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トルコな生活。


英国で社会人類学を専攻している博士課程の大学院生、笛吹きが、トルコでの現地調査の毎日を綴る日記です。トルコには2002年の8月にやってきました。今は研究許可をもらうために試行錯誤してる毎日。結局、地中海地方には行けなくなってしまいました。(号泣)

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トルコな模様。 トルコな模様。 トルコな模様。 トルコな模様。 トルコな模様。

2月28日(Fri)
さて


二月ももうおしまい。早いなあ…。仕切りなおしの研究許可、3月から始めたいって書いて手紙を出したんだけど、まだ何も行ってこない。(問い合わせてみたら準備中とのお答えだったので、そろそろ出そうな気配ではあるけれど、どう出るのかは…)

今月は某所に長くいたこともあって、調査のことを考えることが多かった。ちょっと例えを使うと、目の前にいろんな糸がだらんと垂れ下がってきた感じ。似たような色の糸もあれば、(今の時点では)毛色のまったく違うように見える糸もあるといったところ。いまは垂れ下がってるだけの糸だけど、これらを調査を通して掴まないといけない。もちろん、今見えている糸のなかにも、あとになって使えなくなる糸もでてくるだろうし、いまは垂れ下がってるのすら見えてない糸もたくさんあるはず。(でないと困る…)まあとにかく、最終的にはそういういろんな糸を使って一枚の大きなトルコ絨毯を織り上げることが一番大きな目標。せっかく織るんだから、やっぱりいいもの作りたいなあ。不安なとこもあるけど、見つけられる糸は全部みつけて英国に持って帰ることができますように。(我ながら青臭いこと書いてるのでちょっと恥ずかしい…)

つうかその前に、トルコ絨毯織るためには、まず政府の許可がないとマズいので、その許可がおりますように。最近行き着くとこはすべてこれ。結局全ては許可次第ってとこがつらいけど、この国ではガイジンだから仕方ないかなあ。


★ということで、週末を利用してまたまた某所に行ってきます。イスタンブルにいてもだらだらしてしまって(ほんとに何もしてないし…)、自己嫌悪なので…。今回はほんとに数日で帰ってきます。
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2月27日(Thur)
いろいろ


ヤフーのニュースを観ていたら、「人間の盾」になりにイラクに行った日本人のことが取り上げられてた。トルコでも日本人のことは言及してなかったけれど、そういう人たちがイラク目指して出発した、みたいなニュースを報道してたことがあった。日本人でそういうことをしにいった人もやっぱりいたんだなあ。「自分が死んでも、次の世代が生きるために」みたいな英雄気取りなことを言ってイラク国外への退去を拒んでる30代の日本人女性など、10数名いるとのこと。

口が悪くなって申し訳ないけれど、はっきりいって、わざわざ「人間の盾」になりにイラクに入った人って、超迷惑だと思う。そんなことしたって何にも解決しないのに。むしろ戦争がはじまったらイラクに利用されるだけ(記事にも書いてあった)。確実に人質にとられてしまうね。たしかに、白い家に住んでる戦争したがりなカウボーイも迷惑だけど、それとイラクって国に問題があるかどうかってのは別。僕も戦争反対だけど、サッダム・フセインさんがいい人とはおもってないもん。そんなことするくらいなら、カウボーイや白い家宛てにメール書いたり、デモに参加したりしてるほうがずっといい。(もちろんそれではなかなか解決しないから現実は厳しいんだけどさ。)

もうすぐトルコもアメリカへの協力について結論を出す。おそらくそれは、アメリカにとって戦争へのゴーサインになる。今、現地イラクの日本大使館員が「盾」になりにきた日本人たちを必死で説得に当たってると記事にはあった。企業取引きなんかの関係でどうしてもイラクにいないといけなかった日本人を含めて、今イラクにいる日本人は来週にもイラクの人質になるかもしれない。大使館の人も、自分が逃げるのだって命がけなはず。(ちなみに、トルコ駐在の日本企業でも、戦争が始まった場合にどう対処するか(どこに避難するか)の指示が出されてるんだとか。)そういうヤバイ時に、「人間の盾」なんかになりにくる英雄気取りの日本人なんか、足手まとい以外の何者でもない。

これからも「人間の盾」になりたがってイラクに入る人とか、戦場ルポを書くために単身イラクに潜入しようとするおばかさん「フリージャーナリスト」(自称)が増えてきそう。(って、もうかなりイラクにはいってるんだろうけど。)戦争が直接影響しそうな近隣諸国に住んでる身としては、わざわざ戦争が起こる場所にやってくるこういうのんきな人々に対して、なんだか腹が立ってくる。



それはさておき、去年の年末に調査予定の町で一緒になった人たちからその時の写真などが実家に届いた。(その人たちとはその後イスタンブルでもう一回会って、新市街をちょっとご案内なんてこともした。)住所とかを交換したときは、いつまでイスタンブルの住所があるかわかんなかったから、実家の住所だけを教えていたんだけど、その後研究許可関係では何の進展もなく(涙)、来月まではイスタンブルの家の契約を更新することにしたので、転送してもらうことに。それが今日になって届いたから、なんだかとっても嬉しい気分。お手紙や同封の写真を何度もみては、その時のことを思い出す。出会った人たちがいい人だったこともあるんだろうけど、旅先での出会い(変な意味ではなくて)もなかなかよいなあとあらためて思う。早くお礼のお手紙を出さないと。



街を歩いていて、前々からず〜〜〜っと気になってて、どうしても欲しかったものをようやく見つけたので買う。それは
"IRAK'TA SAVASA HAYIR"(イラクにおける戦争に反対!)というスローガンが書いてあるバッジ。イスタンブルではこれをつけて歩いてる人を結構みかけてたので、前々から自分にもひとつほしいなあと思ってた。

バッジの写真をとったので、一応アップしてみました。雪で真っ白になった22日のイスタンブル新市街地の様子もどうぞ。(バスは空港行きのシャトルバス。この写真をとったあと、イスタンブルを離れる友達を見送りに空港に行きました。)
戦争反対のバッジ。 雪のイスタンブル。ふぶいとりまする。
ポシェットにつけてみたバッジ。 もいっちょ。2月22日(土)のイスタンブル。ふぶいとりまする。

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2月26日(Wed)
カフェで


昨日は最近お気に入りのカフェでお茶しながら、研究のことなどちょっと考え事してた。ふっと現実に戻ってまわりをきょろきょろ見回すとと、おしゃれな都会の学生っぽい兄ちゃんや姉ちゃんに、トルコのキャリアな感じの人々がいっぱいお茶してる。イスタンブルでもモダンなタクシムのまんなかにあるお洒落で結構美味しいヨーロピアンなカフェだからなんだけど、ここはそういう人たちばっかりが来てるんだなあとあらためて思う。特に最近まで地方の町にしばらくいたからなのか、その町でお茶できるお店との差みたいなものを感じてしまう。ああ、やっぱあの町は田舎だねえ。

イスタンブル暮らしも長引いてる(涙)ので、イスタンブルな、つまりトルコでも都会な生活にすっかり慣れてしまった。もちろん、あの町の人たちってイスタンブルの人たちほどすれてないし、のんびりしてるし素朴。そういう意味では住みやすいところだなあと思って帰ってきたけど、研究許可がきて調査のために向こうに暮らすようになったらなったで、今度はイスタンブルの都会的な住みやすさを恋しく思うんだろうなあ…。

いずれにせよ、全ては研究許可がおりるかどうかにかかってるとこが、頭痛の種。神様、仏様、トルコ政府様…

ちなみに、カフェをきょろきょろ見回してて、すぐ傍の席でお友だちがお茶してたのでびっくり。世間は狭いねえ。てゆうか、もともとその友だちが行きつけにしてて教えてくれたカフェなんで、ばったり会うのも今回が初めてではないんだけど…。

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2月25日(Tue)
寒いなあ…


暖房かけてるけれど、全然効いてる気がしない。その理由のひとつは、英国にいた時の冬の部屋着(Tシャツ+短パン)な格好だからだと思って服を着こんでみても、やっぱり寒い。外は峠を越えた感じとはいえ、まだ雪がちらついてるし…。ここはやっぱりコタツが欲しいとこ。

コタツにもぐってミカン食べる、こたつで居眠りする、コタツでTVゲーム♪、みたいな感じで、コタツは自分の身体の一部(冬のみ)みたいなとこあったけど、ここんとこ外国暮らしでコタツなしな冬を2回もすごしちゃったんだなあなんて思うと、急にコタツがこいしくなってくる。


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2月24日(Mon)
イスタンブルの雪


イスタンブルに戻ってきて6日経った。その6日間ずっと雪が降っててお天気悪い。暖房してても寒いし。特にこの土日はかなり激しく雪が降った。真っ白になったイスタンブルの街はそれは綺麗。カメラもって観光地区に行きたくなるくらい。雪の少ない地方で生まれ育った関係で、雪が降ると妙にはしゃいでしまうんだけど、当然のことながら雪が降った道はどろどろでびちょびちょ。雨が降るよりずっと始末が悪いかもなんて思うようになってきてる。僕も大人になったものよ。

実際のところ、雪のイスタンブルはかな〜り危険。ただでさえ交通マナーが悪いこの街で雪なんか降られた日にゃあ、いくら保険金あっても足りない気がする。まして、イスタンブルって坂が多い。しかもめっちゃだったりする。雪が降った翌日の凍った坂道。想像するまでもなくコワイ。幸いなことにまだ転んだことはないけど…どんくさいからなあ。骨とか折らないように気をつけないと。

というわけで、冬のイスタンブルは、雪が降ったり、雨が降ったり。雨や雪が降らなくても曇ってることが多くてどんよりくら〜い感じ。でも自分の場合、そんな冬のイスタンブルのほうが、からっと晴れてて明るい夏のイスタンブルよりも趣を感じてしまう。鬱陶しいとこもあるけど、なんだかんだいって雪のイスタンブルはいいとも思ってるわけで、天気予報の通り、水曜までずっと雪ふってくれたらいいなあ。トルコの天気予報ってまず外れるんだけどね。

今日のワイドショーネタ:

在トルコ日本人でハマッてるのは僕だけかもしれないトルコのドラマ「くなる・かる」。その「くなる・かる」、主役のアリ先生をやってるアラベスク歌手のえむらー、最近GFでモデルのあーすまん・くらうぜと別れたらしい。しかもこのあーすまんちゃん、別な男と来週結婚するとかって報道まで流れてる。どこの国でもこういう話題ってあるもんなんだなあ。それにしてもあーすまんちゃん、乗り換えるのはや〜い!
今日のドラマネタ:「ぎゅるべやず」(「薔薇の白」って意味なのかな。ヒロインの名前。)
「くなる・かる」と同じ放送局でやってるコメディーな黒海方言ドラマ。最近見始めた。お互い好き合ってるんだけど、家同士の仲が悪いしお互い意地っぱりってこともあって、すれ違ってばかりの男女を軸にしたお話。「くなる・かる」みたいにマジな悪役がいないので、ほっとする。主演の俳優さんをキムタクとか常盤貴子(発想が古いかも。日本離れて長いので…)とかに替えたらゲツ9になるかな〜と考えてみたけど…やっぱりかなり違うかも。
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この20日ほどイスタンブルを離れて、調査をしようと考えている町に滞在していました。お休みは数日とかいってたくせに、戻るのが面倒になって、クルバン・バイラムの連休の終わり(16日)までいることに予定変更したところ、日ごろの行いの悪さがたたったのか、帰りのバスのチケットが希望の日に取れなくなった挙句に、風邪まで引いてしまい、どんどん帰りが遅れてしまいました。この下の4日分の日記は、特別編的な内容として、イスタンブルを離れていた20日間に起きた出来事について書いてみたいと思います。

2月23日(Sun)
クルバン・バイラム(犠牲祭)・その2


クルバンの話をふたつに分けることにしたので、もう一日分、旅行記的な内容の日記になってます。

ペンションでは何事もなく終わったクルバンの儀式。(ちなみに、トルコ語では動物を絞めることを、(動物を)切るという言い方します。)でも、夕方のニュースや翌日のニュースをみてると、無事に切ることができなかった人も結構いたみたい。犠牲にささげる動物が暴れたためか、切る時に怪我をした人、中には不運にも当たり所が悪くて亡くなってしまった人までいたみたい。(専門の人に切るのを頼まなかったんだろうと思われ。)

この時期の国内のニュースはだいたいクルバン関係(とイラク問題)。ということで、食事時のニュースでも血の海になった都市部(イスタンブルなど)の映像が流れてる。残酷な映像を見せないためなのか、一応モザイクがかけてある部分もあるけど、ほっとんど意味ないくらいなにがどうなってるのかはっきりわかってしまうとこがなんともねえ。実際、バイラムの三日目などにイスタンブルからペンションにやってきた日本人のお客さんがいってたけど、血の海になってるとことか、内臓とか転がってたりしてる場所を見たそうで、それはそれは衝撃的だったみたい。

山羊を切る時、周りにいたトルコ人の人みんなに「この儀式は残酷だと思うか?」って聞かれた。優等生な答えをいうしかない感じ。でもまあ実際のところ、その優等生な答えが自分の考えに一番近かった。自分はイスラム教徒ではないけれど、普通に肉食べてて、その食べてる肉がどうやってできてるか考えたら、何が残酷かなんて簡単にいえなくなるものだし。とりあえずできることは、犠牲になってくれた山羊さんに感謝することくらいかな(ちょっと逃げてる…)。

生まれて始めてまともに体験するクルバン・バイラム。切るところはやっぱりショッキングだった。でも、お仕事のことを抜きにしても、見といてよかった。今年は怖がってばっかりだったけど、来年の犠牲祭はもうちょっと冷静な目で見ることができるといいなあ。そのためにももっといろいろ勉強しないといけない。

昨日のトルコのどろどろドラマ「くなる・かる」

自分がイスタンブルを離れていた時期を含めて、ここ一ヶ月はなんだかすごい展開で目が離せない(汗)。ここ一ヶ月の物語のなかでおこった諸々の事情で、隣村の長との形式的(慣習的)には結婚が成立することになってしまったヒロインのナザールちゃんを、今回は主人公のアリ先生がさらって近くの町まで逃げていくという展開。でも、村に残る習慣の関係で、今までナザールちゃんの味方だったお父さんがナザールを連れ戻しにいかないといけなくなった。しかも、ナザールちゃんが帰りたがらなかった場合、お父さん、家の名誉を守るために彼女を殺さないといけない…。で、ナザールちゃん、見事に隣村の長のとこに帰るのを拒絶したよ。これは来週も見逃せないなあってところで終了。

ちなみに、こういう話って今でも時々ニュースになってて、トルコではそんなに珍しいことでもないみたい。
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2月22日(Sat)
クルバン・バイラム(犠牲祭)・その1


2月8日から16日までの9日間、間の火・水・木・金の4日間(11日〜14日)が今年のクルバン・バイラム(犠牲祭)にあたったこともあって、トルコでは9連休(平日だった10日の月曜も事実上お休み…)という超大型連休。しかもこの連休に学校の冬休みが重なったから、特に連休後半の交通機関は大混雑。この時期にトルコで卒業旅行とかしてた皆さんは切符取るの大変だったはず。かくいう自分も、わかってたくせに予約を入れ忘れて希望してた日に切符が取れなくなり、帰る日がまず一日ずれることに。(その後風邪引いて寝込んだので、さらに2日帰るのが遅くなった…)

それはとにかくとして、クルバン・バイラムは、日本でいうところのお盆・正月にあたるので、多くの人が故郷に帰省し、実家・親戚回りをする連休。と同時にというか、それ以前のところでイスラム教では特に重要な行事のひとつ。預言者の一人イブラヒム(旧約聖書にでてくるアブラハム)が神に信仰を試された故事(息子を生贄に捧げようとしたイブラヒムの前に羊を連れた天使が現れ、彼はその羊を代わりに神に捧げることができた。)に倣って、牛や羊をアッラーに生贄として捧げる。イスタンブルなどでは公園やジャーミィでやってて、周りが血の海になるそう。(路上でやるのは禁止らしいけど…)

僕が滞在していた町では、バイラムの数日前から、犠牲祭用の動物の特設市場ができていて、近所の村からたくさんの羊・牛・山羊が売られてた(HPの表紙の写真を参照してね。)。お昼下がりなどに市場に続く道を通りかかると、か〜わ〜い〜い、ひつじ〜♪買われてい〜くよ〜♪(ドナドナのメロディで)てな感じで、買われた動物たちが引かれて行ってた。こういう動物のお値段、羊一頭でも250ドルくらいの値段で売られていて、トルコの物価からみて、とても高いなあという印象。実際、動物をアッラーに捧げることができるのは、かなり裕福なお家に限られるものなんだけど。

クルバン・バイラム初日、2月11日の朝は、クルバン・バイラムのための特別のお祈り(2回目のエザーンのあと)があるので、早起きをしないといけなかった。男の人たちは目をこすりながらお清めをしてジャーミィ(モスク)へ。自分もイスラム教徒じゃないけれど、ペンションの人たちと一緒に行って、端のほうから見学させてもらった。説教はトルコ語とアラビア語がまぜまぜで行われてるなあということくらいしかわからなかった…。もっとイスラム教のこと勉強しないとなあ。で、ジャーミィに響くお祈りの声を聞きながらふと頭に思い浮かんだのは、なぜか英国ケンブリッジ、キングス・コレッジのチャペルで聞いた聖歌隊の合唱だった。「全然違うもの。」と自分でも思うし、そんなこと書いたらキリスト教徒、イスラム教徒の人両方から怒られてしまいそうなことなんだけど、その一方で、イスラム教徒でもキリスト教徒でもない自分の立場からすれば、このふたつの宗教とも根っこは同じなんだし、似てるように感じても仕方ないのかもとも思ってみたり。

お祈りが終わって、外に出ると、お友達同士なんかで、抱き合って「バイラムおめでとう」の挨拶を交わし始める。いずれにせよ、生贄に動物を殺しはじめるのはその後で。ペンションのお家の場合、朝ご飯をだしたあと、お昼頃から始めた。

ペンションでは、山羊を生贄として捧げた。牛か羊か山羊か、あるいはその他かっていうのは、各家庭の好みによるものみたい。ペンションのおかみさんは羊よりも山羊のほうが臭みがないからみたいなことをいってた。(ちなみにトルコ人のお客さんのひとりはその山羊さんに「あぶどっらー」という名前をつけてた。)まず庭に穴を掘る。その傍に山羊の身体を引っ掛ける台のようなものを作って、準備は完了。目隠しをした山羊を穴のところまで引いてきて、首筋を聖地メッカの方向に向けながら穴のふちのところに押さえつけるようにする(切った時に吹き出る血が穴に流れおちるようにするため…)。

山羊をなでながらお祈りの言葉のようなものを唱えて、ナイフでさくっと。ペンションのオーナーはやり慣れているのか、山羊さんは断末魔の声をあげることもほとんどなくっといった感じ。あまり苦しむ姿を観るのもあれだし、ちょっとほっとする。で、穢れてるとされてるを穴に流すのでしばらくそのままの状態で山羊の身体を地面に押さえつけている。完全ではないけれどある程度血を流しきって、きちんとお亡くなりになったあと、山羊の身体を台のほうにひっかけて解体作業がはじまる。(後足を上にむけ、頭がしたにくるような形に)脇でみていたら、おでこのところに切った山羊の血をつけられた。(指でちょんと)

解体はまず皮をはぐことから。これだけでも結構時間かかる。はいだ皮は塩を振って袋のなかに。皮工場にもっていくらしい。(皮を売ってできるお金は貧しい人のためのお金になるとか。)皮をはいでから、頭を切り落とす。(頭も大事に袋のなかに入れられてどっかに持っていかれた。)それから脂肪や内臓・胃腸を取り出す。大腸など一部の器官を穴に捨てた以外はほとんど利用する勢い。ついさっきまで生きていた動物のモノなので、脂肪にせよなんにせよ、やっぱりなま温かかった。内臓を出したあとは、足・胴体を切っていく。骨があるので斧を使って。切られたものを運ぶお手伝いしながらみていたけれど、切っていくのはかなりの重労働だった。

以上、全部おわるのに2時間くらいはかるくかかった。その後、おかみさんがレバーを油でいためて料理をつくり、泊まってた人、家族みんなで集まって食べた。これが臭みがほとんどなくてめちゃうま。びっくりした。まあ、神聖なお肉でもあることだし、あんまり美味しい美味しいとかいって食べるのは、罰当たりなのかも…。ちなみに、ペンションのお家では、解体したお肉は、自分たち用、貧しい人たち用、お友だち・近所の人用の3等分にするらしい。やっぱり特別なお肉なので、ペンションでは営利目的には使わないそう(ペンションのお客にふるまっても、そこからはお金を取らないってこと)。

今が冬だからか、残ったお肉は2日くらいバルコニーのところに置かれたあと、細かく刻んで調理したり、冷凍したり。生まれて始めてくらいにまともに山羊肉を食べたなあ。超超超おいしかったっす(だから罰当たりだって)。というわけで、いまからではもうおそいんだけど、
Kurban Bayraminuz Kutlu Olsun!(クルバン・バイラムおめでとう!)
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2月21日(Fri)
トルコでクロスワード


トルコではクロスワード・パズルのことを「ぶるまぢゃ」といってる。トルコの人ってほんとにこの「ぶるまぢゃ」が大好きなようで、暇をみては「ぶるまぢゃ」やってるような気がする。新聞でも毎日のように「ぶるまぢゃ」が載ってるし(週末の新聞には必ずでかいのが載ってる)、「ぶるまぢゃ」だけの新聞(?それは新聞か?)まであったりする。

今回の滞在中は、暇な時間を見つけるとトルコ人のお客さんがペンションに残してった新聞の付録の「ぶるまぢゃ」を他の人がやってるのをみせてもらったり、自分でもやってみたりってことが結構あった。

「ぶるまぢゃ」の場合、日本のクロスワードとは違って、問題はマス目の中に書いてある。問題そのものは、単語の同義語や反義語などを聞いたり、トルコ国内、科学に関するもの、海外の地理とか歴史、トルコの有名人に関係する問題なんかが中心。芸能人やモデル、スポーツ選手なんかの写真もマス目の間にでかく載ってて、写真の人物は誰?みたいな問題もでてくる。なかにはしようもない問題もあって、羊の鳴き声は?とか聞いてきたりする。…答えはメェ(me)だった。

とはいえ、トルコ語力はまだまだ全然だめで問題になってる単語の意味も辞書みないとわかんないことも多いから、まず語彙を問う問題には手が出ない。となると、自分の場合は科学とか地理・歴史系のとこって目が行くけれど、トルコ語表記で答えないといけないから、日本語で何のことかわかってもトルコ語でなんていうか知らないとどうしようもなかったりする(例:ボスニアのサラエボは、トルコ語だとサライ・ボスナになるみたいな感じ)。というわけで、自力ではほっとんどできないけど、まあそれでもできそうなとこを探して「ぶるまぢゃ」を眺めていると、暇そうなトルコの人たちが寄ってきて、答えを教えてくれたり、僕からペンを奪って勝手にがんがん解いていったりしていく

で、毎日そんなことしていてふと気が付くのは、同じ問題がかなり繰り返しでてきてること。昨日の「ぶるまぢゃ」の問題が今日もでてたりなんてことはもちろん、表のページの「ぶるまぢゃ」で出た問題が、裏の「ぶるまぢゃ」にもでてたりもする。羊の鳴き声の問題なんか、4、5回みた気がするし、デミル(鉄)の元素記号を問う問題もしょっちゅうあったなあ。トルコの人に答えを教えてもらった問題でもそういうのがかなりあって、自分にとってはトルコ語の勉強になったかも。マーラ(magara:洞窟)の同類語はイン(in)だってのを覚えたし。

ちなみに自分の場合、科学・地理・歴史系問題よりなぜか出来ちゃう問題のジャンルがひとつあった。それはもちろん芸能人系(大汗)。例えば、(五文字のマス)・Canとあって歌手とくれば答えはすぃべる(Sibel)だ〜とか、日ごろのワイドショーチェック(恥)のおかげもあってそういうとことだけはなぜかすらすら出てきてしまうので、周りのトルコ人に感心されてもなんだかちょっと恥ずかしい気分になってしまうなあ。

今日のトルコな芸能人:
Sibel Can(すぃべる・じゃん)
ベリーダンサーから歌手として大成功した女性芸能人。このあいだも連続ドラマに主演してた(なんかよくわかんないけどドロドロした内容だった)。ここ数ヶ月でなんだか急激にお太りなられているみたい…。顔が綺麗な人なのにもったいないなあ。ちなみに、犠性祭の大型連休の間(2月8日から2月16日まで)にトルコ各地でショーをやってた芸能人のなかで、彼女が一番お金を稼いだってことが、おとといのゴールデンのニュース番組で流れてた。
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2月20日(Thur)
トルコで「千と千尋の神隠し」に遭う


というのはちょっとホントでかなり。そもそも「神隠し」にあってたわけじゃないし

イスタンブルを離れていた理由は、調査予定にしてる町で調査の下調べをしたかったから。もちろんそのつもりでドキドキしながら行ってみたものの、気が付けば滞在してたペンションの手伝いをして終わってしまった。(大汗)

ペンションでのお手伝いは客に義務つけられているわけではもちろんなく、気が付けばするようになっていたという感じ。前来た時にも泊まったペンションでもう顔を覚えられていたこともあって、単なる一見のお客とは違う気分があったのもある。打算のつもりではないけど、将来研究のことでもお世話になるかもって気持ちもある程度は…。でも、一番の理由は、そのペンション、家族経営のペンションなのに、家族以外の誰かが手伝わないと回らないくらいそもそもの人手が足りないんだもん。

さらに、泊まってたペンションのひとたちから、「今日からおまえは…だ。」とトルコ名前をつけられた。イスタンブルでは一度オスマンという名前をつけてもらったことがあったけど、それはそのペンションでは使用済みだったので、別な名前をもらった。ペンションの人はもちろん、ペンションに遊び来る近所の人、泊まりにくるトルコ人のお客さんたちはもちろん、一部の日本人のお客さんたちからも、そのトルコ名前でしか呼ばれなくなってしまった。自分でもたまに本当の名前で呼ばれるのがすごく新鮮になるくらいにそのトルコ名前で呼ばれることに慣れてしまったし。別な名前で呼ばれながら宿屋で働くなんて、なんだか気分は「千と千尋の神隠し」♪(つい最近イスタンブルで観たばかりで、タイミングもばっちり♪)

そんなペンションでの一日は、朝起きたらパンを買いに行くことに始まる。ほんとは、ペンションに住み込んでお手伝いしてるZ君がいるんだけど、そのZ君よりも自分のほうが早起きなことが多かったので、自然と自分の仕事になってしまった。(より正確には、朝起きてきてぼけ〜っとしてるところを頼まれるようになった。)パンを買いに走って帰ってきたら、朝食に出せるように切る。焼きたてのパンはパリパリしてて、結構切りにくいんだけど、20日近くもやってるとさくさく切れるようになるから、慣れってコワイ。パンを切ったら、(ペンションの自家製)ジャムを出したり、お茶のグラスをそろえたりして食卓の準備を手伝って、朝食の時間。食事の後片付けは自分よりはZ君のお仕事。

朝食の後は、チェックアウトしたお客の部屋の掃除をするZ君のお手伝いをしてベッドメイキングしたり、シーツを干したり。ごみ捨ても少々。お昼はちょっと自分の時間がある時もあったけど、大体は、自家製のバクラワ(パイ菓子)とかボレッキ(こっちは軽食用のチーズ入りパイ)にマントゥ(トルコのミニ餃子)作りの手伝いをしてると夕食の時間がやってくる。で、またパン買いとパン切り。パン屋さんにもすっかり顔を覚えてもらって、「よぉ、日本人の兄弟!」とかいわれるように。夕食の時も準備をちゃかちゃかとお手伝いして、夕食後のチャイ(トルコの紅茶)の準備なんかもやったり。ペンションのオーナーのお母さんのチャイにはレモンをつけることも忘れずに。あとは特に日本人のお客さんの通訳を少々。(これは基本的には簡単なやり取りなのであまり困らなかった。)

もちろん、最初のうちは自分でもお客なのになんでこんなにてつだってるんだろ?って、アイデンティティの面でひっかかってたとこもあった。でも、それもいつのまにか慣れてしまった。Z君にも、「もう9割方従業員やね」と言われてしまう程に。20日って短いようで結構長い。それに、あやしいトルコ語を話しながらペンションのお手伝いなんかをしてると、トルコ人のお客さんは好感をもってくれた人が多かったみたいで、結構うれしかった。逆に、自分のことを従業員扱いしかしないトルコ人客もいたんだけど…。一応同じ宿泊客なんだけどねえ(ちょっと自己主張弱かったかな)…。まあ、他の日本人のお客さんには、怪しい日本人客(従業員?)だったろうなあ。

こんなことを書くと、またまた打算的な感じだけど、今回のペンション暮らしの一番の収穫は、トルコ語を話す練習がかなりできたことかな。。ついでに日本人が泊まることの多い宿だったせいもあって、日本語もよく使った。で、忘れたのは英語。指導教官の先生に今回の滞在で目にしたことについてちょっと書こうと思ってるんだけど、英語が思うように書けなくなってる。ただでさえ不自由してたのに〜(大汗)

2003年1月の日記はこちらへ。
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