* 初・救急車の旅 *




<2002年7月22日の日記より>

すっかり夏になってもたな。Mちくが病院のベッドで寝てる間に・・・。病室の窓から青い空を眺める時、開いた窓からセミの声が聞こえる時。Mちくの21歳の夏がやって来た。一日もはやく元気になろうって思った。こんなとこに寝てる場合じゃないって。元気娘Mちくだから!そしてなにより、一日一日をもっと大切に生きよう。そう心に誓った。

この入院は「忙しくしすぎてたから、むちゃしすぎてたから、少し休みなさいっていう信号なのよ。」ママンがそう言った。気持ちがすっと楽になった気がした。バイトはもちろん全部休まなくちゃいけないし。試験はもう来週から始まるっていうのに。なんとも言えない焦り。辛さ。自分の弱さと。情けなさと。入院2、3日目は精神的にかなりきつかった。24時間ずっと辛そうな曇った顔をして顔をゆがめて横たわってる。そんな娘を見て毎日励ましにやって来てくれたMちくのパパンとママン。でも二人が帰ると声を押し殺して一人泣いていた。でもママンのその言葉を聞いた時、「少し休もう。」心からそう思えた。何かから解放された気がした。


7月9日。火曜日。いつものように学校へ行った。朝はいつもと何も変わらない、あいかわらずのMちく。「今日もバイトあるし帰りは遅くなるからねー。ばいばーい。」ママンにそう言って家をでた。ちょうどゼミの時間。ひどい吐き気がした。何これ?最近買った1dayのコンタクトが合ってないんやと思った。授業中に2度トイレに走った。みるみるうちに血の気が引いていくのが自分でわかった。先生が帰りなさいって言ってくれて教室を出たけど、なんとまっすぐに歩けない。しかたなく物という物をつたって学校の保健センターまでやっとのことで辿り着く。2時間ほど横にならせてもらうと少しスッキリ。「帰れそうです。ありがとう。」と言ってセンターを出た。ところがどっこい。バス停まで行くとまた歩けなくなった。ひどいめまいで立ってられない。しかたなく、ママンに迎えを頼んだ。その日はとにかく寝た。メニエル病かもしれない。明日朝一番で病院に行こう。そう言ってたのに・・・。

7月10日。水曜日。朝、目を覚ますと目があけられない。頭が回ってる〜。すべてが回ってる〜。立てへん。それどころか起き上がることすらできない。こんなにひどいめまい・・・初めて。自分がどうなってるのか全くわからん状態で、でも何か大変なことが起ってると思った。一体何?あまりのめまいのひどさに吐き続ける。出す物がなくても吐き続ける。パパンは仕事。ママン一人ではどうしようもない状態になってた。わけのわからないパニック状態で、Mちく泣いていた。「どうしてこんななっちゃったん?どうなるん?」ママンにそう叫び続けた。「大丈夫。大丈夫。何も心配しないで。」ママンは冷静にそう言い続けてくれてたのを覚えてる。それから数分後、救急車が到着。初めての救急車トリップなのに、残念ながら何も覚えてない。何も見てない。でも救急隊の人の声が優しかった。ものすごく。助かるって思ったのを覚えてる。

病院に着いた頃にはさらにめまいが悪化。あまりのめまいにパニック状態になり呼吸困難に陥る。過呼吸っていうやつかな。手と足に酸素がたまって痙攣し始めた。「手が、手が」って小さな声で助けを求めたよぉ。あまりのめまいで意識が遠のいていくし。すぐに袋を口にあててくれて、しばらくすると呼吸が元に戻りはじめた。そこからはほんまにもうあまりの辛さだったから何も覚えてない。とにかく即入院したみたい。気付いた時にはベットに寝てた。

次の日、検査をするため診察に行った。でもまたひどすぎるめまいから意識が遠のいていってパニック状態に陥り過呼吸に。手と足から感覚がなくなっていった。看護婦さんにたたかれた。しっかりー!って。すぐに病室に運び込まれ、しばらくは検査すらできない状態が続いた。結局、病名は前庭神経炎。耳の神経にウイルスが入ったんだって。体力が落ちていたり疲れ過ぎていて、ウイルスに勝てなかったんだって。後遺症はないって言われた。聴力に問題もない。時間が経てば治る病気だって。ほんとによかった。それでも入院生活は辛いものだった。毎日24時間体制で一日3本の点滴を刺しっぱなし。絶食2日半。腕は点滴と注射のあとでアザだらけ。結局点滴は13本。最後のほうはもう針を刺す場所がなくなってた。でも少しずつ食事をとれるようになって、立てるようになって少しずつ歩けるようになった。人って弱いんだな。痛感した。

Mちくのルームメイトはみんな80、90歳代のおばあちゃんばっか。痴呆のおばあちゃんはめちゃくちゃかわいかった。夜中に、ばあちゃん逃走して看護婦さん達が走り回ってたり。それから、しょっちゅうMちくを確認しにくるんだ。そ〜っとカーテンめくって見てるの、Mちくの事。(^^)「どしたん、おばあちゃん?」って言うと「ごめんごめん」ってトボトボ帰ってっちゃうし。意味わからん!夜中3時くらいにMちくのとこにきて、横でカーテンかぶってたり。「おばあちゃん、何してるん???」って聞いても「え〜?」ってゆってまだカーテンかぶってるし。仕方なくナースコールして「おばあちゃんなんかしてるー!」って看護婦さん呼ぶはめに。お風呂のことを「おふら〜??おふら?って何やったかな?おふら?あ〜、おふら〜。」ってゆってそこらへん歩きまわってるし。ほんとにかわいかった。それから隣りの93歳のおばあちゃんとすごく仲良しになっていろ〜んな事をよくしゃべった。家族の事、おばあちゃんの若い頃の話し、おばあちゃんが21歳で結婚して京都に嫁いで来たこと、戦争のこと。Mちくのことも話した。「じき良くなって帰れるよ。若いんだから。これからいろんな事して生きていってねぇ。すぐ帰れる。すぐよくなる。」おばあちゃんがいつもそう励ましてくれた。Mちくが退院する時、そのおばあちゃんは泣いてくれた。「Mちくが隣りで楽しかった。ありがとう。がんばって。」93歳のおばあちゃんが21歳のMちくにそう言ってくれたんだ。おばあちゃん、Mちく、ちゃんと生きていくからね。

結局、入院は1週間だった。それでも日常生活に戻るにはまだまだ不完全な回復で。歩くっていってもまっすぐ歩けないし、一人でなんとかトイレに行けるかなっていう状態。でももう病院はいやだった。先生がMちくのわがままをシブシブ許してくれた退院だった。眠れなかったことがひとつの大きな原因だったかも。睡眠薬をもらっても全く眠れない。かといって、昼間にお昼寝してるわけでもない。ほんとに寝てないから、体力は落ちるし、精神的にも辛い。夜が来るのが嫌だった。寝返りをうつだけでめまいがするから動けなくて、頭と背中が床ズレになりそうだった。痛くて寝てられないし、点滴刺しっぱなしの腕も痛むし。何をどうしても眠れなかった。看護婦さんも心配してくれて毎晩睡眠薬をくれるんだけど、効かないんだもん。苦しかったなぁ。今思い出すだけでも、不眠はもう凝り凝り。


ベッドの上でいろんなことを考えた。必死で走ってきた自分。ずーっと振り返ってた。Mちくは今を大切にしてこれたかな?答えはノー。まず自分を大切にしてこなかった。そして今は今でしかないことを全く理解してこなかった。今日は今日でしかない。だからこそ今という時間をもっと大切にしなければいけない。今が楽しければいいってそう意味じゃなくて。2度と戻らない時間を今も生きてるんだ。例えその時間が楽しくてもおかしくても悲しくても苦しくても、大切にするっていうこと。今という時間に決して未来を生きることはできないんだ。今は今。Mちくには目標がある。でも大切なのは目標を追うこと、目標のためだけに生きることではなくて、それ以上にその過程なんだ。今を大切に生きることがひとつひとつ積み重なってそこに未来があるんだと思う。今を大切にできない人が未来を大切にできる?Mちくは、もっと笑って目標を追いかけたい。そう思うようになった。人生は長い。そして短い。

もう焦らない。時間がかかってもいいよ。そのかわり、今日、その日一日一日、たーくさん笑おうと思う。卒業したらすぐ留学!なんて誰が決めた?とらわれてたのは自分なんだ。何年かかってもいいじゃんか。決められた枠なんてどこにもない。もっと自由なんだ。アメリカに行くんだ、行くんだって未来の事しか頭になくて、今の自分を殺しちゃだめ。その日その日を、もっと血の通った毎日を送りたい。いろんなことをして生きていけばいい。そして長い目で物事を考えようと思う。そのほうが、自分という人間がもっと豊かになれるような気がする。

だからMちくは、ほんっとに辛かったし、もう病気なんてごめんだー!って思うし、入院なんて2度としたくないと思うけど、今回、倒れてよかったんだと思う。何か大切な事に気付いた気がしてる。本当に大切な事。胸に響いてる。

そしてたくさんの人の助け、励まし、支えがあって自分が生きてること。一人で生きてるんじゃないよな。感謝の気持ちでいっぱいになった。