ふと思う(03.07.20)

人間は頑張ることが無駄であるということが分かっていても、
いや、逆に無駄だからこそ、そこに喜びを感じてしまう場合がある。
おそらく、人がここまで隆盛を誇っている理由の一つは、そこにあるのだと思う。

生物が進化していくためには、未知の可能性を探索する必要がある。
当然、その結果として、ある程度の犠牲が伴う。
それは個体であったり、種以上の集団レベルだったりする。
結果論で言えば、カンブリア紀の生物種の爆発的な増加と、
大絶滅がそれにあたるのだと思う。
または、農業を覚えた人類による、他生物種のホロコースト、
これもその一種といえるのかも知れない。
一つの見方をすれば、人間の文化という多様性を生み出すコストのために、
他生物種を維持してきたコストが犠牲になったといえるのではないだろうか。

そして、人はその獲得した多様性の中から成功の鍵を見つけ出し、
増殖してここにあるのだろう。
人間にとって、不特定の個人の成功はマクロ的に見れば必然である。
しかし逆に、ミクロ的、すなわち、特定の個人レベルでは単なる偶然である。
まあ、偶然を得るにも、ある程度の前提条件が必要であるが。

ちなみに、ここでいう成功の定義というのは、
資源の分配量の大小というのが近いだろうか?
例えば、資源の配分量という意味では、この日本に生まれた人間は、
それだけで成功者といえる。
しかし、主観的に見れば、ものごとの評価自体が、
集団内での相対評価によって判断されることになるため、
自分が成功者と感じるためには、身近な他者との差を感じ取る必要がある。
人にとって、その評価の点の基準は多様である。
そのことは人の面白いところであり、また、救いでもあるのだと思う。