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<参考資料 アルベルト城間について簡単な紹介> 1966年南米ペルー共和国のリマ市生まれ。日系3世。 ペルーでは演歌を中心に歌っていた。 1986年19歳で日本人歌謡コンクール・南アメリカ大会で優勝。賞品は日本への片道航空券。 20歳で来日。演歌歌手を目指していたが、東京で挫折を味わう。原因は日本語が苦手なことと足が短いせいだと語る。 知人から「アルベルト、お前には沖縄があるよ」と言われる。 そして祖父母の生まれ故郷・沖縄へ。 沖縄県青年団副団長がアルベルトに日本語を教え、アルバイト先に沖縄料理屋を紹介し、琉球音楽を習わせた。しかし古典音楽の稽古はとても難しく、「楽しむだけでは音楽で生きて行けないという厳しさを叩き込まれた」 (中略) いろいろあって、1991年ディアマンテス結成。ディアマンテスとはスペイン語でダイアモンドの意味。ラテンのリズムにロックや琉球音楽を取り入れたバンドとなる。 1992年(中略)の部分で出会った音楽仲間と結婚。仲原リカ。沖縄人の血を引くペルー人男性と、日本で育った日米混血の女性の結婚であった。 1994年アルバム「オキナワラティーナ」で全国デビュー。 コザ市(沖縄市)を拠点にグローバルな活動を展開中。 「片手に三線を」は第2回世界ウチナーンチュ大会のテーマソングとして話題を集めた。 2000年「アルベルト城間」から「アルベルト」に改名。「呼びやすいから。みんなアルベルトって呼ぶし」という理由。 (プラスα) @彼らの音楽は「オキナワラティーナ」と称され、言葉・文化がチャンプルーされたサウンドとなっている。 Aアメリカのミュージシャンによるディアマンテス評(朝日新聞2001.7.12) 「すごくいいものを持ってるけれど、何か一つ芯が欲しい」 |
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<アルベルト城間 3世のアイデンティティ> ・
名護市出身の祖父母を持つ3世。 ・ ペルーでは沖縄を意識することはなかった。日本人の孫という意識しかなかった。日本人会と別に沖縄県人会があるのも疑問だった。 ・
3世はウチナーンチュという言葉は使わない。 →1世、2世は沖縄(自分のルーツ)にこだわる。沖縄が持つ伝統芸能の素晴らしさや貧しさゆえの移民により自分の文化を大切に思う。 ・
エスニック・アイデンティティ形成の大きな契機→民族芸能・言葉・音楽 →理解・習得・使用・溶け込みがその文化のアイデンティティを持つ「本格的な資格」に変換する。 ↓ 「ペルー生まれのウチナーンチュ」・・・・・・琉球新報の表現 ウチナーンチュの本質の中に「ペルー生まれ」というのが包摂される *カチャーシーを上手に踊れる (母や祖母がペルーの沖縄系社会組織で教えていたからだと説明し、「なぜか踊れた」と話す) *言葉に関しては「ウチナーグチで歌えたら最高だ」と言いながらも「標準語で精一杯」と笑い、「興味はあるし、出来たら喋りたい」という無頓着にさえ思われる希望をもってつきあっている ⇒アルベルト城間に向けられた「ペルー生まれのウチナーンチュ」という範疇規定、「ウチナーンチュ」という概念は閉じこもらずに移動し変容を受けとめていくものにならざるをえない。「文化的本質」をいったん認め、それを受け容れながらも、その呪縛から逃れる動力をしなやかに備えた「文化的な場所」への入り口であり出口となっている。移動し変化をおこし変容を受けとめることができるような、人と人の様々な関係があった。 リマ・東京・沖縄コザへという移動のもたらした経験→フレキシビリティ |
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<考察> 3世のアルベルト城間は1世・2世とは違って、沖縄への意識はもともと薄かった。しかしリマ→東京→沖縄コザという移動による経験で、沖縄を強く意識し同時に自分の沖縄アイデンティティを認めていく。 このアルベルト城間の沖縄アイデンティティが琉球ナショナリズムからの反発にあわなかった理由として、沖縄人独特のチャンプルー精神があるのかもしれない。エスニック・アイデンティティの基本となる文化の理解・習得・使用・溶け込みにおいて、アルベルト城間はかなりの合格点を出し沖縄アイデンティティを持つ「本質的な資格」を持ち得た。しかし、それだけではこの「ペルー生まれのウチナーンチュ」は沖縄人の中に受けいれられなかったかもしれない。所詮は沖縄文化が好きなペルー人で終わってしまっていたかもしれない。けれども、カチャーシーを「なぜか踊れた」と語り「ウチナーグチを話したいけど標準語で精一杯」という無頓着にも思われる希望を持っているこのアルベルト城間の柔軟性が、純粋なウチナーンチュではないにも関わらず認められていく理由となるのだと思う。ペルーで育ったとしても、3世であるという事実、沖縄人のような顔立ち、ペルーでの環境や沖縄での経験が「ウチナーンチュの本質」に広がりを持たせゆらぎを生み出したのではないかと考える。「ペルー生まれのウチナーンチュ」は「ウチナーンチュの本質」の例外として存在するのではなく、その内部に包摂されるものとなるのである。 |
(参考文献)
西成彦・原毅彦編『複数の沖縄 ディアスボラから希望へ』人文書院.2003