* ほーむしっく *
大学1回の夏、一人でニュージーランドにゆきました。Mちくにとっては忘れられない旅となりました。4週間、ひとりぼっちでした。
なかなかこの * ほーむしっく * をupできなかったのは、時間がなかったからじゃなくて、できるだけ書くの避けてたからかもしれないなー。あんまり思い出したくなかったからかも。思い出さないことはないけど。実はよく思い出してるから。そしてそれをバネにしてるから。
初めて味わった、いいようのない孤独感。とにかく外国に行きたい。そんな思いで、ニュージーランドに飛び出したあの夏。1回生。夏のコンパの話題に花を咲かせてる大学の友達を横目に、Mちくは一人短期留学のパンフレットを読みあさってた。全部勝手に一人で決めて、親には「行ってくるから」って滞在先と語学学校を知らせただけ。一人で何でもできる!強がりまくってた自分、みんなと私は違うんだ!そういきがってた自分が、ほんとに世間知らずで暖かいヌクヌクの環境にいたこと、一人じゃ何もできないこと、自分の小ささ、力のなさ、楽しい留学だけを夢見ていた子供だったこと、心に穴が開くくらい痛感した。
できる限り長くいたい、そう思って最初は2週間の予定を3週間に、最終的には無理矢理4週間にした。でもまさか、1週間で帰りたいって思うとは。あたりまえだけど、思うように言葉が話せない。通じない。聞き取れない。そりゃそうだ。まだまだ足りない今の英語力から比べても、さらになかったあの頃の語学力。初めての一人海外。ホームステイ先の家庭は、お母さんと息子と娘の3人暮し。お母さんは一人で仕事をして家事をして子供を育てて。とても忙しい人だった。自分はかまってもらえることをどこかで前提にしてた。心に描くホストファミリーとの楽しい生活。Mちくは朝だけ語学学校に行ってたから、なかなか友達もできなかった。夕方までクラスをとってる人がほとんどだったし。それに輪に入れなかった、っていうより入っていこうとしなかった自分もいた。一人がクールだと強く思ってた時期。私はみんなとは違うのよ!みたいな。だけど、人はひとりじゃなんもできやしない。自分はそんなできた人間じゃないのに。それがそもそもの誤りだった。ほんとに情けない。とにかく観光も一人。街を歩くのも、ごはんを食べるのも、映画を観るのも、何をするにも全部ひとりぼっちの世界。
留学っていうことに対して、プラスな面しか見えてなかった自分。いいところしか見ようとしてなかった自分。理想と現実に気付いた時。今はすごく、すごくすごくよくわかる。完璧に間違ってた。いろんな意味で自分が間違ってた。
あの頃を振り返ってもうひとつ思うことは、真面目すぎた自分かな。プラスに物事を考えられなくって(場合によっては今でも!?)なんでも心配して、不安になって。マイナスなところばかりを見てた。とにかく楽しむことが全くできなくて。間違いを恐れてたり、人前でギャャハとふざけるようなことも、少しくらいハメをはずすことも今の自分のようにはできなかった。誰かにチョチョイと声をかけてみたり、なんとかなるやろ!っていうあつかましさとか、ちょっと輪に入れてよ!みたいな、「自分から前へ」というプラスな姿勢が全くなかった。受け身も受け身。今はやりすぎ!?ふざけすぎ!?バカすぎ!?ハメはずしすぎ!?あつかましすぎ!?な勢いやけど、こういう自分のが好き。自分でいうのもなんだけど、楽しそうやもん。確かに、冗談言ったり、人に声かけれるほどの語学力がなかったのも事実。でもとにかくいつも暗い顔で下ばっか見てた奴。ほんっと今思うと、最悪!!「そりゃおもんなかったやろ!?自分が悪いわ!」って今の自分はあの頃のMちくに言ってやりたい。うじうじウジウジ虫くんめ!全くクールでない!クールさを間違ってる!!
ホームシックの話しをちょっとしよ。日本に帰ってからもおかしなことに、ホームシック特有の孤独感が消えなかった。しばらくは一人でいることができなくなった。「買い物にでかけるネ」と、母上が家を出ると、一人ぼっちで家に残るのがとてつもなく苦しかった。誰でもいいからMちくの横にいて!でももう19歳。そんな事、誰に言える!?いいようのない孤独感、ほんとに。思い出すだけでもがきたくなる。それはほんとに恐怖だった。どうすれば癒されるのかわからない苦しみ。今、21歳になったMちくがこれを書いている。あの恐怖からはもう解放されたのかい?実はまだなんだな。今でも時々襲われる「せつない病」はここから始まった。あのニュージーランドの夏から。まだ乗り越えてない。ある空気を吸い込むといてもたってもいられない、あの孤独病になる。でも、だから決めた。もう一度アメリカに行くことを。(MちくはこのNZの短期留学の後、一度アメリカに行っております。詳しくは*アメリカ*を読んでください!)NZに行ったあの頃は今より確実にもっと青かった。何も知らなさすぎた。あれからまたいろんな事があって、ここに21歳のMちくがいる。アメリカに行って得たもの。それからいろーんな毎日があって今がある。そしてこれからもいろんな事がある。少しずつ成長してるって、胸張って言える。あの頃よりは絶対に。これからもっと大きくなる。そしたらもう一度アメリカで挑んでみる。またもがいて苦しんで泣き叫ぶかもしれない。でも絶対に乗り越えたい。向き合おう。今度は戦おう。
ホームシックの気持ちを言葉で説明すると、「お母さんに会いたい」とか「友達に会いたい」とかそういう規模のものじゃなかった。とにかく「日本に帰らせて!!」これだった。「ここから出たい!」。夜になると息ができなくなって呼吸困難で死んでしまうんじゃないかと思うほど、胸が苦しくなった。せつなくなった。自分一人、世界からはじき飛ばされたような。とにかく泣いた。泣いて泣いて泣きまくり。何をどうしても止められないのだな。「帰りたいよぉ。もう嫌だ。」お決まりのような電話をした。毎晩毎晩、いてもたってもいられなくて。実はちょうどその頃、次の年の春のアメリカ短期留学希望者の最終締切りが迫ってた。(*アメリカ*で書いてるやつのことです。)それは大学のプログラムのひとつで、MちくはNZに行く前に応募してていちを合格者(?)として受け入れられてた。でも「もう無理。せっかく希望者の中から選んでもらったけど、最終締切りで断っておいてほしい。」すっかり自信をなくし、もういくら短期といえど留学なんてできないと思ってたMちくは電話でお父さんにそう伝えた。もちろん泣き泣き。でもお父さんからの答えはこうだった。「行ったら?アメリカはまたニュージーランドとは全然違うかもしれん。挑戦してあかんかったらいつでも帰ってこればいいやん。最初からあきらめんほうがいい。別に嫌なら帰ってくればいいやん。」いろいろ話し合った結果、「挑戦してだめならいつでも帰ってこればいい。」その言葉に押されて行くことに決めた。でももう夢も希望もないように思ってた。Mちくにとって留学というひとつの夢は失われたものだった。それはアメリカに行っても変わらないと。だけど今、感謝している。あきらめさせなかったお父さんに。もしあの時、お父さんが「じゃあ、断ろう。」そう言っていたなら、きっとMちくはもう2度と海外に行くことはなかったと思う。留学なんてもう2度と考えなかっただろうな。お父さんが背中を押してくれていなかったら。あの言葉がなければ。今のMちくもない。
こういう経過をたどって行くことになったアメリカではたくさんのものを得た。そのことは*アメリカ*で書いてます。そして、もう一度自分の夢への挑戦が始まった。ほんとに苦い経験だったニュージーランド。でも、一番最初に書いたように自分はそれをバネにもしていると思う。思い出すのも嫌になることもあるけど、今でも癒えない孤独があって苦しいこともあるけど、人生に意味のないものなんてないのかもしれないと思う。逆に意味のないものがあったとしてもそれはそれでいいのだとも思ってるんやけど。でもどんなに意味のあるものでも意味のないものでも、その瞬間瞬間がなければ、今の自分はいない。そう思えるようになっただけでも、やっぱ成長してるんだぜ!そんなこんな言いながら、ニュージーランドにはもう2度と行きたくない。でも、いつかまた旅行してる自分がいるかもしれない。人生はわからないな。
