3超越神論の誕生
やすい:
恩恵を受けているフェティシュに対して攻撃するというのが、フェティシズムの特徴ですね、これは最初は別におおらかな信仰で良かったと思うんですが、その内に、知識人である祭司階級などが出来てくれば、とても恐ろしい事をしているんじゃないかという反省するような人が、居てもいいんじゃないかと思うんです。神の立場に思い入れして考えますと、人間達は、いつも世話をしてやっているのに、ちょっと役にたたないとなったら、すぐ攻撃してくる、とんでもない連中だ。そういう恩知らずの人間は罰しなければいけないと神は怒っておられると推察されるでしょう。そうすると神の罰が来るという恐怖心をもって、それで今までの信仰形態を変えて、神の審判を基調にして、人間が勝手に神を作ったらいけないんで、逆に神が人間を作ったという教義にしたんじゃないかと推察されます。それで、石塚さんのフェティシズム論の応用のような形で「キリスト悲劇のフェティシズム」の中で、超越神論の発生の論理を展開してみたのです。石塚さんはフェティシズムから超越神論までの展開を「なる・うむ・つくる」で捉えておられましたね。
石塚:
「なる」はフェニキア神話のモチーフでして、最初に自然界があるんです。そこに人間や神様や森羅万象が自然に出来上がってくるという見方です。「うむ」は日本神話のモチーフです。先ず「天地開けし時」で開闢があるわけです。そこにイザナギ・イザナミの夫婦の神が現れて、いろんな神々を生んでいきます。
やすい:
ありますね、国生みといいますからね。生む神話です。
石塚:
それに対してヘブライ人の『バイブル(聖書)』の「つくる神話」というのは、開闢がないんです。最初から神が超然たるものとして、あらゆるものを生みだします。
やすい:
だから人間も神によって作られることになりますね。
石塚:
フェニキア神話では神は自ずから存在しないで、自然界の中から生まれてきます。あるいは人間が神様を指定して、作りだすのです。そういう意味で神に成るのです。
やすい:
「なる」という段階がフェティシズムで、人間が神を作くり、最後の「つくる」段階では、神が人間を作ったのでしょう。だから「つくる」段階では人間が勝手に神を選べません。逆に神が人間を選ぶので、救われる人と救われない人が分かれてしまって、神
を本当に信仰していると神が認めた人だけ、神が選んだ選民だけが救われるというパター
ンになってきます。そう考えますと、先にフェティシズムがあって、フェティシズムに対
する反省から超越神論や、審判思想が出てきたんじゃないかと考えたんですが?
石塚:
今のやすいさんの話を、神話の世界だけで自己完結的に語るのはおかしいですね。フェティシズムの神への攻撃を反省して、神様に大それたことをしているんじゃないか、なんて思うことは絶対ないですよ。フェティシズムの社会がフェティシズムの神話を要求しているのですから。超然たる神には超然たる首長が存在しているわけでしょう。専制的な権力のような。だからフェティシズムの時代に神様をぶったたいているような社会では
、社会組織の中にもぶったたかれるような首長しかいないんですよ。「存在が意識を決定する」ということで、このことではぼくはマルクス主義者です。説話だけで自己展開は無理ですよね。
やすい:
それはそうですね。背景に社会の変動がなければ駄目ですよね。ただヘブライの
部族社会に超越神論が生まれたのは、非常に特殊な社会状況があったのです。半流浪民として部族の強固な結束が必要だったために、族長神に対する「単一神信仰」や、やはり半流浪民として河や大地等の自然に頼れないので、部族の結束を神化した「みえざる神信仰」などが超越神信仰発生の背景にあったと思われます。でも超越神信仰を決定的にしたの
は、アブラハム以来の宿願、カナン(後のイスラエル)の領有です。アブラハムの時代はまだ数百人規模で、取れなかった。それがエジプト時代に増えて、出エジプトのエクソダス(大脱出)は百万人規模になっていました。数的には侵略が可能になったんです。民族の生存競争だから異民族を滅ぼすのは平気だったと言えばそれまでだけれど、やはりカナ
ン族とは昔は共生していたのですから、異民族の土地に侵略するためには、相手の民族がとんでもない神への冒涜的な信仰をしていると主張して、ホロ・コースト(大量殺戮)を伴う侵略を合理化することが必要だったと思います。それで『バイブル』では異民族の信仰をフェティシズムや偶像崇拝として激しく排斥し、神の審判で滅ぼされて当然だとする
ためには超越神論という形をとらざるを得なかったと思うのです。
石塚:それはもうフェティシズムでもトーテミズムでもなく、超越神論の方だから、政治
的なものが動機であるというのは、当然ですよね。都市国家から領土国家へと転換する時には必ず神観念が変わって、超越神論が出るんです。
やすい:一般的にそういうことが言えるんですか?
石塚:都市国家の段階は先ずトーテム的ですね。それが領土国家に成っていくときに、各氏族のトーテムを超えた神様が必要になって、超越神になっていくわけなんです。
やすい:その場合、ギリシアの場合は主神ゼウスの場合は、天空の神ですよね。それも比
喩的に言えば超越神だということですか?
石塚:元々ゼウスはエジプトあたりから来るんです。エジプトにたくさんあったノモス(
氏族共同体)には一個ずつトーテムがあるわけです。その内のテーべのアモンで統一していくときに、アモンは山羊か羊だったんだけど、全ノモスを統合するときには、もう肉体を備えていない霊たるアモン神になっているんです。アモンというのは「見えざる者」という意味なんです。そうすると他の自然物の神々から超然としているから、統合する神になれるんです。統合神ができてもこれまでのトーテム神を棄てきれない者には、それはそれで信じさせておいたのです。
やすい:それじゃあ日本で言えば、天照大神もそういう超越神にあたるわけですか?
石塚:そうです。天照大神が天の岩戸に隠れる時に、入る時には肉体を持っているけれども、出てくるときは霊なんです。だから代わりに鏡が出てくるんです。イザナギとイザナミは肉体を持って子供を生むでしょう。イザナミは子供が生まれる場所が火傷して死にます。そして肉体が腐って蛆虫がわいてるのを見て、イザナギは逃げて帰ってきます。フェティシズムに近いですよね。神様が腐っちゃうだから。霊的な信仰ならむしろ肉体がない
ほうがいいわけです。天照大神はセックスなしにイザナギから直接生まれますから、ちょっと超越的になってるんです。
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