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イスタンブールでの語学留学の日々を綴る日記。がっこ行って、休みの日は街をお散歩。それからお金はかかるんだけど、ハマム(トルコ風呂)行って極楽気分に浸りたい今日このごろのイスタンブール暮らし。
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テキスト庵(1019)にも参加することにしました。(27 March,
2001) |
| 3月30日、(Fri) |
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まだまだイスタンブルは寒〜い日が続いてる。 街を歩いてる人の服装がまた冬っぽくなってきた。もう4月というのにねぇ。 金曜日のテストは、無事にパス。来週から次のレベルに。よかった、よかった。まだまだ先は長いといっても、やはりうれしいもの。「トルコ語わから〜ん」と叫んでいた女性陣も含め、全員が似たようなスコアでパス。終わったあとはタクシムのレストランでお昼をいっしょに食べる。ほとんどの人は来月以降も続けるけれど、母国スロバキアで大学の試験を受けなければならないJや、来月末にブラジルに帰国するPは、とりあえずこのコースでおしまい。トルコに戻ってくるJはともかく、Pのほうはもうあう機会ないかも。。と思うと少しさみしい。Pは、母国に戻って、法職の官僚になる準備を始めるそう。2ヶ月イスタンブルにいたのに、イスタンブルの観光スポットぜんぜん回ってないから、これから帰国までのしばらくは観光三昧の予定というので、少々観光スポットをレクチャー。「トプカプ宮殿も、ドルマバフチェ宮殿も、午前中にいきませう。ドルマバフチェのほうがオススメよ。」とかね。 夕方、ちょっと前に知り合ったHさん(日本人)から電話があり、待ち合わせて、お茶したり、ご飯食べたり。ということで、Hさんはイスタンブル最初の知り合いらしい知り合いか。(Hさんのほかにも、メールのやりとりでいろいろなことを教わっている方もいますが。今日のタイトルのトルコ語とかね。)Hさんはこちらの大学院で古代トルコ史を勉強されてるかたなので、日本との教育の仕方の違いなどのお話を聞くのは興味深い。帰ったら11時前だった。 週末はゆっくりしよっと。そうだ。久しぶりにハマムにいこ〜。筋骨たくましいおやぢにマッサージしてもらって気分爽快。むふふ。今から楽しみ〜 (^-^)(^-^)(^-^)(^-^)(^-^)(^-^) 今日のトルコ語: テスト。無事終了。(^-^) |
| 3月29日、(Thur) |
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う〜む。今日もイスタンブルは寒い。 せっかく街路樹に若葉が芽吹いてきれいになってきたとおもったのにね。 トルコ語勉強しつつCNNやBBCWorldのニュースを見てる今日このごろ。ニュースでは連日FOOT-and-MOUTH diseaseが英国はもとよりEU全体の農業にも深刻な打撃を与えはじめていることを報じている。食肉自給率100%で、地理的にも西ヨーロッパから離れているここトルコではまだまだ対岸の火事といったところかもしれないけれど、テレビをつけると毎日のように英国のブレア首相がニュースにでてくる。FOOT-and-MOUTH diseaseは、国の経済を揺るがす大問題。ブラウン管に映るブレア首相は国家の危機をなんとか乗り切ろうとがんばっているように見えるわけで、どうしても日本の首相森君と見比べてしまう。 経済はがたがた。アメリカの潜水艦に日本の高校生が乗った船が沈められたと聞いてもゴルフを続け、国賓の歓迎パーティより寿司屋を取ったことが報道されてしまう、ついでに支持率は消費税率並みの森君。。。日本と英国のどちらにも今住んでるわけではないし、「比べる」なんていうときは報道されていること、されてないこと、それぞれの国の事情をきちんと考慮すべきだから、こんなこというのはものすごく乱暴だというのはわかってる。でもおもっちゃうよね、森君みたいな人物が首相を続けられる(来月中にも退陣するみたいですが。)日本って、へんな国。なんだかとても気持ち悪い。古いCMのキャッチコピーじゃないけれど日本の政治って「変わらなきゃ」いけないと思う。今の政党政治のシステムって限界きてるんじゃないかな。無党派ブームがいいとも思わないけど。 ちなみに、軍人出身のケマル=アタチュルクが建国した現在のトルコ共和国は、小政党が乱立するなどして民主政治がにっちもさっちもいかなくなると軍部が政治に介入してきたという歴史があるそう。といっても憲法改正などで新しい制度ができ、それが軌道に乗ったら民政に移管するという形。基本的には表に立たず、裏から国を支えるという姿勢みたい。 う〜ん。これを日本でやるなら自衛隊か…。でも一番起こってほしくないシナリオだね。自分としては。 今日のトルコ語: 明日はテストなので、いつもよりまじめに勉強(の予定)。トルコ時間のお昼にこの日記を更新してるので。 |
| 3月28日、(Wed) |
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う〜寒い。 昨日までの陽気がうそみたい。どうしたもんでしょ。朝は寒くてもどうせあったかくなるのさと、長袖シャツ一枚で出てきたのが大まちがいだった。一日中曇った挙げ句に雹まで降ったお天気。予想がつかないよ、まったく。 今日が、8週間のトルコ語初級(1)の最後の授業。といってももはや新しいことをするというわけでもなく、金曜日の判定テストに備えて模擬テストみたいなことばかりして終わってしまった。今週クラスメートと話すことといったら、休み時間はおろか授業中もテストのことばかり。高いお金払ってるもん。ちゃんともらうもんはもらっとかないと、といったところ。みていて面白いのはラテン系の人々。ブラジルのAやキューバのRは、「が〜わから〜ん。やばい〜」を連発するくせ、「家じゃ全然勉強してないのよね〜がはは。」だかんね。そんな楽天的なところ、ちょっとは見習いたいような気もするが。。。 クラスメートの中で、「が〜テストぉ超やばいんだけど。」と自信なさそうなのは、女性陣。逆に結構余裕かましてるのは、スロバキアのJにアメリカのD、それからウイグルのGといった男性陣。経験的に語学は女性のほうが得意という印象あったんだけれど、今の女性のクラスメートたちは、どうなのかしらん。僕の経験論あてはまらないかも。モチヴェーションが違うというのはもちろんあるし、それとも単に爪隠してるだけ? んで、自分はというと、相変わらずしょうもない間違いを繰り返して、「が〜」と叫んでる。といってもこのままいけばパスは大丈夫かなんて思ってたりして(ちょっと強気)。むしろ、できるだけいい結果出したいなどと欲が出てきてるくらい。むふふ。とかいって油断しちゃうとだめだから、ちまちま勉強していこう。 ちなみに、今日はなぜか非常にご機嫌がよろしかったDに、アラビア文字で自分の名前をどう書くのか教えてもらった。Dは、トルコの民族楽器ウードを勉強しにサンフランシスコからやってきた。それだけでもなかなかめずらしいのに、外国人には超難解なアラビア語の素養もあるなんて。。。ついでにアメリカ人のくせにシャイらしい(自分で言ってた)。なかなか面白い兄ちゃんであることだよ。 今日のトルコ語: このコース最後の授業(くどい)。復習と模擬テスト。あとはテストを残すのみ。 |
| 3月26日、(Mon) |
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日曜からトルコはサマータイム。日本との時差、一時間みじかくなりました。 ここのところ、曇っても暖かいし、春どころか夏までぐんぐん近づいてるようなぽかぽか陽気。季節が変わっていくのを肌で感じてるところとでももうせませう。自分の場合、ぽかぽかしてくると、元気に動き回るというよりは、ベッドにでも寝転んでぼんやりといろいろなことを考えたり、昔のこと思い出してしまう今日このごろ。 外国に留学とかしてると、異性に対していわゆる「easy」な振る舞いをする日本人の話(女性が多い。男性はあまりきいたことないね。)、なんだかんだいって一度は聞いてしまうもの。英国に居たときもそういう振る舞いをしてるととられても仕方のない人、実際いたんだけれど、ちょっと驚いた例は、単に「easy」というより、ここまでくるとちょっと「strange」。 大学にいってる「元彼」と一緒に住みながら大学進学の準備をしつつ、「元彼」君の大学に出入りして日本人の「BF」を作ってる「人妻」さん(旦那は日本)。男性との関係の取り方がほんと上手な人(いろんな意味で)。笛吹きの英国暮らしに、まことにもって強烈な印象をのこしてくださいました。。 実はふとしたことをきっかけに、その人妻さんが去年の秋に入学した人たちといろいろ遊んでるらしいことを知ったもんで、日曜は勉強の合間に英国での生活をいろいろと思い出してた。あ〜よく仲のいい日本人の人たちとその方の噂話なんかしてたっけ。あの頃は英語より日本語使うことが多いくらいのこともあった。今考えるとすごくもったいなかった気がする。せっかく英国にいたのにね。今更悔やんでも仕方ないけど。 周りを見渡せばすぐに日本人を見つけることができた英国留学時と比べて、いまのイスタンブル暮らしは、日本人とお付き合いする機会がなんとすくないことだろう。今お友達といえる人たち(語学学校のクラスメート)とは英語か、拙いトルコ語でコミュニケートしてるわけだし。(ちなみに語学学校には、自分の他にも日本人の方いらっしゃいますが、クラスが違うのでご挨拶程度。) ほんとに独り言くらいしか日本語で話さないことだよ。 アカデミー賞は、「Gladiator」が頑張ったみたいね。ラッセル=クロウカッコよかったし、戦闘シーンも迫力満点。もう一回見てもいい面白い映画だと思ったけれど、オスカー取るような映画とは思わなかったんだけどな。ラストでそんな感動しなかったから。欧米な人たちと、自分とではココロにピンとくるところのものが違うんだなあ。 今日のトルコ語: いまやってるコースが今週で終わるし、コースの最後にはテストが控えてるということで、復習復習復習。とはいえ、ぼろがいくらでも出てくるし、完璧には程遠いなあ。。 |
| 3月24日、(Sat) |
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金曜の晩は、Jの家にお泊りしたので、朝ご飯をいただいて、10時過ぎまでテレビをみた。一応これってトルコ滞在初の朝帰りということになるわけね。何かあったわけでもないけれど。 BBCWorldで、ニュースで中国・四国地方で強い地震があったことを報じている。マグニチュード6.4というのがわかる。松山と広島が写る。おおっと実家の近くじゃん。Jは、NHK広島や松山放送局内に設置されたカメラが捉えた地震のゆれにちょっと驚いていた。始めの放送では死傷者は出てない模様といっていたのが、途中から死傷者ありに変わったので、さすがに実家のことが気になりはじめる。Jの家をでてすぐネットカフェに行き、新聞チェック。地元は震度4ということで、実家の方はたぶん大丈夫かな。一応親にメール。(ウェブ上ではありますが、なくなった方のご冥福をお祈りしますとともに、被害にあわれた方々にお見舞いを申し上げます。) 地震といえば、トルコも地震大国。イスタンブル近郊イズミット(ちなみに古くはニコメディアと呼ばれてたところ。)で起こった99年の大地震は、トルコ人の記憶に新しいはずと思うんだけど、自分の家の近くで新築中のお家、みるからに貧弱そうな煉瓦造り。耐震構造になってるんでしょうか。なんだかんだいってもあの時の地震の教訓が活きてないんじゃないかと思ってしまう。今住んでるお家も大丈夫なんかいな。心配になってくる。 夜はラジオでトルコ対スロヴァキア戦を聞きつつトルコ語の復習。思ったよりやることいっぱい。特に単語。忘れてるぅ。試合の方は、結局1対1の引き分けになった。トルコ語だけじゃぜんぜんわからないしテレビほしいなあ。 金曜追記:Cが夕食後にトルココーヒーを入れてくれた。彼女いわく、「失敗」だったらしい(味の決め手になるコーヒーのどろどろをこぼしてしまったので)けど、それはそれでおいしかった。 |
| 3月23日、(Fri) |
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語学学校の日。人称代名詞の所有格とその使い方、名詞による名詞の修飾の復習。修飾語だけでなく、被修飾語にも語尾がつくし、被修飾語に場所とかをあらわす語尾つけるから、まじうざい。といっても、来週終わるこのコースではこのあと新しい文法を習わないそうなので。きちっと練習しとけば大丈夫かな。 午後、Jの家でチャーハン作るという話になる。こないだスーパーで、お醤油とかオイスターソース買ってたので、それ持ってJの家へ。Jによればチャーハンはうす味だったそう。あと、鳥肉のから揚げを作る。これはちょっと粉っぽくなった。 Jはトルコ人Cと結婚してるわけだけど、Jの母国スロヴァキアは、かのオスマン帝国に150年くらい支配されたことのある国。イスラム教徒との結婚だけでもそうとうショッキングなことなのに、トルコってのはさらにショッキングなことらしい。J曰く、「だってトルコ人はスロヴァキアの子どもさらったし、もっと悪いことに、その子どもはイェニチェリ(オスマン朝の親衛隊。その武勇で恐れられた)に仕立てられて、自分の親や親類を殺しに来たんだぜ。」。トルコやトルコ人に関する印象がとにかく悪い。(これはさすがにトルコ人Cがいない時に話してくれた。)過去の記憶、歴史について、今を生きてる人がどうとらえているか、みたいなことに興味がある自分としては、非常に興味深い話だった。ただ、過去の歴史が問題になる一方で、CとJはちゃんと結婚してる。愛は国境だけでなく、文化の違い、過去の歴史も超えてるわけで。自分の関心あることって、意味あることなのかなとも思ってしまう。 ちなみに、トルコとスロヴァキアのフットボールのナショナルチームは、24日の土曜日に来年のワールドカップ出場をかけて試合をします。場所はイスタンブル。Jはスタジアムに行って怪我したくないのでスロヴァキア人のお友達の家で盛り上がる予定だとか。 今日のトルコ語: 人称代名詞の所有格。名詞による名詞の修飾。やりまくり。 あとトルコのヒット曲を聴く。いいなとおもった。でも、なんか暗いの、歌詞が。こっちが鬱になるくらい 「テストも近いし、きちんと復習しといてね。」と、担当のコース担当のe先生にいわれた。時間の言い方とか、忘れかけてるし。やんなきゃ。ハマムは来週いくことにしよ。 |
| 3月22日、(Thur) |
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自分の家への帰り道でもあるタクシム広場から北に延びるCumhuriyet通りには、旅行会社やエアラインのオフィスが割と目に付く。エアライン関係なんかだとアゼルバイジャン、ウズベキスタン、カザクスタン、タロム(ルーマニア)、ロト(ポーランド)、シリア、ボスニア、クロアティアなどなど、ヨーロッパや中東、中央アジアなんか日本未就航の会社のオフィスもいっぱいあって、結構楽しい。また、旅行会社は旅行会社で、エアチケットの値段や「そうだ○○行こう!」みたいなポスターべたべた貼ってて、逆にこういう所はどこの国も同じなんだなあと思ってしまう。 UZAK DOGUは、そんなポスターのコピーのひとつ。トルコ語習って7週間。さすがに意味わかる。UZAKは「遠い」で、DOGUは「東」だから、日本語に直すと「極東」くらいか。コピーの下はピンクの着物着た小さな日本人の女の子といくつかの都市の名前が書いてある。北京、上海、台北、バリ。。。へぇ、バリってトルコじゃ極東に入るのね。で、東京とか京都、大阪はないみたい。あらら残念。。。。 って、おい。ポスターでにこにこ笑ってる女の子、日本人じゃね〜のかよ。ばりばり振り袖の着物きてるやん。よくよく見ると、おもわず突っ込みを入れたくなるようないいかげんなポスターだった。トルコの人からしたら、そりゃ日本も中国も、そんでもってなぜかインドネシアも、遠い東の国、みんな一緒なんだろうけどさ。このポスターみて北京、上海、台北にバリに行きたくなるトルコ人もいると思うよ。でも、ポスターに載ってる街のどこ探したって日本の着物着た女の子なんかいないよ、絶対。 トルコにとって、東アジアの国はどこも一緒なのかしらん。やっぱり地理的にも文化的にもかなり遠いもん。まあ、日本人もトルコとかアラブの国々を一緒くたに考えてるとこあるしね。たとえば、ナイジェリアとアルジェリアの違いをいえっていわれても困る人のほうがおおいよね。アフリカの国くらいはわかってもさ。 というわけで、親日国(だそうです)とはいえトルコにとって日本がいかに遠い国かわかった気がしたひとときでした。 |
| 3月21日、(Wed) |
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今のクラスはちがうけれど、ブルガリア人のきれいなお姉さん、Kにかわいがってもらってもいる今日このごろ。Kはブルガリアのソフィアで博士課程の大学院生でもあり、5歳の男の子のお母さん(人妻。。。(T_T))。ブルガリアとトルコの国際関係を研究してる。大戦間期にブルガリアとトルコの間で行われた住民交換のこと知ってたので、そのことについてちょっと聞いたことからお話するように。(英語で。) トルコにいる間に、お隣だしブルガリアには一度行きたいと思ってるというと、「いつ来る?」といつも聞いてくるようになった。で、いまは「5月になったらおいでおいで」。 う〜ん。なんか彼女としてはなんとしてもブルガリアに連れて行きたいらしい。ブルガリアもトルコ支配下にあった国。民族意識強い国だから、トルコ的な歴史的遺産をどのように扱ってるのかとか、ブルガリアの国民の歴史の語られ方みたいなものを一度どんなものか見ておきたいなとはおもっているし、なによりK経由でブルガリアの研究者さんたちにお会いできそう。(畑は違っても良い経験になるだろう。)行きたいのはやまやま。。。 ただ、6ヶ月とはいえ短い滞在だし、この機会に他にもいろいろ行きたい所あるんだなぁ。まず、ルーマニアいきたいでしょ。それから、ポーランドに行って、英国で仲良かったSにも会いたいし。ポーランド行ったらお隣のドイツのベルリンにもいって、ドイツがかっぱらってきたベルガマ(ペルガモン)のゼウスの祭壇とかも見たいな。Jには「なぜスロバキアに興味ないわけ?」といわれるし。トルコだったら、トルコ最大のリゾート地、アンタルヤなんかまだ行ってないし。世界遺産のカッパドキアに、クサントス・レトゥーンでしょ。ボアズカレにネムルート・ダーにもいっとかないと。。はぁ。欲望は尽きない。 とにかく、このままだと、5月の末くらいにほんとにブルガリア行くことになるかも。うひひ。(結局、それはそれで楽しみだったりする。) 今日のトルコ語: 人称代名詞の所有格とその使い方、名詞による名詞の修飾をもう少し詳しく。 年齢を尋ねる表現など。 |
| 3月20日、(Tue) |
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起きてからしばらくトルコ語を勉強。久しぶりにアヤソフィアと考古学博物館にでも行こうかなと思っていたけれど、気が変わったのでまだ行ったことなかったガラタ塔を登ってみることにする。タクシム広場からイスティクラル通りをてくてく。名門ガラタサライ高校より先にはあまり行ったことがなかったが、大きな本屋がところどころにあって、中に入ってぼんやり本を見るのも楽しそう(トルコ語読めないから見るだけしかできない。)。 んで、ガラタ塔到着。ガラタ塔は、6世紀頃から灯台として使われはじめ、13世紀にはジェノヴァ商人たちがビザンティン帝国の都コンスタンティノープルの動静を監視するために使っていたといわれてる高さ67メートルの塔。旧市街側からもよく見えてたけど、今までは行く機会がなかった。エレベータで途中まであがって、そこから螺旋階段。展望用のテラスに出ると、タクシム、旧市街、ボスポラス海峡、ウスキュダル(アジアサイド)をぐる〜っと見通せるすばらしい眺望がひろがる。 特に旧市街は思いのほか近くに迫って見える。角のように突き出た先端から順にトプカプ宮殿、アヤイリニ修道院、近くより遠くからの方がその巨大さを実感できるアヤソフィア、6本の尖塔(ミナーレ)を持つ優美な姿のスルタンアフメット・ジャミィ(ブルーモスクのこと。)。それらの手前はエミノミュの船着き場周辺には、オリエント急行の東の終着駅だったシルケジ駅、イェニ・ジャミィ、エジプシャンバザール、イスタンブル屈指の美しいイズニックタイルで有名なリュステムパシャ・ジャミィ。丘の上には、(スルタンアフメット方向から)グランドバザールの脇に堂々とそびえるヌルオスマニエ・ジャミィ、ベヤジット・ジャミィ、ベヤジット塔、雄大な姿でそびえ立つミマール=シナンの大傑作シュレイマニエ・ジャミィ、ヴァレンス水道橋にシェフザーデ・ジャミィ、ファティフ・メフメット・ジャミィ、スルタンセリム・ジャミィ、そしてちょっと遠くにミフリマー・ジャミィ(ここまでくるとテオドシウスの大城壁)。ふぅ。てな感じにガイドブックな名所旧跡のオンパレード。気分はもう都の動きを監視してたジャノヴァ商人の手下って感じ!(時代はずれるけどね。) さて、展望台のカフェで、アヤソフィア眺めながらお茶してると、どっかで聞いたことある音楽が聞こえてくる。最近よく聞こえてくるトルコ音楽じゃないな…。あ〜、アンデスのフォルクローレ。超なっつかし〜。大学時代を思い出したね(日本の大学時代は、ふまじめながらもアンデスの民族楽器演奏する民族音楽愛好会に所属してたのです。)。しっかしまぁ、まさかトルコで、しかももっともイスタンブールな景観を楽しんでる時に聞くことになるとは、思いもしかなかったことだよ。 ガラタ塔の帰りは、まずガラタ・メブラーナ博物館で、次回の旋舞の公演をチェック。(ちなみに25日3時から。)これまた今まで乗ったことのなかったイスティクラルのノスタルジックなトラム初体験。ゆるりとタクシムに戻る。 最近イスタンブルの観光案内的な内容になってるなぁ。誰の役にも立たないのが悲しいけど。 |
| 3月19日、(Mon) |
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今日は月曜だから語学学校の日。人称代名詞の所有格とその使い方、名詞による名詞の修飾を習う。修飾語だけでなく、被修飾語にも語尾がつくので、今まで習ってきたことの中でもけっこうややこしい部類に入るかな。 クラスでは、皆さんコースの最後にやるテストのことがかなり気になってるご様子。自分だって気になってきたところだったけど、人が焦ってるの見てると、かえって落ち着いちゃう。(ちょっとやな奴。) とはいえ、パスはもちろんのこと、なるだけいい成績で上に上がっていかないと、最悪英国に戻れなくなるから、勉強きちんとせねばなりますまい。昨日聞いた悪い噂も、とりあえずふっとんだ気分。 今日のトルコ語: 人称代名詞の所有格とその使い方、名詞による名詞の修飾。 これで、「アリさんのかばん」、「彼女の眼鏡」みたいなことをトルコ語で表現できるようになったわけね。 |
| 3月18日、(Sun) |
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昼過ぎまでぼんやり過ごす。思い立ってスルタンアフメットに行くことにする。なんか急にシルケジ近くにある中華料理のお店「中国興龍酒楼」(「歩き方」に載ってる割とお店。)に行きたくなってしまった。といっても、スルタンアフメットに着いたのは4時過ぎだったので、ご飯の時間までしばらくお散歩したりして時間をつぶす。 「歩き方」には炒めものがおいしい安いお店(たしかにおいしいです。)として紹介されているけれど、トルコを今悩ましている経済危機の影響か、メニュが米ドルで表示されるようになり、結構値上げもしたみたい。ご飯を食べてると、後ろで日本人らしい男性がトルコ語ぺらぺらしゃべってる。思い切って話しかけたらイスタンブルのどこかの大学院で古代トルコ史を研究されてるHさんという方でした。 身の上を自己紹介がてら話すと、語学学校はどこと聞かれる。答えると、どうも自分が一番評判の悪いところに通ってるらしいことがわかる。評判がどう悪いかといえば、一番先生の給料が悪いらしく、先生たちのやる気薄いそう。なのに授業料は一番高い。。。ふ〜む。 今の先生は結構いい感じだけど、他の人にも上のレベルに進むにつれて物足りなくなるよといわれたこともあるし。ちょっと他の学校のこと調べた方がいいみたいね。 |
| 3月17日、(Sat) |
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午前中、前から一度いってみたいと思っていたモザイクで有名なコーラ修道院博物館に行く。修道院と書くと、キリスト教関係の場所ということになるけれど、トルコがビザンティン帝国を滅ぼしてからは、モザイクを破壊したり漆喰で覆ってずっとモスク(イスラム教寺院)として使われてきたところ。近年になって、そうした漆喰をはがして、ビザンティン時代のモザイクを展示する博物館に生まれ変わった。有名なアヤソフィアと同じような経緯をもってるわけです。しかし、ここは残ってるモザイクの数の上ではアヤソフィアをはるかに凌駕し、質という点でも優るとも劣らないすごい所。 場所は、旧市街の外れ、テオドシウスの城壁近く。ひっそりと建っていると想像していってみたけれど、住宅地の中に博物館の周りだけ観光地化されてるといった印象。しかもかなりちっちゃい建物。でも、中のモザイクはほんと壮麗。息を呑むようなモザイクが驚くほどたくさんのこってた。東方教会の金きらきんの装飾ってそんなすきじゃなかったんだけど、ここは別。金ってこんなにきれいなんだって思った。 そのあと、ビザンティンつながりもあって、近くにあるビザンティンの宮殿跡といわれてるテフクールサライにもいってみる。ここのあたり、経済的にはちょっと下層な人たちすんでるところなのか、子供たちにお金をせびられた。しかも無視してると石投げてくるし。。。まったく。 気を取り直して、これまた近くにあるスレイマン大帝の皇女ミフリマーが建立したミフリマージャミィも覗いてきた。(なんとお祈りの最中。気づかなかったとはいえ失礼しました。) タクシムにもどり、イスタンブルを中心にタレント活動されてるあゆみさんという方がご出演の演劇「アメリカのおばさん」を見に行く。わかりやすいコメディだったんで、筋はなんとなく。トルコ語ぜんぜんわからず。わかったのはあゆみさんの日本語の台詞のみ(爆)。とはいえ、わかんないなりにおもしろかったかな。 |
| 3月16日、(Fri) |
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木曜日の日記の追加。 日記を更新した後、実はクラスメートとのお食事した。キョフテ(トルコの肉団子)好きの英国人Mとその旦那、メキシコ人のIとその旦那、あとはブラジルのAとキューバのRに其々のボーイフレンド。あっしは知り合いもないもんでひとり。。。ちょっと高いレストランだったけれど、まあまあおいしかったし、会話も弾んだので楽しいひとときを過ごすことができた。で、お別れするとき、握手したり、女の子達とはキスしたりのあと、ついに初体験しちゃいました。相手はIの旦那! トルコでは男のひと同士でもかなり親密なスキンシップというか、腕組んだり、おててつないで歩いたり、抱き合ったり、が日常茶飯。トルコ行く前に読んでいた本に書いてたとおりほんとにやってたのでちょっとびっくり。でも、今まではトルコ人いなかったからこういう機会は全くなし。どんなもんかとおもってた。ま、キスっていったところで、お互いのほっぺたをくっつけてちゅっちゅと口鳴らすだけで、そんなに濃密なことは。。。おほほ。 それでも、こんな経験したことなかったからめちゃ照れちゃったもんで、みんなから笑われてしまったことだ。 今日のトルコ語: 重要なんで今日も過去形三昧。ちょっと発音に苦労してる。 「ちょっと、おくさん。あの方お隣のアリさんよね。」 「そうよ。アリさん。アイシェさんとこの御主人。」 「アリさん、足怪我されたの?」 「そうよ。車がつっこんできたそうで、入院されてたのよ。や〜ねぇ。近頃の車はこわいわねぇ。」 「ほんと、こわいわねぇ。で、アリさん、いつ退院されたのかしら。」 「三日前ですってよ。」(…以下会話続いてく。) 簡単ながら、これでこんな感じの噂話ができるようになります。 |
| 3月15日、(Thur) |
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ちょっとおそいくらいだったんだけれど、秋からお世話になる予定の先生に昨日メールを出しておいたところ、早速返事がきていた。 いまはたしか、サバティカル(研究のための休暇)をとってるところと聞いていたが、どうやら来年もサバティカルで大学にはいないらしい。よって、このまま順調にトルコ語を勉強し、予定通り秋から博士課程進学ということになっても、最初の一年は別の先生に指導していただくことになるようだ。ふ〜む。 とりあえず大学のウェブサイトでお名前調べたところ、地域はイタリア研究がメインの方だけれどテーマ的な部分はかなり近い。でもその方のことまったく知らないんだよね。もちろんお会いしたこともないし。どうしたもんだろ。 心配の種、また一個増えたことだなあ。 |
| 3月14日、(Wed) |
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休み明けから学生の出席率が悪くなったような感じ。イスタンブールにはトルコの民族楽器ウードを習いにきたっていうアメリカのDは、休み前まで出席率100%だったのに、休み明けて2回連続欠席。一番ついてけてない感じのナイジェリア人のJ(NJ。スロバキアのJとの区別のため。)も今日はお休み。 今日、前から少しづつ出てきていた過去形をまとめた。英語のと日本語のと二つトルコ語の語学参考書持ってるけど、その2冊で書いてあることが少しずつちがっていたので、どうなってんのか気になってた自分としては結構ためになった。 自分で勉強してる感じのDはともかく、数の数えかたも覚えてないNJは絶対今日出席しとくべきだったのではと、他人事ながら心配。。初級とはいえクラスの学生のレベルも結構まちまちだから。上はトルコに長くいて、簡単な会話ができるJやイラク人のM、だんながトルコ人のメキシコ人I。トルコ語の親戚のウイグル語を話すウイグル人のAたち。下をみれば、トルコ語ほぼゼロからスタートの自分やD、ブラジル人のAとP、スイスのM、イギリスのM、キューバのR、ナイジェリアのNJ。こんなにレベルがばらばらでは先生もやりにくくなってるんじゃないのかしらん。 今日のトルコ語: 書いたとおり、過去形三昧。基本的な形は簡単だけど、まだまだ語尾の変化になれませぬ(特に疑問文に直すとき)。 |
| 3月12日、(Mon) |
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休み明け最初の学校の日。宿題は旅行に行く前に終わらせてしまって、旅行でもトルコ語をあまり使うことなかったので(こらこら)、いままでやってきたことすっかり忘れちゃったなという感じ。ぼけぼけしてるなあと思いつつ語学学校へ。一週間ぶりにクラスメートに会うのって結構うれしいもの。ブルガリアに戻ってたKとか、奥さんの実家のアマスヤ(りんごがおいしいそうです)に行ってバイラムみてきたJとか。お互いにわかる言語が習いはじめたばかりのトルコ語しかないチェチェン人5人衆とか。みんなに「日焼けしたね。」と言われる。といってもずっと長袖だったから顔だけなんだけど。。。。 今日のトルコ語: 「出身はどこ?」の表現。 トルコ語でいう所のbe動詞の役割をする語尾。 過去形も簡単に。 |
| 3月10日、(Sat) |
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6時にエセンレル(ヨーロッパサイド)ではなくハレム(アジアサイド)のオトガルで下車。ここから船で旧市街側に渡って、バスで家の近くのバス停に行こうと思ったけど、最初の船の出港は7時半。エセンレルまで行っても家に着く時間は変わらなかったかも。 旅行が終わって興奮が冷めたのか、自分の将来のこととかで急にブルーな気持ちになる。そんな相談できる友達いないし、中華料理レストランで食べて気分転換。高かった。でも、ちょっと落ち着いた。 |
| 3月9日、(Fri) |
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長いようであっという間の一週間。夜にはイスタンブルに向けて出発か。。。 パムッカレには今日をふくめて4日いたことになる。バスの都合でベルガマ行きをあきらめ、しかも日程を一日短くしての旅行。パムッカレに長居しすぎたなあ。パムッカレ好きだけど、うまく日数調整すればカッパドキア行ってこれたから、旅行プラン立てるの大失敗したかも。。。 することないので、3回目の石灰棚上り。といっても石灰棚は3日とも少しずつ違った表情を見せてくれたので、それはそれで面白い経験。ヒエラポリスの劇場まで行ってぼんやり。そこで卒業旅行にきてたKさんと話すようになる。いろいろはなして気がついたら3時過ぎ。二人で聖ピリポの殉教堂跡みて、石灰棚を降りる。そのあと、「歩き方」にも載ってるムスタファさんところで早めの晩御飯。ご主人のムスタファさんにいいように乗せられて食べたパムッカレケバブはこの旅最高のおいしさ。 デニズリに出て、イスタンブル行きの夜行バス。バスは快適だったがZzz...とは安眠できなかった。。。) |
| 3月8日、(Thur) |
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昨晩の雨は上がったが、曇りで気温の低い今日のパムッカレ。朝から石灰棚登りに行く。今回は同志社院生の卒業旅行グループと一緒。雨のおかげか水が多くなってる気もするけれど、下の方はとにかく水が冷たいし、砂利道は痛いしで、まさに苦行。でも、上に登っていくにつれて、水温が上がっていくのがわかる。気温の低さで、あまり熱くないここの温泉にも湯気が見えて幻想的な雰囲気。そんなこんなでがんばってきた甲斐があるなあという気分に。石灰棚降りるときはこれと逆のパターンだから、つらいばかりだけど。ごつごつした石灰棚を踏んで、足は血行よくなったのか、ぽかぽか。 ヒエラポリスの遺跡(ヒエラポリスって、英語にするとフィラデルフィアになるって知ってた?)を一通り歩き回る。古代のお墓が1000以上もあるというネクロポリスは、このあたりで放牧されてる羊(遠くで見てるととてものどかな風景だけど。。。)の糞でいっぱい。地面も昨日の雨のせいでどろどろ。 ホテルに戻ってテレビ見てると、なんと深刻な顔した宮沢財務大臣が写る。日本経済は、かなりやばくなってるらしいね。Japanese economic crisis(トルコ語放送ではなく、BBCWorld見てました。)なんて出てると心配になる。困るなあ。森さんは相変わらず失敗を繰り返してるみたいだし。。。 夜は、ビー玉をつかって遊ぶゲームにはまる。 |
| 3月7日、(Wed) |
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ホテルでアフロディシアス遺跡に行けるよう手配。かなりぼられてしまったなと、だんだん気づくことになる。(送迎だけ。昼とか入場料とか入ってなかった。確認しなかった自分も悪いけど。ほんとに後味悪い。高い授業料だ。。。。)10時にロビーといわれてたのに、ずっと待たされ、結局出発は11時過ぎ。このホテルのそういういいかげんなところがマジ腹立つ。 行ったり帰ったりでは本当に嫌な思いもしたけれど、アフロディシアス遺跡は、エフェソスの印象が薄れるという「歩き方」のコメントも納得という感じで、遺跡を一人でめぐっている間だけは嫌なことも忘れることができた。 競技場の跡は、「グラディエイター」思い出したし、劇場跡は、エフェソス、ミレトス、プリエネ、パムッカレと、今まで観てきたどの遺跡の劇場よりもよく残ってる気がした。アフロディテ神殿の跡は、イオニア式柱が、美の女神を奉る場所にふさわしい優美な姿だったことを偲ばせる。また、立ち入り禁止で遠くからしかみられなかったけれど、真っ白な大理石の通りか床も印象にのこった。さらに、遺跡に併設されてる博物館。1950年代以降に本格的に発掘され、外国にいいものが持っていかれてない遺跡だからか、保存状態のいいものばかりが展示されてあって息を呑む。ギリシア遺跡好きな人には、ほんとにたまらない遺跡。また来たいと心からおもった。 パムッカレに戻ると、雲行き怪しくなり、いきなりどしゃ降りwith雷。停電するし。参った参った。夜、ベリーダンスショーがただで見られると聞いて見に行ったけど、所詮は安宿の余興みたいなもんで、たいしたことなかった。すぐ終わって途中からただのナイトクラブ。でも、ガラタサライがACミランに勝ったので、トルコ人大喜び。すごい盛り上がり。 |
| 3月6日、(Tue) |
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朝、ホテルをチェックアウト。8時にお迎えが来てオトガルへ。 昨日知り合ったNさんとはソケまで一緒。Nさんはボドルム、僕はデニズリへ。デニズリに着くと、パムッカレのホテルのお迎えがきてるはずだったけど、また来てない。結局電話で呼んでもらったが、お迎えが来た後も結局2時間ほかの客を待つためにこっちが待たされる。めちゃむかつく。(泊まったホテル、ほかにもいろいろむかつくことあったので名前かいとこう。Koray Otel。ものすごくいいかげんなところあって、個人的には最悪な印象。) 3時ごろからトルコの誇るユネスコ世界遺産の一つ、パムッカレの石灰棚を上りに行く。水が溜まってないのでガイドブックの写真のようにはいかない。水がないなりに石灰棚はきれい。でも裸足で砂利道を上っていくのはつらかった。石灰棚の上にあるヒエラポリスの遺跡(これもユネスコ世界遺産)は、とりあえず劇場を見に行っただけ。ここもミレトスみたいにわりと保存状態の良い劇場跡。 夜は卒業旅行で来てる人たちとしばらく話す。このホテル、部屋がめちゃ寒いと思ったら暖房がなかった。ストーブ借りられるみたいだったけどめんどうだったので毛布3枚かぶって寝た。ついでにシャワーもぬるい。 |
| 3月5日、(Mon) |
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今日はクルバンバイラム(犠牲祭)最初の日。あちこちで羊が解体されてる。 宗教としては割り切れるけど、お〜内臓だしてるよ、皮はいでるよって光景は、気持ちいいもんじゃないね。とかいいつつこわいものみたさみたいなものもあって、しっかり見てきました。 今日はツアーに参加してプリエネ、ディディム、ミレトスの三つの古代ギリシャの遺跡を観光。ツアーは日本人5人含む11人。まずはプリエネへ。丘の上に築かれた都市がそのまま廃虚になってる。イオニア式の柱が5本残るアテナ神殿をみて、子どもの頃ハマッてた「聖闘士星矢」を思い出した。 次はディディム。ここは巨大なアポロン神殿を見学したくらいだけど、このアポロン神殿、とにかくでかい。迫力満点。立ってる柱は少ないが、内部の構造がわかるくらい神殿の形が良く残ってた。ちなみにガイドブックに出ているメデゥーサのレリーフは、遺跡の入り口近くに置いてあった。神殿上部を飾る装飾だったそう。 最後はミレトス。遺跡に着くと目の前にあるのはこれまた巨大なローマ時代の劇場。25000人収容とか。かなり壊されたみたいだけど、保存状態は良く、通路なども残ってた。劇場の裏を少し歩くと、街の跡が見えてくる。冬から春に移り変わろうとするやわらかな昼下がりの日の光なかで、枯れ野に広がる遺跡は、なんともいえない趣をかもしていた。 お疲れ様ということで、夕方クシャダスへ。ホテルで朝知り合った卒業旅行中のNさんと情報交換。 |
| 3月4日、(Sun) |
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朝からエフェソスの遺跡にまた行く。今日は遺跡でぼんやりしながらどんな人たちが来てるのかをちょっと観察。観光客は、個人も団体もドイツ人が多かったように思う。ガイドの話す言語で、スペインやイタリア、フランス、英語圏、韓国なんかからも来てることがわかる。トルコ人は家族連れはいても、団体はほとんど来てないみたい。当然日本人も多くて、なかにはかなり傍若無人な日本人観光客の団体もいたね。 午後はセルチュクのハマムで一休み。マッサージの人は結構若い兄ちゃん。一生懸命やってくれたのはよかったんだけど、兄ちゃんの股間が自分の手にぴったりくっついて…なんてこともあって困った。でも極楽気分を十分味わった。 |
| 3月3日、(Sat) |
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エフェソスに近いセルチュクという町を通って港町クシャダスへ。迎えに来てるはずのホテル送迎のバスが来てない…。で、紆余曲折。7時についてチェックインは9時過ぎ。 いろいろあったけど、10時にはバスに乗ってエフェソスの遺跡に。 でもその前に、聖母マリアの家にタクシーで。キリスト教徒でない僕にとっては、感動も何もない場所。タクシー代と入場料もったいなかった。 気を取り直してエフェソスの遺跡へ。復元されたセルシウスの図書館の玄関やハドリアヌス神殿、大劇場といった見所はなかなか。モザイクもきれいに残ってる。思っていた以上に暑い。Tシャツ姿の人も結構多かった。 午後、セルチュクまで歩いてご飯を食べて、博物館へ。よく整備された博物館。おっぱいみたいなのいっぱいくっつけた女神アルテミスの二つの像をはじめとして、見ごたえ十分。勃起した男性器をさらに誇張した生産力を表す神像(?)も展示されてる。 それから聖ヨハネ教会跡。きれいに整備された廃虚(なんか変な言い方だけど)。ここには聖ヨハネの墓もある。アメリカ人っぽい観光客がお墓踏み踏み記念撮影。キリスト教徒じゃなくてキリスト凶徒だね。あれじゃ。 最後にアルテミス神殿の跡。世界7不思議の一つにも挙げられた大神殿だったらしいが、今じゃ柱一本残るのみ。夏草や兵どもが夢の跡といった趣。夏じゃないけど。素人の目には土台がどこにあったのかすらもわからない。 |
| 3月2日、(Fri) |
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学校から戻って、まずネットカフェでメールチェック。案内の来ていた奨学金の話がだめになったみたい。2年以上の職務経験が条件なのに、それがない僕に書類一式送ってくる大学のほうがおかしいって。でも世界銀行の奨学金、もらえたら薔薇色の留学生活でしたわ。。 夕方、オトガル(バスステーション)に出発。週末からバイラム休みとあって、通勤バスも家路につく人たちで超満員。朝の小田急線思い出す。当然オトガルもすごい混みよう。 バスに乗る。夜中に目が覚めて元気いっぱいになったちっちゃい男の子が うるさくて寝られない。ただでさえバスで寝るのにがてなのにぃ。。 |