外は雨降り (Cherry Bomb)
昨日の明け方、ふと目が覚めたとき雨の音を聞いたような気がしました。
寝ぼけたままの僕は薄暗い部屋の中でもう一度毛布にくるまりました。
そのとき僕は既視感にとらわれたような気がしたのですが如何せん眠くてそのまま寝付いてしまいました。
そして今日、昼前に僕は起きたのですが依然雨は降り続いていました。
ぼんやりと雨の音を聞きながら煙草を吸っていた僕は昨日の既視感のことを思い出しました。
ほとんど何も見えないぐらいの暗さの部屋の中
外は雨降り、その音が響いてくる。
僕は毛布にくるまってまどろんでいる。
何も見えなかったのに既視感というのも変な話、
音に触発された既視感というもの変な話、
そして寝ぼけた僕が感じたのは果たして既視感だったのかというのも疑問なわけです。
そもそも既視感てどんなものだろうか?
潜在意識が刺激された瞬間感じるもの?
それとももっと単純に勘違い?
どちらにしろほとんどの人間が実際に既視感にとらわれたことがあるという事実があるわけです。
ここで既視感のメカニズムを考えたところでただのこじつけになってしまうので、
少し既視感の意味というものを僕なりに考えてみようかなって思っています。
つまりは既視感を感じたらどうなるわけ?という話なのですが、結論から言えばどうにもなりません。
ですが、逆にこうも言えると思います。「贅沢な遊び。」
生産性のない行為を遊びと定義をすればの話ですが、既視感ほど自分の想像力、妄想力をかき立てるも
のはないと思います。
自分の感覚でありながら自分の世界とかけ離れた感覚でもあるわけですから。
背反の関係にある二つの感覚が矛盾することなく自分の中に存在するという状態で
それをただの感傷にすり替え、流してしまうというのはとてももったいないことだと思います。
遊びに時間を投じるか、その時間を実りあるものにするのか、それは個人の自由ですが、
既視感というものは偶発的なものですから数に限りがございます。
外は雨降り、今日もまた、まるまる一日遊びで潰してしまいましたとさ。