風景描写の練習(05.02.05)
(今回、風景描写の練習のつもりで書いてみたが、
あまりにうまくかけなくて衝撃。)
以前、友人が大阪の海沿いの施設で結婚式を挙げた。
その際、すぐ海の側にあるロッジのような建物に泊まり、
皆でお祝いをした。
その時、私は夜中に建物を抜け出し、防波堤を散歩した覚えがある。
ありきたりな公園の中の道を抜ける。
しかし辺りには、確実に海の気配があった。
さまよっていると、暫くして急に目の前が開けた。
長く続く防波堤。
私の他にも幾人かの人々が、防波堤沿いにいた。
ある人は単に散歩が目的のようであり、
ある人は友人との語らいのためにここに留まっているようであった。
それぞれの目的と動機に従って、
奇しくも同じ海を望むことになった者同士ということになる。
これらの人々とは互いに話すことも、二度と会うこともないのだろうとおもうと、
少し不思議な気がした。
そこは都市部の港であったので、
見渡す限りの沿岸は全てコンクリートで固められていた。
防波堤から内地に目を向けると、
ビルの明かりや環状線の光の流れを望むことができた。
特に、建設中の建物に取り付いたクレーンの、
ゆっくりとした赤い光の点滅は、何やら印象的で、心乱された。
沖合いに目を転じてみると、
何やら光を放つ人造物を2、3見て取ることができた。
それらの光は動くことなく海上に留まり、
それが一体なんであるのか、見当がつきかねた。
私は軽く想像力を掻き立てられたが、
それほど興味を惹くものでもなく、すぐに私の意識より離れていった。
このとき、季節はいつ頃だったろうか?
夜の海からの風は、どんな海岸であろうと共通の風合いがある。
潮の匂い、湿った空気。
そして音たち。
波の音、防波堤のコンクリートに当たり、跳ねる水音。
加えて、街の音たち。
間断なく環状線を走り抜けてゆく車たちの音。
遠くに聞こえる都会の喧騒、サイレンの音。
近いはずなのに、ひどく遠い。
そういったもの達がひどく私の叙情を誘う。
なぜであろうか。
それは以前からそうだった。
友人と貧乏旅行をして、海岸沿いに泊まる。
海岸沿いを寝袋を広げるのに適当な場所を求めて彷徨う。
そのときの頼りない感じ。
見知らぬ土地にきた不安からか、それとも、
過ぎ去り戻ることのない時間に切なさを感じるのか。
おそらくはその両方ともが、綯い交ぜになっていたのだろうと思う。
夜の海は、私にもう二度と戻ることのない何かを起想させる。
一瞬にして去りゆく何か。
それが見知らぬ土地に触れて、不安定となった心に響いてくるのだろう。
常に変化をしながら、永い時を変わることなく存在しつづける海。
海は私に人の営みの儚さを教えてくれる。