イエスとマルクスと「つきもの」信仰

 

やすい・・全くその通りです、閻魔様。私は、キリスト教とマルクス主義という西欧近代の二大信仰を、ただ否定的に評価するという業績しか挙げることが出来なかった。そのことに幻滅したのです。

閻魔・・キリスト教やマルクス主義の普遍性を評価していたんじゃなかったのか。

やすい・・ええ勿論、そうです。私は両者の良いところは継承すべきだと申しておりましたとも。キリスト教の愛の教えにしても、マルクス主義の協同主義的な変革思想も素晴らしいものです。それらを展開する上で何か大きな成果を挙げていれば良かったのですが、私がいままでのマルクスとイエスについての思索を振り返って、私のオリジナリティのあるものとしては、マルクスが資本論の方法論を価値をガレルテ(膠質物)とする「つきもの信仰」だということと、キリスト教の成立も、イエスが自分の肉体に宿る聖霊の力で悪霊を追い出す「つきもの信仰」の持ち主であって、霊力の衰えたことで十字架につけられたが、自らの肉体を弟子に聖餐させることで復活を計ったことによるんだという仮説なんです。何と二大信仰に「つきもの信仰」のレッテルを貼ってしまった。これが私のオリジナリティだということは何とも悲惨じゃないでか。

閻魔・・何と、お前は唯物論の親玉のマルクスを「つきもの信仰」だと決めつけておいて、今度はイエスまでも「つきもの信仰」だったとし、そのうえ霊力が衰えて十字架に磔になった死体を弟子に食わせて復活しようとしたというのか。これはとんでもない宗教を冒涜する説を出したものだな。これは飛びきりの地獄を用意しないといけないな。いかに唯物論者とはいえ、死後の世界での事を考えて、宗教には少しは遠慮した説を説くべきだったな。

やすい・・唯物論者は死後の生があるなんて矛盾したことは否定します。だって死んでいるのに生きているということでしょう。それは死んでいないって事ですよ。死ねば個体としては無になるんで、地獄も極楽も存在していない者にとっては存在しません。

閻魔・・それじゃあ、お前が閻魔の裁きを受けているという事実まで否定しなければいけなくなる。「我思う故に我有り」だから、死後の世界はもはや否定できまい。

やすい・・もし私の死とこの死後の裁きの両方が事実なら、私は死後復活したことになります。その結果当然唯物論は間違いだったことになりますね。でも私の死はまだ実証されたわけではないし、閻魔様の裁きだって、単なる自称哲学者の空想の産物で有るかもしれません。

閻魔・・性懲りもなく屁理屈をこねる奴じゃ。

 

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