第三章 インドのIT戦略
第一節 インドIT産業の歴史
     インド政府のIT産業に対する取り組みは、第一章でも述べたように、かなり早い段階から進められていた。インドが初めて、コンピューターを導入したのは1956年、インド統計研究所用のIBMマシンだった。そして、1959年には当時のネルー首相がIBMのインド進出を承認した。これを受けて、1962年、IBMインド社がボンベイ(現ムンバイ)に設立され、インドでのメインテナンス業務が始まった。また、1967年には、政府が国営のコンピューター企業、Electronic Corporation of India Ltd(ECIL)を設立する。

     ところが、1977年インド政府はインド法人の最大保有株式割合を経営権を握れない49%に制限、これに反対してIBM1978年にインドを撤退する。その後1991年の自由化直後の外資進出第1号として再進出するまで、IBMのインドへのオペレーションはシンガポールから行われていた。

    1986年、Department of Electronic (DoE)にソフトウェア開発局が設置された。同時にSoftware Technology Park (STP)のコンセプトも具体化し、同年米テキサス・インストツルメンツがバンガロールに開発センターを設立、AT&TNECVSNLの協力で衛星通信による次節で述べるようなオフショア開発体制が初めて整備され、その後のインド・ソフトウェア輸出産業のプロトタイプとなった。

    1991年の経済開放以来、IT産業はドラスティックな成長を見せるようになった。とりわけ、ソフトウェア輸出産業は急激な成長を遂げるようになった。(表3-1参照)

    表3-1 インドのIT産業の成長推移

    100万ドル)
     
     
    1995-96
    1996-97
    1997-98
    1999-2000
    国内

    輸出

    490

    743

    670

    1085

    950

    1750

    1700

    3900

    1224
    1755
    2700
    5600

    出所 NASSCOM

    さらに199910月、それまで商務省を中心にIT関連政策を扱ってきた各部局を一元的に統合し、情報技術省(IT省)が設立され、現在ではインド政府はIT推進を最優先課題とし、ヴァージペーイ現政権は「2008年までにインドがITのスーパー・パワーになる」ことを公約として掲げている。

    第二節 インドIT産業の特徴

     インドのIT産業といっても、その中心地は南インドである。とりわけ、その中でも重要なのはバンガロールであろう。表3-2は都市別のIT企業の技術職・営業職の分布であるが、人材だけを見てもいかにバンガロールへ集中しているかを読み取ることができる。バンガロールはインドのIT産業の30%以上を生み出し、インドIT産業の中心的な役割を担っているが、もともとは政府系企業の都市で、特に高度な科学技術を要する防衛関連企業と研究機関が集中した軍事都市だった。これは潜在敵国であるパキスタン、中国との国境から遠いということでネルー首相によって国営の最先端企業が次々に誘致、設立されたからある。さらに、バンガロールはインド科学大学院大学(IISc)によって優秀な人材が供給されることになる。こうした潜在条件に加えて、バンガロールを擁するカルナータカ州の取り組みも注目に値する。カルナータカ州はいち早くIT促進策を打ち出し、その中でもInternational Technology ParkITP)はその象徴ともいえる。これは68エーカーにも及ぶIT産業集積団地であり、世界中から91社が集まり、3800人が働いている。ここでは大量のデータ通信が可能な独自の通信施設などのインフラを備えており、多くのIT企業をひきつけている。

    表3-2 都市別の技術職と営業職の地域分布概数   

     (人)
     
      技術職 営業職 合計
    デリー

    ムンバイ

    プネー

    コルカタ

    ハイデラバード

    チェンナイ

    バンガロール

    合計

    7,500

    6,500

    2,000

    2,000

    2,500

    10,000

    15,500

    46,000

    2,000

    2,000

    500

    500

    500

    1,500

    6,000

    13,000

    9,500

    8,500

    2,500

    2,500

    3,000

    11,500

    21,500

    59,000

    出所 小島卓『やがてインドの時代がはじまる』、朝日新聞社

    そして、これらの施設がオフショア開発というビジネスモデルを可能にした。これはインド国内から海外顧客向けのサービスを提供するもので、データ通信の発達によって、これが可能になった。1988年には90%を占めていた顧客企業に駐在してソフトウェア開発を行うオンサイト開発は2002年には47%まで減り、オフショア開発の割合を下回った(図3-1参照)。この要因として、STPの増加、高速度データ通信サービスの普及、規制緩和、欧米諸国による不自然なビザ発行制限などが挙げられる。

    こうしたビジネスモデルによって発展してきたインドのIT産業であるが、その発展はどのように形成されていったのであろうか。

    まず、第一章で述べたように、政府の戦略によるところが大きい。「新コンピューター政策」が提出されてから経済自由化の影響もあり、インド政府はその具体的な環境整備に取り組んでいた。インド輸出入銀行は、こうした政府の産業政策と歩調を合わせ、1980年代の黎明期からソフト輸出を後押しするために、プロジェクト・ファイナンスのほか、必要な機材を輸入するための融資、さらにはソフトウェア企業の海外資金調達の手助けなど、さまざまな形で金融支援を行ってきている。

    こうした、政府の動きを後押しすることになったのが業界団体のNational Association of Software and Services Companies(NASSCOM)である。NASSCOMはインド政府やアメリカ政府に対して激しいロビー活動を展開し、所得税控除の要求、衛星によるデータ通信の規制緩和、著作権保護、関税の引き下げ、従業員に対するストックオプション付与の促進、さらにはアメリカのビザ発給緩和まで、その取り組みを広げていった。

    その結果、1990年代後半に入るとインド政府はコンピュータソフトウェアの輸入関税の免除を行っている。1991年当時、この関税率は114%であったが、ITソフトウェアは完全に免除され、さらにソフトウェア・ライセンスやCD-ROM上の書籍や定期刊行物の輸入についても免税措置が取られている。

    また、ソフトウェア輸出から得られる所得についての所得税控除措置もある。1998年の法改正によって、その対象範囲が衛星を通じたデータ送信も含められるようになり、オフショア・サービス、オンサイト・サービスともに、基本的に所得税が控除されている。

    このほか、自由貿易地域やSTPに進出した企業に対する10年間の所得税免除、輸出加工区の企業に対しては資本財の輸入に優遇措置が講じられている。

    一方、規制という点では1994年のインド著作権法改正で、コンピューター・プログラムの許可のない使用、複製についての罰則が強化され、著作権の保護がはかられた。

    さらに、こうした措置に加えて、もっと積極的にIT産業を育成していこうという動きも見られる。その中心的な役割を担っているのが情報技術省である。情報技術省は政府が支援する新たなベンチャーキャピタル基金の創設や電子商取引のためのデジタル署名法を発効させたほか、200010月にはE-ガバナンスを法制化する包括法も成立させた。これは、ITの普及を全土に広めための手段として、最も情報技術省が力を入れている分野である。政策の伝達、国民の政府情報へのアクセスを促進するとともに、公的機関の透明性や効率性を高めることを目指している。

    インドのIT産業発展の要因として、第二に企業の役割が挙げられるだろう。インドIT企業の近年の成長は目を見張るものがあり、『フォーチュン』誌による1999年〜2000年期世界トップ500社のうち、185社がソフトウェアのアウトソーシング先としてインド企業を選択している。それらのなかには従来の財閥系の企業もあるが、それとともにインドのIT産業を牽引しているのは非財閥系の企業である。その代表的な企業として、ウィプロ(Wipro=Western India Vegitableoil Products)がある。その名が表すように、元々は石鹸、電球など生活用品の製造していたがその名が全国ブランドとなったのはIT分野に進出してからである。現在では、ハードとソフトの両分野を行っているIT総合企業であり、インド有数のIT企業である(表3-3参照)。また製品品質レベルではSEI-CMM5を取得した世界最初の企業となっている。ウィプロはまずオンサイト開発によって品質を証明し、顧客の信頼を得て、その後、インド国内においてソフトウェアの開発・改良・補修をするというオフショア開発に取り組むようになった。

    もう一つ注目されている企業として、インフォシスが挙げられる。この企業はインドのIT業界においても先駆的な役割を果たしてきた。24時間のオフショア開発体制やストックオプション制度などをインドのIT業界のなかでも先駆けて取り組んできたのである。

    他にも、アイ・フレックス・ソリューションズといった世界最大の金融機関のシティバンクの親会社であるシティコープの子会社として、金融分野に特化した会社も存在している。

    表3-3 2002年度インドソフトウェア輸出企業トップ10

    順位  会社                  売上 (1000万ルピー)
     
    1

    2

    3

    4

    5

    6

    7

    8

    9

    10

    Tata Concultancy Services

    Infosys Technologies Ltd

    Wipro Ltd

    Satyam Computer Services Ltd

    HCL Technologies Ltd

    Patni Computer Systems Ltd

    Silverline Technologies Ltd

    Mahindra British Telecom Ltd

    Pertasot Technologies Ltd

    HCL Perot systems Ltd

    3862

    2553

    2298

    1703

    1320

    732

    603

    541

    460

    449

    出所 NASSCOM

    こうした企業が成長することができたのはアメリカにおける「IT革命」によるものが大きいといえるだろう。図3-2を見てもわかるように、インドのIT産業とアメリカと密接な係わり合いがある。まず、アメリカのインド人技術者に対するビザの発給を見てみよう。アメリカが発給する学者や技術者向けビザに「H-1B」というものがある。米移民帰化局によれば、同ビザの1999年度上半期国籍別トップはインド人で46%と圧倒的な数字になっている。そして、現在ではアメリカには4万人弱のIT技術者がいるといわれている。

     インドのIT産業にいち早く目をつけたのもアメリカである。前節でも述べたように、米テキサス・インスツルメンツがバンガロールに開発センターを設立したのことを皮切りに、隣接するアンドーラ・プラデーシュ州の州都ハイデラバードにはマイクロソフト社がイスラエルに次いで海外2番目の研究・開発センターを設けている。そして、同社の会長であるビル・ゲイツ会長は同社認定インド人技術者を1万人に増やすことを発表、そして20006月にはマイクロソフト社はインド人3名を本社の高級副社長に任命している。

     インドの優越性はこの他にもアメリカとの時差が12時間であることがあげられるだろう。アメリカが夜の間はインドが昼になるために、24時間をフルに活用してソフトウェア開発をすることが可能になったのである。

     
    さらに、移民に関しては第四章で詳述するが、アメリカは移民社会であり、そのことが生み出す柔軟性によって、アメリカのIT産業は世界のトップになることができたといえる。そして、その成長の源泉はインド人などの技術者移民といった「人財」ということができるだろう。それらの「人財」こそ、インドのITにとって重要な要素であるが、その教育と現状はどうなっているのだろうか。

    第三節 IT技術者と教育
     インドのインフラ事情は決して良いとは言えない。IT産業にとって必須である電力や通信事情も、上記したようなバンガロールなどの整備された地域を除いては決して恵まれているとはいえない。それにもかかわらず、外資系企業などがインドのIT産業に投資するのは優秀な技術者の豊富さからくるものである。IT産業は頭脳集約型産業といえるので、こうしたインドの特徴はIT産業の発展に重要な役割を果たしている。

     彼ら技術者の優越性としてしばしばあげられるのは技術者としてのスキルの高さのほかに英語能力の高さがあげられる。インドは世界第2位の英語使用可能な専門家を有している。

    インドにおいては私立学校と公立学校において、大きな違いがある。公立学校においてはヒンディー語で教育が行われる場合が多いが、高額な学費が必要な私立学校においてはすべての授業が英語でおこなわれ、それは大学においても同じである。そして、こうした英語教育を身につけた学生たちがIT技術者となっていくのである。

    さらに教育課程における数学教育の高度さも重要である。インドにおける就学年齢は日本と同じ6歳、大学進学までに学ぶ期間も12年間で日本と同じだが、数学教育のカリキュラムは日本のそれとは異なっている。表3-4に見られるように、四則計算や分数、少数などの主要分野のほとんどが、インドでは12年早く教えられている。特にインドでは6年次で早くも「算数」から「数学」へと切り替わり、負の数や文字式の計算についてかなり高度の内容が扱われる。

    こうした教育を受けた学生のなかでIT技術者になるのはごく一部である。現在インド国内のIT技術者は2002年度において約36万人と言われている(表3-5参照)。そして、インドのIT産業は毎年6万人の技術者を採用している。インド国内でコンピューター学科を有する大学は約300校で、毎年12000人から14000人が卒業している。もちろん、コンピューター学科の学生だけでは足りずに、他の学部生をさらに教育している。

    そうしたIT教育機関のなかでもトップクラスなのがIndian Institute of TechnologyIIT)である。1952年に開校されて以来、カラグプール校(西ベンガル州)、ムンバイ校(マハラーシュトラ州)、チェンナイ校(タミルナドゥ州)、カーンプール校(ウッタルプ


表3-4 インドと日本の小・中学校カリキュラム比較
 
  インド   日本
1年 1から100までの数字 小1 1から100までの数の表し方と意味
  二桁までの足し算、引き算   一桁の足し算、引き算
      基本的なものの形やその特徴
2年 九九、二桁×一桁の掛け算 小2 四桁までの数、二桁までの足し算、引き算
  基本的な図形、立体   一桁同士の掛け算、九九
  秒、分、m、cm、g、kg、l、ml、などの単位   長さの単位(m、cm、mm)
3年 四桁の足し算、引き算、三桁×二桁の掛け算 小3 三桁の足し算、引き算、二桁×二桁の掛け算
  三桁÷一桁の割り算、あまり   除数が一桁の割り算、あまり
  平面図形と立体の辺と頂点、線分   重さ、時間の単位
  分数、分母が同じ分数の足し算、引き算   正方形、長方形、直角三角形
4年 最大公約数と最小公倍数 小4 億、兆の単位、概数、四捨五入
  三桁×三桁の掛け算、四桁÷二桁の割り算   三桁÷二桁の割り算
  分母が異なる分数の足し算、引き算   小数点以下第一位までの小数、分数の基礎
  小数点以下第3位までの少数   正方形と長方形の面積、角度、円の基礎
      折れ線グラフ
5年 分数の乗除、少数の加減乗除、概数 小5 偶数と奇数、小数の掛け算、割り算
  長方形と正方形の面積、立方体と直方体の体積   分母が同じ分数の足し算、引き算
  平均、早さ、赤字と黒字、利息、百分率   三角形、平行四辺形、円の面積、円周率
      百分率、円グラフ、帯グラフ
6年 自然数と整数、負の数、二乗、文字式 小6 約数と倍数、最大公約数と最小公倍数
  初歩的な一次方程式   分母が異なる分数の加減乗除
  直線とその交わり、平行、統計、棒グラフ   立方体と直方体の体積、速さ
      比、比例の表やグラフ、平均
7年 指数の計算、初歩の因数分解、一次方程式 中1 正負の四則計算、文字式、簡単な一次方程式
  図形の対象、三角形の内心、外心   線対称と点対称、基本的な作図
  三平方の定理、三角形の合同条件   空間図形の基礎、円柱や円錐などの体積
      比例、反比例、座標
8年 平方根、三乗根、複雑な因数分解 中2 二元一次方程式
  複利、株式   三角形の合同条件、証明、円周角と中心角
  円周率、円の面積、球の表面積と体積   一次関数、簡単な確率
9年 集合の基礎、座標、多項式の因数分解、対数 中3 平方根、簡単な式の展開や因数分解
  三角関数、コンピューターのフローチャート   簡単な二次方程式
  統計と折れ線グラフ   三角形の相似条件、三平方の定理
      関数y=ax2

出所 『AERA』(2001/1/1-8

 

表3-5 インドのソフトウェア技術者数の推移
 
2000-1
2001-2
2002-3
2003-4年(推計)
290,088
333,094
361,067
401,791

出所 NASSCOM
 

ラデーシュ州)、そして最近では1995年にグワハティ校(アッサム州)の6都市に設立された。1950年代にこうした技術総合大学が設立されたのは、その当時首相であったネルーの積極的な動きによるものだった。IITは総定員2200人の枠のなかに毎年20万人が応募する難関であるが、こうした競争に勝ち抜けば初任給で平均65000ルピーの「月給」を得ることができるようになる。インド人の一世帯の平均年収が1999年においては14185ルピーといわれていることを考えると、いかに高給であるかがわかる。しかし、インドのIT産業従事者のなかで、もっとも賃金の高い技術者の場合初任給で年収が15700から19200米ドルであるのに対して、アメリカでは49000ドルから67500ドルとアメリカで雇うコストと比較して、大幅に安くなっている。人材がIT企業の力の源泉である以上、その引き留めにはストックオプション制度や福利厚生など様々な手を使っているが、IT技術者の離職率は15%から20%に及んでいるのである。現在はITバブルの崩壊からその率は減っているが、それでも優秀な人材をどのように確保しておくかが、IT企業にとって大きな課題であることには変わりない。

その一方でコンピューターに触れることもない貧困層はどうしているのであろうか。政府の調査では低学年では約8割が就学しているが、年齢と共に就学率は下がり、12年生の就学率は2割に満たないし、農村部などの貧困層ではその差はもっと低くなっている。2001年度の国勢調査によると識字率は65.38%であり、10年前の調査に比べて13.75%の上昇が見られるが、州別に見てみると識字率にはかなりの隔たりが見られ、特に、女性の識字率は50%を切る州がいくつもある。そうした状況下で英語やコンピュータスキルを教えていくことは困難であろう。よく、ITが貧困の解決の特効薬であるかのような議論がなされているが、こうした格差を見る限り、それがあまりにも安直であることは間違いない。

しかし、最貧困層にまでは届かないにせよ、ITによる新たな産業の創出や、次章で述べるようなITを中心としたサービス業がもたらす中間層の増大など、国全体としては大きなインパクトを持っていることは否定できないだろう。