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2-1公立病院と私立病院

1−1序文

そもそも病院とは何なのであろうか。昭和23年に制定された医療法には次のようにある。「医師、歯科医師が医療を行う場合のうち、20人以上入院できるものが病院である。(入院設備のないものや19人以下の入院設備しかないものは診療所)」また、病院を作るためには、都道府県知事の開設許可が必要だが、営利を目的としたものは許可されなくなっている。この点は他のサービスとは大きく異なるところである。

1−2歴史

今日の病院の大きな役割である、いわゆる大衆医療は明治以前までは細々と民間によって行われていた。例外的に享保年間に開かれた小石川療養所があるが、それ以外の官による大衆医療は全くなかったといってよい。
1867年鳥羽伏見の戦いの際、医療にとって大きな節目を迎える。それは官軍が西洋医学を導入したことである。それまでの日本における医療の中心は漢方医であった。今日では漢方を見直す動きはかなりあるものの、当時は迷信まがいの治療法が横行していた部分もあり、何より近代戦による銃創や裂傷に対しては無力であった。しかし、西洋医学の特徴でもある外科の技術はこうした傷に対しとても有効であった。維新の戦乱においての西洋医学の大活躍により明治新政府はその導入のため、外国人医師の招へい、優秀人材の海外留学、そして研究等に力を注いだ。しかし、それはあくまで軍事医療のためであり民間医療のためではなかった。この時点において大衆医療はあくまで人民安撫としてか、ちょっとしたお偉いさんが格好付けのため、なにかの記念のため程度の気まぐれ的なものでしかなかった。つまり、大衆医療は明治初期にはまだ、行政の役割とはされていなかった。
しかし、1874年に事態は変わる。「医制」が制定されたためである。この法律は日本初の総合的な医務衛生制度であり、目的は「人民保護」とされた。初めて行政の仕事として大衆医療を規定したのだ。この事態の変化には大きな背景がある。それは急性感染症の流行である。明治初期から半ば過ぎまでは感染症の時代であった。これら感染症の流行は国力の低下につながり、また、西洋列強諸国からは格下に見下げられてしまう。脱亜入欧政策を推し進める明治政府にとって感染症の撃滅は急務であった。そして、こうした感染症を防ぐには多くの西洋医の養成が不可欠であった。そこで、それに伴う病院の整備が始まっていくのである。感染症の驚異と戦う。これが戦前の医療の基本姿勢だった。
医制の内容は大きく分けて4つある。一に文部省統轄下の医務衛生行政機構の整備確立である。これは今まで全くなかったものである。日本で初めて大衆医療を行政の役割として明文化されたのだ。二に西洋医学に基づいた医学教育の確立。三にこの医学教育による医師開業免許制度の樹立である。これにより、漢方医は制度樹立の時点での医者は認められたが、新規に認められることはなく、消滅していくことになる。そして、四に近代的薬剤師制度・薬事制度の確立である。また、後に公私病院の条項も入り、公立病院設立は内務省、私立病院設立は地方庁の管轄となる。これは地方庁の管轄である私立病院の方が内務省管轄の公立病院より設立が簡単になっており、病院普及政策の一環とも言える。しかし、そうしなければならない事情があった。それは、公立病院は医学校に属せねばならず、いわば臨床実験の教育の場であり、また、実験的なものも多いから費用も高くあくまで上流階級の人々のものであった。病院は庶民から遠い存在であった。そこで、私立病院の必要性が高まった。
1872年、順天堂医院が佐藤尚中らを中心に日本橋本町に設立される。目的はズバリ庶民の医療であった。近代的私立病院の誕生である。これが庶民のニーズにダイレクトに応える形となり大盛況となった。設立当時、加賀前田家から今のお金で約2億円借りたが、たった6年で完済してしまった。これは公立病院より安いとはいえ現在の病院の診療費基準よりも遙かに高額であることにもよる。また、当然のことながら国からの補助もない。病院は当時、儲かるものであったようだ。これが現在でもそのイメージが続いているようである。今でも実際医者は高額所得者が多いが当時は桁が違ったそうである。話を元に戻す。その他にもこの時期、成医会講習所、有志共立東京病院(現在の東京慈恵会医科大学)告成堂、杏雲堂、済生学舎、慶應義塾医学所等がある。
大衆医療は行政として規定はされたが、それは専ら研究及び軍事目的の要素が強く、医療の推進は国威を高める、国力を上げるために行われた。それはひいては国民を救うことになると言えなくもないが、しかし、現在の医療の基本姿勢である人を救うためという姿勢からちょっと離れていると言わざるを得ない。だが、この明治期には日本の医療レベルは驚異的な発展を遂げ、世界医学の一角を占めるようになる。
昭和初期には結核病床、精神病床の整備が進み、旧結核予防法、寄生虫予防法等が施行された。インフレ等で疲弊した労働者を保護するため、健康保険制度が導入され、社会保障が芽生えてくることになる。戦中にはこれを発展させ、主に疲弊した農村の救済のため国民健康保険法がつくられた。
戦後、戦争により日本の医療は人的資源、物的資源ともに大打撃を被った。急速な戦後復興の中、医療施設もめざましい回復を見せ、昭和23年には戦前のレベルにまで達した。しかし、それでも医療施設は不足し、国民の需要を満たすに至らなかった。そのような社会要請のもと国立や公的医療機関が中心となり医療供給体制の充実を図るようになる。軍事国家から福祉国家への変換を果たしたのだ。国民に奉仕する一環として医療は不可欠な行政サービスと考えられるようになる。これは日本国憲法の生存権等、社会保障の概念によるものである。そして、私立の医療機関はあくまで公立医療機関の補助的なものと位置づけられた。
しかし、昭和25年医療法人制度の確立によって資金集積が容易となり、また、その永続性が保証され私立病院が増加していく。さらに昭和30年代、戦後復興から一気に経済の高度成長、昭和36年の国民皆保険、ベビーブームによる人口増加等により病院の利用が一気に高まると公立病院、私立病院のバランスは徐々に私立病院へと傾いていった。そして現在に至っている。
表1
上記、表1からも、私的病院の割合は医療法人を中心に増加し、実に病院総数の8割に上っている。これは、国立・公的病院が昭和30年代から病院の数自体がほとんど変化しない、むしろ少し減っていることによる。戦後直後、病院増加のために設置した病院のみで、その後新たに設置した病院はとても少ない。一方私的病院は、戦後の高度経済成長の波に乗って徐々に数を増やし続けてきた。公立病院の存在意義は戦後当初の方針からどのように変わってきてしまったのだろうか。また、こうした状況は公的病院が必要とされていないことを示しているのだろうか。

1−3病院を取り巻く環境

現在、病院を取り巻く環境は厳しいと言える。日本の病院は営利目的でやってはならないことは前述したが、基本的に医療費は一律一定額に抑えられている。国民の負担を減らすために結構その水準は低い。そのかわり、それに応じて保険から補助が降りるわけだが、それにしても厳しいと言わざるを得ない。そのような状況が今日、保険の水増し請求問題、無免許看護婦雇用、看護婦のお礼奉公、看護婦の劣悪な労働条件などの諸問題の根幹をなしていると言えよう。
表2
上記、表2を見ると、公的病院の9割は赤字であり、一方私的病院の6割が黒字である。また、公的病院と私的病院を比較していくと人件費・材料費に大きな違いがあるのが分かる。公的病院の方が人件費・材料費ともにかなり高いのだ。医業収益100に対する費用では平均して公的病院が113.6で13.6の赤字であり、対して私的病院は97.8で2.2の黒字で、その差は15.8ある。また、給与費・材料費の差を比較すると公的病院は足して実に90.8に上り、一方私的病院は76.9に押さえられている。その差13.9。私的病院の方が公的病院よりも経営状態がいいのはこうした人件費抑制等の合理化努力の差であると断言できよう。しかし、その中で過酷な労働を強いられる病院労働者があって、このような数字になっているのではないかとの疑念もある。人件費が公的病院と私的病院で7.4もの格差があるのはいくら何でも大きすぎると思わざるを得ない。このことは、後述で明らかにしたい。
次に病院の国際比較について述べる。病院の定義や役割は各国によって様々に違い、多種多様である。イギリスは国営医療中心であり、スウェーデンなどはすべて国立病院である。アメリカは昨今、健康保険制度などでもめているが、その元凶とも言えるのが私立病院中心主義である。大型私立病院チェーンが広く展開し、医療費は高めである。そのため難病などにかかっても医療費が高額で低所得層には負担が難しい。医療を主に民間任せにしてきたツケとも言えよう。その中で日本はかなりの変わり種といえる。公的病院と私的病院が混在し、しかも非営利を原則にしているのである。また、病院数が多いのも大きな特徴である。

表3

上記表3からも読みとれるように日本の病院数は9844もあり、ほぼ倍の人口のアメリカの5808を大きく上回っている。また、人口あたりの病院・病床数も福祉国家の名高いスウェーデンと肩を並べる水準である。が、しかし日本の病院数、病床数は不足気味との印象を拭いきれない。いつ行っても病院で診察を受けるまでには平気で30分以上待たされるし、入院にしてもいつも病床は満杯状態で特に個室の病室を確保するのは至難の業と聞く。
その理由については以下のように考えられる。一、健康保険制度による利用の容易化、つまり、安い医療費のため気軽に医師にかかることができる。二,そのために老人が気軽に来てしまい、憩いの場となってしまい混雑に拍車をかけている。確かに老人にとって数少ないコミュニケーションの場であり、また、老人の病気等の早期発見、早期治療等に役立っている面も否定できず、これに関しては解決が難しい問題である。三,大病院への集中傾向。ブランド志向、安心感等の理由から大病院へ患者が殺到している。これが病院が不足していると思わせる大きな理由ともなっているようである。ただの風邪や、ちょとした怪我ですぐに大病院に行ってしまい、本来大病院の主な役割である重度の病気、怪我への対応が鈍くなってしまう。一方で町の小さな病院、診療所は患者が少なく経営が苦しいそうだ。そして最後に病院施設の老朽化があげられる。病院の多くは戦後復興、高度成長期に建設されたものであり、病院の規模に対して効率的な施設の配置が出来ていない。また、早急に改築を行うべきだが、改築を行う財政的余力がなく深刻な問題となっている。
このように日本の病院を取り巻く環境はかなり厳しいものである。

1−4現場の声

以上の調査を裏付ける、あるいは疑問を解消すべく取材調査を行った。取材を行ったのは公立の代表として日野市立病院、私立代表として私立花輪病院である。両病院は古くから日野市にあり、ともに日野市を代表する病院と言えること、規模、利用者においても日野市における双璧であり、しかも両病院は2,3キロしか離れておらず、近距離に存在し比較がとてもしやすいのが選定の理由である。

日野市立総合病院

1997年6月23日取材。本間君と筆者の二人で行った。 取材方法は現地訪問。 取材相手は日野市立総合病院次長でとても人の良さそうなおじさんであった。受付でアポを取った本間君が取材しにきた旨をいうをすぐに次長さんがやってきて、小さな会議室のような部屋に通された。とても丁寧な対応で誠意的にこちらの質問に答えてくださった。以下は取材の内容である。取材当時の記録からメモされた断片的な文章を簡素に一部要約して話し言葉にしてありますが、実際の取材時のやり取りもこのようなものでした。

質問
1.設立年月日及び設立の理念を教えてください
次長:昭和35年11月 、地域医療への貢献が理念です。
2.設立の際、何か社会的要請はありましたか?
次長:当時日野は人口5万の農村地帯だったが、多摩平住宅やその他住宅政策によってベ ットタウン化しつつありました。しかしその時期には私立花輪病院、七生病院(結 核病棟)しか日野には病院はなかったのです。そこで新しい病院が必要となりまし た。

3.病院の医師数、看護婦数、病床数、診療科目を教えてください
次長:医師29人 バイト含みで42,3人

看護婦129人
病床数162床
診療科目 内科、小児科、外科、整形外科、脳神経外科、皮膚科、泌尿器科、
産婦人科、眼科、耳鼻科、歯科以上11科

4.一日どのくらいの方が診療を受けにきますか?
次長:診療742人、病院の設計は500人となっておりキャパシティーの限界を超えて います。これはこの市立病院は日野市でもっとも大きな病院なので、ブランドの指 向がはたらくのか、ただのふつうの風邪などでもけっこう遠くから来院する。その 反対に町の診療所などは結構すいていると聞きます。もっと、そうした診療所を利 用してもらいたいです。こちらもこう、患者さんが多いとそういう軽い病気の患者 さんはどうしてもしっかりと見ることが出来ませんし、また、あまり大きな声では

いえませんが、こういう大病院はどちらかというと一部の役職を持つ医師以外は若 手の経験の浅い医師が多く、いわば医師の養成所のようになっています。一方、町 の開業医などはベテランが多くまた、個人個人の症状にあった治療ができます。ま ずはそうした開業医の診察を受けてから、診療所にあまる患者さんが診療所からの 紹介という形で来院されるのが一番いいですね。
入院は122人。一部急患用にとっていますがほとんど満員状態です。

5.もしよろしければ現在の経済状況をおおまかで結構ですから教えてください
次長:正直言って苦しい。平成8年で42億もの支出でたった63万の利益しかでていま せん。また、患者からは32−33億の医療報酬しか受け取っておらず、残りは日 野市役所からの10億円補助で賄っています。日本の国公立病院で独立して黒字を 保っているのはたった9病院しかありません。1日にすると約200−250万円 の赤字を出し続けています。
筆者:なぜそうなるのですか?
次長:医業収益に対する人権比率が77%もあります。公務員だから収入がなくとも給料 はきちんと払われるし、人事院勧告で毎年上がっています。薬品代や消耗品を残り 23%の医業収益でまかなうのは不可能。だから、患者が来れば来るほど赤字が増 えることになります。また、産婦人科、小児科、身障者・子供用の歯科など子供の 減少によって成り立たない診療科目を抱えています。これらは、民間ではなかなか 扱わない診療科目で不採算でもやめるわけには行かないのです。また、患者が少な くても最大数に対応できる準備をしなければならないのです。
筆者:(人権比率77%とあるがこれは市の補助を除いた数字。市の補助を考えると58 %であり、表2の自治体が運営する病院の給与費56.7に対してそうは変わらな い。一方、国公立病院で独立して黒字を保っているのが9病院しかないとの前述の 発言を考えると表2の黒字病院67の内58は補助をもらっての黒字つまり実質的 赤字と考えられるが、それでも赤字を出している病院が全体の9割近くに上るのだ から、日野市立病院の経営はまだいい方だと考えられる。)

6.設立当時と現在とでは日野の住民の病院に対するニーズに変化はありますか?
次長:設立当時は病院数の不足を補うことが最大の目標でした。しかし、ある程度病院の 数が増えた現在は、私立病院でできないような診療を求められています。また、市 の方針で患者からは消費税はとっていません。これは民間より安く医療を提供する ためです。また、生活保護者に対しても診療を行います。

7.大学病院や市立病院とのつながり、連携はどうなっていますか?
次長:慶応大学病院、立川共済病院と密接に連携しています。これを院院連携といいます。 このほかにも日野市内の診療所とも密接に連携しています。これを病診連携といい ます。また、慶応系、1部順天、北里 、杏林等の研修生受け入れ等をしています。

一般的には慶応系の病院と言うことになります。

8.公立病院の役割な何ですか?

次長:1 公共機関の病院として市民に公平なサービス

2 継続性のある病院
3 先進性のある病院
不採算科目も切り捨てない。民間ではできないような最新の技術を導入して国民に最良の医療の提供をする。つまり、私立病院にはできないような医療サービスの提供を行う。私立病院の補完的役割ですね。だから市民も10億円の補助金に納得してくれています。

本間君・筆者:お忙しいなか取材に応じてくださり、本当にありがことございました。

私立花輪病院
1997年6月24日取材。取材方法は本当は現地訪問の形を取りたがったが双方の都合が合わずに断念。大変失礼ながら電話取材となった。質問事項はあらかじめ1週間前ほどにファックスで送っておいた。取材は筆者がおこなった。取材相手は花輪病院事務長さん。この方も前の日野市立病院の次長さんのように優しそうな声をしていた。さかんに理事長が取材に応じることが出来なくて残念だとおっしゃっていた。
質問
1.設立年月日はいつですか?また、設立の理念などのようなものですか?
事務長:昭和17年4月29日 花輪医院として開業

昭和39年9月15日 花輪病院になる
地域医療への貢献が理念です。

2.設立の際何か社会的要請はありましたか?
事務長:ありません。そこに需要があり経営が成り立つと判断したので設立しました。

3.病院の医師数、看護婦数、病床数、診療科目を教えてください
事務長:医者 常勤10人 非常勤30人

看護婦 40人
病床数 72床
診療科目 内科、外科、整形外科、消化器科、循環器科、泌尿器科以上6科
非常勤医師とは他の病院から、定期的に週1.2度やってくる医師のことです。
腕がいいお医者さんが多いので評判がいいです。

4.1日にどのくらいの方が診察を受けに来ますか?
事務長:外来患者がおよそ一日に400人ほど来院します。本来、病院の外来患者のキャ パシティは都市部の病院で病床数の3倍程度、地方の病院で病床数の2倍。かな り患者さんが多いです。これは歴史的背景があります。それは当病院は戦前から

続き、その間で多くの患者さんを獲得しその患者さんの次の世代、その次世代の 人もうちの病院に来続けてくれるからです。大変ですけれどもありがたいですね。
入院60人ですが残り12床は急患用にとってあるのでもう限界状態です。入院 を待っていただいたり、他の病院を紹介させていただいたりさせてもらっていま す。

5.もしよろしければ経営状態を大まかに教えてください
事務長:先ほども言いましたが患者がとても多いので順調です。

6.設立時と現在では、日野の住民に対するニーズの変化はありますか?
事務長:全体的なながれでもありますが医療全体は病気を治すから、その予防へと変化し ています。

7.大学病院や公立病院との連携はどうなっていますか?
事務長:日野病院さんなど地域の病院との連携はもちろん、非常勤の先生などの病院の連 携など円滑に行われています。

8.私立病院の役割はどのようなものだとおもいますか?
事務長:経営を成り立たせて得意な分野を作り患者さんによりよい医療を提供する。

私立病院なので経営が成り立ち、採算がとれないとならない
そして、私立ができないような不採算な分野を公立がするべき
現在の病院は私立病院中心であり公立病院はその補助的性格が強い

筆者:いろいろと教えていただきましてありがとうございました。

1−5公立病院と私立病院の違い

以上の調査から終戦直後を除き、歴史を通じて医療サービスは民間が中心であり行政はその補助的役割が強いことがわかった。つまり、医療は基本的には民間で行える分野のサービスなのである。しかし、今日それは健康保険による医療費が安価ですむことにより客、つまり患者が多く存在することにより成り立っている面も否定できない。現に表2の私立病院の経営状態もこれだけ多くの患者が獲得できる環境にありながら4割が赤字である。たしかに、実績のない小さい病院が日野市立病院の次長さんのいうとおりブランド指向により敬遠され、一部の大病院がつまり、花輪病院のような病院が繁盛するような状況が赤字病院の割合を大きくしているのだろうが、しかしそれにしても国の医療に果たす役割は大きい。また、医療の中には不採算な分野が存在する。もし、病院の経営状況がよければ、産婦人科・小児科等の不採算分野、最新医療の導入も私立が行って然るべきだと思われる(病院は営利を目的にしてはならない)が、今日のこのような状態ではそんなことはままならない。福祉国家の建前上行政の補助が必要になる。そこに公立病院の意義があると思われる。
以上のようなことから、現在は公立病院の行うサービスの多くは非競合性の分野と思われ、国民健康保険と同じように国民に対し安価で安定的な医療供給をおこなうために存在していると考えられる。基本的に私立病院とは住み分けがなされていると思われる。
病院が事実上我々現代人の生活にとって必要不可欠なものであり、その病院が経営状況の悪化や、そのほか様々な要因で減少するのは非常に困ることである。そのために公立病院が保険として、安心として存在するのだ。
大衆医療は確かに民間による一人立ちは可能かもしれない。しかし、絶対に一人立ちできるとは絶対に言い切れない。また、そのようなリスクを負うことは医療の重要性からも決して許されない。それ故公立病院は赤字でも存在し続ける。また、そうした公立病院を私立病院は認めているのだ。
最後にこの病院に対する調査は病院が健全に運営されているとしてのものであり、あくまでも行政とは何かを解き明かすキーワードの発見に重点が置かれる。そのため、現実に起こっている私立病院の医療費水増し等の私立病院医療現場の腐敗等の問題についてはあえて、今回の調査には関係が薄いとして除きました。