のぶちゃん
のぶちゃんとは誰のことか。ずばり、私の父のことである。
私は小さい頃から、父親のことをのぶちゃん、母親のことをみっちー、と呼ぶ。親をあだ名で呼ぶ、というのは、他人に言わせると一般的ではないようだが、私にとって、物心がついた時からすでに身についてしまった習慣は、22歳になった今でもそう簡単に抜けるものではなく、私は未だに両親のことを「お父さん」「お母さん」と呼べない。突然変えるのもなんか照れ臭くて。
今日はそんなのぶちゃんの話をする。
のぶちゃんは埼玉生まれの埼玉育ち。小・中は地元の学校に通い、高校は都内の私立に。彼の出身校は、今でこそ結構有名な進学校になっているのだが、どうやら当時はそうでもなかったらしい。
「高2の時、担任がホームルームの時、『あなたたちの中で早稲田に行けるのは…1人!』って激を飛ばしてさぁ、本当はお前らもっと頑張れって意味だったと思うんだけど、みんな内心『・・・俺か?』って思って…いや、自分もそのうちの一人だったんだけど。」
そうこうしているうちに大学受験。現役の時は東京教育大(今の筑波大ですね)を受けるが、「試験場ですごく手ごたえがよかったから、こりゃあもらった!と思って自分に赤飯買って帰ったら落ちてた」らしい。
…でも実はこのエピソードには続きがあって、
家族がこの話を聞いて、「えー、信じられない。受かってるかどうかなんて発表を見るまで分からないのに」と言ったところ、
「でもまだよかった。ヘタしたら隣近所の分まで買ってくるところだったから。」と、発言。
…確かにまだよかったのかも。
現役の冬はどうもテレビ漬けだったらしく。「浅間山荘事件」や「札幌オリンピック」をずっと見ていたらしい。そりゃだめだ。
一浪の時(実は彼、小学校の入学を一年遅らせているのでもうハタチです)は
入試間際に成人式に出席、そのあとガンガンに飲んでたりしたらしい。そりゃあだめだって。
そして二浪の末某私立大学に入学。水泳部に所属。卒業後は某食品メーカーに就職。そこで私の母親と出会い、結婚に至る。
これは私が生まれる前の話らしいが、二人で山梨県にある母の実家に行ったときのこと。母の実家の周りは今でこそ住宅が増えてきてはいるものの、当時は周り一面ぶどう畑。ぶっちゃけなにもない。ある日の夕方、どうにもこうにも暇をもてあました父は祖父の自転車に乗り、15分くらい漕いだところにあるパチンコ屋に。
「いやぁ、ほんの暇つぶしのつもりだったんだけど…出ちゃって!」
立ち上がるに立ち上がれなくなってしまったのぶちゃんはそのまま夜まで打ち続け、山盛りの景品を抱えて夜9時頃帰宅。するとそこには祖父母と母の引きつった顔が…。「…なかなか帰って来ないから心配したんだよ」
(のぶちゃん)「ほら!お義母さん、カルピス取ってきましたよ〜!!」シラーーーーーーーーーーーーーーーッ
そのうちに私が生まれる。
私が大きくなってから聞いた父の言葉。「今まで生きてきた中で嬉しかったことは三つ。一つは、大学に合格したこと。二つ目は、みっちーと結婚したこと。三つ目はmeiyiが生まれたこと。」
いやぁ、それは嬉しいんだけどさ。ゆきんこ(注:meiyiの8つ下の妹)は?
…あわてて追加してました。
その後、おじさんになってからも、味のある行いで私たち家族を笑わせてくれるのぶちゃん。いつもお仕事ご苦労さまです、ありがとう。ただもういい歳なんだから、お酒はほどほどにしてほしいなぁと思う私。せめて帰りのタクシー代のない日は、終電には帰ってこようよ。だって、みっちーに怒られるのが怖いからって、私の携帯に電話をかけて、「お金持って起きて待ってろ」なんて言うんだよ…。あと夜に自分で娘に小遣いやったのを忘れて、次の日になって「俺お前に小遣いやったっけ…?金ないんだけど」って電話してくるのもなんだかなぁw
でも、おもしろいおじさんですよ。