感想文(05.01.27)
会社に言われ、しぶしぶ書いていた感想文が思いのほか調子に乗った文章になり面白かったので、以下掲載。恋心って、おそろしいわ。
『父と子の約束』を読んで
私がこの本を読んで、まず一番良いと思ったのは将也くんと烈士くんの生の声が入っていたところです。二人へのインタビューが入ることによって、わずかながらでも渡邉社長が思いをかけ育ててきた結果の片鱗が知ることができたからです。
そのことによって、思いが形になるということがどういうことなのか、少し分かったような気がします。どんな思いであろうと、たとえ、とても強い思いであろうと、どんなに素晴らしい思いであろうと、それが急に形を成すのではない。ゆっくりとゆっくりと自然の時間の流れの中で形を成していくのだなと思いました。
「継続は力なり」といいます。今の私達は少し急ぎすぎているのかもしれません。どんなものだろうと、形を成すまでは時間がかかる。
作物などいい例です。毎日毎日水をあげる。見守ってあげる。機嫌の良い日もあれば、そうでない日もある。でも、毎日見ていて、目を見張るほど急激に大きくなったりすることはない。ただふと気がつくと、ああ、大きくなったなあ、と思う瞬間がある。特に、根をしっかりと張った子は、どんどん立派に育っていく。
良い土に恵まれて、しっかり根を張りさえすればそう簡単にへこたれることはない。虫も病気も早めに気がついてあげれば、どうにかなる、かな?正直なところ、その辺はなんともいえませんが、ただ、うまく根が張った子らは強い。それだけは間違いないです。
人間にとって根を張るとはどういうことか。それはいろいろなものを素直に吸収できるようになるということです。何かを素直に吸収するために必要なことは何か?私は、それは感動する気持ちだと思っています。何かに感動できた瞬間、人はひどく素直な気持ちになります。何かがすっと入ってくる。心に染みる、とは良く言ったものです。そのような状態になったとき、人はどんどん必要なものを吸収しようとする。
まるで光を浴びた植物のように。光を浴びた植物は光により光合成を行います。また、その光が持つ熱によって蒸散を行います。光合成を行うには水が必要となります。植物は水を根から吸収する必要がある。それでは根から水を吸収するにはどうすればいいのか?根が乾いたスポンジの状態になる必要がある。つまり蒸散によって、水を常に失うことこそが、植物体を支え、物質の吸収を促しているのです。
もし、人の心にとっての感動が、植物にとっての光だとしたら、一体感動とはどういうものなのか?感動の光がきらめき、こころに波紋をつくりだすとき、人はどうなるのか?人は過去の停滞していた自分を捨て、行動をはじめます。何かを吸収すべく根を張る、張った根から吸収したものを使い、光合成を行う、何かを作り出す。作り出したものによって人は何をするのか。葉を広げる。より多く感動できる人間になれるように、より多くのものを作り出せるように。根を張る。より多くのものを吸収できるように、また、自らの足で立ち続けるために。
そして、植物はあるときから今の自分のために大きくなることをやめ、次の代のために栄養を使うようになる。花を咲かせる、実をつける。それは自然で美しいことだと思う。植物自体は何も考えずに、ただただ、すべきことをしているだけ。しかし、人間である自分にとっては、それは美しいと思えることです。散る花の儚さはそれだけでも美しい。しかし、それが次の代のための一瞬のきらめきだということを知れば、人の心に染みる、より美しいものとなります。
人も同じです。命の花が何のためにあるのか。自分のためだけに、無様に永らえるだけのものならば、それが花といえるのだろうか?自分以外の誰かのために生き、自分の後代のために生きるからこそ、散り逝く命が花へと昇華するのではないでしょうか?
ちょっと感傷的で偉そうなことを書いてしまいましたが、今の自分はまだそんなたいした人間ではありません。利己的で能力的にも人に劣っているかと思います。ただ、これから枝葉を伸ばし、花を咲かせ、実をつけることができればと思います。どうせ生きるならば、大切だと思える人、美しいと思えるもののために生きてみたいと思います。