一神教の危険性
佐々木:ブッシュ大統領はテロ直後、思わず「十字軍」という言葉を口走ってしまいました。それでビンラディンはこれを宗教戦争だとし、キリスト教の攻撃からイスラム世界を守る聖戦(ジハード)だと言っています。
やすい:それが一番怖い展開ですね。ジハードならその中で死ねばパラダイスが約束されています。狂信的なイスラム教徒はジハードで死ぬことが最も名誉で素晴らしいことなのです。だってこの世の生は数十年ですが、来世は未来永劫です。ずっとパラダイスなのですから。
佐々木:ユダヤ教やキリスト教でもジハードで死ねば未来永劫パラダイスですか。
やすい:ユダヤ教とキリスト教の共通の経典である『旧約聖書』では、来世のことは明確ではありません。キリスト教の『新約聖書』では「ヨハネの黙示録」で、義のために死んだ人は、未来永劫の神の国に入れることになっています。ただイスラム教のようにどんな悪人だった人でもジハードで死んだらパラダイスというように具体的に書いてあるわけではありません。
佐々木:それだけイスラム教の『クルアーン(コーラン)』は戦意を高揚するようにできているのですね。
やすい:『旧約聖書』だって、カナンの地、現在のイスラエルのあるパレスチナに侵攻するときは、現地人を皆殺しにするように神に命令されています。大量虐殺が手柄のように讃えられ、「サウルは千を殺し、ダヴィデは万を殺した」と娘たちが乱舞して迎えます。
佐々木:どうして神は大量殺戮や絶滅を命令されたのですか。
やすい:『旧約聖書』の論理では、神を冒涜することが最大の罪なのです。(『バイブルの精神分析』を参照してください)神への冒涜で最たるものが偶像や獣を神として祭ることです。神にいわせれば、自分は絶対者であり、土や石や金属で表現できないし、獣に貶められたりするのは我慢ならないのでしょう。
佐々木:それなら正しい信仰をする者を幸せにすればよいでしょう。何も皆殺しにさせなくても。
やすい:神の意志というのは、『バイブル』を書いた人間の意志が篭められているのです。本当は、ヤハウェの信仰共同体であるイスラエルが、カナンの土地を奪い取り、カナン人を排除するために、カナン人が神を冒涜していることにしたわけです。
佐々木:ではやすいさんによると、偶像や獣を神としてはならないという理論が、カナンを侵略するために作られたというわけですか。
やすい:もちろん自覚的に、侵略や虐殺を合理化しようとしてつくったものではないでしょう。でもカナンを侵略し、先住民を大量虐殺するには、先住民を殺すことが正義であるという思想が必要です。彼らは神を冒涜しているのだ、だから彼らを殺すのは、神から与えられた神聖な使命なのだと思いたかったのです。
佐々木:では一神教や超越神という観念はエジプトから脱出してカナンに帰るまではなかったのですか。
やすい:エジプトに入るまでを族長時代と言います。この時代には神は族長の守り神でした。一般の部族民には現れません。族長にだけ姿を見せるのです。それは神に似せて人間が作られたとされていますから、外見的には人間と同じです。もちろん唯一絶対の神ではありません。ただし妬みの神でして、その部族民はその神だけを信仰しなければならないのです。これを単一神信仰といいます。
佐々木:ではエジプトから脱出する時に、ファラオと技比べをしますね、その時はイスラエル(ヘブル人)の神が勝ったので、ヤハウェだけが唯一神だと見なされていたのではないのですか。
やすい:エジプトの神々は鳥や獣が物神として信仰されていました。それらも超能力はあるのです。でもイスラエルのみえざる神の方が強力だった。それでファラオは出エジプトを認めざるを得なかったのです。ですからエジプト脱出の時点ではまだ唯一神信仰ではなかったのです。
佐々木:じゃあ、シナイ山で『十戒』を授かった時点で唯一神になったのですか。
やすい:『十戒』には「あなたは私以外を神としてはならない」とあります。これは唯一神信仰ともとれますが、単一神信仰だった可能性もあります。ただし獣を神にすることや、偶像を作ることを厳しく禁じています。これがカナン侵攻及び大虐殺の合理化に使われたのです。
佐々木:それは唯一神信仰だから、厳しい禁令が出たのではないのですか。
やすい:偶像崇拝を禁止し、動物崇拝などの物神崇拝を禁止すれば、イスラエルの神以外は全て神として崇拝してはならないことになり、そこからそれらは偽の神だということになり、自然にヤハウェ以外は神ではないことになります。こうして唯一神信仰になっていったのです。
佐々木:自然神を否定するということは、自然を超越したものに神を求めることになるわけで超越神信仰が生まれたのでしょう。自然が多くの自然物や自然現象からなる多なのに対し、自然を超越したものは一としてとらえられるのでしょう。
やすい:理論化すればそうです。自然神信仰は個々の自然物を神とする物神信仰という形をとることが多かったのです。そうしますと、人間が自然物の中から神を選びます。そして人間の生活に恵をもたらし、守ってくれるように祈ります。その願いを聞いてくれれば、貢物や生贄をささげますが、祈りが聞き届けられないとその神を攻撃し、破壊するのです。ド・ブロスによるとこれがフェティシズム(物神信仰)の特色だというわけです。おそらく超越神・唯一神信仰はこれに対する裏返しとして生じたのではないでしょうか。
佐々木:ということは、フェティシズムの神に対する攻撃を最大の神への冒涜と考えた人々が、神の立場に感情移入して超越神・唯一神というのを作ったというわけですか。
やすい:ヘブル人たちにも聖石信仰というフェティシズムがあったといわれています。これに対しては神を叩いたり、破壊したりしたことがあったかもしれません。でも別に自分たちの神を見えざる神としていたために、その神にはフェティシズムのように破壊攻撃をかけることはありませんでした。それで異民族が神に対して攻撃する冒涜的な態度を見て、義憤を覚えたのかもしれません。
人間が神を作るのではなくて、神が人間を作ったというのも裏返しですね。フェティシズムでは人間が神の主人であり、神は奴隷なのです。ところが唯一神、超越神では神は人間の主人であり、人間は神の奴隷です。フェティシズムに対する反発が唯一神信仰を作ったという私の仮説は、いい線いってると思いますよ。そして神の立場に感情移入すれば、神の怒りにあってフェティシズムを行っている人々は、皆殺しにされて当然だということになったのです。そう考える意識の底には、侵略と虐殺の合理化・正当化をしたいという意識が無意識に働いていたのです。
佐々木:しかし侵略の必要は、肥沃な土地が欲しいということなので分かりますが、皆殺しにするというのは理解を超えていますね。
やすい:実際にホロコーストまで行ったという確証はありません。実際にはカナン人もかなり生き残っているのです。でも神を冒涜したものは殺されて当然という論理で侵略も正当化したので、ついでに本当に皆殺しにしたことにしたほうが、教訓になっていいと後世の人が考えたようです。
佐々木:ユダヤ人はナチスに数百万人も大虐殺されたということですが、それはユダヤ人が『バイブル』で行ったとされている大虐殺の模倣だったということになりますね。それじゃあユダヤ人がドイツ人を批難するのは、過去の自分たちが行ったかもしれない、大虐殺を正当化してきたことを反省してからにして欲しいですね。
やすい:ええそうなんです。ところが彼らは、それはジハードだったから正しい虐殺だということでしょう。内心ではひどいことをしたと思っているでしょうが、公式には反省を公言できないわけです。
佐々木:ユダヤ人にとっては何の恨みもない人々に対して、皆殺しにするというのはいかに宗教的正当性は強弁しても、良心の呵責はおおきかったでしょうね。
やすい:エジプトに移住する前の族長時代には、へブル人たちは先住民のためにベドウィンの襲撃から防衛する仕事を請け負って、その代償として遊牧などをしていたわけです。しかし土地を売ってもらうことはできなかった。表向きは言いませんが、そのことを内心恨んでいたでしょうね。でもその恨みだけでは、皆殺しなんてできません。そこに神を冒涜していることに対する義憤が加わったのです。それにどうもカナン人の一部には偶像崇拝・フェティシズムだけではなく、子供を生贄にして、その肉を食べ,血を啜る宗教も蔓延っていたらしい。
佐々木:それじゃあ、倫理的な意味での「人道的介入」でもあったということですか。
やすい:いや、「人道的介入」して宗教的カニバリズムを止めさせて、まともな信仰に戻してあげるのではありません。実態はともかく表向きは皆殺しですから、全く「人道的」ではないのです。
佐々木:それじゃあヘブライ人たちが良心的呵責に苛まれていたことはどうして分かるのですか。
やすい:それはカナン人を大虐殺した筈のヘブライ人たちが、しばらくするとカナン人の神である大地母神アシュタロテや雷神バウルを熱心に信仰するようになるからです。
佐々木:それはカナン人の神々が農業に関わっていたからでしょう。
やすい:ええ、その通りです。カナン人は少しは生き残るのですが、それはヘブライ人たちが農業技術を学ぶためです。その際、農耕と宗教的祭祀は一体化していたでしょうから、自然に宗教も入ってしまうわけです。実際大地や河や雷に祈らないで豊かな実りだけ手に入れられるとは考えられなかったでしょから。
佐々木:それじゃあ信仰は良心の呵責からではありませんね。
やすい:元々、超越神・一神教というのは多神教対する反発からきたものです。それは侵略や虐殺を正当化するためだったのです。ということはカナン人に対して行った侵略や虐殺に関して、心の奥底で後ろめたい気持ちをもっていた筈です。
佐々木:その気持ちがカナン人の宗教を受け入れる気持ちにさせたということでしょうか。
やすい:虐殺に加担したことを否定しようとして、イスラエルの神ヤハウェと共に、農耕儀礼の一環としてバウルやアシュタロテ、川の神二―ルなどへの祭祀を取り入れたのです。
佐々木:唯一絶対の超越神と自然神の信仰は矛盾しますね。
やすい:ええ、ですから唯一絶対神信仰に固執する人々は、自然神信仰を取り入れようとする人々を攻撃します。これが原理主義運動です。あくまでも神を冒涜した偶像崇拝やフェティシズムの連中を虐殺したのは正しかったという開き直りです。