切腹

武士がこの日本に初めて登場したのは10世紀頃だと言われている。
皇族の内紛も解決するようになり、めきめきと力をつけることになる。
個人的解釈ではあるが、この武士という存在はかなり謎なのである。
彼らはいったいどこから発生したのか。
日本文化の中で馬に乗り、またその馬を戦闘に用いるという発想はあったのか。
戦闘に使用したという問題はおいておくにしても、そもそも馬はどこからやってきたのか。
と考えた場合、モンゴル放牧民族が日本に流れ着いた結果ではなかろうか、という結論に至った。
まぁ、そんな話はどうでもいい事なのであるが。
武士の文化はその後も続き、明治時代に制定された廃刀令で武士という階級がなくなることになる。
今では世界中で「サムライ」と知られる武士であるが、なんと言っても「刀」が魅力的である。
今なおテレビ、舞台では時代劇が終わることなく制作され続けている。
世界でもこの独特の文化は取り上げられた。
具体的にはアメリカでは「キルビル」「ラストサムライ」などの映画が製作された。
武士と言えばやっぱり「切腹」も独特な行為である。
自分の腕をカッターナイフで傷つけるのも怖いと思うのに、腹を切裂くなんてそうとうなものだ。
たとえ介錯人がいるとは言え、その時の決断力、諦めた上での勇気、武士としての誇り、
そう言った決死に迫る心境は並外れたものではないはずだ。
すっかり臆病になってしまった現代の日本人には到底真似のできないことであるとは思う。
しかし現代で切腹をした場合どうなるのだろうか。
例えば、忠誠心をもって勤務している会社が倒産してしまい、それは自分のせいだと切腹を決める。
決死の覚悟で切腹をするとする。はたしてこの人は周りの人から賞賛されるのか。
武士の中では「切腹」は「戦死」の次に見事な人生の幕の下ろし方だとされたに違いない。
武士らしい最期だったと言われるだろう。ドラマがある。
忠臣蔵の戦士たちも今なお賞賛され、伝説にまでなっている。
現代の切腹は、未来の伝説になりえるのか。
僕はそうは思わない。
現実的な話をすると、介錯人が殺人罪で逮捕される。
殺人罪ではなくとも、自殺を手伝ったとか言って罪になるんだろう。
そして何よりも、切腹にドラマを感じるほどの忠誠心が今の人たちにはない。
人生に途方もくれて自殺することを思い立ったとして切腹する。
介錯人が逮捕されなかったとしても、自殺の動機にドラマがない。
だから残念ながら切腹は現代、「いい死に様」ではないらしい。
日本人に限らず、世界の人たちが格闘技を愛し、この武士という生き方を愛するのは
それぞれの中に、闘争精神があり完全に失われてないからである。
でも、武士という生き方よりも武士の心を、貫徹された心を、
自分の信念を貫き通す心を見習うべきだと僕は思う。
僕は精神面で、幕末新撰組に負けない自分の意思を確固たる物としたい。