一つの小説を読み終えて(05.01.30)

私に人の心の深淵を見ることは、はたしてできるのだろうか。
そしてそれを共通了解という形に翻訳することができるのだろうか。
私はその片鱗を小説の中に見る。
人の一生。
生と死。
食べること、金、名誉、男と女。
そして入り混じる人々。
そう、一つ一つの要素に解体することは可能だ。
しかし、それらが入り混じるときにこそ、織り成されるのだ。
あらゆるものが入り混じった風景。
その輝き。
私が求めるものは、まさしくそれなのだろう。
風景があらゆる文脈を背負って眼前に現れるとき。
そのときの感動、衝撃。

人は風景の中にただ佇む。
どんな人間だろうと、風景の中に佇む瞬間は必ずある。
それは、幾千、幾万、幾億の人全てにおいて平等だ。
ただ、多くの人々にとってその瞬間は、
とめどなく流れる主観の世界にすぎない。
その瞬間を切り取って、形に留めること。
私にはそれができるのだろうか。
光、色、匂い、拍動、ふれあい、感触。
転じて響く、ただ響く風景。

分からない。
ただただ、分からない。
理解することができない。
私の欲しいもの、求めるもの、眼前にあるもの。
私の言葉に触れ、色を失い、生気を失う風景たち。

その昔、私は抽象にこそ真実が宿るのだと信じていた。
今、私は、具象こそが全てであると確信する。
具象を切り取り、そこに垣間見た抽象を宿らせること、
これ以上の方法はないのだろう。
いや、抽象を垣間見るまでもない。
胸のきらめきが道標となるのかもしれない。
ただ繰り返し、繰り返し風景を見つめるうちに、
私の胸にもきらめきが宿る日が来るのだろうか。