| この間、実家に帰ったとき、地元の新聞を読んで面白い記事がありました。「言葉と語感の落差」というタイトルなんですが、ある言葉を用いる側と、それを受け止める側には大きな感覚の落差が生じるという内容です。 その記事を簡単に要約してみますと、いまユーゴ空爆のニュースがよくありますね。この中で「民族浄化」という言葉が出てきます。セルビア人がアルバニア人達を排斥、追放する事を英語で「クレンジング」(浄化)といっており、それを直訳した表現です。この場合、浄化というのは、英語でも日本語でも「きれいにする」ことです。それが異民族を追放し,虐殺する事に使われています。どう思いますか,皆さん。しかし,実は我々日本人も戦前,アジア各地に進行する事を「聖戦」と称していました。 身近なところではごみの「分別収集」があります。本来日本語では,「ふんべつ」と読み,物事の道理をわきまえている事を意味します。それがし分ける,分類するというごく狭い意味の「ぶんべつ」という読み方を当てたため,いまひとつ,こなれが悪い言葉になってしまいました。お役所言葉の典型でしょうが,仕分け収集とか,分類収集といったほうが分かりやすいのではないでしょうか。 お役所言葉でどう見てもおかしいのは「離島政策」があります。離村といえば村を離れる,離婚なら婚姻から離れるというように,離島とは島を離れる事を意味します。それが,離れ島にてこ入れして島から離れない様にする事を「離島政策」といっているのです。離れ島と離島とは意味が違う事を無視した結果です。 また頼りにしている辞書がまた曲者です。昨年,大改訂された「広辞苑」これで「中年」という言葉を引くと「青年」と,「老年」の中間。40歳前後のころとあります。40歳前後とは37,8〜42,3歳の事になります。すると45歳や50歳は老年になってしまいます。これはちょっとおかしいとは思いませんか。いくらなんでもそこまで限定する事はないでしょう。 このように言葉はぴったりの意味で使っているつもりでもかなり矛盾して使われている場合があります。でもそれにいまの僕達の世代は気づく事が出来るでしょうか?日本語は変わっています。昔とはかなりの違いがあります。いえ,それは日本語に限らず,英語もその傾向はあるでしょう。なんときれいな音で有名なあのフランス語にも変化が見られるぐらいですから・・・。 そうなると,僕らの世代が使っている日本語というものは,日本語であって日本語でないと言えます。もちろん話している文法や言葉が全く変わるわけではありません。しかし,自分たちの親の世代から見れば,全く違う言語に聞こえるときさえあるでしょう。という事は,僕らが年を取り,親になったとき,同じように思うのでしょうか。「変わったな日本語って。若い子が何を喋ってるのかよくわからないよ。」と・・・。 そう考えたときに僕は少し寒気がしました。考え過ぎと言われればそれまでですが,もし子供の世代の日本語が分からなかったら,コミュニケーションが取りにくかったら,この世界はどうなるのでしょう。言葉というものは意思疎通のためにあります。その意思疎通がしにくくなるのです。僕の周りの友達にはいませんが,親と話すのが億劫な人はいませんか?それは親と考えが合わないからそうなのかもしれません。もしかしたら,「なんて言葉を使うの!!!」とか「もっときちんとした言葉を使いなさい」と怒られるのが嫌なのかもしれません。こうやって意思疎通をしなくなり,また自分たちもそれに陥ってしまう。日本語はどうなって行くのでしょうか。 考え過ぎでしょうか?それでも言葉は確かに崩れています。もちろん前の日本語が正しいと断言しているのではありません。でも,同世代だけで言葉が通じているだけではさびしくなりませんか?もう少し言葉というものに関心を抱くって言うのもいいかもしれません。 |
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