2chコピペ

41−43 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/07/03(火)
00:08

元々女化一帯は昔から広〜い原野が広がっていたんだ。女化に限らず
牛久一体も含めてさ。
牛久にワインで有名な牛久シャトーがあるよね。あのシャトーもかつて
牛久の土壌や気候が南フランスと似ている、という事から選ばれて立地
したんだ。この様に牛久一帯には大正時代より東京の実業家達が次々
と開拓に訪れた。
そんな開拓者の一人に時の自由党幹部、代議士も務めた事のある炭鉱
経営者で関東鉄道の初代社長でもある竹内綱って人とその子の明太郎
って親子がいた。この親子は大正元年、女化と隣接する竜ヶ崎の長山
の官有林を購入、ここに開拓地を開いたんだ。牛久シャトーには板垣
退助も訪れた事がある。女化にはこの親子以外にも開拓農家があって、
そうした人達の憧れの場所でもあったらしいね。



竹内親子は官有林を、茨城の大地主であった土田さんを通じて購入、
そこに開拓地を開いた。

この開拓地のシンボルが赤レンガ2階建ての西洋館なのさ。

大正8年着工で翌大正9年の完成。当時の請求書では「4890円
70銭」、総工費は7万円(当時)と伝えられている。1階と2階の
他に養蚕も行われていたらしく、地下室もあったらしい。
この完成した西洋館と竹内一家勢ぞろいの写真は有名だね。
農場の周囲には土手があり、からたちの木が植わり、農場までは桜並木
が続いていたんだって。ちょうどの手元の資料にその庭園設計図と地図
があるから良く見てみると、別邸がある。蛇沼までに梅林、桃林があり
あずまやと船着場も計画されている。まさしく理想の農場といった感じ
だね。東京からは宮様や著名な財界人も訪れ、そういった人達とキノコ
狩りをしたという話もあって、この農場は採算度外視の貴族趣味での維持
だったらしい。



竹内農場には軍人あがりで毎朝馬に乗って農場を見まわった国光さんという
支配人がいた。この人はさまざまな経営を試みて、桑、桐、梨、桃、栗、
落花生、白菜、スイカを栽培し、牛舎、厩舎、堆肥舎、第1と第2の農夫舎、
さらに便所、浴場、農具舎、住宅を敷地に建てた。朝6時のサイレンと共に
始まる農場には近隣からの農民が働きにきて、そうした農民も「竹内農場の
おかげで助かった」と信頼してた。
大正8年頃が最盛期、牛久から鉄道を引こうなんて話もあったんだから。
この竹内農場のこの頃ってどんなだったんだろうね。見てみたいよ。

しかし好況もここまで、大正末期の炭鉱不況の中、竹内農場の大元である
炭鉱経営も苦しくなり、この農場も売り払われていった。そして関係者は
昭和5,6年頃に東京に引き上げていった。


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