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東郷仁平の事件簿

 N県の山深くに位置するS村。その村を古来より実質的に支配してきた村木家。相当な財産家であり、実際村の奥に山村らしからぬ馬鹿でかい屋敷を構えている。その村木家で、4日前に殺人事件が起きた。現当主・村木秀作が自室で刺殺されているのが発見されたのである。事件発生時には、村木家のしきたりという名目で、村木一族の者全員が屋敷に宿泊していた。しかし、誰一人として村木秀作が殺されたことに気づいた者はおらず、屋敷に賊が侵入した形跡はまったく残されていなかった。この難事件に地元の警察は頭を抱えた(地元といっても、S村から車で三時間かかる町の警察署の捜査員たちだ)。
 そんな彼らの前に、ふらりと姿を見せた男がいた。無精ひげを生やした薄汚れた風貌。飄々とした痩躯に背負ったくたびれたギタアケエス。探偵、東郷仁平である。
 彼は滞在中であったこの村で、偶然事件に出くわした。閉鎖的で排他的な村人たち相手に話を聞いてまわり、地元警察に疎まれながらも独自に捜査を進めた。悪戦苦闘の末、明らかなになる新事実! 浮かび上がる人間関係! 地元警察も舌を巻き、ようよう彼に協力しだした。

 村木邸の応接間に、複数の男女がいた。
「さあ、東郷くん。君に言われた通り、秀作以外の村木一族全員をここに集めたぞ」
 初老の太めの男が仁平に向き直った。地元警察の指揮をとっている洞内修警部だ。彼の仁平に対する態度はこの数日でまったく変わっていた。
「関係者を全員集めるなんて、まるで推理小説だな。これから謎解きでも披露してくれるのかい?」
 そう言って皮肉げな笑みを見せたのは、殺された秀作の次男、村木淳一だ。自称詩人で定職にもつかないでふらふらしているらしい。
「ちょっと待ちなさいよ。その場合、集められた私たちの中に犯人がいるってことじゃない」
 淳一をにらみつけた女性が村木麻代。村木秀作の長女にあたる。気性の激しいことで知られており、服飾デザイナーとして独立している。
「冗談じゃない。私はやっていないぞ。何度も警察に話したじゃないか。あの晩、私はぐっすり眠ってたんだからな」
「そんなもん、誰か証人がいなけりゃアリバイにならねえよ。警察が納得するもんか」
 気弱な叔父、村木貴志の言い様を淳一が鼻で笑った。貴志は秀作の実弟であり、今では唯一の肉親であった。
「私よりも怪しいやつは他にいるじゃないか。この外人はどうなんだ? いつもぶつぶつ怪しいことばかり言ってるじゃないか!」
 貴志が指差したのは、背の高い外国人男性だった。
「オー。アヤシクナイヨ。アレハ、オイノリダヨ。ワタシ、1日ニ6回オイノリシナクチャイケナイヨ」
「叔父さん、信仰とか人種の違いで差別するのはよくないわ。それにこの人はとても信心深い人よ。殺人なんてするわけないでしょう」
 小田澄子が諭すように反論した。彼女は秀作の次女だが、日系ドイツ人のリヒター・小田と結婚している。
「いい加減にしないか! 身内でつまらない言い争いをするんじゃない! そもそもこの中に犯人がいるなんて誰も言ってないだろう!」
 がっしりとした体格の大男が怒鳴りつけた。秀作の長男、村木高浩だ。年齢は叔父の貴志と変わらないはずだが、貫禄がある分年上のように見える。その背後には影のように夫人である村木マリ子が控えている。
 そんな騒ぎにお構いなしにコーヒーを飲んでいるのが、村木鉄郎。秀作の三男だが、噂では隠し子と言われていた。
「東郷さん」
 和服姿の老婦人が刺すような険しい視線を向けてくる。秀作の妻、いまや未亡人となった今日子夫人だ。
「あなたはどういったおつもりで私たちをお集めになったのですか? もし私たちの中の誰かを犯人呼ばわりするつもりであれば、相応の確固たる証拠があるのでしょうね?」
 視線同様の厳しい口調だった。応接間に集まった全員が、仁平の反応に注目した。静寂。
「僕は・・・」
 今日子夫人の視線を真っ向から受け止めていた仁平が、のろのろと口を開いた。
「僕は、腹が減りました」
 緊張がいっぺんに地に落ちた。
「もう12時をまわってるじゃないですか。いや、いや、道理で腹が減るわけですよ」
 仁平は懐から懐中時計を取り出して、一人で納得して一人で笑った。
「とりあえずメシにしませんか? いや、いや、メシにしましょう。皆さんもまだなんでしょう?」
「東郷さん! あなた、いったいどういうつもりですか!」
 わなわなと体を震わせて、仁平に迫ったのは今日子夫人。
「そうだ、東郷くん! わざわざ皆さんに集まってもらったんだぞ?」
 洞内警部も抗議するが、仁平はどこ吹く風だ。
「人間、腹が減ると怒りっぽくなるもんですよ。とりあえずメシ食って落ち着きましょう。いや、いや、メシの仕度は僕がしますよ。そこまで頼むのは忍びない。実を言うと、良い蕎麦粉が手に入ったのです。さすが本場は違いますなあ。さっきから蕎麦を打ちたくてうずうずしてたのですよ。ここは是非、この東郷仁平に皆さんに蕎麦を振る舞わせて頂きたい。というわけで台所を借りますよ」
 周囲の非難をものともせずにマイペースに喋り散らすと、さっさと部屋から出ていってしまった。
 そこで、洞内警部に全員の冷たい視線が殺到した。
 洞内警部は仁平を呪った。

「さあ、蕎麦も食い終わった。そろそろ本題に入ってくれないか、東郷くん」
 洞内警部が言った。彼は、仁平が蕎麦をつくって戻ってきたとき、心労の為ひとまわり老け込んで見えた。太った外見に反して、細い神経の持ち主であった。
「そうですね。それにしてもリヒターさん、箸を使うの上手ですねえ」
「ワタシノマザー、ジャパニーズダヨ。生マレタトキカラ、チョップスティック使ッテルヨ」
「ああ、成る程。それなら支障なく使えますね。あなたの母親に感謝しなくては」
「ソウダネ」
「東郷くん!」
 業を煮やしたように、洞内警部。
「そうにらまんで下さい、警部。もう始めますから」
 気弱に笑ってから、仁平は居並ぶ人物を見回した。
 村木秀作の弟である貴志、長男の高浩、その妻のマリ子、次男の淳一、長女の麻代、次女の澄子とその夫のリヒター、三男の鉄郎、そして、秀作の妻の今日子夫人。村木一族の九人がこの応接間に揃っている。
 仁平は咳払いをひとつ。自分に注意が集まるのを待って、口を開く。
「まず、被害者の村木秀作が発見されたときの状況をおさらいしましょうか」
 村木秀作は自室で、全身十ヶ所を鋭利な刃物で刺されて死んでいるところを発見された。死因は失血死。凶器は未だ発見されていないが、事件の翌朝屋敷の台所から肉包丁が一本紛失しているのが判明している為、おそらくこの包丁が凶器に用いられたと思われる。
「被害者の刺傷はいずれも深いもので、どれひとつとっても致命傷でした。にも関わらず、これだけの回数を刺されている理由を、僕は大別して三つのケエスに分類されると考えます。
 ひとつは、深い怨恨に因るもの。犯人が被害者に対して強い憎しみを抱いていて、一度刺しただけでは満足できなかった。
 もうひとつは、犯人の性癖に因るもの。簡単に言えば、犯人に快楽殺人の気があった場合です」
 快楽殺人、と聴いて今日子夫人が不快そうに眉をひそめた。確かに、気分のいい話ではない。
「そして最後のひとつは、複数犯に因るものです。今回はこのケエスだと僕は確信しています」
 仁平は夕飯の献立でも告げるような気軽な口調で言った。
「複数犯!? ひとりだって何の痕跡も残さずに侵入するのは難しいだろうに、複数犯だって!?」
「いや、いや、警部。それは難しくも何ともないのですよ。それに警部、あなたはひとつ間違っている」
「・・・何をだね?」
「犯人は“侵入”なんかしていません。最初から屋敷の中に居たのですから。つまり、犯人は被害者の身内の方ですね」
 テーブルを叩いて激昂したのは高浩だった。
「おい! いい加減なことを言うんじゃない! 我々の中に犯人がいるだと? 冗談じゃない!」
 仁平は神妙な顔をして肯いて見せる。
「まったくです。冗談なんかじゃあありません。その証拠に、被害者は椅子に座ったままの状態で真正面から刺されている。これは血痕の状況からも明らかです。つまり、犯人は被害者が椅子に座ったリラックスした状態で、刺し殺せる距離まで近づくことを許す程の、よく知った者の犯行ということになります。それに、先程警部も言われたように、外からこの屋敷に侵入してくるのは容易ではありません。ならば、内部の者の犯行と考えるのが自然というものですよ。それとも、外部から誰にも気づかれずに何の痕跡も残さずに侵入してくることの出来る方法をあなたは思い付けるのですか?」
「それを考えるのが貴様の仕事だろうが!」
「やあ、それもそうですね」
 高浩に即座に怒鳴りつけられても、仁平の口調は乱れない。わずかに肩をすくめただけだ。
「続けましょう。なぜ複数の犯人がそれぞれ被害者を傷つけなくてはならなかったのか? その理由を答える前に、まずこちらをご覧頂きたい」
 そう言いながら、仁平は懐から大きめの茶封筒を取り出し、中の書類をテーブルに広げた。
「と、東郷くん! これは!」
「ええ、鑑識の検死報告です。警部がご存知ないのも無理はありません。僕がつてを頼ってもう一度検死を行ってもらった、その結果報告ですから。その際、ある点を重点的に調べてもらいました」
「ある点?」
「刺し傷が犯人のどちらの手でつけられたものなのか、です。つまり、犯人の利き腕を調べてもらったのですよ。なかなか興味深いことが書かれていましたよ。被害者の外傷十ヶ所のうち七ヶ所は右手で、残りの三ヶ所は左手で刺されたものであると推測されるそうです。この報告は複数犯説を十分に裏付けるものではありませんか?」
 仁平は一同を見回すと、一気に核心に迫った。
「右手が七、左手が三。この場にいる皆さんの利き腕とぴったり一致しますね」
 全員の視線が仁平に向かって収束した。仁平は自分が銀行にライフルでも持って押し入った強盗になった心境を自覚した。
「実は先程の蕎麦は、皆さんの利き腕を調べる為の小細工だったのです。先程の食事で僕は自分の考えが間違っていなかったことを確認しました」
 軽い吐息。
「僕の結論を述べましょう。僕は被害者の十ヶ所の傷は、犯人ひとりずつが一度ずつ刺してつけた傷であると推測します」
「ちょっと待ってくれ!」
 洞内警部の制止を、仁平は聞かなかった。構わず手持ちの爆弾を爆発させた。
「そうだ! この事件の犯人は、この場にいるあなたがた全員なんだ!」

「ふざけるな! こんな馬鹿な話があるか!」
「おいおい、俺たち全員が犯人だァ? こりゃ警察よりも医者が必要なんじゃねえのか?」
「あなた、探偵よりも小説家にでもなった方がその想像力を活かせるのではありませんか?」
「わ、私はやってない!やってないんだ! これは冤罪だ!」
 応接室の面々は一斉に仁平に詰め寄って抗議した。
「大体あんたの言ってることは矛盾してるぞ。さっき、犯人がそれぞれ一度ずつ刺ししたと言ったな? 傷痕は十ヶ所だが、我々は九人しかいない。この事実はどうやって説明するつもりだ?」
 高浩が食ってかかった。
「・・・僕はこの場の全員が犯人だ、と先程言ったと思いますが?」
「なんだと?」
 仁平の視線の先の人物は、
「まさか、東郷くん。私まで犯人扱いするつもりかね?」
「ええ。あなたこそ、この事件の十番目の犯人ですよ、洞内警部」
 仁平は洞内警部にゆっくりと肯いて見せた。
「馬鹿な! 彼は警察官じゃあないか! そもそも事件とは無関係の人間だろう!」
「警察官の犯罪なんて珍しくもないじゃあないですか。洞内警部は立派な関係者ですよ。村木一族の人間なんですから」
 部屋に緊張と沈黙が訪れる。その中で、青ざめた顔の洞内警部が重い口を開けた。
「・・・知っていたのか?」
「ええ。昨日一日、僕は町の役場へ行って徹底的に過去の書類を洗い直してたのですよ。書類が改ざんされていて、真実を突き止めるのに随分と苦労しましたが」
 洞内警部は、村木秀作の異母弟にあたる。彼は幼い頃に養子に出されていたのだ。仁平は彼の出生に立ち会った産婆を見つけて、ようやくその事実を知ることができた。
「いや! 例えそのおっさんが身内だったとしても、やっぱりあんたの言ったことは間違ってるぜ! 俺はさっき見たんだ。そのおっさんが右手に箸を持って蕎麦を食ってるのをな! そこのおっさんは右利きだ! 数が合わねえ。あんたの仮説は崩れたぜ!」
 弾劾するかのように淳一が仁平に指を突きつけた。
 村木一族の人間では、左利きは淳一と鉄郎だけだ。他の七人は右利き、つまり、仁平の仮説通りならば残った犯人は左利きでなければならない。
「ええ。警部は確かに右利きです。だが」
 仁平は洞内警部に向き直った。
「だが、洞内警部。あなたは敬謙なヒンズー教徒だ。そのあなたが殺人などという汚れた行為を右手で行うはずがない! 警部、あなたは本来の利き腕である右手ではなく、左手を使って刺したんだ!」

「これで右手が七、左手が三。数が合いましたね」
「そんな馬鹿な!?」
「馬鹿な事かどうかは、警部の顔を見て判断して下さい。と言っても、共犯者のあなたがたが一番よく知っていると思いますが」
 警部は紙のように白くなった顔に脂汗を浮かべ、動揺を強調していた。その様子を見たならば、ためらいもなく有罪が確定しそうな程だ。誰かのため息が聞こえた。
「東郷くん」洞内警部だった。蚊の泣くような声は震えていた。
「この事は他の誰かに話したのかね?」
「いえ、まだ。僕は出来ることならば、あなたがたに自首して欲しいと思っていますから」
「そうか」
 警部は煙草を吸っているときのようにゆっくりと息を吐いた。
「この村の裏の山はね、東郷くん。君も知っていると思うが、ハイキングコースになっていて登山客もやって来る。しかしね、少しでもコースを外れれば、非常に危険なんだ。しょっちゅう酷い霧が出る上に、深い谷がある。地元の人間でも立ち寄らないところだが、他所から来た客はついついそういったところに行きたがる」
 仁平は突然の話題に追いつけず、ただ警部の独白めいた話に耳をすませた。
「だから毎年必ずと言っていい程遭難者が出る。遺体は見つかる方が珍しい。おそらく霧に迷って谷に転落するのだろう」
 仁平は不意に自分の視界が狭まっていることに気づいた。先程まで思い思いの場所に落ち着いていた村木一族の者たちが、いつのまに仁平の側まで近づいていた。
「この村では行方不明が出ることは珍しくないんだ、東郷くん。それも他所者ならば尚更に」
 警部の声は既に小声などではなかった。仁平は後ろに下がろうとしたが、すぐに踵が壁にぶつかった。彼は客人ということで上座に座っていたのだ。つまり、部屋の最も奥。
 仁平は暗闇に電灯が点くような唐突さで、これから何が起こるかを悟った。
 包囲の輪がゆっくりと狭まり、やがて収束した。


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