Old Diary(2002/7/1〜2002/12/27)
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(12/27)
そろそろ帰省準備を始めなければならないのに何にもしていない。面倒だ。
『bridge』のインタビューを読む。結構面白かった。
講談社現代新書に時間論関係の本と渡辺浩弐さんの本が出ていたのでチェック。
しかし結局本は買わず、先日手に入れた本を読むことにする。
アーケード、遂に「THE HOUSE OF THE DEAD 3」が出る。前作、前々作ともに面白かったのだが、今回もまた期待を裏切らない出来。ハンドガンからショットガンに変わったことも、それほど違和感を感じさせずに(バイオハザードをしている僕自身は威力の違いがあるのではと思うのだが)遊べた。
ただ、若干他のゲームに影響を受けた感が強い(ショットガンという武器にしてもイービルナイトですでに採用されているし、ボスの攻撃阻止方法はヴァンパイアナイトっぽいし)。もっと前作に近く、ストイックに作ってもよかったのではないかと思う。しかし、回を重ねるごとに敵の動きやグラフィックがきれいになっているのはさすがである。
「DDR EXTREME」も出ていた。「321 STARS」、やっぱりああいう足譜ですか・・・。
・・・と、ここまで書いて終わるのは卒論からの逃避行動ととられる恐れがあるので、卒論の進行状況も一応書いておこう(十分逃避しとるがな、というツッコミはナシで)。
あとは細部を詰めるだけ。詰めるだけなのだが、うまくいかない。上手に処理しよう。
卒論がもうできたという人もいるし(ちなみに内輪で発表会をしないかとの提案を受ける。緊張感を持って仕上げねば)、よいお正月を迎えるためにも頑張らねば。
(12/18)
卒論は遅れに遅れ、第二章の構想がようやく立っている状態。しかし三章にあたる部分は以前に書いているため、何とかなりそう。
今日は学部のある先生の蔵書を公開し、無料で(!)くださるというので友達と一緒に行く。鬼のような本数の中、手当たり次第に本をむさぼる。
そんなわけで今日はそこからもらってきた本の一冊、三木清の『読書と人生』を読んだ。とはいっても、全集1を僕は持っていて、その中に収められているものといくつか重複があるのですぐ読めた。
この人の文章を読むたびに、昔の哲学もまんざら捨てたものではないという思いを強くする。特にこの人の文章は(書かれたものが専門的な論文というよりもエッセイが中心なこともあるだろうが)とても読みやすかった。全集のほうは旧仮名遣いにもかかわらずだ。この人のお師匠さんである西田幾多郎が小林秀雄に「日本語でもなく外国語でもない奇妙な文体」と言われたのとは対照的だと思う(とはいっても、小林にそんなことを言う資格があるのかははなはだ疑問だが)。文体はその人自身によること、そして受け取るこちらによることであり、一概には言えないけれども僕には親しみやすかったようだ。というのも、この人の文章はやわらかみがあると感じられるのである。僕が思っていたことがずばり書かれていて、なるほどと思っていると、もう少し踏み込んだ考察がなされている。こういう本に会うということはあまりないのだけど(最近でいい線いったのはグッドマンの記号理論の本かな)、非常に幸運であると思う。
そしてこの人の文章を読んでいると「京都学派」といわれるものの、少なくとも偏見的な部分(いわずもがな、太平洋戦争にかかわる言説)が、再考を要するものだという思いを禁じえない。最初、三木はファシズムに抗し、マルクシズムに傾斜して行ったというイメージがあったのだが、僕の読む限り、どちらにも非常に批判的であったように思う。おそらくは選択的に、自覚的にそうしていったのだろうと思う。木田元さんの『ハイデガーの思想』によれば、当時は共産主義かファシズムかの二者択一があったかのように迫られた、ということだが、もう少し注釈が必要であると思う。すなわち、それを無批判に受け入れたか、批判的に受け入れたかということだ。両方に懐疑的であったがゆえに亡くなったという人がいるということを忘れるべきではないと思う。僕が今念頭においているのは二人だが(もう一人はヴァルター・ベンヤミン)、どちらもエッセイがうまかった人だけに(逆に十分な論証を読まなくても、一知半解のまねごとができるから僕がすきというだけかもしれないけど)、歴史を考えるときにやってはいけないことだけど、「もし戦後も生きていたら…」と考えさせてしまう人達であるように思う。
…って、こんなこと書いてていいのか、自分。
何気にFF8クリアしちゃってるし。
(12/4)
卒論、第一章のめどがようやく立つ。「書ける!お前は書けるんだ!」と自己暗示にかける日々。
深夜映画にバットマンのMr.フリーズ編が放映される。この作品は敵役であるフリーズにアーノルド・シュワルツェネッガーが出ているというもので話題になったもの。観たけど、まあまあという感じ。シュワちゃんらしさはまったくないので、「出た」というだけのものになってしまった感アリ。
beatmania2DX 8th style、隠し解禁。「桜」は「MAX 300」より易しいと思う(NSでする限りにおいてですが)。
「xenon」もノーマル譜面はそれほどでもない印象。今回の曲は(少なくともノーマルは)前回より易しいと思う。
でも、いい曲が揃っているので僕にとってはバランスがいい。
別冊宝島でFF特集号を組んでいるのを読む。結構面白かった。
(12/3)
卒論に悩む。何より本能のままに書いてしまうので、論理的な鎖がつながっていかない。自主ボツほぼ決定の原稿を書いていることになるが、しかし原稿を埋めないと思考が形になっていかないわけで…。ジレンマ。絶対的な量も少ないし、もう少しがんばって書いていこうと思う。
「論理的な鎖」と書いていて、ふと「logical dash」と「chain」を思い出す。
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(12/1)
いよいよ師走。何より卒業論文の執筆に追われることになる一月。
先週、あれだけ言っていた「TRICK」、見損ねる。眠かった。バミリオンプレジャーナイトもよく寝てたし、深夜放送だけの面白さを十分に味わう、ということはなかなかない。ビデオを買うべきか。おそらくは違う。その深夜という雰囲気がより面白くさせてるはずだから(ある先生は深夜にならないと専門書が読めないそうだが)。
(11/29)
あやうく卒業アルバムの撮影に遅れそうになる。…しかし、上には上がいるもので、僕より遅れてきた人が二〜三名、ある人は自分の研究室の撮影に遅刻し、僕のほうの研究室に写ることになった。まあ、研究室なんて区別は(特に学部生だし)どうでもいいのだけど、こんなにみんなが時間にルーズでだいじょうぶなのだろうか(就職するのに)。
その後、卒論構想発表の後半戦(僕が発表した先週が前半戦になる)。分野が違うので超専門的になってくると「?」な部分もあるのだが、非常に論点がクリアにまとめられているものが多く、参考になる。みんながんばってんねんなー。
夜はのこのこと研究室の人たちについていく。おいしいところを的確に知っているおかげで堪能させていただく。ごちそうさまでした。
(11/26)
今日は研究室関係で映画「20世紀ノスタルジア」を観る。ベタだというか、特有の気恥ずかしさを感じるのもまた事実なのだが、話としてみた場合、なかなか面白かったように思う。
まとまった感想を書けたら書きたい。
(11/22)
卒論構想発表終わる。やっぱりちゃんと書かないと。書きたいことだけ書いててはだめなのだと心から思う。
(…とか言って、開放感を感じているのも事実なんだけど。)
「TRICK」、仲間由紀恵さんが主人公(キャー!)。
容疑者役に二役(双子という設定で)佐伯日菜子さん(キャー!)。
黒髪、きれいな目、不思議な雰囲気(キ(以下略))という僕の中でかなりトップな要素が備えている女優の二乗、最高!
でも、僕の出した問題の答えはこれら二人ではないですよ(>私信)。
今、この日記を書いている途中でふと佐伯さんのサイトを覗いた。すると、エコエコアザラクの(しかも1〜3全ての)DVDボックスの発売計画が!もう、感無量です(って大げさすぎ)!
(11/17)
全然このページを更新せず。いろいろ書きたいことはあるのだけど。
卒論のアイディアはうまくまとまらないが、形にしていく過程で形になっていくのかもしれない。
締め切りが近づく。
(11/1)
11月。口々にアナウンサーたちが
「今年もあと2ヶ月ですね」
「いやー、今年もはやかった」
などと言う。
卒論を書く自分にはプレッシャーをかけているとしか聞こえない。
とはいえ、昨日の大学の演習では先生の発表に重大なヒントを見つける。少しだけ前進するかもしれない。
前回言及したラカンの本は、やっぱり日本語は難しいとのこと(先生談)。仏語で読むしかないのか。ただ、翻訳はもう一度なされるべきだともおっしゃられていた。あの時期の翻訳(いわゆる60年代〜のフランスの著作)は翻訳がばらばらであり、かつ今の時点からわかることも多い(ので、訳しなおされるほうがよい)とのこと。非常に参考になる(読めるかどうか保証のないテキストだけが僕の手元に残っているが)。先生に訳してほしい、というのは個人的希望だが、多忙な人なのでおそらく無理であろう。
そういえば、9月13日の日記で書いていた先生の本が出版され、そこそこ人気であるらしい。有力出版社からのシリーズ物で出されているということ、そしてそのため多くの本屋で置かれていることがまずは人気の秘密だろう。とはいえ、先生自体の書き方も非常にクリアなために売れているのではないか、と思う。僕は校正をした、ということ(と、おそらくは単価が安いせいもある)で先生直々にいただく。ちょっと嬉しい。
(10/27)
木村政雄さんの書いた本を読む。この中にイタリアの経済は困窮しているのに、その陽気さがイタリアを支えている、日本も同じような発想をなぜ取れないのか、と書いてある箇所があった。
これ、実は以前大学の先生にお聞きした話と重なっていて面白かった。確かに現在は不景気でお先真っ暗、のイメージがある。それでも明るくなること(中途半端な突き抜け方ではもちろんだめなのだろうけど)が大事なのかもしれない、などと思いつつ、イタリアにちなんで夕食はスパゲッティーにする。
ラカンの入門書らしい『テレヴィジオン』を買う。……。これで入門書?日本語になってはいるけど、はっきり言って呪文にしか見えない。何回か読めばわかるようになるのかな、と不安になる。
(10/26)
休日。
さっき見たのだが、某電話会社のBフレッツのCMに「あの」テントさんが出ていた。コアな人選だと思う。
(10/13)
少しずつ卒論の準備。…のはずが逃避モードに入って掃除をしたりなんかしている。ま、そのおかげで必要な書類も見つかったからよかったんだけど。
後期も始まり、同時に面倒くさい書類の提出にうんざりする。就職先に書くのはともかく、あと半年しかいない学校の書類は本当に面倒だ。あんまり自分の学校の悪口は言いたくないが、こういう形式的、事務的なことに関する情報が非常に少ないと思う。ロクに掲示も見ていない僕も僕なのだが、もうちょっと便利にならないかな、と感じる。
(10/4)
実家に帰り、免許の試験を受ける。結果は合格。原チャリも初乗りしたし、結構面白い3ヶ月だったと言えよう。少し風邪気味になったのが残念だが、ま、今までの疲れが出たということか。
大学院入試終わる。結果はともあれ、受験したみんなにはお疲れ様、といっておこう。
幸いにも一次試験を突破し、面接過程にまで進んだ人の話を聞く。結構大変だったみたい。いろいろ聞かれ(というよりはツッコまれ)ヘコんだそうだが、僕に言わせれば「ツッコまれないよりマシ」。ましてや彼は内部進学生なのだから、機械的に「ハイ、次」と言われるよりいいのではないかと思う。結果は(再?)来週の月曜日とのこと。ここまで来たら合格しておいてほしい。
beatmaniaUDX 8th style稼動、そして遊ぶ(ちょっと遅すぎ?)。感想としては、全体的に易化した感じ。7ピカがそんなに難しいとは思わなかった(Colorsのremixとか、symbolicとか)。易しくなるのはいいのだが、その分激ムズ曲(Vとか、THE SAFARIとか)が同じ難易度としてあることに無理ができつつあるような気がする。
もう10月。少しづつ(と言うよりは、おそらく速攻で)卒論にかからねば…。
(9/27)
20日に書いたあるイベントのお礼だということで、ご飯をおごってもらう。初めての馬肉。結構おいしかった。
フランス語を久々にやってみる。……。「継続は力なり」という言葉を(もちろん逆の意味で)実感する。
今日、あるところでは「左」にされ、あるところでは「保守的」にされる。自分ではニュートラルなつもりなのだが。
(9/24)
自動車は卒業しました(拍手)!あとは地元に戻って試験を受けるだけ!
レポートを1本仕上げる。ものすごくはやく仕上がって自分でも驚く。昔の日記が大きく役立った。こんな超不定期ないいかげん日記でも、つけておくものだと思う。
(9/20)
自動車はみきわめも学校内学科もとりあえず終わり、あとは試験の日を待つのみ。長かったような、短かったような3ヶ月だった。明日はあるイベントのお手伝い。朝早くから行かないといけないのに夜中に起きてしまっているが、迷惑をかけないようにだけはしたい。
(9/15)
昨日も、そして今日もほぼ一日中自動車学校に。今までゆっくりとしていたが、このままでは9月中に終わらないということもあり、少し焦って通っている。今週はほぼ毎日になるが、それで何とか修了できそうなので、頑張ろうと思う。
(9/13)
先生が新刊を出されることになり、今日はその校正をお手伝いすることに。内容が比較的短く簡単だったために参加者全員が通読して校正するということになる(実際3時間程度で皆通読完了)。この、今まさに本が出来上がっていくという行程に参加できるのは何か嬉しかったりする。もちろん、まだ出ていない本を先に読めるという優越感もあったりする。とりあえず僕もいくつかの誤字脱字を訂正したので役割は果たした、といえるだろう。その後は内容についてのコメント。僕自身は細かいところはほとんどわからなかったのだが、そこは他の皆が刺激的で的を得たコメントを発する。ただ、今回は先にも書いたように内容を簡単にする必要があったので、完璧にというわけにはいかなかったようだ。先生はもう一つ、その本の背表紙に載せる顔写真を撮影。実は以前に同じようなことがあったときに何枚も何枚も写真を撮っていたので(今がデジカメの時代でよかった)、またそうなるのかなと思っていたが、今回は先生のセルフポートレート。いい出来だったらしく、すぐに終わっていた。
以上、現場からでした。
(9/7)
頭の中が「ハイジのジャンケン」と「カラスの色」でいっぱいだった日。
近くにあったのに、なぜか行くことのなかった店に行く。思った以上の安さ!そしてある意味思った以上の品揃え!以前テレビで見た「幸麺」、「爽」の新味などを買う。
(9/2)
桂文珍師匠の「地獄八景亡者戯」をテレビで見る。深夜放送だからいいものの、結構ヤバめのネタがちりばめられていて、大変面白かった。もともとのお話は師匠である米朝師匠から教わった、とどこかで書いていらしたような気がする。文珍さんは非常に現代的なアレンジや、わざと言葉を省いて客をうまくくすぐらせる人であると思った。わかぎゑふさんによれば同じく桂一門の吉朝師匠もこのネタが得意であるらしい。一度3人の「地獄八景亡者戯」を聞き比べてみたい、などと思う。
いよいよ夏休みも終わってしまった。学生生活最後の夏休みは、と聞かれたら「勉強していました」と言うだろう。とにかく勉強会ラッシュだった(じゃあ参加すんなよ!あまつさえ企画すんなよ!)。僕の企画したのはある本の読書会だったのだが、徹夜してますメールを送るものあり、自分のHPにキレてしまうまでの顛末を書き続けるものありという惨状に、僕は少しの罪悪感と多くの満足感を得ていたりしていた(鬼)。今日はその初期のみ参加してくださった院生の方とお話しする機会を得た。
院生「そういや勉強会行けなくてごめんね。」
僕「いいっすよ、皆頑張ってくれてたし。でも、どうしたんですか?」
院生「いやな、ちょっと病院にぶち込まれててん」
僕「入院ってことですか?何かヤバイ病気だったんですか?」
院生「いや、ちょっとした
(9/1)
昨日は理系院試の打ち上げに参加。来た人から今回の結果について教えてもらう。合格した人はおめでとう。残念ながら落ちてしまった人はしかたなかったねと、まあそういうしかない。結果は出てしまうものなので。来月は僕のほうの学部で(研究科というべきか?)院試がある。大変だとは思うけれど(僕は就職組なのでどうしても傍観意識が消えない)、この1ヶ月が勝負どころだと思うので頑張ってほしい。そして、できれば「迷いのない」状態で受けてほしい、とも思う。大学院進学も進路選択の一端なのであるが、その事態の大きさが特に大きく見えてしまうのが今の時期であると思う。もちろんその大きさにまったく気づかない、なんて人は大物か問題だろうが、その大きさを正しく見据え、正面から受け止められる人がおそらく受かるのではないか、と(道徳的、精神的だとは思いつつも)思う。
考えてみれば僕の周りは大学院に行く人、もしくは大学院に在籍している人ばかりだったので就職か進学かについては人より悩んだと思う。就職活動も連戦連敗だったので(涙)、少なくとも悩んでない、とは言えないと思う。そういう悩みの中で就職活動をするので、就職活動者はやはりこの先を見据えられるようになっている(僕はそうでもないが)。その分を院試組は(ちゃんと正しく受け止めている人もいるけど)この時期に感じなければならない。僕の思い過ごしであればいいのだが、心配があたってしまった場合、やっぱり少しでも何かしてあげられれば(研究室に寄生していたものとして)と思う。
話は変わって、ちょっと大きな本屋で探し物をする。調べてみると生物学の棚にあるとのこと。たしか出版社は「哲学書房」であったはずなのに・・・(カンのいい方は僕が何を探しているかわかったかもしれません。出版後、少し時間はたっているあの本です)。で、普段行かない棚のところに行き、探すと無事その本が見つかった。打ち上げの待ち合わせの関係上、パラパラとめくることしかできなかったけれど、なかなかに面白く、読まず嫌いをしていた自分に気づく。一応僕の先生が巻末で対談をしているのではじめと終わりだけをざっと立ち読みした後、売れているのかどうかは知らないが、あまりにも貧相な扱いを受けていたその本を(2冊だけ、棚の隅っこにあったので見つけにくかった)「檸檬」にし、ほかの本の上においてその本屋を出る。ちょっとだけ梶井基次郎の気分を味わう(これまでの学問分野を「こっぱみじん」にしている本だから、という意味も込めつつ)。きれいに配列している棚に自分の痕跡を意識して残すことの楽しさというのはある。コンピュータウイルスを作る人もおそらくはこういう気持ちが少しはあるのだろうなと思う(こちらは多少迷惑がかかるものだが)。
(8/30)
本屋でふと中原中也のサーカスの詩を読む。「ゆあ〜ん ゆよ〜ん ゆやゆよん」。この一節がかなりいい。また、最近平井堅さんが歌う「大きな古時計」(だったっけか?)がNHKの「みんなのうた」で流されている。この二つの詩に共通する特徴として、「ある時間の流れを固定した」すごさがある、と思う。それもいわゆる「普通の時間の流れ」ではない(後者は時計の刻む音を描写した時間、つまり時間を描写した時間?であると思う)。時間とは一種の「流れ」ではあるが、それを描写したいわば「メタ時間」は一種の固体的性質をもつ、スナップショットのようなものではないかと思ったりしている(他の本も読んでいてそう思うようになった)。この二つの詩がなぜ(少なくとも僕にとって)美しいものであると感じられたのか。それは「メタ時間」的なものを、そしてそこから同時に時間を、あまりにも上手に描写していたからではないだろうか。
(8/25)
やっとバイオハザード(ベロニカ)クリア(最近買った)。難しい、というのは初見であればどれもそうなのだが、ともあれ難しかった。あと数回プレイしないと最終的な(シリーズ内での)難易度はわからないだろう。大体、カプコンのゲームはどれも一番初めが難しい。バイオ、ロックマン、魔界村のどれにしても最初がとにかくむちゃくちゃに難しいのである。一応どれもクリアはしているし、シリーズを通してプレイしているのでこのことは結構確信を持っていえる(とはいえ、続編も十分難しいのだが)。
で、今作の感想だが(といっても遅いのだが)、ダメージ量が多く、即死トラップも多いので、一瞬たりとも気の抜けないゲームになっていた。あと、オート連射と緊急回避がないのに最初は少し戸惑った。これもシリーズものの特徴なのだが、結構作品ごとにシステムが変わってしまうのは少し不満である(ロックマンのパスワードはE缶記憶の有無がシリーズごとで違うし、魔界村は上下打ち分けがなくなってしまったりしてたし)。ただ、それ以外の部分はつねに洗練されてきているのはさすがである。
僕がPSのゲームをしだした時に、一時はカプコンとコナミのゲームしかなかった時がある。それは意識してそうしたというより、シリーズものの安定感、難易度のベストバランス(これは意外と難しい。ゲームをする人も多くなっている以上求める難易度はどうしても違わざるをえない。なので、これは僕の主観が多分に入ってはいる)の結果、自然とそうなってしまったというほうが正しい。これからもそういったゲームを生みだして欲しいと、僕は願ってやまない。
(8/23)
今日は勉強会。手際よくまとめられた同回生達の発表を聞く。彼らは大学院を受験するため、こういった発表を通して力をつけていく。で、僕はその横でいわば素人考えの疑問をぶつけるというわけである。今回のテーマは「無限について」だった。数学の概念もあるので、決してスラスラわかったというわけではなかったが、結構いろんな領域に関係する範囲の大きな話で議論がすすんでいったのはよかったように思う。僕個人としてもバラバラになっていた知識が多少見通しのきくものになった。適確にまとめたレジュメにセンスのよさを感じた。まあ、僕が役に立ったとすれば受験組だけであればとことん専門的に深くなってしまいがちなこの話題が、多少なりとも広い視点からの議論にできたことだと思う。最初は受験もしない僕が呼ばれたことに多少引け目もあったのだけど(嘘じゃないよ)、こういうことでよければ(就職活動期に助けてもらったし)、できるだけ力になりたいと思う。
(8/17)
お盆の間に帰省していた。その際、ちょっとだけ臨時収入があったこともあり、今日は古本屋、ゲーム、そして(めったにいかない、といってもそれはそれで問題だが)普通の本屋に行く。散財。自分のほしい本が買えることの素晴らしさを知る。ちょっとのお金で幸せになり、ハイテンションにまでなってしまう自分に安っぽさをおぼえるが、それ以上にうれしさのほうがあったりする。帰り道にいろいろなアイディアが立て続けに浮かび、ますますハッピー&ハイテンションに。とはいえ、買った本はまだ読めてないので(当たり前)、立ち読みしたなかで気がひかれたものをいくつか紹介しておこうと思う。
『現代思想』。ドゥルーズ特集。僕はそれほど彼の本を読んでいるわけではないが、興味を持っていることは確かだ。特に最近は彼の本、もしくは彼についての本を目にする機会があったので余計にそう感じる。平凡社ライブラリーの『スピノザ 実践の哲学』(ドゥルーズによるスピノザ論)や、僕の先生に当たる人が今度出す著書がそれだ(僕も校正をほんの少しだけお手伝いしました)。そのような中、前者の本には「(学生運動の)十年間、ドゥルーズはスピノザとともにあった」という記述がある。僕は正直この種の言明はあまり好きではない。なぜなら確実に同様の言明である「ドゥルーズはベルクソン(もしくはニーチェ)とともにあった」ということが言えるからだ。おそらくその際に証拠を出そうと思えば山のように出せると思う。今回、「現代思想」中の対談でもいろいろな切り口があるというようなことが出てきていたと記憶しているが、結局そこにいたのはドゥルーズというその人でしかないと思う。ドゥルーズは確かに膨大な哲学史知識(それどころか文学にも詳しい)を持っていて、そこのつながりを大事にしなければならないのはわかる。しかし、だからこそドゥルーズ本人を、替えのきかないものとして記述することもまた大事なのではないか、そう思う。
『cut』。映画「ピンポン」の俳優特集だった。とはいえ、この企画は他の映画雑誌でも散々やられていることで、どうして今回わざわざ書きとめておこうという気になったかというと、窪塚さん自身がペコに関して「彼と対戦して負けるときはみんなが笑いますよね」と言っており、それが心に残ったからだ。これはもう一人の主人公とも言えるスマイルに負けた相手が苦悩することと対照的であり、そこを軸にして見る視点に気づかされたからだった。実はこの前に「ピンポン」を見たある友人から「そんなに・・・」というメールをもらっていて気がすすまなくなっていたのだが、もう一度観ようという気にさせてくれた。
雑誌の名前は忘れたが、ドラえもんの展示会に関する記事があったので読んだ。「リボンを取られたドラミちゃん」がやはりインパクトがある(第一印象は90%「怖い」であるはずの作品)。ちなみにこれを作ったのは特徴のある女の子の絵を描く奈良美智さん。この作品でも奈良さんの特徴がよく出ていると思う。ちなみにそこの記事の最後に書かれてあったのだが、ドラえもんができるのはあと110年後だそうだ(マンガの設定にもとづく)。以前読書会をした折に「ドラえもんができるということは(科学的にだけでなく哲学的にも)現在の水準では考えられない」みたいな話になったのだが、僕はドラえもんを読んだ一人として、絶対に挑戦するべきだと思うし、実現して欲しいと切に願っている。
(8/8)
とりあえず試験には受かった。嬉しさのあまり古本屋で散財してしまい、激しく後悔する。しかし、しばらくその古本屋に行かないうちに欲しいものが揃っていたので、もうちょっと本を買いたかった。
(8/7)
久しぶりにプールに行って泳ぐ。本当に泳いでなかったこともあり、50m泳げなかったりするのでは、と不安であったがそこまで泳げなくはなっていなかった。ゆっくりと1kmほど泳いだのだが・・・、結構疲れることに気づく。昔はもっと泳げたはずなのに。その疲れも含め陸に上がったときにはすごい重力を感じる。まあ、筋肉痛ではなく日焼けの方が痛かったりするのだが。
明日には運転免許の学科の(仮免段階)試験を受けることになっているので勉強しなければ。
(8/1)
本屋で立ち読みをしていると、ラジオで元RAZZ MA TAZZの三木拓次がすい臓がんで亡くなったというニュースを聞いてショックを受けた。ラズの歌は僕が中高とFMを聴きまくっていた時に印象深い歌として記憶に残っていた。僕の好きな歌は「メリーゴーラウンド」と「リグレット」(もしかしたら英語書きかも)だった。彼らの歌、特にその2曲は人が人を愛したり信じたりする時には、必然的に傷つけてしまうことを、そしてそのことを自分で十分に自覚しながらも、やっぱり少しずつ距離を埋めていこうというような、そんなメッセージにあふれている。人を憂うと書いて「優しい」、なんてことを言うとオヤジの説教っぽくて嫌だが、ラズはそういったことを実感させてくれたように思う。ご冥福をお祈りします。
(7/31)
厳密には8月に入っている時間帯なのだけど。NHKで2つ面白い番組があったので、書いておこうと思う。
1つめはクローン技術についてのレポート。大体の話はこうである。クローンは確かに遺伝子的には全く同一である。しかし遺伝子にはいわばスイッチのようなものがあり、遺伝子的には同じでもスイッチが働かず、その結果遺伝子は同じなのに外見の違う個体になってしまったり、最悪の場合細胞を動かすスイッチが入らずに胎児のうちに死んでしまうことがある。だから現在、クローン技術を人間に適用することは科学的にも危険だということらしい。
以下は僕がこのレポートを聞いての感想である。このように細かく見ていくかぎり、問題点が出てくることは避けられないと思う。もし遺伝子のスイッチのON/OFFも完全にコピーできるようになったとしても、どんどん細かいところで問題点が発見されていくだろうし、その結果いつまでたってもクローンは完成しないように思う。そもそもクローンが完成することはどういうことなのだろうか。それはもっと全体的な問題になるはずだ。つまり元の人物と容姿や行動パターンが同じであるということをクリアすればいい、ということになりはしないだろうか。逆説的だが、「細かいところに目をつぶることで完全なクローンができる」ということになる。技術的にも、それは確率の問題になるだろう。「99.999・・・%で成功する」ようになれば、上の問題が片付こうがそうでなかろうが実用化されていくはずだ。そう考えると「科学的に危険」という問題は必ず含まれてくるはずで、今の状態に限って「科学的に危険」ということはおかしいのではないだろうか。
結局、
・クローン技術のすすめ方
・その後、どうするべきかという仕方
の両方に考えなくてはいけない点があるような気がする。クローンイコール即反対、というのもさすがにおかしいと思う。おそらくはこのクローン技術の進歩の流れを変えることはできないだろうし(池田・金森著「遺伝子改造社会あなたはどうする」洋泉社)、それならばむしろクローンを作る際の考え方の不十分さを考えなければならないと思う。また、そこまで考えてはじめて危険かどうかを論じる価値が出てくるのではないだろうか。
2つめはBSの「マンガ夜話」の再放送。「ブラック・ジャック」における、夏目房之介さんの分析が面白かった(あまりに面白すぎたので眠れなくなったのもこの日記を書いている一因だったりする)。彼によればブラック・ジャックは自己模倣的な作品として重層的に読めるらしい。簡単に言えば自分の昔の作品の引用があって、マニアには深い読み方が可能な作品らしい。夏目さんのこの主張は面白かった。苫米地さんの「洗脳原論」の中に、黒澤明も自分の作品に自分のそれまでの作品のキーを埋め込むことによって、容易に観客を「黒澤ワールド」に引き込んでいる。意識的か無意識的なものかはわからないが、どちらにしろこういう手法を使う黒澤はすごい、というようなことを書いていたのを思い出した。音楽に目を移せば「変奏」という手法は昔から使われているし、こういう考え方は、僕はとても興味がある。考えてみればクローンも「複製」とか「変奏」の一種なわけで、やはり自分の興味のなかでこれらの番組を見ていた、ということなのだろうか。
※この期間、ちょっとした用事のもと実家に帰っていました。
(7/19)
朝に健康診断を受け、その足で大学に行き、「大学院入試について」の勉強会をのぞく(就職決定組なのだが、お誘いを受けたので。ありがとうございます>関係者各位)。
・・・・・・。たしかに勉強会には遅れてしまったし、すでに来ていた参加者の皆の中では、大事なことは大体話していたのだろう。しかし、僕がその部屋に入ったときにはすでに「祭」が始まっていた。僕の22年間のうちのベスト3には入るほどの「濃い」話を2〜3時間ほどぶっ続けで聞かされ、へろへろになってしまった(ただ、すごく面白い話ではありました)。
その後はちょっと専門的なお話をして、健康診断の結果をもらいに行った。
beatmania2DX 6th styleを買う。AGOPさん、LISUさんのプレイに、ただ笑うことしかできない。
スゴすぎ。
(7/8)
少し暇だったのでネットで遊ぶ。ふと、鈴木彩子さんのHPを覗く気になる。日記を調べてみると、ちょうど1年ほど前にも同じ気持になり、ライブ活動のことを記している(そのときの日記は下のリンクでみられます)。「27時間テレビ」で「あのすばらしい愛をもう一度」がかかっていたこともその一因なのかもしれない。で、内容の方だが、元気に活動されているみたいだった。愛猫のモモが死んでしまったりと悲しい出来事もあったみたいだ(彼女の猫に対する愛情は当時のラジオからも十分わかったので、かなりのショックだったのではなかろうかと推察される)。
そして驚いたのは(HP上での)彩子さんの交友関係だ。同じところには元ブリトラメンバー伊藤多賀之さん、同じく元フューリューズメンバーの永島さん、いつもここから。この人たちに共通しているのは「誰にでもある体験」をテーマにした作品を作ろうとして、実際に作ってきていることだ。歌の世界はメジャーにバンバンヒットを飛ばす人、一発屋で終わってしまう人だけかと、つまりヒットでしか測れないのではないかという考えを見事に吹っ飛ばす人たちである。彼女たちの人間観察の深さ、自分自身に対する正直さというものが作品のクオリティを支えているのだろうと思う。
そしてリンクには加藤いづみさん、奥井亜紀さん、小田靜枝さんなどのHPにリンクが張ってあったこともまた驚きだった。特に今回は奥井さんと小田さんのHPを始めて知ることができたのは幸運だった。彼女たちもまた彩子さんと同じようにラジオをやっていたのだが、特に加藤さんと奥井さんの冬の歌(「Snow Bird」、「ゆきうさぎ」)は僕の好きな曲だったのでこの二人が僕の情報網の中でつながったことはとても嬉しかった。
ここまでに関係したラジオはすべて中学〜高校までのFMラジオ体験がもとになっている。そして、間違いなく今の僕の考え方や価値観に影響を与えている。縛られていると言えるのかもしれないが、少なくともラジオを聴いていなかった自分というものを想像できない。そういう、いわば初心にかえるような体験だった。
(2002/7/1)
また文章が多くなってきたので例によって新しいページにする。これまでの日記は下に表示するようにしたいと思う。
集中講義始まる。昨年の集中講義はどれも非常に面白く、勉強になるものが多かったので楽しみにしていたのだが、今回もどうやらそうなりそうだ。
免許のための車を運転する。自分が運転したということが何か信じられない。いいのだろうか、僕が運転して、という感じ。
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