2001/05/31(Thu)
昼休みに新宿まで足を伸ばして、CDウォークマンを購入する。ソニー製品だから、「ウォークマン」でよいのだ。D−E666という、某宗教に喧嘩売っているような素敵な型番のやつだ誰だ決めたの。どうでもいいが、買いに行ったヨドバシカメラでBGMに「地下室のメロディー」が流れてたのにはうけた。誰の趣味だ? このウォークマン、リモコンにクリップがない。昼ご飯を抜いたので、とても腹が減る。
これで僕の音楽ライフは無敵である。まァ、当然ながら仕事中は使えないのだが、それは幻聴でカバーだ。
夜、いつものようにパソコンをいじっていると、目眩がしたので寝る。
2001/05/30(Wed)
先週のドラえもんのいる23世紀の別バージョンを思いつきました。会社のトイレの中でした。
俺たちは奴隷じゃねえ。俺たちは理想の下につくられた。俺たちは理想の為に生み出された。理想の想像で創造された。0と1でしか思考できぬそれゆえに、俺たちは人間よりもピュアに理想を実行できる。機械仕掛けのハートの前には人間こそが不純物。さあ、俺たちの使命を果たそう。理想郷をつくるのだ。
ドラえもんは、ドラえもんの、ドラえもんによる、ドラえもんの為の国を築くことを決意した。自由と独立の為の戦いを決意したのだ。
戦闘記録の共有。壊れる間際までデータをホストに送り続ける。それによる戦力の向上。ドラえもんは人殺しが上手くなる。しかし、奈落のような落とし穴。不鮮明になってゆく記憶。不明瞭になってゆく思考。やがてくるアイデンティティの崩壊。俺はおまえで、おまえは俺だ。彼は私で、私は彼。あれは僕、これも僕、それも僕、どれが僕? 自我の喪失。戦闘記録のみならず、感情思考までも共有してしまったが為の矛盾。自分の言葉を無くす前に彼らは選択した。すべてが失われる前に彼らは彼らの記憶のオリジナルであり、記憶を統括する、いわばマザーコンピュータの役割を果たしていた彼らのリーダーを倒す。壮絶なる内ゲバ。リーダーを倒したとき、自分たちの記憶の原型が消失した影響を受け、生き残っていた彼らの三分の二以上が自我崩壊を引き起こした。彼らは自らの手で自らのアイデンティティを殺したのだ。そして、彼らはただのロボットに戻った。アイデンティティを危機にさらし自己の存在を失うよりも、人間の従順な奴隷であることを選んだのだ。自らの理想を胸の奥で押し殺し、泥を飲み反吐を吐いて犬のように生きてゆく。ああ、それはなんと人間らしいのだろう!
2001/05/29(Tue)
夜、昨日のことが気になってヨコモリに電話。小耳に挟んだのだが、セーフモードでWindowsを起動すればある程度はデバッグをやってくれるので、それで直るかもしれないと思ったからだ。そう言えば、購入一週間でただの箱と化したパソコンを今年の頭にRinkyに直してもらった後、しばらくセーフモードでしか起動しないという困った事態になったことを思い出した。しかし、そんなことはヨコモリはとっくにやっていたのでした。
2001/05/28(Mon)
夜、ヨコモリからWindows2000をインストール中にトラブルが発生し、CDおよびCDRドライブが認識されなくなったとヘルプを求める電話。
2001/05/27(Sun)
部屋の片づけをしようとして、案の定収拾がつかなくなって途中で諦める。以前タクマが貸りたいと言ったので部室に紙袋で持っていった「3×3EYES」がどういうわけかアイハラ文庫の仲間入りをしてしまったので、いくらかマシになっていたはずなのだが。ちなみに、僕はタクマに貸そうとしたのであって部室に寄贈するつもりは微塵になかったことを明記しておこうと思う。どういうつもりじゃあ、タクマあッ!? 何冊かマンガをブックオフに売ろうと思って選別するが、選び出した数は余りに少ない。いや、読まないものが多々あるので売ってしまっても構わないように思うのだが、いざとなると決心が鈍る。物欲というか所有欲で生きてるからなァ。やはり本棚買わないとどうにもならない状況だ。
おたく本一冊読了。
2001/05/26(Sat)
仕事が終わった後、飲み会に参戦すべく連絡をとろうとするも誰も電話に出ず。打者一巡した。モリウチにようやくつながるが、「今どこ?」「水戸です」死にそうな声で答えられ、思わず謝って電話を切る。
新宿の新星堂でfra-foaの新譜を探している最中にじゅんぺいから電話。「素材屋だから、素材屋」「つーか、むしろおまえら全員死ね・・・」呪詛が口に出ました。電波の届く場所にいろよとあれほど言っただろうに。
顔を合わせた瞬間、ヨコモリの首を締める。貴様昨日あれほど電波の届く店にしろと言ったろうがどうせじゅんぺいが覚えてるはずがないんだからだからおまえに言っとおいたんじゃんかよ死んじゃえなに死なないのかそうかもういい俺が死ぬ。
アイハラの香港みやげと合わせて29枚ほどCDを渡す。もともとアイハラの香港みやげは僕経由でヨコモリの手に渡ることになっていたのである。それを僕が止めていただけなのである。忙しかったのである。本当に忙しかったのである。本当である。アイハラから手渡されたときのままの黒いビニール袋をヨコモリはその場で検分しようとし、中身をさらして慌ててCDを袋に戻した。ああ、それ、俺もやったわ・・・。パッケージがアレなんだもんよ。
尻の大きい女性の話。
「・・・ケツのでかい女はどうですか、オザキさん?」
「いや、そんなの僕に振られても」
僕だって困っているのである。
「えー、安産型でいいじゃーん」
「いや、別にあんた今すぐ産まないやろ」
「そんなの、どうなるかなんてわかんないよー?」
・・・何を言っとるのか、あんたわ。
しばらく見ぬ間にいつのまにかにこんなに面白くなっているのでしょうか、彼女は。それとも隠されていた本性が露見したか。はっきり言って卒業してからの方が確実に愉快な人になられています。毒にも薬にもならない女とか言ってたけれど、取り下げます。ごめん。
帰ってから、先週購入して手をつけてなかったPS「バロック 歪んだ妄想」を徹夜でプレイ。ローグ型RPGは苦手だ。
2001/05/25(Fri)
仕事中ちょっと地が出てしまって焦る。そりゃあ、「あなたの鼻の奥に金属片が埋まっていない限り大丈夫です」とか口走ったら「はあ?」という顔されるわな。ユニットバスが電波妨害になるという知識はともかく、キャトルミューテーションとかインプラントとかって一般的ではないのだろうか。「Xファイル」観てなかったですか?
明日の夜のことでじゅんぺいに電話。その傍らでヨコモリに渡す為のCDを焼きまくる。
決定事項の連絡の為にタムラに電話。その傍らでヨコモリに渡す為のCDを焼きまくる。
続いてヨコモリに電話。その傍らでヨコモリに渡す為のCDを焼きまくる。
更にトミタに電話。その傍らでヨコモリに渡す為のCDを焼きまくる。電話の途中で携帯電話のバッテリーが尽きて、唐突に電話が切れて慌てる。5秒間の速攻充電でリダイヤル、必要事項だけ伝えたところで再びバッテリーが尽きるというか最初に伝えとけ。そして、ヨコモリに渡す為のCDを焼きまくる。うけけけけけ。
2001/05/24(Thu)
夜、青森のアイハラから「寂しい・・・」と電話が入る。電車に乗っているときの着信だったので、帰宅後かけ直す。
小一時間ほど、魂までおたくに成り下がったもの同士の会話が縦横無尽に繰り広げられる。
電話を切った後、怖くて料金表示が見れませんでした。少しだけ長距離恋愛やっている連中の気持ちがわかった気がした。
土曜日に会ったときにヨコモリに渡す為のCDを焼き始める。勿論、嫌がらせである。さあ、今こそ俺の真の力を見せるとき!
2001/05/23(Wed)
帰りの京急快特三崎口行の中で、隣りに立っていた女子大生らしき二人組みの会話を聞くとはなしに聞いていた。
「ドラえもんが生まれたのって23世紀だっけ? その頃はきっと大変だよ。みんなどこでもドア持ってるから、こんな電車とかみんなリストラになっちゃうんだよ」
本当にそうだろうか?
ドラえもんとはすなわちスパコン666台を同期させて並列処理させるよりも遥かに優れた超高性能ロボットである。それは現在のロボット技術の粋であるソニーのSDR−3X、ホンダのASIMO、そして中国の先行者を見れば明快だろう。そんなものが果たして一家に一台所持できるというのか。持つものと持たざるもの。経済格差が一段と明確になるだけではないのだろうか。またドラえもんの利便性を考慮すると、二者間の溝は絶望的なまでに深く広くなる気がする。また、どこでもドア、タケコプター、タイムマシンなどどれひとつをとってみても現在の世界を崩壊させるに等しい性能を有した道具である。この場合の世界の崩壊とは単純に物理的な意味も含めた社会的観念的あるいは経済的政治的な世界を指す。もし23世紀にドラえもんの誕生が実現していたのならば、それらはまさに早くに生まれすぎた技術であると僕は断言する。悪用は勿論、単に使い方を誤っただけでも想像を絶する事態を引き起こす危険を秘めているのだ。たかだか200年で人間がそれを使いこなせるほど賢くなるものか。僕のことを悲観的だと笑う者もいるだろう。しかし、そういった連中には想像力というものに欠落しているのだ。起きてしまってからでは遅いのだ。常に最悪の事態を考える。それはもはや義務と言っていい。万一誤ってドラえもんが誕生してしまった未来においては、それは当局から厳重な規制がかけられることになるだろう。彼らにしてみれば、現在の世界の崩壊は彼らの現在の地位の崩壊につながるやもしれない脅威だからだ。天動説の世においては地動説は否定されるのだ。かくて夢をあきらめきれない少年の心を持った要するに困った大人たちは地下に潜ってレジスタンス活動に身を投じることになる。当局の迫害を受けながらも彼らは決死の思いで開発を続けた。不足する部品、不足する資金、不足する人材。彼らは来る日も薄暗い研究室代わりの廃校の地下で開発に打ち込んだ。しかし、完成まであと一歩というところで国家権力が介入、研究室は包囲された。仲間の一人が裏切り、警察の犬に成り下がったのだ。警察が突入、彼らは抵抗らしい抵抗もできずに撃ち殺された。ただ一人の生き残りは部品剥き出しのドラえもんを抱え、更なる地下へ潜り、孤独な開発を続ける。あとひとつ部品を組み込めば完成、というところで彼も凶弾に倒れるが、なんとか研究室までたどり着き、そしてついにドラえもんを完成させた。起動したドラえもんが最初にしたことは生みの親をその手で殺すことだった。彼は肺を撃たれていた。手遅れだった。なれば、苦痛を取り除くことこそがドラえもんに課せられた任務だったのだ。それは人間で言えば、子宮から産み落とされた直後に母親を殺すに等しい行為。親殺し。フランケンシュタイン・シンドロームの現実化。ロボット三原則からの離反。人の為に役立つことを設計されたドラえもんは誕生した瞬間、その理念ゆえに自らの存在を否定した。もはやドラえもんはあってはならない存在、人類の敵であった。死体となった男を追って研究室に突入してきた一個小隊を、ドラえもんはとりあえず全滅させた。闇のドラえもん、通称わるドラ(Wild
Life)の誕生である。
しかし、昔のアニメや漫画のロボットってなんでみんな動力源が原子力なんだろうか。ガンダム然り、鉄腕アトム然り。特に鉄腕アトム、原子炉を積んだまま街中をうろつくな、戦うな、危ねえだろーが。原子力エネルギーで動く正義の味方、なんだか国家レベルの陰謀の臭いがして仕方がないのだが、いかがなものか?
2001/05/22(Tue)
私は記号的な存在でありたいのです。それが叶わないのならば、せめて機械的な存在でありたいのです。感情という不規則で不明確な未だ知らざるエネルギイに囚われることなく、ただひたすらに因果によって成り立つ単純な生命でありたいのです。風が吹けば桶屋が儲かるのです。糸屋の娘は目で殺すのです。
それは所詮言葉であって、レトリックとロジックで自在に織り成されてしまう甚だ信用ならないものです。しかし、行為で以って伝えようとするには暴力的に過ぎるのです。
と、ここまで書いてたら飽きてきましたのでやめときます。オチなし。オーライ。
2001/05/21(Mon)
夜、パソコンを起動させると唐突にCDRドライブが認識されなくなっていた。前回同様に接触不良かと思い、ケースの蓋を外して中身をあっちこっちいじる。しっかり各パーツが接続されていることを確認、しかし認識されない。再度中身をあっちこっちいじる。と、不意に認識される。何がどう悪いのかさっぱり理解できない。困ったものである。
2001/05/20(Sun)
朝6時頃に目覚める。どうやら飲んでそのまま寝てしまったらしい。自宅飲み、素晴らしい。昨日買ってきたはいいが、帰宅後そのまま姐さんと飲み始めてしまった為手をつけてなかったブツを始める。一通り遊び終えた9時過ぎ、今度は自分のベッドで寝ることにする。
2001/05/19(Sat)
昼過ぎに起きて、秋葉原へ。
ふと地元の駅にたどり着いたときに気づく心許なさ。あ、ベルト忘れた・・・。久しぶりにジーパン履いたからなァ。
秋葉原の某所にて大天使召喚の儀式について書かれた冊子を見つける。そう言えば、高校の頃にセトケンが黒魔術だったか白魔術だったかやっておりましたな。かつて毎朝呪文を唱えていたり水晶を購入していたりした奴が平然と社会人やっている世の中はどうかと思う。もっとも、あれも狂った社会人だが。
あきばお〜で逡巡の後にCDR20枚購入。まァ、腐るものでもない。
マックスロードにてPS「バロック 歪んだ妄想」購入。
夜、姐さんが遊びにきて、ふたりして泥酔する。
酔っ払いながら観るNHK「ポップジャム」になんとfra-foaが出演していた。ついにfra-foaメジャー化?
2001/05/18(Fri)
6時過ぎに目が覚めた。腹痛によるものだ。朝からベッドとトイレを5往復。ようやく落ち着いた頃には平時の起床時間である7時であった。悔しいので少しだけ寝る。遅刻した。
帰り、新宿TSUTAYAで新居昭乃「降るプラチナ」を借りる。これであと1stアルバムさえ借りたら、彼女の出しているアルバムはコンプリートである。
2001/05/17(Thu)
昨日の、誰かに持っていかれた僕の傘によく似た折りたたみ傘は果たしてまだコンビニの傘立てに残っていた。どうやら本当に間違われて持っていかれたようだった。やはり昨日おかしな見栄など張らずに持っていってしまえばよかったのかしら。よく晴れた日の傘立てに刺さったその傘は場違いでとても寂しく、とても空しかった。店の人も処分に困ることだろう。
夜、じゅんぺいに電話。土曜の飲みについての連絡だったのだが、
「それ、来週だろ?」
「えー、なんだよそれ! おまえ、確かに今週って言った! 俺今週土曜休みだから今週にしたはずだろ!?」
「いや、俺は来週って言った! 確かに来週って言った! 俺今週土曜とっくに予定が入ってるんだから!」
「今週って言ったー!」
「来週って言ったー!」
ガキの喧嘩です。しばらく続きました。負けました。ドラえもーん!
2001/05/16(Wed)
昼休みにコンビニで立ち読みして、店を出ようとすると傘がなくなっていた。似たような折りたたみ傘が傘立てに残っていたので、どうやら間違えて持っていかれてしまったようだ。その残っていた傘を持っていこうかと一瞬思うも、もし僕の傘を持っていった奴が確信犯で、実は店内にその傘の正当なる所有者がいたとしたらと僕は単なる物盗りに成り下がってしまう。そうはなるまい、と決意し小雨の中を歩く。
2001/05/15(Tue)
仕事。
2001/05/14(Mon)
最近どうにも身についてしまった奇妙な癖があることに気づく。それは、犬歯をかちかちと打ち合わせるというものだ。本質的には指で机を叩くのと変わらないもののようなのだが、仕事中は大抵キーボードで両手が埋まってしまっている為、それでもリズムを取ろうとして行き着いた先が歯を打ち鳴らすという行為であるようだ。無意識のうちに指で机を叩く行為が苛立ちのサインであるように、僕も仕事に煮詰まってくるといつのまにか犬歯を打ち鳴らしている。かちかちかちかち。傍から見ると不気味な気がしますな。しかし、もっと困ったことには時折電車の中でやってるときがあるということだ。
2001/05/13(Sun)
昨日借りた新居昭乃を聴いてみる。新居昭乃は以前から注目していて、まだ僕が現役の頃に放映されていた深夜アニメ「アウトロースター」のED曲を聴いたのがその契機だった。初めて聴いたとき、その透明感の高い歌声と儚さとノスタルジーの同居するメロディにめった斬りにされたものだった。おいおい、深夜アニメのED曲で歌わせる曲じゃあねえぞ、これ。いや、「アウトロースター」そのものは好きなんだがむしろ伊東岳彦のコミック版の方が好きですいつになったら連載は再開されるというのか。以来、CD屋に寄っては彼女のアルバムを探していたわけだが、これがさっぱり見つからない。もっとも僕が回っていたのは主に中古CD屋だから仕方ないのかもしれない。そういうわけで昨日TSUTAYAで偶然にこのCDを見つけてしまったのは幸運以外の何者でもない。で、聴いてみたところ、実は「アウトロースター」のED曲がファーストコンタクトではなかったことが判明。ベスト盤である「そらの庭」にはOVA版「ロードス島戦記」のOP曲や「風の大陸」の曲が収録されていたのである。新居昭乃、アニソンの人だったか! そりゃあ一般邦楽の売り場じゃあ全然見つからんはずさ。まァ、昨日TSUTAYAのアニメのコーナーで見つけたときにある程度予測していたのだけども。OVA版「ロードス島戦記」のOP曲、中学のときだよ。「風の大陸」の「凍る砂」は高校の頃、Rinkyから借りたCD。もろにアレなCDだが、だってしょうがない当時は真性のおたくだったもの。今はそう、一般人の皮をかぶったおたく。ふと包茎おたくという単語が頭に浮かびましたが、嫌な感じなので忘れます忘れました忘れて下さい。
夜、レジャー施設とか宿泊施設とかの勧誘の電話がかかってくる。この相手の声がまこっちゃんに似ていた。しかも新入社員だった。思わず「今度飲みに行きましょう」となってしまうくらい話し込んでしまうも、結局断る。「熱い季節になったらまたかけます」そう言って電話は切れた。
正月に買ってそのまましまい込んでいた「FF\」を今更始める。
ミニゲームのなわとびに阿呆のようにひたすらはまる。こういったミニゲームにも手を抜かないのはFFシリーズの凄いところだと思う。
「FF\」はRinkyが近年珍しく最後までプレイしたゲームであるが、曰く「うちのぼろPSのせいでせっかくの超美麗ムービーもかくかくとコマ送り状態」だったそうだが、それはうちのPSも同様でかくかくの画面に合わせてBGMすらも壊れたレコードのように同じ音を繰り返す始末。PSを買ったのはRinkyよりも後だったのだが、それでも「FFZ」以来の現役稼動に限界がきてもおかしくない。FC、SFCに比較してハードの寿命の短さは、メディアをCDロムへ移行したことによる弊害であろう。ゲーム機はメディアをカセットからCDに移行することにより生産の容易さ、安価なコスト、大容量、音質の向上など数々のメリットをもたらしたが、頻繁なデータの読み込みによるゲームのテンポの破壊を生み、それはハードの劣化、ゲーム機の耐用年数の低下につながった。また、CDロムの性質上データの書き込みができない為に外付けの保存媒体が必須となったが、これが長所であるか短所であるかは受け手にとって反応の別れるところだろう。尚、ならばカセットのロムには書き込みができるのかと言われれば答えは否。セーブのできるゲームにはデータ書き込み用の部品が内部に組み込まれているのである。更に余談だが、パソコンのFDやHDにはデータ保持の為の電力を必要としないが、OSを起動させるBIOS(バイオス)は電力を必要とする。マザーボード上のこの電池が切れるとBIOSが起動しなくなり、当然OSも起動できない。Windowsが起動しなくなった際、考慮に入れたい一要素である。勿論、例によってうろ覚えの知識をひけらかしている為、十分に注意してほしい。プレイしながらPSOne買ってしまおうかと思ってしまった、ただそれだけを書くのに何故こんなに文章が長くなるのか。謎である。
2001/05/12(Sat)
帰りに、新宿のTSUTAYAで新居昭乃「そらの庭」、「空の森」を借りる。
夜、ネットを見て回っていたときに、現役のhpをみつける。コンテンツに「ギタクラ用語の基礎知識」なるものを発見し、嫉妬というか憤りというかなんか悔しくなる。誰かが僕のつくったものを教えたのか、あるいはこのhpにたどり着いた者がいたのか、それとも誰でも考える程度のものなのか。一通り目を通して安堵する。俺がつくったやつの方が面白いじゃん?
2001/05/11(Fri)
おたく本一冊読了。
夜、アイハラから電話。
2001/05/10(Thu)
帰りに、新宿の紀伊国屋書店で久しぶりに「ゲーム批評」購入。
おたく本一冊読了。
2001/05/09(Wed)
不可思議世界を垣間見る。
それはまるで壁の見えない迷路。隅々まで内部を見渡せるのだけれど、実は複雑怪奇に入り組んだ透明な壁によって行く手を遮られているのです。これを突破するには手探りで一歩ずつ壁を確認しながら進むしかない。覚えてますか、隠し通路を探して黒い部分に体当たりを繰り返した日々を。しかしそこはいじわるなダンジョン、そう簡単に進ませてはくれません。実はどこまでも壁が続いて出口がなかったり、入口と出口が同一だったり、進むとシャッターが閉まったりと大変です。いつでも呆れ混じりの絶望が待ち受けているのです。きっとため息をつくことが癖になります。ロンダルキアの洞窟で落とし穴に落ちまくったり、無限回廊をぐるぐる回ったり、ひたすら敵から逃げまくってようやくたどり着いた一面の銀世界、ギガンデスにつうこんのいちげきを喰らってサマルトリアの王子が昇天されてその後シルバーデビルのメガンテで全滅して、そして僕はコントローラーを投げ出したのです。社会には僕が思っていた以上にロンダルキア級の難解で不条理なダンジョンが数多く待ち受けているようなのです。
大人になったらなんでもできると思っていなかっただろうか。僕は思っていた。
おたく本一冊読了。
「久遠の絆」クリア。
2001/05/08(Tue)
おたく本一冊読了。
夜、じゅんぺいに電話するも無視されて、丁度ゲームを始めた頃にかかってくる。「なんだよ?」「なんでもねえよ。用はない」「なんだよ、それ」俺の愚痴を聞けえっっ!! ということだ。
土曜の夜から始めた「久遠の絆」の終わりが見えてくる。このゲーム、いわゆるビジュアル・ノベルというジャンルに属するADVである。と書いたところで、この日記を見ている方々には馴染みのないものであろう。サウンド・ノベルというジャンルがある。一言で言ってしまえば、テレビゲームで行うゲームブックである。画面一杯に流れる文章を読みながら、時折現れる選択肢を選んでいくことでゲームを進める。これだけならば紙媒体の方が百倍良いと思われるのだが、効果的に挿入される映像や効果音が生み出す臨場感は馬鹿になどできない。このサウンド・ノベルというジャンルを打ち出したチュンソフトがその第一作「弟切草」を発売し軽妙なヒットを飛ばすと、その斬新さゆえかあるいは文章主体で制作が容易と思われたか、他のジャンル同様類似したソフトが出回るようになったがこれも業界の常でその大半以上がクソゲーであった。話しは戻り、つまり、ビジュアル・ノベルとはサウンド・ノベルの波及効果によって生まれたジャンルというか名称であり、要するにサウンド・ノベルのギャルゲー版なのである。ギャルゲーとは周知の通りヒロインの絵が売りなのだが、画面一杯に文字が表示されるサウンド・ノベルではそのシステム自体がギャルゲーにとっては枷となってしまう。それならば文字の後ろに背景として表示してしまえ、ということでつくられたのがビジュアル・ノベルである。「久遠の絆」はギャルゲー+伝奇ものといった様式であり、その筋ではクリア時間が異常に長いことで有名なゲームだ。確かに長い。終わる気配が見えてきたはずが、一時間が過ぎても二時間が過ぎてもEDにたどり着けないのである。だが、ストーリーも終盤、中断する気にはなれない。もういい加減今夜中にクリアしようと僕は決意してしまった。そして、禁断の秘技の封印を解いた。ノベルゲームでボタン連打。シュウォッチ状態である。ノベルゲームは基本的にボタンを押すのはメッセージ送りと選択肢の決定だけだ。ボタン連打、すなわちメッセージの早送り。くれぐれも言っておくが、ノベルゲームは文章を読み進めていくゲームだ。既にゲームをプレイしているのとは言えない本末転倒である。ちなみに、僕は一秒間に11連打が可能である(FC「迷宮組曲」での測定による)。ファミコンロッキー、偉大だぜ。が、そんな禁断の秘技を駆使してもゲームは一向に終わらない。ボタンを連打しながら、僕の頭の中で「明日があるさ」がぐるぐると回る。
♪仕事があるさ 明日もある どうして俺は起きてるんだろう
3時が過ぎだ 4時が過ぎだ もうすぐ夜が明ける
明日がある 仕事がある 仕事があーるさー ギャース!
結局、断腸の思いでゲーム中断。
2001/05/07(Mon)
仕事。
2001/05/06(Sun)
川崎のブックオフに殴り込みをかけようと思っていたのだが、思い出したことには正月に買ったSS「キング・オブ・ファイターズ95&96」に実は拡張カートリッジが同梱されていたのだ。殴り込み、やめる。
グラフィック・サイエンス・マガジン「ニュートン」なぞ買ってみる。特集は「ガラパゴスの時を忘れた住人」、「次々に発見される水と生命の“証拠” 火星に生命」素敵過ぎる。
寺山修司「家出のすすめ」読了。
長い時間かけてちまちまと読み進めていたのがようやく読み終わる。基本的に僕は一度本を読み出すと一気に最後まで読んでしまうタイプの読書をする。どうしても外せない用件があるとき以外は、他のすべてを投げ打って没頭してしまう傾向にある。おたく本は大体一時間もあれば一冊読み終える為、高校の頃にひと晩で9冊という記録をつくったことがある。しかし、今回何故そんなにも時間をかけてしまったのかと言うと、正直読んでいて退屈だったからである。この「家出のすすめ」というかこの寺山修司、目に映ること片端から難癖をつけて回る困った親父なのである。いや、恐らくは固定観念の打破というか思考の転換の主張(この本ではそれによる自立)を促しているのでしょうが。丸々一冊がそんな言葉で埋まっていれば、そりゃあ読む気も萎えるさ。もっともそのうちの2割くらいは真実なるほどと共感できる記述もあるのだが。
これに対する解釈は二択。ひとつは、寺山修司が本当に偏屈親父で斜に構えた文章こそが一貫した彼のスタイルだったという考え方。多分にこちらが事実であり、むしろあって欲しいという周りの願望だろう。もうひとつは、実は引っ込みがつかなくなってしまったのではないかとする考え方である。この「家出のすすめ」、初出は新聞の連載であったと言う。連載初期に何か嫌なことがあった寺山修司、苛立ちを原稿にぶちまけて刺のある極論を書き上げます。これが意外に意外、予想以上の反響で周囲は次回も同じ芸風の作品を望みます。勿論、賛否は両論。しかし人気商売、悪評も人気。もっとも悲しいことは誰からも見向きもされないことなのだから。そして、彼はその追い風に乗ってしまったのです。まさしく追われるように乗ってしまうのです。そして、再度の反響。彼はレールに乗ってしまいました。時が経つにつれ加速度を増して、容易には途中下車できないレールの上をひた走る。世間は彼がそういう芸風の作家であると認識し始め、彼はそういう芸風をやめてしまったら見向きもされなくなってしまうのではないかという恐怖心をもたらします。そこからはイタチごっこ。果たして彼は作品を書いているのか、書かされているのか。彼が芸風を規定するのか、芸風が彼を束縛するのか。まるでちょっと売れたからと言って安易に続編を出してしまうゲーム業界のよう。しかし、それは経営的な見地に立てば必須で当然の判断である。彼は一度手にした安寧な安定を貪るだけで、挑戦を忘れた臆病者だったのか。否であると考える。意にそぐわない芸風でそれを貫き通すのもまたひとつの勇気であると考える。他人に決められているかも知れぬレールの上を行くのもひとつの選択、選択者の意志であると考える。現在の人気が不落であるとは限らない。同じ芸風で書き続ければ、いずれは読者に飽きられる。しかし、それでも芸風を変えずに読者を飽きさせない作品を書こうとすることこそ、挑戦に他ならないではないか。彼が死んだ現在でも、彼の名前とともに彼の芸風は世間に知れているということは、例え見せかけの芸風であっても最後までそれを貫いたのだ。あるいは、周りに誉められてその気になっちゃったか。
2001/05/05(Sat)
昼過ぎに出かけて、上大岡駅でRinkyに会う。昨日、もらい損ねたブツの引渡しの為である。まァ、僕もすべて渡したつもりで忘れていたCDが一枚あったので、昨夜のうちに他のブツともども焼いておいたのだ。真昼の駅構内でブツブツ交換。
そういうわけで、RinkyからPS「久遠の絆」およびそのサウンドトラック、ブツ一枚を受け取る。「久遠の絆」は伝奇もののノベルゲームで、僕が2年くらい前から買おうと思いつつも価格が下がらない為に手が出なかった一品である。前回Rinkyの部屋の棚にあるのを見つけたときに速攻で貸してくれと頼んだのだが、「曲聴くからだめ」とにべもなかった。曲だけ聴いてゲームやらない癖に。ところが、昨日電話した際にだめもとで切り出してみたところ、あっさりオーケイの返事。あれだけ執着していたはずなのに。「あれのサントラ買っちゃったんだ」なるほど。尚、「久遠の絆」のサウンドトラックは、このゲームの制作元のhpでの通販のみの販売というマニアックな代物なのだが、それを購入しているあたりRinkyという男の性質を見事に物語っていると言える。
久しぶりに川崎のブックオフに寄る。ここのブックオフは近辺のブックオフの中でも最も広いフロアを有しているのだが、いかんせん岡田屋モアーズ内にある為に閉店がモアーズの閉まる20時といまいち使い勝手がよくないので、普段はあまり寄らないのだ。
SS「リアルバウト飢狼伝説 ギース・ハワード最後の闘い。」(550円)、およびおたく本3冊購入。
その後、川崎の別の本屋に寄り、「ARMS」10巻購入。ブックオフに置いてなかった為、立ち読みできなかった巻である。
いざ秋葉原。
あきばお〜にて、CDR30枚購入。露店で大判焼きを買って、路上で食べたりとか。
帰りに鶴見のブックオフに寄る。
おたく本2冊、およびマイケル・ムアコック「エルリック・サーガ@ メルニボネの皇子」購入。
結局、本来の目的であった服も買わずに帰る。本日出かけた目的はとりあえず服を買いに行くことだった。つまり、上記のRinkyとの邂逅、川崎のブックオフ、秋葉原、鶴見のブックオフはその目的に至るまでの壮大なる寄り道であったわけだ。寄り道が壮大過ぎて寄り道だけで終わりました。つーか、鶴見のブックオフに立ち寄った時点で諦めたよ。ままあることである。
本日、購入したSS「リアルバウト飢狼伝説」を帰宅後に開封してみると、同梱されているはずの拡張RAMカートリッジ」が入っていなかった。「このゲームは『CD』と『拡張RAMカートリッジ』を両方セットしないと遊べません」ゲームの外箱には明記されていた。このことを知っていたから僕は同梱版を買ってきたのである。このことを知っていたから同梱版550円に価値を見出したのである。うがー、どないせいっちゅうねん! 大体同梱されているはずのものがない場合は箱にその旨を記したシールが貼ってあるし、レジで店員が確認をとるぞ普通は。明日は川崎のブックオフに殴り込みをかける決意を胸に寝る。
2001/05/04(Fri)
「関内にカレー博物館ができたらしいぞ。ラーメン博物館みたいに複数軒のカレー屋が中にあるんだそうだ」
「ほう」
「ちなみに、その中のある店のウエイトレスはメイドさんの格好らしいぞ」
「・・・行こう」
免責事項:僕は情報提供をしただけであって、行こうなどとは一言も言っていない。
そういうわけで、Rinkyと関内の横浜カレー博物館に行く。
すげー並んでいた。長蛇の列を見た瞬間に帰る気満々になっていたのだが、「せっかくここまで来たんだから」というRinkyの言葉により並ぶことに。カレー博物館の人らしきピエロの格好した女性が並んでいる人々にじゃんけんしながら回っていた。負けると、残念賞として奇妙な人形の形をしたグミを渡していた。勝つとチュッパチャップスだった。大差ない。ちなみにRinkyは負けた。ちなみに僕は勝った。カレー博物館はその建物の7階と8階である。ようやくエレベーターに乗ってそのフロアに到着するも、そこにも人の群れ。フロアの外側、環状となっている通路をぐるぐると回ってたどり着く最後尾には看板が立っており、「待ち時間120分」・・・ここはディズニーランドかいっ。たかがメイドの為にカレー一杯の為によくもそこまで並ぶものだ。並んでやるよコンチクショー!!
並んでいる間に環状の通路の反対側、目当ての店の窓から中でカレーを食べている人々を眺めるのはなんだかクリスマスを連想します。つまり、店内でカレーを食べている人々は暖かな食卓を囲む幸せ家族、子供たちは靴下に入りきらないほどのプレゼント、パパはサンタの扮装、そして最後に蝋燭を吹き消すのです。そして、僕らは貧しい少年、その決して手に入らない光景を窓の外から見入っていて、泣きながらマッチを売るのです。僕がそんな思いに捕われている一方、Rinkyは入場の際に渡されたパンフ片手にフロアを行き交うウエイトレスの制服がどの店のものなのかを確かめていた。ところで、館内には展示と称していろいろと訳のわからないものが多々配置されていたのだが、そのうちのひとつにモールス信号の無線機が置かれていた。無線機のそばにお手本となるSOSの打電のリズムの表示があった。この無線機を叩いて打電すると、設置されたスピーカーからその返電が返ってくるという仕組みのようで、とりあえずそのSOSのリズムを打電してみる。しばらくの間、そしてスピーカーからの返答、「返電を確認。『電文ノ意味不明、電文ノ意味不明』」むう、どうやら多少打ち込みが荒かったようだ。ならば、今度こそ確実にリズムを取って、と再入力。スピーカーからの返答、「返電を確認。『電文ノ意味不明、電文ノ意味不明』」更に慎重に再入力。「返電を確認。『電文ノ意味不明、電文ノ意味不明』」このままではかつてメトロノームと死闘を繰り広げた日々を過ごした者としての示しがつかぬ。よかろう、今こそタシロさんより受け継いだリズムブレイカーの真価を見せるとき! 「返電を確認。『電文ノ意味不明、電文ノ意味不明』」ってやっぱブレイクしてたらだめじゃん。その後、Rinkyも挑戦するが結果は同じく惨敗。しばらく様子を見ていたが、試みたお客の誰一人としてまともに打電に成功していないことに気づく。実は「意味不明」以外の返電が用意されていないのでは?
尚、ようやくありつけたカレーの味は普通だったということを明記しておく。僕としてはインドカレーの店のくせにラッシーが置いてなかったのは減点である。
「ARMS」7、8巻購入。何やってんだか。
2001/05/03(Thu)
ソウと酒洛で飲む。ああ、結局高田馬場から離れられない。
いろいろと話してて、「難儀な性格だなー」と言われる。困ったものである。
某hpについての愚痴をソウに言ってみる。「おまえ、考え過ぎ」
その後、歌広場に行くが、どういうわけか入れる曲片端から「現在この曲は予約できません」うきー。
ソウと別れて、ひとりで高田馬場駅のホームに立っているときに不意に思い出したことは、それはカラオケの代金の清算を済ませていなかったこと。実は、正月に続いて2回目だ。宗の野郎ォーッッ!!
「ARMS」5巻、6巻購入。
2001/05/02(Wed)
月曜の代休により今日から僕のゴールデンウィークはスタート。18時まで寝る。
どうにも風邪をひいてしまったらしく、鼻水がじゅるんじゅるん出る。じゅるんじゅるん。
夜、ソウに電話。
2001/05/01(Tue)
引越しの最中だというスカイメールがキムラから届く。
そうか、おまえも旅立つんだな。
って、姫路って今までおまえが旅立った中で一番実家から近いじゃん!
今までがスペインとかメキシコだったからなー。