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タイトル:紅茶の国で笛吹き日記
博士課程の一年目を始めたばかりな人類学者の卵の卵の、英国の大学町での学生生活を綴る日記です。勉強はやっぱり大変ですが、やりたいことを勉強してるのでそれなりに楽しんでます。あ、それから紅茶の国に住んでいるといっても、紅茶よりコーヒーばかりよく飲んでる今日この頃です。

此ノ頃笛吹キニ流行ルモノ 其の壱:タイ・グリーン・カレー。ペーストとココナッツミルク、ついでにあればスーパーに売ってる「タイカレーキット」のスパイスで、素人でも簡単に作れまする。(^-^)
・此ノ頃笛吹キニ流行ルモノ 其の弐(まだ流行ってるので):サンドイッチ屋チェーン、“Pret a Manger”のチーズケーキ(プレーン)。甘さは控えめ、で、ほんのちょっと酸っぱくて、幸せな気分になります。(^-^)


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日記才人に(8948) テキスト庵(1019)(27 March, 2001)、【日記圏】(3313)(4 July, 2001)に参加してます。 さらにはに参戦しました。

4月30日(Tue)
ひ〜ん(泣)


今日はこの期に及んでここまでやるかい!というくらい現実逃避してしまったので、かえって罪悪感が募る最悪な一日。情けなくなってくる。はっきりいってなにをどう書いていいのかわからなくなってきてるよん。どうなるのかなあ。本当に。現実逃避するだけの余裕がこれでもまだあるということなのかなあ。それでいいわけでは全然ないけど。

珍しく昼からはほとんどずぅっと雨がふっていて、傘なしで出かけた同居人がびしょぬれになってもどってきた。

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4月28日(Sun)
チャールズ皇太子


に会えるパーティ(4月4日の日記参照)に出席するのが本決まりに。こないだ送られてきた招待状に出席のお返事を出していたら、パーティの詳細についての返事が返ってきた。なんか厳重な警戒下でパーティするみたい。安全面の関係から手荷物をもってくるな、カメラはだめよとか、いろいろ注意事項が書いてある。招待状がなければ、リストに名前があっても会場に入れないとまで書いてあって、ちょっとびびる。さすが王族って感じ。

それにしてもカメラだめかあ。握手してるとこ、友達にとってもらおうとまではさすがに考えてなかったけど、遠くからでもデジカメでチャールズ皇太子を撮ろうかとおもってたんだけどなあ。無理だなあ。ちぇ〜

王族ネタ(?)といえば、図書館の蔵書検索をしていたら、トルコの考古学についてのエッセイ集の編集者として三笠宮(故昭和天皇の弟にあたる人)のお名前が。そういう人の本がこの大学の図書館にあるのも、それはそれで驚きなんだけど、しかもトルコの考古学に関わりがあるなんて。ちょっとおおおおっとおもってしまったことだよ。
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4月28日(Sun)
ここんとこ


お天気があまりよろしくなくて、今日は雨がふったりやんだりで、風も強い。しかも寒くなってきた。さすがに真冬のコートはいらないけどね。ついこないだまで、Tシャツ一枚で十分というくらいの陽気だったのに。今日は読み中心のお勉強。記憶と風景に関する本を読む。はかどったようなはかどってないような。。


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4月27日(Sat)
研究計画書


を書いてる。というか、今のところは、今まで書いてきたものを継ぎ接ぎしてるので、ちょっとズルしてるようにも思えてきてしまう。これを来月学科に提出して、来月末に口頭試問。こうやって書くだけでも胃が痛くなってくる。間に合うかってのも大きな問題なんだけど、出せばいいではすまなくて口頭試問ってことも頭痛の種。普段はとても優しそうな博士課程関係の責任者のS教授、当たり前のことかもしれないけど、試問ではめぇっちゃくちゃ厳しいんだって。きりきりきりきり…
あ〜、おなかがいたくなってきたよ。コーヒーの飲みすぎかしらん。。

新学期が始まるに伴い、帰省していたフラットメイトたちが帰ってきた。ほんとに後片付けとかしないんだよね。こいつら。ごみ箱一杯になってもごみ袋換えようともしないし。いっつも自分がやってる気がするんでいつも換えて捨てに行くのはやだから換えるだけ換えて、封をしたごみ袋を捨てに行かずにほっておいたら、そういうフラットメイトその1が、「見た目が悪いからちゃんと捨ててきてよ」、とぞのたまひける。てめ〜はごみ袋換えもしね〜だろ〜が(゜д゜)ゴルァ!!と思わず心のなかで叫んでしまった26歳の春。(ごみ袋は私がちゃんと捨ててきましたよん。)

こほん。

そうだったのよ。奴ら帰ってきたのよ。これからは台所のごみも自分の部屋のごみ箱にすてませう。下手に公共のごみ箱なんか使うから、変なストレス溜めちゃうんだよね。平和な春休みですっかり忘れてしまっていたことだよ。自分の食器も使った後は自分の部屋にもどさないと。カビ生えるまで洗わずにほっとかれる(マジで一回やられた)もんね。。。

(゜д゜)ゴルァなんて言葉、どこでおぼえたのかしらん。。
と、この期におよんでかまととぶるのもどうかと思われ。(重症)
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4月26日(Fri)
ロシアの写真


ひっさびさにコレッジに行ったら、注文してた本がいろいろ届いてた。授業料なんかも払わないと。最近足が遠のいてるから忘れそうだよ。。月曜にきちんとしましょ。

セミナーに行ったら、Daが休暇中に行ってたロシアの写真を見せてくれた。かわいいGFとのツーショットとかもあったし、とってもきれいなサンクト・ペテルスブルクにモスクワの教会の写真が印象的に残る。行きたくなった。でも、今ロシアってネオナチ系というか、右翼なスキンヘッド厨房が不穏な動きを見せているそう。ふぃくりむじぇさんにもおしえてもらったんだけど。この厨房ども、こともあろうにアジア系を狙ってるそうで、今はかなり危ないなあという感じ。ということで、Daも心配そう(DaのGFはロシアに留学中なアジア系の女の子。)。。

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4月25日(Thur)
指導教官を変える(その3)


(前回までのあらすじ…コースメイトAが指導教官BからDを変えるべく行動を開始。学科長を通じてBにこの話が伝わったのか、Bから呼び出しを受けたA。Bから突然指導教官をDにしないかと持ちかけられる。予想してなかった展開に、
かなり戸惑うA。しかもBの本音はAの指導を続けること?!果たしてAはうまくBとお別れできるのか?!)

さて、よもやBから指導教官をDに変えることを提案されるとは思いもよらず、ちょっと戸惑いながらもDとコンタクトをとり、面談をすることになったA。なかなかDがつかまらなくて苦労したみたいだけど(アポの時間が4回変わったとか。)、なんとか会って、お話してきた。その面談の終わった直後にAと会ったんだけど、Bとの面談とはまったく違って、すっご〜く気が楽だったよ!天と地の差だよ〜とのこと。本当に晴れ晴れとした表情だったのがとっても印象的。ちなみに、AがDと会った日に一緒に食事をしたんだけど、行く予定だったお店の近くのレストランで、Bが学科の某先生と会食してるのを目撃。Bとの遭遇を避けるためにお店をわざわざ変えたんだよね。冗談とかじゃなくてAのマジで強い希望で。それくらいAはBを避けたかったみたい。

幸いDは喜んでAの指導をしてもよいよと言ってくれたらしく、もうほとんどそのままインフォーマルには指導教官をBからDへ変更するのは決定したみたい。でも、そのことをBに伝えないとAとBの関係は終わらない。今度はBにどういうメールを書けばいいのかで、悩み始めるA。ここまできたら、あと腐れなくお別れしないといけないもんねえ。。

ということで、まずAがBに書いたメールの内容は。。。
「D先生に会ってきました。D先生はとてもいい先生で、しかも自分の研究したいことにも関心を持ってくれていて、喜んで指導しましょうといってくださいました。また、これまでに自分が書いていたペーパーについてもOKといってくださいました。去年の秋から今まで本当にすばらしいご指導をしてくださったことは本当に感謝していますが、こちらにきてテーマが大きく変わってきたこともあり、地域の重なるD先生のご指導を受けたいと思っております。D先生がOKを出してくださったペーパーですが、お時間があるようでしたらB先生にもみていただきたいと思いますが、どうでしょうか。」

Bからのお返事。
「メッセージありがとう。Dとの面談が上手くいったみたいでとてもうれしく思います。あなたを今まで指導してきてとてもよかったし、これからも喜んで指導したいけれど、私もDのほうがあなたの研究とってさらに生産的な指導ができるように思います。ペーパーは○×日の△時までに私のボックスにいれておいてくれれば読んでおきます。これからもいつでも相談に乗りますよ。」

ペーパーを読んでいただければとは書いたものの、本音としてはBとこれ以上かかわりを持ちたくなかったので、
Aは次のようなお返事をかいたそう。期日(○×日の△時)より少しあとになってから。
「用事が重なって、メールをすぐに読むことが出来ませんでした。申し訳ありません。今からでは少し遅いですし、D先生がOKと言ってくださっているので、折角ですがこのまま提出したいと思います。今まですばらしいご指導をしてくださって、本当にありがとうございました。」

A曰く、「これでBとの関係はおしまいさ〜♪」とのこと。このあと正式に手続きがあって指導教官が変わるはずだけど、Aの場合、BにはAの希望を知られずにことを進めることが出来たみたいなので、かなり上手くいってるケースかなあ。Bの場合、Aがどういう気持ちでいままでBの指導をうけてきたかみたいなこと、まったく考えに及んでいなかった、というのがほんとうのとこみたいだし。だから、どっちにせよ指導教官をDにすればって話がきたときにはびっくりしたと思うけど、Aからの希望ってのが伏せてあって、学科長からの判断というのなら、まだ納得いくだろうしね。いやいや〜それにしても、いわゆる本音と建前って、英国にもばりばりあるやん。まあ、いくら日本と比べて自己主張の強い国でも、お互い人間だからねえ。(そういうのを忘れると先月のフィルムコースみたいなことになるし。。。)

ちなみに、B先生。とても頭脳明晰、授業がマシンガンのように早口で英国人でもノートがとれないくらいというのを除けば、ちょっと気が強そうで神経質そうでこわそ…ってくらいで(と、ここまで書くとなんか嘘っぽいけど)、個人的にはそんなに悪い印象もってないっす。(とAに言ったら、そんなこといってると指導教官がBに変わったりするよんなんていわれた。うーむ…PaとYaでパーフェクトなんで、今のところは遠慮したい。。)ちょっと気難しいところがあるみたいだけど、指導もとても熱心だし、悪い人ではない(と思う)んだよね。だから今回の件は、指導の熱心さが裏目にでたところもあるし、性格の不一致というのが、Aの限界を超えていたというか。本当に相性の問題だったような。。Bとの面談のある日は、Bに会う前から疲れた様子だったし。さらに正直な話、自分個人的には実はD先生のほうが、苦手なタイプ。今までいろいろな人から話を聞いてきたけど、Dはなんか気分屋さんなところがあるらしく、自分にとってはつかみ所がなさそう。。。

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4月24日(Wed)
指導教官を変える(その2)


社交も大事だけど、今日は勉強の方を重視するぞ!と思って、家に戻り、休憩がてらベッドにごろんとしたらそのまますやすや。(ぐぅぐぅかも…)気が付いたら、先生とのミーティングぎりぎりの時間。で、なんのために社交をきったのかと鬱になる今日この頃。

それはさておき、
(前回(4月20日)のあらすじ…コースメイトの一人Aが、専門も違うし、指導のやり方にもストレスを感じて、指導教官をBからDに変えることに決め、それを行動に移した。まず、学科のもうひとりのアドヴァイザーに相談し、Aの名前を出さずにこの話を学科長の先生の耳に入れてもらうことに。。)

指導教官を変えてもらう方向で話を進めることになったとはいえ、上手くいくかどうかわからなかったからAはいつも疲れきった顔をしてた。指導してもらいたいDが自分を受け入れてくれるのかどうかもわからないし。。Dにコンタクトを取りたいんだけど、取るべきなのか、下手に動き回って、Bにこの話がばれてしまうことにはならないかとか、取ったとして、自分の希望(Dに指導してもらいたい)をどういう風につたえるべきか、とかね。。かなりストレスのかかる毎日だったのは間違いなく、Bとはコンタクトもとってなかったみたいだし、学科のセミナーなどでも意識的に離れたところに座って(事情をしってる一部のコースメイトたちはサクラとなって、そういうのが不自然にならないようにしてるし。。)、なるべくかかわりをもたないようにしてた。

そんな毎日が10日ほど過ぎたある日、AはBから研究の進行状況についての面談をしましょうというメールを受け取る。相談していたアドヴァイザーの先生から、もう向こうには話がいってるはず、と聞いていたからAの緊張はさらに増す。それはそれはドキドキしながらBに会いにいったんだって。ところが、あの件のためのミーティングだろうと心の準備をしていたAにとっては、ミーティングは予想外なほど普通にはじまった。まずは研究の話から始まって、それまでAが書いていた論文についての講評とか、これからの予定と話がしばらく続いたんだって。

と、突然Bが話題を変えた。あの件に。

「今までずっと考えてきたんだけど、Dのほうが指導教官にふさわしいと思う。もちろんこれからだって私は君の指導を喜んでするつもりだし、今までも私たちの関係は上手く機能してきたと思うのだけど、Dなら専門にしてる地域も重なるし、地域が重なるってことで得られるコネもあるしね。。。」

自分が指導教官をBからDに変えたかったAにとっては、Bの方からDに指導教官を変えるべきみたいな提案を受けるなんて予想もしてなかったから、めっちゃくちゃびっくりしたんだって。え〜〜てゆうかまじぃ?!って感じで。ミーティングの間は平静な顔をするのが精一杯だったって。とにかく、Bからはこちらからも連絡するから、とりあえずDに会って来なさいと言われたんだそう。とはいうものの、BはAに休みが明けるまでの宿題を、いつものようにしっかりと出してお別れってことになったんで、Aは「指導教官変えてみたらなんて言ってるけど、やっぱり本音は私が指導するの!ってやる気満々。まだまだBからは解放されないよう」と嘆いていたけど。

学科長の先生はBといったいどんな話をしたんだろう?Aが変えたいといってるなんてことは言ってないだろうねえ、きっと。それから、学科長とBの間でどんな話があろうと、BがAに対して学科長から変えろって言われたから変えましょうというのも、Bのプライドに関わるよね。だからBから指導教官を変えることを提案してくる形にして、一見Bの名前にはキズがつかないようにしたのかな。Aの話を聞く限りでは、Bの建前はDに指導教官を変えることを提案なんだけども、本音はバリバリAを指導する気みたいだったし。しかも、指導教官の今までいかに関係が良かったかを強調してたそうなので、Aにとってさらにいい環境で研究できるようにするために指導教官をDへ変えましょうって文脈を、BがAとのコミュニケーションのなかでも作りだそうとしてるのがわかるし。(Aにせよ、Bにせよ、本音は別のところにあるんだけど。)やっぱりいったん指導を始めた学生を失うというのは相当先生にダメージがあるんだねえ。。

ということで、エピローグはまた次回に(<まだ続くのかい。>うん、あとちょっとだけ)。ちなみに、ここまでの話は、先学期の終わり頃(3月初めから半ばまで)のお話です。

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4月22日(Mon)
英語なんて大嫌い

指導教官を変えるの続編の予定でしたが、ちょっと予定を変更します。臨時ニュースと言うわけでもないけど、書き残しておこうとおもったことがあったので。

明日(23日)締め切りのペーパー3本、指導教官のPaにみせて一応OKの返事をもらって、先生のアドヴァイスをもとに書き直したものを今度はGyに見てもらった。で、忙しい中Gyは文法のおかしいとことかをいろいろ直してくれたので、ペーパー3本、真っ赤になって返ってきた。それを今日チェックながらなおしていってたんだけど、二本目の半分くらいまできたところで、直してもらったところの多さに悲しくなってきてしまった。なんでこんなにできないんだろ〜っていうか。。。いっぱいいっぱい回りくどいところ直されてるし、the(冠詞のつけ方)の問題とか。うっかりケアレスミス野郎なんで日本語でもよくやるんだけど、書き直しが中途半端になって、意味不明の文とか(これが一番はずかしいというか、みてもらってる人に申し訳なく思ってしまう。)。。。き〜めっちゃ悔しい!もはや人生の半分以上、英語の勉強してきてるのに。。もう自分がバカに思えてくる。。自分の英語はまだまだ全然いたらないと心の中で思ってはいても、あらためてそのダメダメないたらなさを知るのは、やっぱりとてもつらいっす。何百もの間違い(誇張じゃないよ)を直してると、それだけで死にたくなるくらい恥ずかしくなる。逆にそれくらい、自分が根拠もないのにプライド高いのもわかって、余計に自己嫌悪。穴があったら引き篭もって外には二度と出て行きたくない気分。そういうわけにもいかないけど。

とにかくへこんだ。嫌いだ、嫌いだ、英語なんて大嫌いだ〜〜〜え〜ん(泣)

へこんだんだけど、これが今の自分の力だしぃとか、どこをどう直されてるかをきちんと注意して次回に生かそうとか、前向きになってみようと努力してたり、結局やっぱ僕なんてだめだめだぁ〜貧弱ぅ貧弱ゥ〜なんて後ろ向きに戻ってしまったりしながら、とぼとぼ歩いていた帰り道。結構フットボールのユニフォーム着たイケメンなにいちゃん(イケメンて…)が歩いてくるのに気が付いた。どっかでみたことあるなあ、でも英国のとちがうなあと思いながらすれ違いざまにチーム名をチェック。なんとそれは…


Galatasarayだった。(トルコ最強のフットボールチームのひとつ)きゃ〜じむ、ぼむ、ぼむ!!(ガラタサライファンはそうやって応援するらしい。)そりゃあ見覚えもござりましょう。背中に24番Burakとあったんだけど。現役バリバリの選手なのかな。黄紺さんならご存知かも。てゆうか、すれ違ったイケメンは、parker's pieceでフットボールやった帰りと思われる金髪碧眼。トルコ人ぽくなかったから英国人なのかな?てな感じ。まあとにかく、じむ、ぼむ、ぼむ。

予想もしないシチュエーションでトルコなものを見て、なんかよくわかんないけどとにかくへこんでた気分がちょっと癒されたというか、和ませてくれたので、そのイケメンに感謝。

いずれにせよ、自分の勉強時間を削ってペーパーをみてくれて、いっぱいいっぱい間違いを直してくれたGyには、あしたペーパーを出してからきちんとお礼をしようと思ってます。
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4月20日(Sat)
指導教官を変える。(その1)


といっても、僕の話じゃないけれど。

とても仲良くしているコースメイトの一人A(仮名:以下の登場人物は全て)が指導教官を変えることになった。Aの指導教官Bの専門は、地域もテーマもAとはまったく異なっていて、唯一重なるのが研究のために必要な言語くらい。英国の博士課程だと、先生がこの学生、指導してもよいよ、という意思表示をだして、志願者が入学のための最低限の条件を満たしさえすれば、OKなので、結構有名な大学でも入るだけならずいぶん簡単に入学できるように思う(これは自分の話)。でも、指導してもよい、ってのはテーマが重なるとか、地域が同じとか、近い、といったことが基本的な条件になるように思うので(自分はそうやって学校探しをしたし)、Aの指導教官がBというのはそれだけでも結構意外。(Aはロンドンの知り合いの先生に会いに行ったときに、なんでBがAの指導教官なわけ?といわれたらしい。)

さらにAにとって不幸なことには、Bの指導方法との相性がむちゃくちゃ悪かったんだよね。Bは権威主義的というか、自分が全てにおいてイニシアティブをとって、学生にはBの敷いたレールの上を通ってもらう、というような感じの指導をするらしい。Aはこっちにきてからテーマをかなり変えたりもして、そのことでもかなりストレスを溜めていたので、Bとは会うのもつらいよ〜といつも愚痴ってた。権威主義的な先生との人間関係にもなれてるし、自己管理が苦手な僕のほうがまだ向いてるかもとは思いつつも、いい年した大人の学生にここまでストレスを溜めさせるのはいやだなあなんて感じながら話を聞いてた。同じように、Bに指導してもらってるコースメイトのC(地域は重なる)も、やりたいようにやらせてもらえなくて、いろいろ指図されるのをストレスに感じてたみたい。AとCがパブなんかで一緒になるといつもBへの不満をこぼし合ってたし。

だから、我慢ができなくなったんだろうね、先学期の途中、とうとうAはもう一人のアドヴァイザーに、指導教官を地域が重なるDに変えてもらえないか相談をした。で、アドヴァイザーの先生がいい人だったらしく、学科のトップの先生にAの名前を出さずにこのことを検討してもらえるようにもちかけてくれたんだそう。

でも、不安でたまらないAは僕なんかにもこれでよかったのかなあなんて言ってきてたし、自分も気になったので、持ってた「博士号の取り方ガイド」を引っ張り出してきて、指導教官との関係のとりかたについて項なんかを読んでみた。その本に最初に書いてあったことは、指導教官を変えるのは離婚するようなものだということ。そして、学位を取るまではずっと近くにいる先生でもあるわけだから、別れるまでも大変だけど、別れたあとのこともとても大切。下手なお別れの仕方をしちゃいけない。離婚のように訴訟沙汰にはならないだろうけど(わかんないなあ、場合によってはありうるかもなあ)、後引くと大変なわけ。まさに泥沼。こちら(欧米)では学生をきちんと研究指導できるというのも、その先生に対する重要な評価の一つでもあるわけで、学生が指導教官を変えたいというのは、単に指導学生が減るというだけでなくその先生の業績にも響いてしまう、先生にとってとても不名誉なこと。先生も学生も人間だから相性の問題があって、お互いに優秀でもダメなときはダメ。単に先生、あるいは学生の資質の問題ではないことも多い。だから、指導教官を変えたいのならこのあたりのことにとても気を遣わないといけないよ、とも書いてあった。

とにかく、たとえば、学科の中で権威のある第三者に仲介を頼んで、先生と学生がお互いに傷つかないようにする方法を考えないといけないらしい。要は日本でいうところの本音と建前を使い分けろってことなんだろうね。さあ、どういうふうな手続きが取られたのかは、長くなってきたし次回に。
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4月19日(Fri)
指導教官との面談


まずは3本目のペーパーについてのお話から。このペーパーは、面談の前になんとか終わらせることが出来たけど、個々のセクションはともかく、それをどうつなげるかでずっと悩んでたので、ドキドキしてたら、予想外に先生の反応がよくてうれしくかった。いろいろと誉めてもらえたので内心ではかなり有頂天だったのに、顔は信じられないという表情してたのか、指導教官のPaから「ちょっとちょっと、本当なんだから信じて!」とまで言われてしまう。それから、ORS用の研究計画を見せてとりあえずOKをもらったので、最後に4本目のお話。5月1日に、この4本目について発表しないといけないので、そのことを考慮した計画でやってかないといけないねえ、という話になった。

ほかにもいろいろやることあるんで、ネット時間減らさねばと、決意してはそれが崩れる毎日なのだけど、一日一日を大事に過ごさないと。。。と心の中では常に思いつつ、現実はネットに時間を費やしてしまって後悔するのであった。。。
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4月18日(Thur)
ORS


という、英国、EUの学生向けの授業料にしてくれる(留学生の授業料は英国とEUの学生に対するものの3倍なので、授業料が安くなる)制度に応募するための研究計画を書く。150語以内に、きりりと要点をまとめるのはそれだけでも結構難しい。かなり時間がかかった。同じテーマで書いてるので、今の段階でも去年のよりはずっとましかなとは思うんだけど、先生にもみてもらお。応募しても、うちの大学内の選考(4倍から5倍)をクリアして、それから国が決める(学内選考を通った人の8割くらいがもらえる)ので、くじを引いてる気分。留学生の授業料、ドメな学生の3倍はやっぱりunfairよ、さっちゃー(彼女が決めたらしい)のあほ〜と、留学生はおもってしまうよ。。英国ではサッチャーの大学改革以降、頭脳流出の問題(優秀な先生・学生がアメリカに引き抜かれる)とかが、じわじわと出てきてるみたい。。

このへんはむずかしいところかな。こっちとしては、もっとお金ほしいんだけど、世間の大部分の人は研究する人生とは無縁な生活を送ってるから、自分が汗水たらして働いて払ってる税金が世の中の役にすぐにはたたなそうなこと(僕がやってるような分野なんか特に)に使われるのはやだというのも、わかるというか、こっちにはこっちの言い分あるけど、それで相手を説得するのはむずかしいかもと思ってしまうし。。。景気がよくなってお金が回りはじめればねえ。
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4月17日(Wed)
ようやく。。。


3本目のペーパー、めどがたった。わーい。って、月曜に終わらせると日曜の日記に書いてるのに、おわんなかったし、ならば火曜日にはなんとか、っておもいつつもおわらせることができなかったし、結局今日までかかった。で、一本目の書き直しを始めたけど、これが一日で終わりそうもないので、明日までかな。とかいえないよね。だって、そんなことかいてたら平気で週末までかかりそう。。
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4月14日(Sun)
終わらないなあ。


3本目のペーパー、だいぶ形になり始めたけど、それでもセクションごとのつながりが弱く感じているので、なかなか前に進まなくて、亀の歩み的進み具合な週末。一日あたり200語ペースというか。。。戻って書き直したりもしてるから、いっそう前に進んでいない感じがするう。週末で終わらせて、今日から4本目のつもりだったけど、明日まではかかりそう。ああああ。1、2本目も直さないといけないし。。あ、それから研究助成もだしまくらないと。

集中力が散漫なくせに(頭脳のCPU(メモリかも?いやどっちもだ)が低いので、書く作業の時は30分でアップアップ。。)、一度にひとつのことしかできないこのどうしようもない性格をどうにかしたいなあ。。。
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4月12日(Fri)
A Beautiful Mind


をコースメイトのGyと観に行った。相変わらずペーパーのめどがたたない、というか、立つ気がしないように思えてきてあいかわらず憂鬱な今日この頃なんだけど、前からみたかったし、気分転換になるかなとおもって。。。

それはともかく、感動系の映画で僕はそこそこ楽しめた。でも、最初のほうのラッセル・クロウの大学院生には無理があった。演技については、グラディエイターのときのほうがもちろんかっこよかったけれど、どうせ取るならこっちのほうでオスカー取ってほしかったなあという感じ。こっちのほうが単なるヒーローを演じるわけでもないから演じるの難しいだろうし。んでもって、お話のほうは、前半ですっかり騙されたわ〜というところ。オスカーもらったジェニファーコネリーのお背中にちょっとドキドキしてしまいました(顔じゃないのか)。それから、「ナッシュ均衡」とか知らない分野の人間なので、ナッシュが彼の独自の理論を組み立てるきっかけになったエピソードってほんとなのかな〜なんておもってみたり。ふとしたことから研究のアイディアが思い浮かぶってのは、うらやましいかぎりだけど。

ちなみに、映画にはナッシュが学んだPrinceton大学(ほんとにそこで撮影が行われたのかどうかは知らないけど)がよく出てくる。重厚な図書館とか古い校舎とかは、ケンブリッジの古いコレッジ(トリニティとか)みたいな感じで、なかなか素敵。いってみたくなったことだよ。で、実は指導教官のYaはそのPrinceton大学で学位をとったらしいという話をきいたことがあったので、大学での場面では、キャンパスを歩いてるエキストラの学生さんたちをみて、実際にはあのなかの一人にYaがいたのかも…とか、図書館でもナッシュをみかけたのかしらん、みたいなことばっかり考えるようになって、途中から映画に集中してなかったり。実際ナッシュがノーベル賞を取った1994年とか、Yaはまだ学生だったの時期のはずなので、その前後の時期で、すれ違ったりしてる可能性はたかいんだよね。だから何?って話もあるけどさ、ついついミーハ―になってしまって。。(汗)

Yaに聞いてみようかな?でも今の状態ではそんな会話できるような雰囲気になれそうにないので、まずはちゃんと溜まってるお仕事をかたづけなきゃ。
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4月11日(Thur)
毒舌について。


相変わらずペーパーのめどがたたない、というか、立つ気がしないように思えてきてあいかわらず憂鬱な今日この頃。掲示板で応援メッセージをいただき大変ありがたく思っています。まだまだな状態ですががんばりたいと思います。m(_ _)m

こんな状態だとネットに現実逃避することが多いので、いろいろな日記を読んだり、掲示板をみてしまったりする。いわゆる日記読みをやるつもりは無いのでソースは挙げないけれど、今日はいつものように現実逃避して、日記関係のコメント掲示板で叩かれていた、とある「毒舌」系日記を読んでみて、頭がくらくらしてしまった。(余計勉強できんではないか。)上手な毒舌が吐ける人と違って、下手な人の日記の多くは、毒舌系ですってことを自分から宣伝してるようなものが多いので、見分けやすいっていうか、ほとんどの場合最初から読まないんだけど、今回は書かれてるコメント(このコメントもちょっと…とおもってしまったし)から、逆に興味持ってしまって現実逃避がてら、ついつい。。。(てへ:-p)

読んでたり聞いてて不愉快な気分になる下手な「毒舌」は、ほんとうに有毒。僕は毒という文字が入っていても、毒舌の毒はにもなるような毒って意味合いだと思うので、あとでスカッとした爽快感がくるようなもんじゃないといけないように思うんだけど、毒舌系を謳ってる日記をみてると、そこんとこ世の中の共通認識じゃないみたいね、とおもってしまったり。毒舌の定義にもよるとは思うんだけど、「思ったことをはっきりものをいう」って名のもとに単に下品な悪口いってるだけでは、自分の品性下劣さを晒すだけなんだよね。「毒舌」になってないよ(と僕は思う)。で、上手な「毒舌」って、この人ってばあったまいいわあっておもっちゃうんだけど、下手な人は、まったく反対の印象をもってしまうし。なのに、そういう下手な「毒舌」家に限って、自分のこと頭いいと思ってるフシがあるというか。。一般化しちゃいけないかもしれないけど、とにかくそういう感じの人が多いんだよね。端からみてて、いっそうイタい。

ということで、これ書きながら自分には他人から上手って思われるような毒舌を吐くことはできないなあと、あらためて確認した次第。それもいいけど一語でもペーパー書かないと。
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4月9日(Tue)
ペーパー


のめどがたたない、というか、立つ気がしないように思えてきて憂鬱になってきた今日この頃。
だらだらしつつ勉強をはじめる
>書けない、行き詰まる。集中力が途切れる。(30分後)
>>ネットに現実逃避。(罪悪感)
>>>書けない、行き詰まる。(30分後)
>>>>コーヒーとお菓子に走る。ネット。(またまた罪悪感)
>>>>>書けない、行き詰まる。
>>>>>>ゲームなんかをやってしまう。ネットも(またかい)。。
てな感じ。やらないといけないこともいっぱいあるのに。。。とりあえず、ゲームは削除しました。ネットの時間はメールチェックとお返事書きだけにするとずいぶん減らせるのはわかってるんだけどなあ。ついつい。。。

なんかこの3日ほどの日記は暗い内容なので、いちいち更新する気がおこらないなあ。といいつつ更新してみたり。
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4月7日(Sun)
ギリシャとトルコの関係


についてのペーパーを書き始めようとしてた一週間、かなりだらだらしてしまった(ネットの時間を大幅に削る必要があるなあ。。)し、書きたいことはいろいろでてきたけれど、うまく一つの話の流れにまとまらないし。。う〜ん。

指導教官のPaが2本目のコメント+文法の直しをしてくれたのを送ってくれた。「出来に満足してません」なんて書いて送ったからか、「基本的にはOKですよん」という言葉をもらうけれど、直さないといけないところもぼろぼろでてきてるし。早く今やってる3本目にけりをつけたいのに、今日もだらだらした時間が多い。。ああああ。

それにしても、英語が。直されてる所をみていると、本当にいつになったらネイティブな人が書くようなものに近い英文をかけるようになるかなあなんて、思ってしまうことだよ。僕の英語って、外国人タレントが話すへんな日本語みたいなかんじなんだろうなあ。話すにしても書くにしても。。外国人タレントの場合、わざとってことも往々にしてあるようだけど、自分の場合は素で、こうだもんなあ。なんて、気にしてるばかりでは上達は望めないという話も聞くので、少しずつでもなんとかなるように意識的に毎日過ごしていかなくちゃ。
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4月6日(Sat)
締め切り


が一週間早いことに今ごろ気づいて焦る。 ちょっとやばいよ。どうなるのかな。もっと気合入れて勉強しなきゃあ。(2本目のあと、かなりだらだらしてしまって、一週間すぎてしまった。)これから一ヶ月が正念場。いままで何してたんだろうって考えるのは、生産的でないのでなるべく考えないように。。。無理か?
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4月4日(Thur)
パーティの招待状


がコレッジのピジョン・ホール(私書箱?)に入ってた。HRH(His Royal Highness) The Prince of Wales、すなわちチャールズ皇太子が大学を訪問するってんで、大学の奨学金もらってる学生をそのレセプションに招待してくれるらしい。というのも。大学からの奨学金を管轄してる機関のトップはチャールズ皇太子だからみたい。まあ僕もほんのすこしだけど大学からお金もらってるので、お呼ばれということらしい。ってことはよ、チャールズ皇太子を間近で見られるチャンスってことですわよ、奥様。きゃあ、なんてことなの〜。私ったら日本の皇族だって間近でみたこともないわよぉ〜。(テレビや雑誌じゃよく見るけどね。)っと、はからずも「みーはー奥様モード」にはいってしまったことだ。英国の人からすればそんなたいしたことないかもしれないけど、やっぱりすげ〜すげ〜とおもっちゃう。セキュリティチェックとかもきびしいんだろうなあ、とか、デジカメ持ち込めるかしらんとかまだお返事出しても無いのに行く気になってる自分がすごく愚かにおもえてくるよ。。

で、トルコ外務大臣の息子の結婚式にご招待の時(2001年7月の日記参照)にじたばたと騒いだ教訓を生かして、まず確認したことはドレスコード。インフォーマルなものなんで、スマートな格好を。ということで、スーツ着とけばいいみたい。ほっ。でも夏物のスーツ無いなあ。(まだ2ヶ月ちかく先の話なのです)おくってもらおうかな。

他に大学に最近きた有名人といえば、ビル・ゲイツ(他にもいっぱいいるとは思うけど)。ビル・ゲイツが作った奨学金(その名もゲイツスカラシップ。日本人も応募できるみたい)もらってるコースメイトMtは、去年ビル・ゲイツがケンブリッジに来た時に会ったっていってたっけ。

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4月3日(Wed)
Facts on the Ground


ここ数日のパレスティナ情勢は緊迫の度を増し、自爆テロに業を煮やしたイスラエルのシャロン首相は、PLOのアラファト議長のことを「敵」と呼び、軍隊を送って…というのは、周知のとおり。そのことについてはいろんなところで、いろいろな人がいろいろな意見を書いている。ときにはそんな時事的な話題を今やってる研究に結び付けて書いてみたりして。

こっちにきて博士課程を始めてから、「ハマって」る学者の一人、Nadia Abu El-Hajは、イスラエルの考古学、考古学がイスラエルの社会でどのような役割を果たしているのか、について研究して、つい最近"Facts on the Ground"という本をだしたばかり。彼女の論でとても興味深いのは、Bruno Latourとかの科学社会学の理論を、考古学的調査がどのように行われ、公のものにされていくかという過程の研究に応用して、イスラエルの考古学がイスラエルのナショナリズム的歴史観からどのような影響を受けているか、というだけでなく、イスラエルの考古学調査そのものがイスラエルのナショナリズムの枠組みを作り上げる役割を果たしていると論じていること。今までの議論では、考古学は(人文社会)科学であってナショナリズムのイデオロギーとは別物って考え方で考古学とナショナリズムの関係が論じられてきたんだけど、彼女は、むしろ学問としての考古学自体がナショナルなイデオロギーを作り出してると論じてる。

考古学の調査の過程を大雑把にいうと、発掘された遺物は何々時代のモノというレッテルが貼られ、発掘された場所は、何々時代を表す「遺跡」となる。何々時代のモノという時代区分はあらかじめ前提(歴史年表があるってこと)になってるところがあるから、たとえばエルサレムのある時代の層から建物が焼けた痕跡がみつかったとすると、それはローマ軍が攻めてときの証拠ってことになる。(単なる火事の痕かもしれないのに。)それと同時に発掘されたものを通して新たにわかった「わかったこと」(=事実)からより「正しい」歴史年表が作られていく。イスラエルのようなところは他の民族が支配していた時代もあるわけで、それを無視することではけっしてないんだけど、考古学的調査を通してわかってきたそうした時代の歴史も、イスラエルの大きな歴史のなかに位置付けられていく。つまり、イスラエルの国土の歴史になるわけ。調査するときの前提もイスラエルの歴史があるわけだけど、調査をとおして、その歴史はより確固たるものになるというか。ちょっと別なたとえ方をすると、地理の授業で使うような真っ白な白地図があるとすると、考古学調査(地面を掘り返して出てきた遺物を時代ごとに分類したりながら、歴史を明らかにしていくこと)は、その地図をこの場合だとイスラエル色にきれいに塗っていくことにあたる。そうやって、発掘された場所はイスラエルの歴史を示す場所、すなわちイスラエルの国土になっていく、つまり、「遺跡」のある場所はイスラエルの国土という現実感が生み出されていく。

エルサレムのような都市を発掘するときには、ブルドーザでそれまで建ってた建物を壊してから地面を掘り返してくって記述もあって、パレスティナ系住民の家をイスラエルがどんどんブルドーザで破壊してる場面を思い起こさせる。(著者はアラブ系なお名前なので、そのことは当然意識して書いてると思われ。)こうしたイスラエルで行われてる考古学調査は、パレスティナの人たちの自爆テロを引き起こしてる直接の原因ではないはずだけど、こういう感じでじわじわ〜とイスラエルの領域を作り上げてくってプロセスもパレスティナの人たちを自爆テロにまで追い詰めていくことにどこかしら貢献していたんではないかなあ。

一応念のために書いておきますが、これだから考古学ってだめなのよねとか言うつもりは僕にはないです。イスラエルは、いろんな意味でかなり極端な事例だとは思うけれど、同じことはトルコであれ、日本であれ、国民国家を標榜する全世界の国で起こっている現象だろうし、むしろ、そういう積み重ねのなかで、自分が何某の国の人間(民族意識とでも言い換えられるか)だとか、ある場所はどこそこの国に帰属する、って考え方が現実感のあるものになっているわけで、そういうのが見えにくいほうがかえって興味深いから。

今日の一冊:
Abu El-Haj, N. 2001. Facts on the Ground: Archaeological Practice and Territorial Self-Fashioning in Islaeli Society. Chicago: University of Chicago Press.
著者はシカゴ大学の先生みたい。お会いしてみたい人の一人かしらん。
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