私の日記!!!
2001年3月分


去る人々2(2001年3月25〜31日)

 H谷、a-zyさん、I藤も去っていった。
寂しくなります。
それにしても、今月末はもう春だというのに、雪は降るわ、寒いわ・・・今年、やっぱ、おかしいわ。


去る人々(2001年3月24日)

 今日はもちさん、そばたろーさん、N村とお別れ。
いっしょにディナーって感じの食事をした。


引越しの雰囲気(2001年3月23日)

 今日はなにやら引越し関連で、慌ただしい空気が漂っております。
最後の昼食や、最後の晩餐などが催されました。
晩餐はなかなか良さげな雰囲気の店に行きました。
ケモノさんやマトンさんとは本日お別れでした。


引越し2(2001年3月22日)

 今日はもちさん、そばたろーさんの引越しの手伝い。
実は県内にお引越しです、が、妙に遠い。
100km以上の距離があります。
お二方は隣村同士にお引越しになります。
その辺はなにやら、リゾートめいた土地のようで、生活には向かないようです。
2トントラックの運転がなかなか面白かった。
食事は豪華だったし。
おごってもらっちゃいました。


ポット洗い3(2001年3月21日)

 今日もポット洗い。
今日で目標数達成!
今度は殺菌だ。
8とは今日お別れ。
しばらくは会えないでしょう。


引越し(2001年3月20日)

 今日は卒業生の8の引越しの手伝い。
軽トラで高山まで行った。
飛騨のあたりは、なにやら古き良き日本のたたずまいが残ってるような気がした。
田舎ってこと?
まあ良いことです。
でも、そのうち高速道路が通る予定なので、それも消えていってしまうんだろうか。


ポット洗い2(2001年3月19日)

 今日もポット洗い。
今日はHセインさんのかわりに、アマランサス組のGが加わった。
今日も天気がよくて良かった。
昨日1000個、今日1000個で合計2000個。
順調だ。


ポット洗い(2001年3月18日)

 今日はポット洗い。
ポットとは周知の通り、苗とかを育てる黒いビニール製の小さな鉢っす。
これが毎年度、トウガラシを育てるための最初の作業になる。
今日は天気も良く、気持ち良く作業できた。
Hセインさんは働きが悪かった。
もっと他のやることをやってもらった方がいいんだろうなあ、と思った。


ボーリング(2001年3月17日)

 今日は作物対抗ボーリング大会。
優勝はソバ・花組でした。
その後、実験してたら松本の友人宅に呼び出された。
面白いビデオがあって、笑えた。
その後見た爆笑オンエアバトルも笑える組があった。
で、帰ったら、3時半になってて衝撃だった。


卒業式(2001年3月16日)

 今日は卒業式。
なにやら寂しい気持ちになった。


鉢運び(2001年3月15日)

 今日はガラス室が停電となるので、朝からHセインさんの植木鉢を運ぶことになっていた。
朝来たら雨が降っていてブルーだった。
N本さんとHセインさんと自分の3人しかいなかったのが衝撃だった。
また、Hセインさんの働かなさ具合が衝撃だった。
まあ、これは今日に限ったことではないが。
自分が重いリアカーを引っ張ってるうしろを、自分だけ傘をさしてだるそうにのそのそ歩いてるのを見て、むかつきそうになったので、視界にいれないようにした。
びしょぬれで、風邪ひくかと思った。


園芸研究会(2001年3月14日)

 今日は園芸研究会、だけど普通に実験して一日過ごした。


そして伊那へ(2001年3月13日)

 今日は伊那に戻ります。
ちょっと短い気がするけど、実家に帰るにゃこれぐらいがちょうどかもね。
そういえば、実家の八郷町はエー・ユーの携帯の電波が入らず、衝撃だった。
そしてしかもその間、後輩がヘルプを求めてたらしい・・・。
タイミング悪、ドコモにすべきなのか?


実家(2001年3月12日)

 今日は実家でごろごろした。
ついでに、なぜかナウシカを読み返した。
やはり自分にとっては、心に響くものだ。

夕食は焼肉屋に連れていってもらった。
町に新しくできた店で、思ったより良い感じの店だった。
どうも御馳走様。


Y田さんのお店へ2(2001年3月11日)

 今日も再びY田さんのお店。
お店に行くまでの道すがら、なぜか数ある桜のうち、1本だけ咲いている桜があって不思議だった。
お店で朝食を頂いた。
いい感じの空間で、いい感じの朝食を取る・・・そんな生活もあるのかと、これまた不思議な感じがした。
お礼に窓拭きと、買出しをした。
やはり都会の町をうろつくのは、不思議な感じがした。
キャラメルミルクティーとホットチョコレートを頂いた。
どちらも美味かった。
最近、なんか自分の感覚が揺らいでいるような感じだったので、不思議な体験をしたような感じがした。
自分の人生にも、こんな瞬間があるもんなんだなあ、と思った。

その後、実家に向かった。
で、途中、牛丼太郎という店に入った。
そこではなんと牛丼が200円!!!
私は250円のキムチ牛丼を頂いた。
ここで一気に自分の日常に帰ってきてしまった気がするなあ。


Y田さんのお店へ1(2001年3月10日)

 今日は中野にあるY田さんのお店に行った。
カフェ・アンド・バーって感じの店で、すごくいい感じだった。
いや、本当にいい感じだった。
自分なりの言葉で言うと、ハイソサイエティーな感じで、レトロな感じで、くつろげる感じというところです。
なんか自分という存在が揺らぎます。


逆凪(2001年3月8・9日)

 スキー合宿に行ったために、溜まった仕事をする羽目に・・・。
なんか、重要な用事が入ってて衝撃だった。
あー、ダルシム。


スキー合宿(2001年3月5〜7日)

 この期間、研究室のスキー合宿。
場所は志賀高原!!!
中では一番老人であるにもかかわらず、なぜか飲まされ、3回も吐いた。
これはいじめか?
スキーは面白かった。
さすが志賀高原!
欲をいえば、もうちょっと熱いチャレンジコースに挑みたかった。


ダルダルダルシム(2001年3月3・4日)

 記憶無し。


乗蔵(2001年3月2日)

 今日は乗蔵でスキー。
天候がきつかった。
顔からこけたら、顔があまりに冷たいために、なぜか体も動けない状態になった。
もともと意識は体の監査役をする神経網(肉体の奴隷)であり、突然の強烈な刺激(肉体の要求)に、神経系がぱにくったのだろう。
顔への神経の集中し具合を感じた。
2時間しか滑らなかったが、ちょうど良かったかも。
帰りがけにラーメンを食べたのだが、最高だった。


キャスト・アウェイ(2001年3月1日)

 今日は伊那の映画館に「キャスト・アウェイ」を見に行った。
ウィルソンのくだりでちょっと考えさせられた。
あれこそ濃密な時間を共に過ごした、真の友と呼べるものかも知れない、などと思った。
島では受ける刺激が大きく限られるからだ。
生きるというのは刺激を受け、それに反応していくことだからね。
まあ、作り話なんだけど。
最後まで見て思ったのは、無常な世界からの刺激を受けとめること、そしてそれに反応し、選択していくことが生きることなんだろうな、ということだった。
あらゆるものは無意味で、我々生命はただ残ってきただけだ。
残るべきものが残ってきたという意味で、存在というものは必然なのかもしれない。
人間が喜びや苦しみを内包するのは、それらを持つものが残ってきたからだ。
だから、喜びも苦しみも決して消えることはないだろう。
持たないものは消えていくのだから。
結局、喜びのみの世界も、苦しみだけの世界も永続し得ない(刹那的には存在し得ると思うけど)。
極論をいうなら、絶対や、永遠の救済を求めるならば、死と消滅を求めればいい。
生は必然かもしれないが、永遠ではありえない。

まあ、そんなことは人間の個人が生きる上ではどうでもいいことかもしれない。
それは置いといて、自分自身に限定していえば、刺激とそれに対する受け止め方、反応と行動のみが自分にとって意味のあるものだと思う。
当たり前だな・・・。
なんか最近、同じようなことを繰り返し書いてるな・・・まあ、自分的にはとりあえずの1つの結論だからな。