ソクラテスの言葉から(05.02.03)
人は他者を知ることで、謙虚にならなければならない。
知ることで傲慢になるのは、愚かさと無知ゆえである。
有名なソクラテスの‘無知の知’は、
このことを表しているのではないだろうか。
「彼は何も知らないのに、
何かを知っていると信じており、
これに反して私は、何も知りもしないが、
知っているとも思っていない」
出典:『ソクラテスの弁明・クリトン』、
プラトン著・久保勉訳、岩波書店、P21より
また同時に、他者とのせめぎあいの中で、
自分の中に譲ることのできない、
芯の部分を見出さなくてはならない。
人が生きる上で、他者こそが自らの魂を映す鏡なのだ。
「魂の探求なき生活は
人間にとり生甲斐なきものである」
出典:『ソクラテスの弁明・クリトン』、
プラトン著・久保勉訳、岩波書店、P52より
では魂とは何なのか?
一つには、自分の従うべき規範であり、
道がそれにあたるのではないだろうか。
それは、社会的な正義とは別の、自らのための正義である。
これは一つの制限要因であり、
この制限要因が他者との摩擦を起こすことにより、
人は自ら実在を実感することになる。
「子供をも、生命をも、その他のものをも、
正義以上に重視するようなことをするな」
出典:『ソクラテスの弁明・クリトン』、
プラトン著・久保勉訳、岩波書店、P75より
そう、自らのための正義というものは、
何物にも変え難い一つの覚悟である。
そして、その覚悟は人それぞれのものである。
しかし、それが自然の理にそぐわないものであれば、
これほど性質の悪いものはない。
その点、ソクラテスの考える正義というものは、
人間の集団というものを良く考えた、理にかなったものである。
「人は、何人に対しても
その不正に報復したり
禍害を加えてはならないのだ」
出典:『ソクラテスの弁明・クリトン』、
プラトン著・久保勉訳、岩波書店、P57より
「殺されるかまたは
他の憂き目に遭わなければならない
などということは、
不正を冒すよりも遥かにましなのだ」
出典:『ソクラテスの弁明・クリトン』、
プラトン著・久保勉訳、岩波書店、P75より
理に適い、かつ、美しい。
上の言葉は、私にはそう感じられる。
それはなぜか?
自分のことより全体を考えた言葉だから?
いや、そうではない。
私はむしろ、そのような表面的な言葉なら、もう結構である。
やはり、自分の信念に殉ずることができるというのは、
難しいことであり、気高いことである。
ソクラテスはそれを命を懸けて実践したという記録がある。
私がそのことを知るが故であろう。
人間、生きてこそ、である。
しかし、命の使いどころを間違えた人間は、美しさや輝きを失う。
まあ、しかし、美しく生きるもよし、醜く生きるのもよし、か。
さて、私の求めるものは、一体何なのであろうか?