俺が返信切手 その1<今日からアウェー>
金さんの言うように自分のホームページへ移動できるようにすれば、
ちょっとはマシな冒険記に見えるかもしれんが、開くまで勘弁してや。
1996年1月末、友達数人と家族に見送られた俺はシカゴ行きの飛行機へ乗り込んだ。
目的地はアイオワ州のシダーラピッドという地方都市の小さな空港だ。
<アメリカにはこういった地方都市の小さな、小さな空港が本当に多くある。
数十人乗りのプロペラ機が一日に一回だけというところも珍しくない。
そのような空港は、地元の人々やその周辺の村落の人々が車では遠すぎるとか、
飛行機でないと駄目といった理由によって維持され、輸送目的としてはあまり活躍していない。
何故なら、トラックが輸送手段として一番多く使われていて、中級クラスの空港が輸送の基点になるからだ。>
初めて向かう北米大陸での生活に不安は正直、全く無かった。
ただ、ただ、どんな生活が待っているのかが楽しみだった。
実は、俺には日本を出る前に決心した事があった。
それは英語が納得いくまで理解できるまで、日本語と接するのは家族・友人との国際電話や手紙以外は一切やめるということだ。
だから、当然、現地にいる日本人留学生とは日本語では話さなかった、最初は・・・。
そんでもって、当然、日本語の歌も本も持ち込まなかった。
この自分への誓いはアイオワで英語を勉強した8ヶ月の期間のうち、70%は守られた。
70%? 何でだよ?と皆は思うかもしれないが、どうしても無視できない状況が出来てしまっていた、最後の数ヶ月間は。
次号、はじめての北米大陸の空港シカゴでのミス、アイオワへ到着してからの道のり、英語学校と寮での生活は次回に続く。