私の日記!!!
2001年9〜12月
2001年9月〜12月まで。
2001年12月
本当にいろいろあった。
学会に行って財布と鍵を一時的に紛失(どうでもいい事件だ)。
同期の友人と先輩が結婚(本当は蛇足なんだけど、このとき祖母を見舞うことができて、本当に良かった)。
自分を小さいころから面倒見てくれた祖母の死去(自分の誕生日がお通夜だったのは何かの運命か)。
特に後の二つは自分の人生の中でも、特筆すべきイベントだった。
時は容赦なく過ぎてゆく。
2001年11月
多分いろいろあったと思う。
しかしすでに記憶の外。
重要な思い出であれば、思い出すだろう。
2001年10月8日
友人の結婚式当日。
実は自分、結婚式に出席するのは生まれて2回目。
なんか、なんというか、すごくアットホームな印象を受けた。
地域色っていうんですかね、これは。
うーん、なかなかいい。
ただ、食べ物がもったいないってとこが気になった。
持ち帰り不可?
でも個人的に結婚式は絶対したくなくなってきた。
なぜなら、
・準備が大変で、金銭的負担が大きそうだから。
そしてその結果が、
・新郎新婦がいそがしそうで、気が休まるひまがなさそう。
だから。
まあ、お子様な意見ですが。
やってみたら、人生を彩る、どらまちっくなものになるんだろうか。
至る過程を含めて感無量だったりするのだろうか?
でもみんなやるからには、おもいっきりやって、いいものにしてるんだろうな。
それにしても今回は旧交を温めなおせたのが収穫だった。
こんなことなら、もっと早く連絡をまめにとっときゃ良かった。
いつも気づくのは過ぎた後って?
2001年10月7日
京都から伊那まで徹夜で走破!
いや、徹夜っていっても、こういう徹夜はいいものよのう。
明日の友人の結婚式のため、高速バスに乗り込み、一路、八郷町へ!
相も変わらぬアホ犬が迎えてくれた。
最近、体調を崩し気味のおばあちゃんと沢山話をした。
やっぱり、弱っていることがすごい伝わってきて、かなり心配。
うー。
2001年10月6日
行っちまいました!
27才を目前にしてSP○EDの一日だけの再結成ライブ、
その名も淡路島夢舞台 スーパーフラワーライブ2001
『 ONE MORE DREAM 』
行っちまいました!!!
な、なんてク、クサクサなネーミング!!!
ライブ本番を迎えて、さらにこの名前がクサイ意味を持ってくるんだけど・・・まあ、それはおいときます。
いや、でもまさかこんな展開になろうとは・・・持つべきものは友達というか。
でも、正直なとこ、個人的に多香子、好きです。
そしてライブ、全力で楽しんできてしまいました。
席の場所もかなり良く、結構、最高だった。
そして、見えましたよ、生で、多香子が。
やっぱ存在感、っていうか、あ、存在してるんだというのがほんとにダイレクトで伝わってきてすごかった。
そしてなにより衝撃的だったのが、席から後ろを見たとき。
ほんとどんだけの人がいたんだろう・・・たぶん、これから自分が一生のうちに見る人間すべて以上の人がいたと思う。
これだけの老若男女(本当に上から下まで)を集めてしまうというのは、本当にすごい!!!
何なんだろ?人のうねりというか、スタア(象徴)を中心にうねる人間の共時性っちゅうか。。。
いや、細かいとこ言い出したら本当にいろいろあってきりがないけど、なんか、忘れられない一日になってしまった。
いや、まあ、ほんとにすごかった。
2001年9月26日
家に帰ったら、鍵を持ってないことに気が付いた。
ちょっとげんなりしながら、鍵のかかってなかった窓から家の中に入った。
それから玄関の鍵を開けようとしたら、実は開いていた。
衝撃。
さらにもっと衝撃だったのは、家の中に鍵があったことだ。
2001年9月19日
アフガニスタンの素直な子供たちは、アメリカの報復攻撃のなかで育ち、どのような実を結ぶことになるのだろうか。
ふとそんなことを考えた。
無用の死を引き起こすことが、テロリストと同じ次元に自らの身を置くことであるということにアメリカが気づいていることを願う。
血は血によって贖われ、死は死によって贖われる。
その鎖を断ち切るのは難しい。
力を持つものの驕りは、その鎖をも見えなくする。
力を持つということは、たまたま大きな流れの中でその力を借りているだけに過ぎない。
それに気づかなければ、流れが変わったとき、その流れに押しつぶされる。
・・・
まあ、だからって、どうということもないか。
「分かる」と「実感する」の間に横たわる、「生きる」ということは、一体何なのだろう。
苦しみの中で喜びを放棄すれば、生きることはかなわない。
同様に喜びの中で苦しみを放棄しても、生きることはかなわない。
・・・そうか、分かるということは、直接的に生きるということには繋がらないのか。
2001年9月18日
後輩とスピッツの話をしてたら、バングラからの留学生のHさんよりもスピッツが似合わないといわれてしまった・・・。
どういうこと?
2001年9月17日
久々にプリンを作ってみたら、失敗してショック!
さらに、夢にまで見て、夢の中で食べてみたらくそまずかった。
どんより。
2001年9月15日
学校内で熊の解体現場に遭遇。
中心人物らしい一人にK研究室のSさんがいた。
ちょうどSさんは熊の頭の皮をはいでいるところだった。
さすがである。
現場は熊の毛皮、手足、皮をはがれた頭があって、なかなかグロかった。
においもちょっと・・・。
熊もこうなってしまうと、なんとなく哀れなもんである。
これから、この熊を食べるのだろうな。
なんか、うちの大学はすごい気がした。
2001年9月13日
続いて、アメリカのニュース。
家族を捜し求める人々に痛ましさを感じる。
無差別テロが起こるということも、それを起こすことのできる感覚が存在するのも、なんともやなものだと思う。
同時にアメリカ以外の国々に強いてきたことが、ここに一部返ってきたのだとも感じる。
アメリカの人々はテロを許さない心とともに、大国として自らを省みる心を思いかえすべきなのかもしれない。
しかし、傲慢さというものは、往々にして自分で気づくことが難しく、また、気づいても目をつぶってしまいがちになる。
人間とはなんと愚かで、ままならないものなのだろうか。
なにより自分のそのようなことを感じる感性が鈍くなっていくこと危機感を感じると同時に、人間が年を取るごとにそのようになっていくという現実、また、そのようになった人間が沢山世の中に存在しているのだろうということに恐ろしさを感じる、今日この頃。
2001年9月11・12日
衝撃的なニュース。
アメリカで起こったテロである。
ハイジャックした航空機を用いて、ツインタワーおよび国防総省に体当たりをかけるという、想像を絶する事件。
久々に自分の現実的な感覚が揺らぐのを感じた。
ある意味、妙にハイテンションに。
でもそのテンションも思ったより長くはなかった。
結局は遠いところで起こった事件という感覚におちついてしまったのだろうか?
これはどうだろう?不甲斐ないと感じるべきなんだろうか?
2001年9月8日
蓼科山に登山。
体力的な衰えよりも、精神的な衰えにちょっと衝撃を受ける。
辛いのを我慢する根性がなくなっているのに気づく。
体力は衰え、根性も衰え、感性も鈍くなっているというのは、あまり気持ちのいいものではない。
感性だけでも復活をしたいところである。
登山自体は素晴らしかった。
眼下に広がる雲海に感動する。