松浦亜矢とCocco(02.10.19)

なんか松浦亜矢に対して引っかかるものを感じていたので、アルバムをヘッドフォンで大音量で聞いてみた。
そうしたら、少しずつ分かってきた。
以前から彼女の歌には間違いなく空しさと切なさが混ざったようなニュアンスを感じていた。
それがライブに行ってみて確信に近いものに変わったのだ。
田舎の駅の誘蛾灯の光。
自分の中の松浦亜矢を例えるならそんな感じになるだろうか。
ライブ会場の大きさの問題などもあるのだろうが、一見普通に見える熱狂的なファンたちと松浦亜矢がない交ぜになった姿が印象的だった。
宗教的ともいえるかもしれない。
松浦亜矢という偶像とお経、そんなことを考えた。
そんなことを考えながら聞いてるうちに、絶望的といえるような哀しさの響きを感じるようになってきてしまった。
偶像を作ったもの、作られた偶像、迷いながらも偶像をあがめるもの・・・自分の中のそういった存在がそうさせるのだろう。
松浦亜矢のファンはモーニング娘のファンと比べると迷いや葛藤があるのではないだろうか?
モーニング娘にはある種の明るさと突き抜けた感じがある。
しかし、松浦亜矢に関してはちょっと違う気がする。
モーニング娘に対するようなファンも多いようだが、なにか暗い憧憬のようなものが見て取れるような気がした。
松浦亜矢の作り物めいた白い輝きが、その暗い憧憬を惹き付けてやまず、その闇をなお暗く照らし出す。
そんな感じ。
まあ、勝手な個人的イメージだが。
松浦亜矢は現代人の哀しい心の象徴の一つなのかもしれない。
アイドル、宗教、麻薬さらにはスポーツ、恋愛、学問、芸術etc・・・そんなものに踊らされ、走りつづける人間。
社会常識や当たり前という共同幻想・・・しかし、この共同幻想こそが人間にとっての本当の現実なのだ。
生き物としては病んでいるとしかいいようのない、幻想というリアリティの上を見当もつかずに滑りつづける人というもの。
もしかしたら、松浦亜矢のファンは無意識的に自分という存在の空しさを感じ取ることで、そのことに気づいているのかもしれない。
まあでも、人間は自分の現実の中で頭と心と体を動かしていれば幸せになれるし、それが一番なのだ。
そんなことを考えているうちにアルバムが終了した。
そして、なんとなくCoccoと比較してみようと思い、次にCoccoの4thアルバムを聞いてみた。
そう、最近Coccoの歌を聴いていなかったので、陰のイメージといえばCoccoか?と短絡的に考えてしまったのだ。
しかし、聞いていくうちに思い出した。
Coccoの歌の持つ命の輝きを。
身悶えするほどの感動の響き、生きていることの希望の響きを。
それを表現するならば、漫画版のナウシカの最終巻にあった言葉、「闇の中に瞬く光」なのだ。
月の光、星の光、青白い狐火、燃え盛る炎・・・。
自分を真の絶望から救ってくれる存在だったことを思い出した。
全くもって忘れていたのだ・・・。
この間、カラオケで選曲したときに全く気持ちを乗せることができなかったことを思い出した。
本当に人間は忘れる生き物だ。
大切なことも、下らないことも。
忘れることで生きているのだから仕方がないとはいえ、侭ならないものだ。
今回は松浦亜矢がなかなか味わいのある存在であることが分かった。
しかしそれ以上に、その松浦亜矢という存在が見えなくなるほどのCoccoの輝きに再び出会えた気がする。