俺が返信切手 <ラッテ、ワイオング編 その1>


2年半という月日をアメリカのワイオミング州という人口僅か50万人弱の州で過ごした。 
でも、この州が俺にとっての“世界”だったのかも知れない。
初めて学生として海外で根付いて生活し、現地の人々と触れ合い、一人の女性を愛した。 
本当に色々な事があって、整理しながら皆に繋ぐのは難しいけど、見て、感じたことを書いていく。


11月中旬の肌寒かった朝。 
いつ終わるかも解らないバイト生活に嫌気がさしていた。 
バイトにいく直前だった。 
アメリカから一本の電話があり、年明けの1月から俺を学部生として受け入れてもいいとう連絡を受けた。
その瞬間、“俺は救われた。” と本気で思ったね。 
この電話がなければアイオワでの努力は “語学留学” という形のない留学に終わっていたからだ。

アイオワから一時戻って、あまり日本人がいないくて、旅行学科があり、学費が安い、寮がついてる学校
を探していた俺は、ガードマンのバイトをしながら学校探しと資料請求をしてた。 
条件の中で一番大事なのは学部と学費! 自費留学だから出来るだけプログラムが充実していて、
安い学費の場所を探すのはいいけど、入学時期と条件があった場所を探すのは結構大変だった。
日本で4年制の大学をでたから、2年制の大学を探していたが、幸い旅行学科は2年制もおおくあった。 
自分で資料を請求しても、向こうから返事がないケースも多々あって、条件があってもシカトされるのが大半だったような気がする。


<アメリカの学問のスゴイところは日本、いや、世界でも類が無いほどの学部と学科の内容の豊富さにあると思う。 
こういう風潮は個人を重んじた世界観や、
広範囲に及ぶ個人の育成というものが大きく影響していると言えるのではないかと、俺は思う。 
より多くの範囲の物事を多角的に分析することが社会形成において、役に立つという“目”があるのは明らかだ。 
色々な事が学科や学部において見られるが、研究段階で日が浅い学科もあったりで、他の科目と併用で教えられてたりもする。 
こういった広範囲に渡る学問はいい面もあるが、学校の運営等の問題で、学部や学科を閉鎖するとき等の問題を抱える
学校では無条件で切り取られるのも多々ある。 
学問と金は切実に結びついているのだ!>


その日のバイトは、とにかく勢いがあった。 
ガードマンなんていっても、スーパーで自転車を並べて、掃除して、車の搬入を手伝って、そんなことをしてる位だから、
いつも “俺にはやりたい事があるんだ。 
これが俺の姿じゃないんだ。” と、心に思ってたね。 
実際、スンゴイ馬鹿にされたし、アメリカに行けなければ、直ぐにでもちゃんとした仕事をしたかったしね。
でも、そういう時って人間が凄くよく見えるんだな。 
いい人、嫌な人、色んな人間がいて、こういう状況だから自分に “お前はああなるなとか、ああいう気持ちを俺も持とう”、とかね。

ワイオミングの学校から入学許可書が届いて、パスポートと一緒にアメリカ大使館へ提出しに行った時も、久々に心の底から喜んだ。 
あと、数ヶ月後には学校へ入れると思うと、とにかく元気になった。 
手紙が数通ワイオミングから届いて、飛行機での来方とか、何が必要かとか、自己PRとか、そんなのを送って、入学に備えた。 
アイオワへ行く前には、渋谷のクラブを友達と借りて“大忘年会”をして、河田や、藤巻をはじめ、小野沢軍団数人が来てくれて、
“いざ、出陣じゃ〜〜〜!” 状態で行ったけど、この時は家族と友人数人が空港へ来てくれて、飯を空港で食べて、細々と出発した。
でも、気持ちはスンゴイ盛り上がってたけどね。 
前回よりも。

遅れ馳せながら、渋谷に来てくれた小野沢軍団、かーだ、マーさん,藤巻、石川、もう一人名前が思いだせん! 
すまん! そして、手紙をくれた小沼、ヨウスケ、小川。 
皆、ありがとう。 写真もまだあるし、手紙もちゃんと取っといてあるよ!


次回は、現地についての事を色々お届します