第一節 IT革命1990年代に入ってアメリカで始まった「IT革命」は一時、熱狂的なブームとなっていった。インドが「IT大国」として注目されるようになったのも、そうした流れの一環として捉えることができる。もし、この「IT革命」が存在していなければ、インドがこれほどまでに注目されることはなかったはずである。
前章で見てきたように、インドでは工業化に挫折したことによって、1991年の自由化以降2002年現在に至るまでITを中心としたサービス産業が大きな比率を持つようになった。これは今まで工業化からサービス業へ発展をとげるという、東アジアや東南アジアで見られたような発展モデルとは違っている。
本章では情報技術とは何であるのか、またIT革命の概観とそのインパクト、IT革命に関する議論について見ていきたい。
人類の歴史を「情報」という観点から分類すると三つに分類される。第一に人力による以外に情報の量産化が行われず「知識」を後世に残すために力が注がれた期間、次いで活字印刷による情報の機械的手段による量産、流通が行われた期間、そして現在に至るまでの電子画面を全面に押し出すテレビの導入とともに、情報の電子的な増幅・複製・蓄積が大規模に行われるようになった期間である。そして、半導体の出現によって流通する情報量は飛躍的な拡大を遂げることになる。
そして、情報量の増大に呼応するようにコミュニケーションにおいても革新がもたらされるようになった。米国のAT&T社にベル研究所にいたC・シャノンが1948年、情報をビットに還元したうえでその伝達可能性を論じた。その後、インターネットの急進展によってコミュニケーション手段も発達を遂げたのである。
インターネットはアメリカのARPANETが起源となっている。これは元来アメリカの研究、防衛機関を結ぶものであった。その後1980年代末にかけて、米国政府が民間ネットにインターネットとの接続を促していったのが急拡大の背景である。そして、1989年にジュネーブのEuropean Organization for Nuclear Research(CERN)にいたT・バーナーズ・リーがwww.(World Wide Web)を開発したことと1993年にはM・アドレッセンらがMosaicと名付けていたブラウザーを導入したことはインターネットの急展開を支えることになった。
インターネットは経済に大きな影響をもたらすことになった。IT革命下の経済社会には、収穫の逓増という性質がある。この主因として挙げられるのはまず、コスト構造の特殊性であろう。IT企業がビジネスを行っていく場合、初期投資は大きいが、一旦投資をすると、追加的費用は比較的安くて済む。順調に行けば、平均費用は逓減し、収穫は逓増する。また初期投資は大部分はいわゆる堆積原価である。つまり、このビジネスに投下した以上、他に投資コスト回収の道がなく、このビジネスで回収していくしかないのである。
もう一つの原因として挙げられるのがネットワーク効果である。IT革命の経済社会はネットワークの社会である。ネットワークのユーザーにとっては、そのネットワークに参加することの価値が、ネットワークの大きさに依存するということである。多くのユーザーが参加するネットワークが、さらにその価値を高め、多くのユーザーを惹きつける。この効果はネットワーク経済の展開に特有のパターンをもたらす。すなわち、最初はみなネットワークの価値を認識していないために展開が遅々たるものである期間がかなり続くが、ある時点から突然立ち上がり、目覚しい伸びを示すようになるということである。
これらはネットビジネスにとって「創業と破綻」が避け難いということを意味している。これはネットビジネスにはある意味で、不安定さが埋め込まれているということであろう。
アメリカにおいて2000年春まで、IT企業は全体としてみると成長期の段階にあった。B2C関係企業では、その成長はあくまで既存企業の事業基盤を侵食する形で行われ、全体としてパイが膨らむわけではない。ただそれは、当の企業にとっては売上の大幅拡大となり、それが株高を呼んでいた。これがIT革命のイメージとなっていたのである。しかし、IT企業が転換期の段階に達し、収穫逓増を許さないように環境が変わると、問題が発生する。つまり、ヴァーチャルな世界でビジネスが完結せず、在庫のための倉庫や、物流設備、あるいは新規顧客のための広告費投入などによって費用がかさみ、収穫逓増による利益を刈り取りつづけることができなくなるのである。
IT革命の経済社会のダイナミクスに不安定性を持ちこむのは、収穫逓増のために企業は絶えず拡張しなければならないという要素である。つまり、次節で述べるように高株価に依存しているということもあって、わずかの調整に対しても反応が大きくならざるを得ないのである。そして、こうしたIT社会の性格がアメリカに「ニューエコノミー」を現出させることになっていった
第二節 IT革命と株式市場の関係性
2000年春から始まったアメリカの景気後退はIT革命が単なるバブルだったのではないかという疑問を抱かせた。ニューエコノミーも従来型の経済に過ぎなかったのではないか、という議論である。この景気後退の原因として前財務長官のサマーズなどは次のように述べている。
・ハイテク部門への過度の楽観主義は、ナスダック市場の暴落によって揺るがされた。
・しかしナスダック市場の暴落は、コンピューター産業の技術進歩の停滞やコンピューター以外の分野がコンピューターなしで済むことを認識したわけではない。
・ナスダック市場の暴落は、過度の楽観主義に陥った投資家が、過大評価された株に金をつぎ込んだこと、またハイテク企業はそれが市場で確固たる基盤を得ない限り、 利益の源泉にならないことがわかったためである。
投資家のハイテクに対する過剰な期待が株価を引き上げ、それが冷めたとき、株価は過剰反応して大幅に値を下げた。そしてこれは資産効果を通じて、消費者や投資家のマインドを冷やし、またハイテク企業の資金繰りをきつくして、その倒産を招いたのである。しかし、その株高によってこそIT革命が実現されたことも事実である。株高はいうまでもなく企業の資金調達を容易にする。特に、IT企業は銀行融資に依存せず、様々なチャネルで資金を得ることができるようになった。
まず第一にベンチャー・キャピタルであるが、その資金調達は1995年の55億ドルから97年には140億ドル、そして1999年には534億ドルにもなった。ベンチャー・キャピタルの資金調達のうち約3分の2はIT企業関連、またそのうち4分の3はインターネット関連に振り分けられた。
さらに、中小企業は新規公開(IPO)で巨額の資金を獲得しようと狙っていたが、株高はこの面でも有利だった。IPOの規模は1995年には241億ドルであったが、1997年には313億ドル、さらに1999年には561億ドルと、この間で倍増になった。
こうしたIPOで主体となるIT企業関係は、その後も好調であった。1980年〜1999年にはこの関係で4033億ドルの公開が行われたが、その2001年1月末の時価総額は4兆2007億ドルで、この間で10倍以上にも膨らんでいる。時価の大きいのは第一にソフトウェア関係で1兆146億ドル、次にインターネット関係で9388億ドルとなっている。これらの公開時の価格はそれぞれ52億ドル、1470億ドルに過ぎなかった。特にソフトウェア関係では、公開時価格の17倍以上の含み益を擁していたことになる。
このようなIT企業の資金調達の膨張は、当然関連投資を加速させることとなり、また雇用の創出につながるなどITが牽引する形のアメリカ経済の底上げをもたらした。
第三節 ニューエコノミーと「工業化戦略」の相克
いわゆる「IT革命」とIT企業が牽引する株高に端を発したニューエコノミーはITバブルがはじけた今となっては色あせたものになってしまった。しかし、それは1990年代のアメリカにあっては熱狂とともに存在していたのである。すなわち、ハイテク・ブームは持続すると考えられていたし、アメリカ経済が落ち込むことはなく、今までの景気循環は消滅したとすら考えられていたのである。1991年3月に始まった経済拡大は、2000年2月にはアメリカ史上最長の連続的成長が記録されたことで、その熱狂は増していったのである。
ニューエコノミーの形成条件としてあげられるのは、まず「IT革命」であった。IT部門への投資がその成長を高め、IT革命をもたらした。デフレ効果がインフレ抑制に働き、金利上昇を回避させ、生産性の上昇が賃金コストの安定をもたらしたとされる。またグリースパンFRB議長による巧みな金融政策があげられるだろう。彼の基本的な路線は株高を認めるものであった。彼は「根拠なき熱狂」として株高を警戒していたが、その後は株高を容認する動きになっていった。そして前節で見たような結果がもたらされたのである。ニューエコノミーに関してはまだ現在進行形のものであり、賛否両論が存在している。つまり、この熱狂に加担する見方と従来型の経済を覆すものではない、という見方である。しかし、アメリカの景気拡大に伴って、このニューエコノミー論は勢いを増していくことになる。
1997年夏ごろから、米国経済が従来とは異なる次元の新時代に入ったという、このニューエコノミー論をめぐって、専門家の間で活発な議論がおこなわれた。その第一の論点はグローバル化、情報化、規制緩和、労働市場の柔軟化により、生産性が飛躍的に高まったというものであり、第二の論点は、これらの効果で景気変動がなくなったというものである。
第一の論点に関してはグリーンスパンFRB議長の議会証言などによって脚光を浴びることになった。彼は断定を避けながらも、情報化などの技術革新により「100年に一度か二度の構造変化」を示唆する文脈のなかで企業の生産性が上昇し大幅な収益増加がもたらされていると指摘した。この生産性の上昇に関しては「IT革命」の進行中は支持を受けていた。
確かに、図2-1からもわかるように生産性は向上している。これは1990年代に入ってのIT投資が効果を現わして、結実したという見方である。実際、米商務省の2002〜03年のレポートによれば、IT高集約的な業種の方がIT低集約的な業種よりも生産性上昇率に寄与していると結論づけている。しかし、ITバブルの崩壊によって、それに異議を唱えるものも出てきた。
ニューエコノミー懐疑論者は、これらの生産性上昇は耐久財製造業−特にコンピューター製造業と半導体製造業−に集中した生産性向上によるものであり、ITを利用してきた産業によるものではないと主張している。しかし、1989年〜2000年の生産性上昇が耐久財製造業だけでなく、経済の様々な部門に広がっていたことが、図2-2(1989年〜2000年における各産業の平均生産性を示したもの)からもわかる。
このことはIT技術そのものが社会的にもたらすインパクト以上に、その発展に伴って創
出される製造業や関連産業などの幅広い存在が「IT革命」の実際の主役であっただろう、ことを示している。もちろん、景気循環の消滅などはバブルの崩壊によってそうではなかったことが証明されたし、株価の下落などによって多くの企業は淘汰されるに至っている。そうして、ニューエコノミーがほころびを見せる従来型の「工業化戦略」を支持する議論も生じた。
従来の消費者は価格や外国製品などの情報にアクセスすることが容易ではなく、価格に対して鷹揚であった。従って国産品が出現するのを待つことができた。しかし、ITによって消費者が価格などの情報に容易にアクセスできるようになり、消費者は鷹揚ではなくなった。そして、国際的に製品価格が同一に収斂していく現象が生じると、途上国は国産品を生み出す「工業化戦略」を取る時間的な余裕がなくなっていった。
こうした現象や輸入代替工業化の失敗により途上国は「工業化戦略」を取らず、直接的にITに代表されるような「サービス業」中心の産業構造に変化していくということを目指した。その代表としてインドが挙げられるだろう。
しかし、このことは様々な問題も生じさせている。まず第一に雇用の問題である。ニューエコノミーはソフトウェア開発や金融などに代表される「知的集約型産業」が中心となっているために、一部の非常に優秀な人材によって成り立つものである。それは、決して全体的な雇用を支えるものではない。そうした格差は所得分配にも影響を及ぼす。IT革命の先進国であるアメリカでは最上位5%の世帯所得平均と最下位20%の世帯の平均所得を比較すると、アメリカは1978年の15.1倍から、1988年の19.1倍、さらに1998年の24.1倍へと、一貫して所得格差を拡大させていった。さらに、中央と地方の関係の中では「情報格差(デジタル・ディバイド)」を生じさせることになる。情報にアクセスできるインフラの有無によって、格差が広まってしまうのである。こうした問題点の解決のために必要なのは、やはり工場などによってより幅広い雇用を生み出すことのできるある種のセイフティーネットとしての製造業であろう。もちろん、インドにおいては「輸入代替工業化」は失敗してしまったが、それを克服する手段については後述する。
ニューエコノミーに関する議論は、これからの研究に委ねられるだろう。これらの現象はまだ、生々しさをともなっているゆえに、百家争鳴とでもいうべき様々な論議が交わされる結果となっているからである。
しかし、実際にはITはビジネスにおいて欠かせないものとなっているし、その傾向はこれからも続いていくだろう。株価の下落やIT需要の落ち込みをみてITを一過性の現象であると考えるのは短絡的であろう。そして、そのインパクトは途上国であっても新旧産業に大きな構造変革をもたらしうるものなのか、IT産業に大きな期待を寄せているインドの取り組みを見ることで論じていきたい。