程重要なのです。それはイエスの復活が事実かどうかより、イエスの復活を信仰することの方がキリスト教にとってより重要だというのと同じことです。そしてそういう歴史形成によって作られたものとして我々は存在しているということが我々の立脚点なのです。

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