囚われることなく物そのものに行く

やすい>みんなが天皇を神として崇拝し、心を一つにして国家目的に従っていくということは、自由や個性の開花を妨げることになります。特に国定教科書で軍国主義的な皇民教育をしていますと、兵隊になって国に殉じることが最大の名誉みたいな軍国少年になってしまっていましたね。
西田>それは戦争が終わり、平和的な繁栄がもたらされたので言えることです。欧米諸国に比べますと日本はまだまだ工業力は劣っていましたからね。その分国民の精神的統一を強固にし、大義と精神力において優っていなければならなかったのです。その点、日本精神は己を空しくして物を見る、自己が物の中に没する、つまり無心とか自然法爾の境地を尊びます。しかしそれはやすいさんの言うような自由や個性の抹殺を意味しません。ヘーゲルは「自由は必然性の洞察」だとしましたが、それは「囚われることなく、物そのものに行く」ということです。つまり「物の真実に行くことによって、真に創造的であり、真に生きる」のが日本精神の神髄なのです。「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂う山桜花」と宣長は讃えていますが、それは隠すところなく蔽うところなく、美を美とし、醜を醜として、どこまでも公明正大ということなんです。
やすい>宣長の大和心は「もののあはれを知る心」です。それは「ものの心」と一つになることです。かなり情緒的に捉えられていたのです。ものに感じて「我を忘れて」しまうのであり、意志的に「己を殺す」感じはしません。ですからそれは『善の研究』の「純粋経験」に近いような気がしますが、後期の「行為的直観」とはずれを感じます。と言いますのは、「行為的直観」では意志的な面が強すぎて、「己を殺して」、その上で物に徹するような張り詰めた気構えが窺えるからです。
西田>そりゃあ時代が違いますよ。宣長はまさしく天下泰平の中で、日々の生活を活き活きと生きる為に、物に素直に感じて、感じるままに歌い、行動しようとしたわけです。それに対して「行為的直観」の時代は十五年戦争の中で民族的な危機に直面して、一億火の玉みたいな灼熱地獄の中での意識ですから、その点を勘案してください。それから「囚われることなく、物そのものに行く」ということは、「物と成って見、物と成って考える」ことであり、更に「物と成って行う」ことですから、そこで物に自己を表現することに繋がっているのです。それは「作られたものから作るものへ」ということですから、積極的に「物を創造する」ことで自己を表現し、実現する立場なのです。物や世界と断絶されていた「己を殺して」、物として「己を生かす」のですから、「死して生きる」ということです。

次へ/前へ/目次へ/ホームへ