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〜旅行日記〜
2002年4月16日
正午に神戸の港を出た。新鑑真号はゆったりゆれながら一路上海へ向かう。乗船後すぐに万城さん(上の写真の人)と知り合いになった。彼は
日本に留学するために来たという。名古屋の中京大学で自動車工学を学ぶらしい。中国の観光名所について話をした。万里の長城は「見る」ものではなく「踏破」にこそ意味があると中国では言われているらしい。互いに一通り自己紹介などをした。
4月17日
昨日は船酔いで早くねた。吐きはしなかったが、参った。今朝は万城さんと朝食をとってからいろいろな話をした。チベットに行ってみたらどうか、とのこと。上海の地図で観光場所も教えてくれた。連絡先交換もした。
また船酔い気味。薬を飲んだ。万城さんには中国語を少し教えてもらった。明日はYH(ユースホステル)まで一緒に行ってくれるという。中国のタクシーで法外な料金をとられたら、レシートにある会社に電話をすれば良いなど、対策も教えてくれた。
船キモイ・・・。同室の他の人と話をした。彼は日本人で上海ではプーシャンホテルに泊まるらしい。プラス思考の人で、英語も中国語もできないのに独りで10万円で辞書なし旅行をするらしい。いい度胸だ。
初日は毛布なしで寝ていたが、ほかのベッドにはあったらしい。「考える前に奪えよ」とのこと。俺は少し甘いらしい。
4月18日
海の水が黄色い。万城さんの話だと中国の砂によるものだと言う。遠くに陸が見える。デッキに出ると空気が中国の香りだった。波は3日目になるにつれておだやかになったようだ。あるいは俺が慣れたのかもしれない。
昨日の日本人は埼玉県の人で年は21だそうだ。言葉の不自由な旅だとは思うが、安全管理に関しては俺より考えていて、ドミトリー(相部屋)等ではバックにかぎをかけたり、大切なものは首からひもでかけておくそうだ。参考になる。時計を現地時間に合わせる。
到着後俺は万城さんと別れて一人でYHを探した。YHはなかなか見つからないと思ったらプーシャンホテルだった。何か食べようと外へ出る。見つけた菓子屋でお菓子を買ったが、英語が通じない(ハウマッチすら通じん)。何がなんだか分からないまま店を去ったが、1ケタ多く払ったことに後で気付いた。これにはかなり凹んだ。幸い、店の人がいい人で、もう一度店の前を通りかかったときに釣りをかえしてくれた。「盗まれるぞ」と言ってニッと笑う。自分が非常に無力に感じられた。
英語はぜんぜん使えないのかと思っていたらYHの同室の人がイギリス人で、今度は英語漬けになった。それなりに意思の疎通は図れるが、俺の英語は間違いだらけ。まぁ、メゲずに頑張ろう。彼はトイミーと言ってイギリスの大学生だそうだ。2人で街を歩いた。ノリのいいやつだ。彼がいなければ俺はホテルに篭もりきりだっただろう。
4月19日
昨日の夜はトイミーと街へ出た。南京路はライトアップされていて(派手さが)中国らしい。また、東方明殊もライトアップされて非常に綺麗。
今朝の朝食は一人でワンタンメンのようなものを食べた。3.5元で量も多く、ニンニクたっぷりでうまかったが、最後の方は少し飽きた。その後トイミーと駅へ行く。中国のバスは、番号別に行き先が決まっていて、乗ると車掌のおばさんがお金を受け取る。2元だった。上海駅では硬座(インヅォ)の普快(最安のチケット)の北京行きの切符を買う。88元だった。その後、地下鉄で金茂ビルなどを見に行く。上海の地下鉄は非常にきれいで近代的。料金は2〜3元で交通の足としてはバスより使いやすいと思う。ただ、ここの人は乗る時に出る人を待つということをしない。人を押しのけて入る。地下鉄に限らず、ここでは順番に並んでいても気を抜くとすぐに割り込まれる。
地下鉄を出てから、2人でテレビ塔の方へ向かった。しかし、ここは料金が高く、断念(外国人は別料金がある)。すぐ近くの金茂ビルは学割で25元だったので入ってみた。金茂ビルは88階に観光スペースがあって望遠鏡などがあった(1元60秒)。ここでは1元を100円と考えれば良いのかもしれない。視界はスモッグのせいであまり良いとは言えないようだ。このビルの一帯は非常に近代的。
<追記>
昨日の夜、同じ宿の日本人と少し話しをした。彼は学生の頃からちょくちょくアジア旅行をしていて、今ではこちらの方が日本より快適だと言う。俺もいつかそうなるのだろうか。
それと、火車(ホーチャー=列車)の切符を買った件についてもう少し詳しく書く。切符売り場の壁には毎日の列車の時刻が書いてあって、人が窓口に並んでいた。外国人が行くと「没有」(メイヨー=ありません)と言われると聞いていたが、事前に紙に(漢字で)書いて渡したら何の問題もなく買えた。
4月20日
朝から雨。一人でハイナン(?)路を見に行ったが、特に何もなかった。多分夜は綺麗なのだろう。とりあえず、建物はみなきれいで新しかった。ローソン(中国にもあった)の前の飯屋でうどんのようなものを食べる。5元だった。その後、上海駅へ行く。駅で時刻表を買った。3元だったが、小銭がなかったので100元札を出したら偽札と疑われてなかなか信用してもらえなかった。
待合室には大勢の人がいて、その中を物売りや物乞いの少女がまわる。俺がベンチに座っていると、少女がそばに来て歌う。無視しているとひざまづいて、ひざをたたく。そのような少女が2人ほど来たが、無視。子連れの老人もいて、子供の手を取り物を乞う。これから先の旅、こういう光景には多く出くわすのだろう。少し心が痛む。
火車は14時35分発で翌日11時55分着の予定だ。トイミーは22時間も硬座はツライぜと笑っていたが、実際はなかなか楽しかった。列車の中はごった返していて、通路に立っている人を押し退け押し分け社内販売のカートが行き交う。席は通路をはさんでコンパートネント形式で、俺の所にはオッサン3人に田中真紀子似のおばさん、20歳の女子大生が一緒だった。
英語を理解するのは女子大生だけだが、話し掛けてくるのは真紀子の方で、彼女は通訳だった。流石に22時間も顔を付きあわせているといろいろ話すもので女子大生の大学の成績表(俺よりかなり優秀、英語も上)を見せてもらったり、俺の旅の話や家族の写真で盛り上がる。非常に楽しかったが(無論、女子大生が可愛かったからに他ならない)、なかなかトイレに行けないのと、暑かったのは流石につらかった。体力的、精神的にトイミーの言う通りつらかった。席に座ったまま眠る。
4月21日
薄曇りではあったが、今回の旅で初めて太陽を見る。しかし、それも北京に近づくにつれて見えなくなった。11時55分に駅に着くと、例の女子大生の友達が待っていた。そういえば火車内でケータイでメールを打っていた。俺はホームへ降りるなり、若い中国人女性3人と一緒になった。疲れていたので一人にしておいて欲しかったが、悪い気はしない
。彼女達にはYHの場所を教えてもらって別れた。もっと英語ができれば、せめてメールアドレスが聞けたのにと思う。非常に残念。
その後、しばらく歩いてたら今度は長髪・ヒゲ面の胡散臭いオッサンに捉まった。すごく疲れていたし、早い所休みたかったのに、1時間近く付き合わされた。ベンチに座らされて路上でセールストーク。つまるところ、330元で万里の長城を案内したいらしい。なかなかしつこかったが、断ったのは正解だった。YHで長城のチケットを見たが、どうやら12元のようだ。同室に日本人がいた。
4月22日
昨日の夜は同室の増田さんと屋台に行った。何かのさなぎとシシカバブ、タンタン麺を食べた。さなぎは口の中でプチッと破れて中身がドロッ。トウモロコシをすりつぶしたような味がした。(イモムシや羊のナニもありました。ゲテ好きな方、どうぞ)
今朝は朝マックで14元使った。高い。その後ベトナム大使館でVISAをとり(430元)、街角で2元のお好み焼き(のようなもの)を食べる。チベットの件について日本大使館で話を聞いたら、1500元〜3000元くらいするらしい(実際は闇ルートでもっと安く行けるそうです)。同室のシンガポール人は行ける行けるというが、やはり高い。チベットに行くのは止して、代わりにアメリカ大陸に渡ろうかと考える。
YHに戻ると、日本人がもう一人増えていた。彼は日本の医者で、アフリカに移住するつもりだと言う。アツイ人物だ。
4月23日
中国にきて初めて青空が広がった。爽やかな朝。YHの北側のごちゃごちゃした通りを散歩する。
10時に同室の増田さんの知り合いの日本人2人と待ち合わせて万里の長城を見に行く。地下鉄(3元)でバス乗り場へ行き、10元でバスに乗って学割25元のチケットで見てきた。天気は良かったが、風が強い。山の上なので寒くもあった。思った以上に急な登りで、荷物を背負った同行の2人辛そうだったが、眺めは良かった。途中、(見世物の)ラクダもいた。ラクダの鼻先を触ってみる。やわらかい。
下山してからは、地下鉄の駅で2人と別れ、北京西駅へ。西安への切符を買う。その後バスで帰るが、1元多く払ったらしい。つかれて寝る。少し風邪気味かもしれない。俺は酒を飲まないので、ぼんやり考え事をするには微熱もたまにはいいかもしれない。北京の黄砂で眼、喉、鼻をやられた1日だった。
4月24日
(日記なし)
4月25日
(日記なし)
4月26日
北京では結局風邪を引いた。24日は朝、ベトナム大使館へ行ってからビザをもらい、昼に火車で西安へ向かった。上海→北京のときと違い、車内は冷房が効いていて寒かった。目の前の中国人男女はひたすらイチャついていた。上海、西安では男2,3人組、女2,3人組というのをよく見たが、北京ではカップルをよく見た気がする。
25日は6時半頃に駅についてすぐ(プラットホームで)招待所(中国の安宿の総称)の客引きのオバさんに会った。ホテルではしばらく寝たが、その後兵馬俑を見に行った。ホテルのツアーや他の業者は35元だったが、市バスを探して、それで行った。5元だった。兵馬俑自体は65元で学割も効かなかった。その価値はなかったと思う。
ホテルは3人部屋で他の2人はポーランド人のカップルだった。居づれぇ。今朝はその2人が出て行ったと思ったら今度はイギリス人女性2人が来た。さすがに見知らぬ女性2人と一夜を共にしたいとは思わないので、昆明行きの切符を買ってチェックアウトする。
その後は暇つぶし。昨日の夜は西安の街を歩いたが、綺麗だった。上海のディズニーばりの照明とはまた別で白熱電球のやさしく活気のある明かりだった。デパートもあるが、小さな商店が軒を連ねていて、ここでは何でも手に入るような気がする。ウィンドーショッピングが楽しい。それと、なぜか成人用品の店が多かった。
今日、駅で中国語の新聞を買ったら、キムタクが整形美容院で目撃されたという記事があった。中国人もヒマですな。整形といえば、こっちでは人ごみの中にたまにスゴイのがいる。顔が熔けちゃってる人とか…。たまにびっくりする。それとやっぱり乞食がいる。俺も甘いもので、うっとうしいのでお金を渡すようになっている。チャリ用のロックを購入(リュックをどこかに括り付ける為)
4月27日
昨日は22時半頃に列車が出た。昆明へ向かってひた走る。俺は幸い窓側の席がとれたのでよく寝れた(窓側はよっかかれるので)。朝、起きると相変わらずの空模様。歯をみがいていないので、グラグラする感じがする。相席になったのはカップル(兄妹かも)とビジネスマン風の男
。誰も英語ができないので、最初に筆談を少ししたきり話が盛り上がらなかった。今日はひたすら窓の外を眺めるか寝るかである。人民は今日も農作業に勤しんでいる。
華南の地方に下るにつれて、畑(おもに麦)だった風景が田圃に変わってきたように思う。移り行く風景の1つ1つが俺にとっては一期一会であり、そこに住んでいる人にとっては幼少の頃から慣れ親しんだ風景であろうことを思うと、不思議な感じがする。車窓の風景は山間の村、平野、地方都市などを映しながら、さらに進む。土の色が黄色から赤に変わった。
4月28日
昆明に着く。火車の旅は35時間に及んだ。この街にはYHがあるハズだから、英語で書かれた住所を頼りに探した。地図を買ってみたがよく分からず。人に聞いてもなかなか。駅付近の客引きは250元でどうかと宿を斡旋してきたが、俺が「いや、50だ」と言ったら笑われた。向こうも値引きしてきたが、80まで下げても俺が受けなかったのでそれ以上ついて来なかった。警官に聞いたら「テクシー」と言われた。タクシーのことらしい。歩くには遠すぎるというのだ。だけど俺はボラれるのが嫌なので歩いた。
直線距離にして、北浦和−埼大くらいだろうか、かなり迷ったがなんとか見つけられた(今から思うと良く見つけられたなと思います)。なかなかきれいな所で人も良く、洋楽なんかがかかっていてセンスも良い。まさに南国。それで宿泊料が25元。スバラシイ!
目の前に池のある大きな公園があったので、その周りを歩いてみる。強い日差し、女性の日傘、ノースリーブのシャツ、青々とした芝生、凧上げに興じる人々・・・。ここはとてもいい所だ。人々の服装を見ても、文化的、金銭的に生活のレベルは高いと言える。ここには乞食がいない。少なくとも座っていても誰も寄ってこない。しつこい物売りもいない。良い所だ。
それにしても俺の肌の白いこと。早いトコきれいに焼けるといいな。
ケツとコシが痛かったのでYHで昼寝をした。同室に北大の学生の人が来た。
4月29日
北大の石橋さん、YHの事務の人と晩飯を食いに行く。昼間は英語の本を買って公園で読書。日に焼けた。晩飯は一人43元で、俺が払った(後で返してもらった)。帰りはひまわりの種を食いながら石橋さんと歩いてYHまで帰った。
4月30日
やっぱり河口(中国ベトナムの国境の町)まで行くことにした。切符(无座=無座)を買ってCheck Out。石橋さんと茶を飲んでからバスに乗って駅に行こうとしたら、バスステーション(終点)に行ってしまって焦った。手足が震える。なんとか間に合って車内に入ると、食堂車の厨房の脇の通路で、煙臭い。吐きそうになる。
列車は山間の農村をダラダラとゆっくり走る。車窓にはものすごい崖や赤土の畑が広がる。車内で、鉄道技術を学んでいるという19歳の少年に会った。それと、昆明理工大学の学生2人にも出会った。19歳の少年は見た目、中学生のように若かった。外国人の友人が欲しいらしい。いつか手紙を書こう。ベトナム人の旅行者とも話しをしたが、少しそっけない感じを受けた。
5月1日
河口に到着。昆明大の2人の友人の家に招待された。とてもいい人たちで、シャワーを貸してくれ、食事をおごってくれ、トイレ代(海外では公衆トイレは一般に有料です)まで払ってくれた。中国では客人をもてなすのが礼儀だというが、少し困惑すると同時に感動した。
昨日の列車内では40kmほど離れた学生2人の実家までこないかと誘われたが、それは流石に断った。彼らには河口の街をバイクタクシー(トゥクトゥク)や徒歩で案内してもらった。ベトナム市場があったので覗いてみると、ヘビ、すっぽん、日本語でステ"ソ"レス製と書かれた刃物から性玩具まで、怪しげなものなら何でもござれといった感じだった。
その後、実際に紅河を渡ってベトナムに行く
(続きはベトナムのページへ・・・)
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