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タイトル:紅茶の国で笛吹き日記
博士課程の一年目を始めたばかりな人類学者の卵の卵の、英国の大学町での学生生活を綴る日記です。勉強はやっぱり大変ですが、やりたいことを勉強してるのでそれなりに楽しんでます。あ、それから紅茶の国に住んでいるといっても、紅茶よりコーヒーばかりよく飲んでる今日この頃です。

此ノ頃笛吹キニ流行ルモノ:サンドイッチ屋、“Pret a Manger”のチーズケーキ(プレーン)
甘さは控えめ、で、ほんのちょっと酸っぱくて、幸せな気分になります。(^-^)


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日記才人に(8948) テキスト庵(1019)(27 March, 2001)、【日記圏】(3313)(4 July, 2001)に参加してます。 さらにはに参戦しました。

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最近、更新すると投票して下さる方がいらっしゃるみたいで、とてもうれしく思っています。

12月31日(Mon)
今年の出来事。


今年も早いもので大晦日になってしまった。外から年越しの花火が打ち上げられているのが聞こえてくる。でも自分は晩御飯をちょっと贅沢にステーキを焼いて食べたくらいで、特に何もしなかった一日。(年越しそばしようと、オリエンタルショップにおそばがないか覗いたりはしたけれど、見つけられなくてあっさりあきらめた。)

今年はテロに戦争に政変に児童殺傷と、日本も世界もいろんなことがおこったけれど、身の回りでもいろいろなことが起こったし(年末はなぜか親戚に不幸がつづいてしまった。日記にはあまり書かなかったけれど)。なにはともあれ、日本→トルコ→日本→英国と、住んだ場所が三箇国にまたがるので、人生のなかでも一番移動距離が長い一年になったんではないかな。印象が濃いのはやっぱり、はじめていったのにそのまま6ヶ月滞在したトルコ。いろんな人に会うことができて、トルコ共和国外務大臣の息子の結婚式のご招待までうけたしそして、。6ヶ月、危ない目に遭うことがなかったのに、年末にもう一回行って、今度は12日の旅行の3日目に荷物が紛失〜なんて、つらい目にも。あれやこれやの出来事の結果として、今は、これからしばらくトルコに関わって生活していこうと思えてるので、全体としてはとてもいい方向に進んでて、ほんとうによかった。去年の今ごろは不安だらけだったし。

二回目の英国暮らしも、いまはなんとか。着いたばかりの頃の興奮はさすがに冷めた。コースメイトに恵まれてるし、先生との相性も今のところ問題を感じてないから、あとは自分次第。なのに、年末ちっとも勉強しなかったので鬱だ。まあ、新しい年の節目に、気をいれなおして、がんばっていきませう。来年の半ばごろが正念場。こわいなあと思うこともおおいが、その先に進むためにも乗り切らないといけない。あああ、ここ最近のだらだらではいけないんである。

最後に書き忘れてはいけないことは、この日記もどきをとにかく一年続けたこと。日記なんて三日坊主で終わることが多かったのに、続けられたのはなんでだろう。誰かに読まれているって感覚が結構快感だったからかな。なにかしら反応があればもちろん、日記系サイトで自分以外の人がアクセスしてくれているのを知ると、とてもうれしかったし。本来、日記って私的なものなので、こういうのは変なのかもしれないけれど、これからも続けられるだけ続けてみようと思う。

このサイトを覗きに来てくださった皆様、今年一年本当にお世話になりました。2002年が皆様にとって、すばらしいものになりますように、紅茶の国の大学町からお祈り申し上げます。そして、今後ともよろしくお願いいたします。

(ぎりぎり、英国で年が明ける前に更新できそうでよかった。。。)
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12月28日(Fri)
Harry Potter and the Philosopher's Stone


観にいこうと思っていて結局行けてなかった映画、「Harry Potter and the Philosopher's Stone」を観に行きました。朝一の上映に行ったためか、お客さんが思ったよりすくなかった2時間半。原作を読んだことのある人間としては、いいところのダイジェスト版という面が強いような気が(逆に原作を読んでいない人には場面場面が細切れに感じるかも)。。とにかく、映画では場面と場面のつながりが弱いように思えた。

というわけで、これからも続編を作ってくらしいけれど、原作では巻を重ねるごとに話のボリュームがおおきくなってるし、原作に忠実に従いつつ面白い作品にしていくのは大変なんじゃないかな〜なんて他人事ながら心配したりして。特に4巻目はペーパーバックでもかなり分厚いよ。そうなるとある場面に絞って作りこむって手もあるかもしれないけれど、作者は巻をまたがった伏線を貼りまくってるので、これまた上手くはしょれなさそう。。

今出ている4冊一応みんな読んでるので多少思い入れみたいなものもあったから不満な点もあるにはある。でも一見の価値はあるかしらん。とくにハリーの「部活」(ネタばれ対策です)の試合の場面とか、最後の冒険のところとか迫力があって楽しめたし。

ハリーやってる男の子はたしかにハリーって感じ。でも笑うと怖い。特に悪役が懲らしめられてるときの笑いは…いじめっ子の冷たい笑いとしか思えなくって。ついでに、かわいいのになぜか印象の薄い子だった。ロンをやってる男の子はいい感じ。兄弟役の男の子たちが全然似てなかったけど。ハーマイオニーちゃんはむしろ可愛すぎるくらいだったので、もうちょっとがり勉風でもよかったんでは。で、何故か、ををっと印象にのこったのは、ちょい役のハリーの「部活」のキャプテン(わかる人、いるかな?)。イングランド代表のオーウェンの少年時代って感じの、さわやかな男の子。笑われるかもと思いつつ、そのことをもう映画を観た友達に話したら、彼の友達のゲイのお兄さんも気に入ってたって。ということは、女の子の受けもよかったんでわ。。。念のため女の子のほうというと、イギリス英語らしくないせりふがあったらしいマクナゴル先生のような熟女か、ハーマイオニーちゃんくらいだったので、特には…。


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12月27日(Thur)
クリスマス・セール。


クリスマスの休暇が明けて、街が再び目覚めたといったらいいのかしらん。クリスマス・セールが始まった。ほとんどの商品がクリスマス前の半額で売られるので、英国の人たちはこの時期をねらって買い物をしているみたい。街を歩いているとブティックやデパートの大きな買い物袋をいくつも下げた人たちをみかける。僕もちょっとお買い物。でもあんまり気に入ったのが残ってなくて、うーんという感じ。成果はあまりなかったっす。ただデパートでカル■ン・ク○インのボクサーが20%引きだったので、買ったことなかったし試しに買ってみることに。写真のモデルさんみたいなカッコいい体では全然ないから似合うとかいう次元ではないけれど、まあ下着姿なんて誰かに見せるというもんでもないから人知れぬおしゃれということで。えへへ。(ついでにタンクも買って、上下を合わせてみたり。)あんまり下着とかこだわったこと無かったけれど、デパートには男物でもいろいろな種類の下着があるんだねえ。こういうの、はまりそうな自分に気づいてしまいました。…まったく、この一大セールの利点を生かした買い物ができてないことだよ。

衝動的に散髪もして、髪をすぱっと短く。もうすぐお正月だしね。それにしても、散髪屋会話って苦手。バリカンの刃の種類とかよくわかんないのもあるし、ビンとか襟足ってなんていうのかもわかんなくて、英語でどういうふうに切ってほしいか説明できない。(ちなみに、日本でも散髪屋さんでお願いするの苦手。。。)「あう、あう」って感じになるのでいつもは短いときの写真を用意するんだけど、その写真を入れたお財布はトルコで荷物と共に消えてしまって、しかも衝動的に散髪を決めたから、写真なしの今日はほんとに「あう、あう」状態で髪切りにのぞんでしまった。切ってくれた何気にハンサムなお兄さん、お手数かけました。でも感じのいいとこだったんで、またこよ〜。

家に戻ると、フラットメイトのIg(スペイン)とGL(イタリア)が実家からもどってきてた。彼らは明日からスウェーデンはストックホルムで新年を迎えよう計画をたてていたんだけれど、Igがひどい風邪をひいて戻ってきたみたいで、計画はどたキャンということになるよう。。GLは戻りのバスで知り合ったイタリア人の女の子の所にいってしまったし。

今日は日本から悲しいお知らせもとどいた。小さい頃よく会ってかわいがってもらっていた、祖母の妹、つまり自分の大叔母さんがクリスマスに亡くなってた。10年位前からアルツハイマーで入院するようになって、最後にあったのももう5,6年も前のこと。お葬式もすんでしまったみたいだし、こっちは英国にいたわけでもうどうしようもない。でも遠い親類とはいえ、よく知っている人の死というのはなんかとても悲しい。それに、年下の妹に先立たれるうことになってしまった祖母のこともちと心配になる。病気は前からのことだったし心の準備とかはできていたのかもしれないけれど。。
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12月26日(Wed)
うだうだ。


フラットメイトがみんなクリスマスの帰省で出払っているので、ひとり静かに好き勝手に家を使って生活している今日この頃。勉強にも身が入るかなと思っていたけれど、ついついネットを眺めていたら一日が終わってしまう。だいぶやる気は出てきていると思うんだけれど、どこから手をつけていいかわかんなくて。。。。とにかく本を読もうと自分に言い聞かせた5分後にはネットに目がいってしまっているので、うだうだをやめるためにも、ネット絶ちは無理でも一日何時間とかのネット制限はせねばなりませぬ。

今日でクリスマスの休日はおしまい。明日は朝からクリスマス・セールなので、大勢の人が街に繰り出すはず。時々覗いてるブティックなんかも朝の6時だか7時だかからセールやるみたい。おととしのブライトンでのクリスマス・セールもものすごい人手で、9時にお店に行ったらもうめぼしいものがなくなりかけてたし。日本でいう初売りに近いもんかな。でも、規模はもっとすごいようにも思う。バーゲンも大事だし(トルコでなくした服の補填をするっつ〜口実で)早起きしてセールに繰り出したいけれど、今日も何もしてないし、今からもうちょっと本読みするつもりだからねえ。早起きできないだろうなあ。

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12月25日(Tue)
外国にいるということ。


今回の荷物事件、自分が外国にいるんだ、自分が慣れ親しんでる習慣の無い国にいるんだ、と感じることが多かった。たとえば、バス会社とのやりとりを通して、会社は、こちらに「荷物を紛失してしまって、ごめんなさい」とかみたいなことを言ってこなかったし。補償額についても、こちらとしても納得づくで受け入れているからいまさら文句はないけれど、はじめは申告した額の通りに…と言っていたのが、あとからその約半額しか出ないってことになった。しかもこっちが被害者だからそう感じたのか、外国人だからってことで会社は特別の配慮をしてるって態度がみえてて、日本的な感覚からするとう〜ん。。

という感じに日本にいる気分でいろいろ文句つけるのは簡単なんだけれど、結局、「Burasi Turkiye.(ここはトルコなんだよ。)」ってこと。「郷に入れば郷に従え」という言葉もあるように。外国にいるんだし、どうしようもないことってあるよね。とはいえ、今までは英国やトルコへの不満を言う在住の人の話を聞いてもぴんとこないくらい、っていうか外国なんだから仕方無いじゃんと思っていたこの自分も、今回の件ではすっかり日本にいる感覚にもどってた。しかも、そういうところが無意識のうちに出てきてたみたいで、人に言われるまで気が付かなかったこと。自分に直接降りかかってきている問題だったからかもしれないが、やっぱりショック。

マジな話、自分の大切な荷物をおそらくは盗んでいったであろう泥棒にバス会社の対応と、「き〜、もういやこんな国」って思っちゃうこともあった。でもだからってトルコの人は怖い、危ない、いい加減、という気持ちもないっす(あ、でも最後の「いい加減」ってのは良くも悪くもいえてるかも。。)。だって、困った状況に置かれた自分を助けてくれたのもトルコの人たちだったから。バス会社と話し合ってくれたOさんにしても、TAさんつながりの顔見知りってくらいの関係だったのに、とても親身に対応してくれたし、お金をバス会社に取りに行くときには、トルコ語学校のE-beyにいきなり頼んで付き添ってもらった。(自分が外国人なので、お金の受け取りにはトルコ人の付き添いが必要だった。)それなのに、今回いろんな形でお世話になっていた人たちに、自分がぼんやりしてて迷惑を掛けてしまうことがしばしばで(TAさん、神経を使うお仕事をしてるときに大変なご迷惑をおかけしました。)。。。そういう人たちに十分なお礼が出来ていないような気もしてるのも心残り。とにかく、こんな嫌なことあったわりに、来年また来ようね〜って思って飛行機に乗れたのは、今回お世話になった人たちのおかげ。本当に感謝してます。

というわけで、来年の夏か秋からトルコに現地調査しにいけるようにしないと。来年トルコに行ったときは、今回お世話になった人たちにもう一回きちんとお礼もしたいな。そのためにもがんばらないと、と思って、なにも予定を入れてなかったクリスマスは、結局何もしないで過ぎていってしまったことだよ。ああああ。エッセイ書き始めないと。

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12月23日(Sun)
トルコでトラブる。


トルコでの12日はあっという間に終わってしまい、昨日の夜遅く戻ってきた。これから何日か、トルコで考えたことを書いてくことになるかも。まず、研究については、幸運にもイスタンブル到着後につてができて、何人かの人に会うことができたし、来年から一年くらい住むことになるかもしれない場所がどういうところなのか、実際に行ってみてイメージみたいなものをつかめたので、成果は多少あったかな?!(少なくともゼロじゃないといえるんで、ほっとしてます。)

しか〜し!今回の旅行では、悪夢のようなトラブルに。。。なんと、イスタンブルからマルマリスに行くバスの旅で、バスに預けたはずの荷物が消えちゃった。。。たぶん、イスタンブルのオトガル(バス・ターミナル)で盗難に遭ったんだと。ついに見つからず。このトラブルのおかげでマルマリスに3日ほど釘付けになり、日程をかなり変えないといけなくなってしまった。

忘れもしない12月11日の夜のこと。イスタンブルに住んでた時は、タクシムのバス会社オフィス前から直接バスに乗ることも多くて、あまりオトガルには行ったことがなかったんだけれど、今回はスルタンアフメットに泊まっていたこともあって、オトガルまで行ってバスに乗ることに。オトガルのバス会社のオフィスで乗るべきバスを探してきょろきょろしてると、男の人が声を掛けてくる(もちろん、トルコの人。)。今までもよくあったことだけど、で、乗るべきバスを一緒に探してくれ、一緒にバスのところへ行き、そこで荷物を預けて、引き換え証のカードももらって…。ほぼいつもどおりにことが進む。出発まで時間があったんで、お茶を飲もうとその人が言うし、バスもわかって荷物も預けてすっかり安心していたこともあって、行くことに。そばのカフェテリアでフェネルバフチェがデニズリに2点目を取られたのを見てると、いつのまにか、男が消えている。「めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに雲隠れにし夜半の月かな」(紫式部)の歌が思い浮かぶことだよ。出発の15分前にバスにもどって、そのままバスへ。マルマリスへのバスの旅は、出発前に衝動的にハマムにいって身体がふわふわになっていたこともあり快適だったんだけれども、男だけでなく、預けたはずの自分の荷物まで雲隠れしてしまってた。(もちろんその男がやったということではないけれど。)本当に、途方にくれてしまったことだよ。こっちが引換券をちゃんと持ってたので、ちょっとした騒ぎに。バス会社の人が荷物が他のバスに紛れてないか探す手配をする。とはいえ、こちらのトルコ語が全然だめだったのもあって、英語が多少ちゃんとしてる人を呼ばれ、その人に簡単に事情を説明してなくしたもののリストとその被害額を申告。昼過ぎまで待ってたところ(マルマリスには11時前に到着)、会社の人に「今は見つからないから、2、3日待て」といわれる。

本来ならマルマリスからそのままバスを乗り継いで本来の目的地、ダッチャに行くつもりだったけれど、この状態では行っても仕方がないし、バス会社の対応を見ていて、簡単なトルコ語しか話せない自分では荷物が無かった場合の対処に不安があったので、イスタンブル滞在時にお世話になってたTAさんに相談することに。TAさんは、お仕事で忙しい中、お友達のトルコ人のOさんと一緒にバス会社と交渉して(TAさん曰く「戦って」)、荷物が見つからない場合に補償金を申告した被害額にあわせて支払う約束を会社にさせてくださった。その間、英国に戻るまでの旅行中は使わないからとなくした荷物に入れていた、銀行カードの停止の手続きや家の鍵のことをCollegeと相談するために国際電話をかけまくったり、着替えを買ったり、指導教官の先生にメールを出したり。。ふぅ。パスポート、帰りの航空券、デジカメにお勉強用の本が手荷物で被害を免れたのが唯一の救い。

とにかく、生まれて始めて着の身着のままって状態になりました。無くしたものの中には、いままで大切に使ってたお気に入りのオレンジのハンカチとか、イスタンブル留学時に語学学校で習ったことを復習がてらまとめた「サルでもわかるトルコ語ノート」もあって、痛恨の一撃をくらった気分。。そのうえ、マルマリスは地中海沿岸の夏の町。逆にいうと冬は寂しいところなんで、鬱モード百万倍。。。

雲に隠れた月ならばまた出てくることもあるのでしょうが、結局のところ消えた荷物は見つからず、補償金がでることに。申告した被害額の全額補償ということにはならなかったけれど、外国人ということで普通のトルコ人がもらえる額の倍近い金額をもらえることになった。全額補償をあくまで求めるのなら法廷闘争ということになるそうで、しかもトルコでは決着がつくまでに時間がかかるらしい。ちゃんと自分で納得してその補償金をもらうことに。語学力のことを考えると、自分ひとりでは絶対ここまでたどり着けなかったと思うし、問題解決のために奔走してくれたTAさんとOさんには感謝の言葉がいくらあってもたりないくらい。この場を借りてもう一度、お礼の言葉をいわせてもらいます。本当にありがとうございました。m(_ _)m

ものの見事に泥棒さんに目をつけられてしまったぼんやりツーリストだったのですが、特に、いつものように荷物の引換証をもらったのですっかり安心してしまいました。。。オトガルなんかで近づいてくる人たちには本当に旅行者に世話を焼こうとしてくれる人もいるので見極めが難しいです。の問題もあります。それでも、トルコを旅する方、しようと思っている方、人の集まるところ、それも不慣れなツーリストも多いオトガルのようなところでは、それだけ悪い奴に出会ってしまう可能性も大きくなるので、十分に気をつけてくださいね。旅先で荷物を丸ごと失ったのは本当につらかった。。。
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12月9日(Sun)
タイ風カレーを作る。


なりゆきでフラットメイトに料理を作らないといけなくなった。タイのグリーンカレーのペーストを買っていたので、それを使うことにする。ペーストのビンになんとなく作り方は書いてあったけれど、作るのは今回が初めてなので実はよくわかってなかったりする。スーパーでぼ〜っとしてると通りかかったのは日本人のKさん。ちょっとお話をしたことがあるくらいの間柄だったけれど、料理に詳しいという印象があったので、材料とかについてお聞きすると、丁寧に答えてくださいました。

揃えたいものがすべてあったわけではなかったけれど、材料を買い揃えて、家に戻って作り始める。レモングラスとか、タイのしょうがとか、ライムの葉っぱ、エシャロットなんかを炒めていると、ぷうんとタイ料理のにおいが。。ちょっと感激。材料を炒めてから、ペーストをいれて、ココナッツミルクをどぼっと。あとはぐつぐつと煮る。コリアンダを買い忘れたのはちょっとまずかもしれないけれど、まあなんとか、見た目はいつかテイクアウトで頼んだグリーンカレーっぽくなってきたぞ。(ちょっととろみがないけれど。)

ということで、フラットメイトとあらかじめ呼んであった人、6皿分をつくっておいたら、フラットメイトのIgが友達を連れてきたので、人数分足りなくなってしまった。しかも、約束の時間より遅く帰ってきて、「友達が来る」、だもんね。他のひとの器によそってしまった後だったし。んもう〜こういうことはあらかじめ言っておいてくれないとこまるんだけどな〜と、ぶつぶつ心のなかでは思ってしまう。ちなみに出来のほうは、まだまだなんだけど、トルコから戻ってきたら、研究がてらもう一回自分でつくってみよっと思えたので、お料理のレパートリーが増えるかも。

今日は、昨日の夜がGLのパーティだったので午前中はその後片付けをしてて、午後はタイカレーのお買い物に旅行の準備、食後も旅行の準備と、ついに満足に勉強できないままトルコ行きを迎えてしまった。半分は研究関係とはいえ、事前にだれかと会うような手はずも整えておらず、まるでいきあたりばったり。行きたいところの予習もできてないし。ほんとにむちゃくちゃ。ただ、来年一年暮らすことになるかもしれないところだし、とりあえずしっかり見ておこう。

というわけで、明日から22日までトルコです、日記の更新などはおやすみさせていただきますが、今後ともよろしくお願いいたします。
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12月8日(Sat)
カレンダーを買う。


ちっとも勉強がしなくなって一週間が過ぎてしまった。けっこう焦ってるんだけど、結局何もしないで一日終わってしまう。どうしてこうなってしまうんだか。直接的なプレッシャー(エッセーの締め切り)がないと勉強に身が入らない自分の愚かさがうらめしい今日この頃。

とかいいながら、今日も年末年始に向けてのお買い物を少々。トルコ行きのチケットを取りに行くのを忘れてたので、まずはあわててそれをやってから。(というのも、旅行会社が日曜日お休み。)で、そのあとグラフトンセンターというショッピングセンターをぶらぶら(<<こういうことをやっているから勉強ができない)。カレンダー屋さんがあったので来年のを買おうと思い立つ。

中にはいって物色。動物もの、建築・景勝地もの(WTCなんかもあった。これはえげれすのブラックユーモア?)、タレントもの、芸術作品もの、スポーツのスター選手もの、ハリーポッターとか。いろいろなのがあって見てるだけでも結構楽しい。たとえば、スポーツだとフットボール関連が多くて、チームごとのものあったし、ベッカム。オーウェンといった個人のものも。ちなみに、ベッカムが試合中とかマスメディアに登場したときの写真を集めたようなものだったのに対して、オーウェンはカレンダー用に撮りおろし。お約束なのかどうなのか、上半身裸のサービスカット(?)まではいってた。

オーウェンでおもいだしたけれど、やっぱり裸関係のものも多い。裸といっても水着姿のアイドルって感じのは少なくて、刺青をした裸体のカットを集めたもののような芸術的な雰囲気がつよいものから、全カット上半身裸のむきむき兄ちゃんがホースをもってる消防士というタイトルのカレンダー、全裸のいい身体した兄ちゃんがいろんなポーズとってるのなど、日本に比べて男性の裸体が目立つような気がする。興味本位に見るだけならともかく(見るのも結構勇気いるなあと感じたんだけど)、買うのはちょっと…。

で、今年のカレンダーはミロだったので芸術ものはなんとかさけようとおもってたんだけど、結局カンディンスキを買ってしまった。
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12月6日(Thur)
東大生はバカになったのか。


友人にカードをかいたり、図書館で本探しとコピー取りをしたりしてる今週。それ以外はなんかとにかくだらだらしていて、全然勉強ができていない今日この頃。大学図書館で会ったCollege友達のBeが深刻な顔をして抱えるほどの本を持っているのをみて焦るけれども、体がついていっていない。本格的な勉強再開はこのままいくとトルコから帰ってからになりそうで。。なにやってんだかと自分でもいらいらしてくる。

それはともかく、今日はある本を探しに東洋学部(Oriental Studies)の図書館に。ここは、中東、インド、中国といったいわゆる東洋の国関係の図書資料のほか、考古学でも特にエジプト、アッシリアあたりの資料などがおいてあるところ。東洋学ということで、当然、日本関係の書籍も。okagami…オカガミ(?)とおもったら、「大鏡」の英訳だったり、「窓際のとっとちゃん」(これは日本語)がおいてあったりして、きゃっきゃっきゃ。ちょっとはしゃいでしまう。(ちょっとか?)

ま、用事をすませて(本を見つけて)、いろんな雑誌がならんでいるところを歩いてると、日本の新聞、雑誌なんかもおいてあるのに気づく。「朝■」とか、「○経」(なんか違う言葉想像するけど)とか。目にとまったのは「週刊○日」の「会社のお荷物東大卒」とかいう見出し。読んでみると立花隆さんが「東大生はバカになったか」というタイトルで本を出してたんだね。で、最近は東大生でも学力低下って深刻らしい。まあ、記事の内容はよく聞く「使えない」東大卒のお話で、そのこと自体は目新しくなかったんだけど、気になったのは立花隆さんが「教養」について云々と言ってるところ。

ここで立花隆さんは、「東大卒」のような、日本の「エリート」とされている層の多くにはいわゆる「教養」というものがなくて、外国(欧米を想定してますな)の「エリート」とは話が続かない、もっとひどいのは相手(外国の「エリート」)に話が合わないからレベルを下げられているんだけどそれにも気づいてる人が少ない、という感じで批判してたようにおもった。自分は英国にいて、しかもたまたまこの国のエリート養成機関みたいなところで勉強していることもあって、英語力以上に自分には彼らの話についていくだけの知識がないなと痛感することの多い毎日。ということで、わかるなあと思うところもあるにはあるけれども、その一方で、立花隆さんのいってる「教養」って何なの?

いまの大学の同級生でも、特に学部から進学してきたいわゆる生え抜きの人たちには、ほんとに光るものを感じるし、なにより学部時代からそれはもうよく勉強しているのがわかるので、だらだらしていた自分の学部時代を後悔することがほんとうに多い。でもね、その一方でそりゃあ彼らに代表されるようなこっちの「エリート」って、いわゆる立花隆さんが「教養」という言葉を使って指している哲学や思想、芸術、科学への造詣は深いと思うけれど、彼らのもっているいわゆる「教養」は、やっぱり西洋のものなんだよね。月並みな話、たとえば秋の風物をみて、欧米の「エリート」は欧米の古典を引いてなにか言うかもしれないけれど、日本人だったら(少なくとも自分なら)日本の古典とか近代の文学作品を持ち出す人が多いと思うよ。(といって、手前味噌であるはずの日本の古典の知識も深くないから、たしかに自分は本当に「教養」がない…。)

要するに日本人の「教養」をもとにした知的な会話と、こっちの人たちの「教養」をもとにした知的な会話って根本的に違うのに、「教養」という曖昧な言葉でそのあたりを一緒にして、日本人の「エリート」の知的レベルが外国の「エリート」と比べて低いって批判されてもちょっとねえ。もっと単純に、笑いのツボが違う、なんて話も、異文化比較の初歩的なところでよくある話だしね。もちろん、自分は本質論的な話をするつもりはないし、立花隆さんにしても日本の「エリート」に欧米の「エリート」が持っている教養がたりないといってるのではなく、それ以前に根本的なところがだめっていいたいんだろうけれど、それだったら、もうちょっときちんと「教養」という言葉について定義するか、欧米の「エリート」の話を持ち出さないほうが、フェアだよ。

追記:
火曜日のパーティのメインデッシュはインドカレーでした。キムチはいい材料がなかったので、次回にお預けとのこと。残念!でもカレーは、白身魚入りでめちゃ辛くておいしかった。
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12月4日(Tue)
写真をウェブに。


このサイトのリニューアルをちまちまやりつつ、先月の末にコースメイトたちと遊んだときの写真(GirtonでのFormal Hall)を、ウェブ上のフリーのフォトアルバムにアップロードして、みんなに知らせておくと、さっそく反応が返ってきた。で、ちょっとうれしくなって、調子に乗り、スペイン料理を食べたときのもアップロードしてみんなに知らせておく。ウェブ上で写真を見返してみると、まだ写真を撮ってないコースメイトが何人かいることに気が付いて、その人たちの写真も撮って、そこに載せないと悪いような気がしてくる。(その人たちが写真を撮ってウェブに載せたいと思ってるかって話もあるんだけど。)気分はすっかり専属カメラマン♪(<<<単純)

週末はもちろんのこと、今日も結局まったく勉強ができていなかったりする。トルコにも行くし、図書館も年内は今週中しかいけないんだってことを思い出して、ちょっと焦ってくる。気持ちを早く切り替えないといけないね。なんて、書いておきながら今晩はコースメイトのおうちのパーティに行く予定だったりして。。。ちなみに韓国の人のおうちに行くので、本場のキムチが食べられるかと思うと、いまからよだれじゅるじゅる。。(下品な表現でもうしわけありません。)

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12月3日(Mon)
トルコの人たちの歴史認識。

前回からの続きです。(前回についても、言葉足らずだったところとかも直してみました。まだまだ不十分だとは思うのですが。。。)

トルコは、共和国成立以来の西欧化、世俗主義政策、さらにはEU加盟など、非常に強い「ヨーロッパ志向」を持っています。その一方で、イスラームという非西欧的とされる要素が社会の根幹のひとつをなしていますし、そしてそもそも「トルコ的」という言葉自体が、ヨーロッパでは「非西欧的」とほぼ同義的に使われている現状をみれば、トルコのナショナル・アイデンティティは、ヨーロッパとアジアの間の曖昧模糊とした境界のうえに成り立っているといえます。それゆえ、前回書いたように、アイデンティティの構築におおきな役割を果たしている、共有された過去、歴史、それを表象する「文化遺産」の扱いも、様々な政治的利害の絡んだごちゃごちゃとしたところで決まってきていると思います。

こうした政府や政策といったマクロのレベルではなく、もっとミクロのレベルのローカルな人たちが「文化遺産」やそれに表象された過去、歴史についてどのように認識しているのか、ということについて、今回は書いてみます。これが自分の研究テーマなのではっきりとした答えはないけれど、今のところ、土台になっている知識やイメージというのは、政府レベルのものと一緒ではないかと思っています。というのも、まず第一に、トルコは日本と比べるとかなりナショナリズムが強烈に表に出てきていているため(裏からいうとそうしないといけない事情があるってことですが。)、学校教育などで、政府の方針にそった歴史や過去を教え込まれているのではないか、という印象があるためです。それから、自分が、マイノリティな人々に注目するのではなく、自分のことを「トルコ人」と自覚している、いわば主流の人たちに注目しようとしているので、経済面などの日常的な利害はともかく、「トルコ人」というアイデンティティの外枠に関して、政府側と大きな対立関係がないだろう、と考えているからです。

ここでわざわざアイデンティティの外枠という奇妙な言葉を使ったのは、「トルコ人」の中身について理解は、ローカルな人たちと、国家では違いがでてくるということを見越しているためです。つまり、「トルコ人とはどういう人々か」ということについて、政府の打ち出す「トルコ人像」と、ローカルな人々の日常の生活からでてくる「トルコ人像」が必ずしも一致しないようにみえるということです。たとえば、「世俗化」「西欧化」がトルコ政府の方針であるならば、イスラームに基づいた生活をするということとはずれが生じてくるのは明らかで、一般的に地方にいくほど生活・慣習面の保守性みたいなものが根強いはず。こうして考えると、大まかなところで、「トルコ人像」は一致しても、中身のほうはかなり違いがあるのではないかと思えるのです。

ローカルな人々のもっている歴史・過去についてのイメージについても、同じことがいえるように考えています。国家によって形作られた歴史、過去の知識やイメージとともに、ローカルの人々の理解する歴史や過去イメージがあると思っています。たとえば、古代ギリシャの都市の廃墟。ローカルな人々は家の建材くらいにみていたのですが、考古学者たちがやってきて、発掘し、廃墟が「遺跡」とみなされることで、彼らのもっていたイメージというのも大きくかわってしまったはずです。考古学は、国民の過去を科学的に証明する、という意味で非常にナショナリズムと結びつきやすい、というか、なんらかのかたちでナショナリズムと結びついてしまう性質をもっているといえます。それを考えると、変わったイメージや知識というのは、国家の考える歴史・過去に沿ったものでしょう。その一方で、「遺跡」とされたものは、それまで家の建材だったり、家畜の放牧の場所だったりしたわけで、ローカルな人たちにとっては、とても身近な存在です。それゆえ、その「遺跡」とされたものを通してあらわされる過去や歴史が、ローカルな文脈のなかでどのように捉えられているのかということと、国家のそれとはどこか違いがあるのではないか、と思っています。

これからやろうとしている研究では、ローカルな人々のもっている歴史・過去についてのイメージが、どういうふうに変わったか、変わったとして、それがどのような形でローカルな人々のなかに浸透していっているのか、といったことに注目しようと思っています。

最後に日記的記述を少々。10日から22日までトルコに行くことになりました。一応調査地の下見が目的です。シーズンじゃないけれど、地中海みてきます。

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12月1日(Sat)
トルコにおける「ビザンティン帝国」


といっても、何をどういう風に書いていいのか、ちょっと迷ってしまうところがあるけれど、掲示板で、「トルコの人たちって昔アナトリアに栄えていたビザンティン帝国のことをどう考えてるんでしょうか」という、とても面白い質問を下さった方がいらっしゃるので、ここに今の自分の考えを書いてみようと思います。(答えにはなってないので、そこはご容赦。)

まず、ナショナリズムの観点からみると、ビザンティン帝国の遺産は、まったくもってトルコ的ではないということになります。というのも、ナショナリズムが、「〜人」というアイデンティティを通して国土とそこに暮らす人々を結びつける働きをするideologyであり、「〜人」というアイデンティティを作り出すために、「〜国の歴史」、「〜人の歴史」がとても重要な役割を果たしているとすると、ビザンティン帝国の遺産は、キリスト教的なものであり、ビザンツの伝統を継承していることになっているギリシャ的なものになってしまうからです。(ただし、このあたりはかなり微妙な問題があって、単純に、ギリシャはビザンツの伝統を継承しているとはいえないです。)

といっても、ギリシャ的なものだからといって、ビザンティン帝国の遺産がある場所は、ギリシャに返すかっていったら、トルコ政府は「否」とこたえるだろうし、じゃあ、壊してギリシャ的な過去を消してしまうというのは、今日非常に「野蛮」なこととされているわけで(タリバンの仏像破壊とか)、アタチュルク大統領以来、「西欧化」「世俗化」政策を推進してきたトルコ政府としては、まず取るべき道とは考えられないでしょう。

実際のところどう扱われているかというと、たとえばビザンツの教会だったもので、オスマン帝国による征服後モスクに替えられた建物の場合、アヤソフィアやコーラ修道院のように、キリスト教の教会時代のモザイクを修復して「博物館」にとなっています。これらの建物は、もはやモスクではなくなっていますが、キリスト教教会に戻ったわけでもないという点に注目できます。つまり、これらの建物は宗教的実践の場としての寺院ではなくなってしまったわけです。ちょっと難しい言葉を使うと、トルコ政府は、これらの建物を、それらに付加されていた宗教の場としての意義を排し、文化遺産保護の場としての「博物館」、というとても近代西洋的な理念に基づく、まったく別の制度の中に組み込んだということです。だからかどうかはわからないけれど、そういう「博物館」では、モザイクを修復する一方で、モスク時代の遺構もそのまま残してあります。

建物を「本来の姿に戻す」というのは、何を「本来の姿」とみるかで、非常に政治的な問題になります。たとえばこの場合、ギリシャ、そしてヨーロッパでも右翼的な立場からすると教会に戻せということになるでしょうが、イスラームの立場からすると、500年来モスクだったんだからいまではモスクこそ「本来の姿」ということになるでしょう。すなわち、立場によって「本来の姿」と考えられるものが変わってしまうのです。そのため、「寺院」から「博物館」へ建物の意義を変えることは、ある意味こうした建物の意義の曖昧さを排するになるように思います。さらにいえば、このことは同時に、トルコの文化遺産の保護、それによるナショナル・アイデンティティの人々への浸透という、国家の大きな目的の達成にもつながってくるように思います。ということで、トルコ政府は、トルコ人としてのナショナル・アイデンティティの構築一環でもある文化遺産保護を、ある意味建前として利用して、いろいろな立場との妥協を図っているのではないか、と僕は考えています。

このように、ビザンティン帝国の遺産は、トルコのナショナリズム、トルコを取り巻く国際関係、さらにはもっとひろくグローバルなところで通用している理念などが複雑に絡み合ったところで、その扱い方が決まってきているといえます。

ここまでは、政府とか、政策レベルの、高いレヴェルの話で、そうした建物の周囲に暮らす人はどう認識しているか、という話は、また少し事情が変わってくると思っています。が、これ以上続けるのは長くなりすぎるので、また次の機会に。
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