第三場 筑紫香椎宮
登場人物
息長帯日売命、帯中日子大王の大后ー台本では大后と記す。
帯中日子大王ー台本では大王と記す。
建内宿禰大臣ー台本では大臣と記す。
伊都国王五十迹手の君ー台本ではイトテと記す。
息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと−諡は神功皇后) 大王(おおきみ)はいつまで熊襲征伐をなさるおつもりですか。
帯中日子大王(たらしなかつひこのおおきみ−諡は仲哀天皇) もちろん完膚なきまでにやっつけて、きちんと貢物を出すようにさせるまでじゃないか。
大后 あーら、わが君、熊襲のゲリラ戦は何時果てるともない泥沼の戦いじゃないですか。父君が女装して単身もぐりこんでクマソタケル兄弟をやっつけたように簡単にはいきません。
大王 ああ、お祖父様も筑紫まで参られて、ずいぶん手間取ったようだな。やっと平定しても、大和に帰ればまた熊襲が背いたということで、ヤマトタケルの熊襲征伐になったのだそうだ。
大后 もう熊襲征伐なぞ切り上げられたら。第一、熊襲などが差し出す貢物など、たかが知れてるじゃありませんか。
大王 額の多少など論外だ。貢物を差し出さない連中を放っておくと、しめしがつかんのだ。
大后 私が伺いたいのは、わが君は何を第一の目標にされておられるかということです。まさか熊襲の平定じゃないでしょう。
大王 何事も先ずは熊襲を抑えなければできはせん。
大后 わが君はヤマトタケルの皇子ではないのですか。大臣(おおおみ)建内宿禰の計らいで、伊都の五十迹手(イトテ)の君を頼って豊浦や香椎に宮を建てたものの、何時になったら、大和を取るというお父様の悲願を果たされるのですか?
大王 そうあせるな。大和攻めをしようとすれば、筑紫の軍勢を一挙に投入しなければならん。そのためにも熊襲討伐の軍功で権威をつけなければならないのだ。
大后 イトテの君がわざわざヤマトタケルの御子を筑紫の王にしたのは、筑紫を纏めるためだけじゃありません。その本当の狙いは、わが君が大和政権の大王として大和に凱旋されることです。それを期待してイトテの君はお力添えをしてくれていますが、熊襲にてこずって何時までも香椎宮に居座られたら、イトテの君とて我慢には限度があるかしれませぬ。
大王 ヤマトは国のまほろば。父の想いは何時の日か、はたさねばならん。しかし背後に熊襲がいて、荒らされていては、大和に乗り込むことなどできぬではないか。
大后 いっそ熊襲と手を結ばれてはどうですか。大和攻めに加わればその功績により、重く取り立ててやると約束なされば、ついて来るでしょう。いさましい熊襲のことだから、さきがけで大和の山中に入り、敵を撹乱してくれるかもしれません。大和政権は近江の志賀の高穴穂宮に都していますから、大和での撹乱は成功の確率が高いですよ。
大王 何と、女だてらに勇ましき物言いじゃ。熊襲の関心は大和になどありはせぬ。奴等は自分たちの土地から大王の権力を一掃しようと考えているだけなのだ。反乱しておる者が、その憎き相手の手下になって、相手の約束を真に受けて命がけで戦う道理がない。
建内宿禰大臣、琴を持って沙庭に現れる。沙庭とは「審神」とも書き、砂敷の庭で神がかりした神に伺いをたてる儀礼である。
大臣 夜も更けてそろそろ亥の刻です、琴を弾き、神託を承る時刻です。
大王は琴を弾き始める。はじめはスローで穏やか琴の音だったが、次第に妖気を帯び、琴を激しく打ち鳴らし始めると、暗闇で大后は座ったまま体をくねらし始め、頭を床にこすりつけ始めた。そしてやにわに立ち上がり沙庭に降りて巫女特有の乱舞を始めた。
乱舞がクライマックスに達したところで、大后の顔はグニュと歪んだように見えたが、口元に怪しげな笑みをたたえと見えると、バタリと倒れた。
大臣 オキナガタラシヒメに神がかりなされし神にお伺いいたします。どうか熊襲を平定し、大和に乗り込むための良き策をお与えください。
大后は、唇を堅くとじたままゆっくり起き上がった。普段は見目麗しく、可憐で気品のある感じだが、神かがりすると凄まじい形相になり、年齢もかなりふけてみえる。低い声で、少し怒ったようにわめいた。
大后 海の向こうに新羅という国あり。金銀をはじめとして目にもまばゆきくさぐさの珍しき宝がどっさりその国にはある。吾、今その国を大王に服属させてしんぜよう。
大王はうるさそうな表情になり、すっくと立ち上がって、怪訝げに言った。
大王 高いところに登って海の彼方を見ても、何処にも国土など見えない、唯、見えるのは大海原ばかりだ。なんと詐りを言う神だ。
と言うと、大王は琴をおいて黙って座り込んでしまった。
イトテ わが君、なんと神に対して恐ろしきことを申されます。わが君はヤマトや河内の地におられて、ご存知ないかもしれませぬが、海のかなたには吾らが筑紫の倭国と交易を致しておる国があるのです。鉄が取れる豊かな国々でございます。そしてはるか西にはこの国の数百倍はあろうという大地が広がっているのでございます。その大地を治める大国に古くから倭国は、貢物を定期的にお納めしております。
大王 朕は、倭国の大王でありながら、そんな海の向こうの国との外交や通商についてなんの報告も受けていないぞ。なんと筑紫は大和政権に貢ぎしながら、海の彼方の国にも貢いでおったのか。
大臣 ええ、ここが日本古代史は謎の多い部分でして、大王がこうして大和から筑紫に来て豊浦や香椎に宮を置かれているところを見ますと、この四世紀末の時期には大和政権の下に筑紫も服属していたことになります。
イトテ 元々は筑紫の王家の出身者のイリヒコが三輪周辺に住み着いていたのです。わが君のように大和政権の人々の大部分は大陸や半島の諸国については無知です。ということは、この時期、大陸からみた倭国というのは筑紫の国のことだったかもしれません。
大臣 もし筑紫の倭国が大和に負けないくらいの勢いがあったとしたら、豊浦や香椎の宮は大和からの亡命者の住居に過ぎなかったことも考えられます。それが熊襲と戦ったり、半島に出兵するのは矛盾しますね。だから私は、筑紫の経済文化は大陸の影響で先進地帯だったかもしれないが、軍事的政治的には大和に中心があったという説をとります。実際壷型の古墳の分布から見てそうとしか思えません。そこで筑紫は大和に軍事的政治的に服属しながらも、半島や大陸との交易を行っていたのです。
イトテが小声で観客にヒソヒソ話をする。
イトテ ここで九州王朝論の立場から一言言わせてください。いや、だから『古事記』や『日本書紀』は、あくまで後世の人々が、大和政権の力がずっと筑紫を支配していたことにして、歴史を書いたものなんです。ですから『古事記』のヤマトタケル伝説を踏まえるとしたら、その続きはこうなるというのが、このお話ですから、筑紫の国は大和に服属していたことにし、その上で大陸の宋の国や半島諸国ともつながりがあったことにしておかなくてはなりません。しかし筑紫の方が大和に軍事的・政治的に遅れをとる必然性はまるでありません。『古事記』や『日本書紀』の記事を鵜呑みにするのはおかしいのです。でもこれはお芝居ですから、我慢してください。
大王 ともかく余は今は筑紫で大和政権の大王となっておる。その筑紫大和政権に倭国は統合されており、私は倭国の大王も兼ねている。そして大和には別の大和政権の大王がおるのじゃ。だから大和政権が大和と筑紫に分裂しているということになる。それでないとヤマトタケルの説話と矛盾してしまう。
大后 ええい、何と。とにかくややこしいことをぬかす奴だ。この神の言うことを素直に聞けぬのなら、汝大王の支配できる国はどこにもないわ。さっさと黄泉の国にでも行かれるが良い。
大臣 これはあな恐ろしい。わが君、はやく琴をお弾きなさい。そうでないと、神に命を奪われますよ。
大王 分かった、弾けばいいんだろう。
やけくそになって琴を弾き始める。弾きながら大臣にヒソヒソ声で話し掛ける。
大王 熊襲でも手を焼いているというのに、海の向こうに攻めていけとは、とんでもないことを言う神だ、ところで大臣、あの神がかりしている神は何という神なのた。
大臣はうなづいて、大后に話し掛ける。
大臣 ころで神がかりされておられる神さまにお伺いいたします。
急にそろばんをはじきながら、トニー谷の物まねで歌い始める
大臣 神さま神さま、今晩は、あなたのお名前、なんてえの?
大后もツイストを踊りながら
大后 えええええと、忘れちゃった。(みんなドタッとずっこける。)
大后 わが神の名は天照大御神である。天から見ると新羅も筑紫も一望じゃ。またこの神託は、海の向こうもよく知っている住吉の海の神々の意志でもある。
大王の琴の音は弱弱しくなり、やがてやんでしまう。大后は我に帰っている。
大后 わが君、いかがなされました。
近づいて肩に手をやると、大王は倒れてしまう。
大臣 大変です。大王はこときれています。身罷られました。これは天照大御神の祟りです。
イトテ ウーム、これは大変なことになりましたな。私はこの目で確かに天照大御神の祟りで身罷れたと見ました。でも、果たして世の人々はそう信じてくれるでしょうか。昨日まで勇ましく熊襲征伐の指揮をとられていた大王が今日は骸と成り果てられた、これはきっと何者かに暗殺されたに違いない。熊襲の刺客か、大和の喇叭か、それとも筑紫の者に嫌われたのか、さもなくば大和からきた后か近臣と揉め事を起こして消されてしまわれたのかと、あらぬ噂が立ちましょうぞ。
大臣 大后が神がかりをなさっていただけに、天照大御神の祟りだというとますます大后の立場が危うくなりかねませんな。
大后 それにしても神さまに死んでしまえと言われたぐらいで、あっけなく死んでしまわれるとは、図体ばかりでっかくて、あまりに素直で小心なお方じゃ。もともと天の下をしろしめすだけの器量がなかったということじゃ。ヤマトタケルの御子というのでもっと凛々しいお方と思うていたに、情けなや。口惜しや。情けなや。口惜しや。ウェーン、ウェーン。
大后が声をあげて泣き出したので、大臣が抱き寄せてよしよしをしている。
大臣 イトテの君、暫く大王の御逝去は伏せましょうぞ。御遺体は豊浦宮に移して、そこで密かに仮に埋葬しましょう。葬儀は、お世継ぎが決まってからでいいでしょう。