|
〜旅行日記〜
(・・・中国からの続き)
2002年5月1日
河口にかかる橋を渡ってベトナムに入国。通関ではタライ回しにされた。あんまいい感じじゃーない。モト(バイク版タクシー)の少年が傍で何やら言ってくる。両替は怪しいオバちゃん達が国境脇に日傘を差してダベってたので(他に銀行がなかった)、まずそこで50元だけ替えてから駅に行った。ラオカイ(ベトナム側国境の名称)の駅の両替所は日曜で休みだったので、また国境ゲートの両替所に戻る。ちなみに移動はさっきのモトのガキ。結構な値段で走らせてたらしい(物価わからんかった)。片道1万ドン。水は5千ドン、アイス3千ドン、パンは5千だった。
ラオカイからは、列車でハノイに向かうつもりだったけど、村人が何やら言ってるし、よくわからんけど、バスの方がいいらしい。なので、ラオカイからバスでハノイへ向かう。10万ドンだった(11万から値切った)。
バスは外国人俺一人。完全に地元の人のローカルバス。しかも誰も英語がまともに通じない。漢字もわからんから筆談もできん。でも何とか頑張ってコミュニケーションした。途中の中継点で、荷物の積み下ろし(結構な力仕事)を手伝ったりしたら、飯をおごってもらった。ビールは冷えてて水っぽかったが、飲みやすかった(昆明大の友人の家で飲んだ大理ビール[中国で一番高いらしい]もうまかった)。バスのみんなと食事のとき、おっちゃんがしきりにクスリを打つまねをしていた。勧めているのだろうか?
別な中継地で荷物積み下ろし中に休んでいたら、他の男達がみんなで、(バスに同乗していた)少女とヤレよ、買ってこいよと言ってきた。断ってたら、この金でヤッて来いとばかりにお札を出してきた。日本に彼女がいるからと嘘を言って丁重に断る。
ベトナムの田舎は真っ暗で、バスは荒れた舗装の道を進む。途中で事故現場を見た。それと、畑の中に白いお墓が無数にあった。隣に座ってた爺さんは交通事故死者のようなことを言っていたが(ジェスチャーだからよくわからん)、戦死者だろうか。悲しい。
バスは夕方6時に着くのか、朝6時に着くのか、あるいは9時間かかるのか、意思疎通が図れなくてよく分からんかった。まぁハノイには行くのだろう。それで良し。
5月2日
AM3:02分に、ハノイ郊外に1人で降ろされた。荷物を背負って途方に暮れる。
バスはどうやら、最初から別なところ行きだったらしい。しかも降ろされたところは郊外。真っ暗。「まいったなぁ」と何度もつぶやく。(こんなとこで強盗にでも会ったらオワリだ)とぼとぼ歩いていると、モトが寄ってきたので駅まで頼む(英語通じないので紙に列車の絵を書いて説明)。5万ドン。足元を見られても仕方がない状況だ。
首都の駅のまわりはさすがに栄えているだろうと思ってたけど、ぜんぜん。もう一度モトに頼んでホテルまで乗せてもらう。5千ドン。ホテルはシャッターが閉まっていたが、モトの少年が開けてくれた。宿代は11USドル。ホテルの宿直のおじさんは英語が通じず、すごく焦った。
朝、おきて英語のできる従業員に会ってすごくほっとした。市内の地図を買う。その後、町を歩き回って両替をしようとしたが、どうやら中国元は銀行では両替ができないらしい。道端のおばちゃんと闇両替したら、だまされてボラれた。お金を両替するときは枚数を数えなければいけない。また、大きいお金はむやみに人に見せないこと。3000円程度の損。授業料としては少し高い。それと、ベトナムのホテルはUSドルで支払うのが一般的らしい(USドルはほとんど持ってなかった)。
とにかく、しかたがないので、ホテルで休んでいたら、テレビでマトリックスの後半をやっていた。しかし、英語でしゃべってる上からおねーさんの声でベトナム語。英語が聞こえんっちゅーの!それと、殴り合いのシーンや撃ち合いの場面は始まった瞬間にカットされて決着がつく。つーかそれをとったらマトリックスの面白みって何?
5月3日
昨日は朝、パンを食べて夕方に小魚の干物を食べただけだった。ひもじい。
ドルがどうやら必要らしいので、銀行に行って20000円をドルに替えたら138ドルにしかならなかった。レート悪りぃ。これは1度ドンを経由しているからだと思う。T/C(トラベラーズチェック)を使えば良かった。
その後、ホテルを移動。Prince Hotelという所に移った。ここは2〜20ドルと看板が出ていたので、安く泊まれると思ったが、8ドルの部屋しか空いていないと言われたので、明日はもっと安いのに移るといってそこに泊まった。
ラオス大使館に行こうとしたが、やっぱやめた。
5月4日
よくよく考えてみたら、8ドルの部屋しか空いていないというのは本当だろうか。8ドルの客をもっと安く泊めようとするだろうか。と考えたのでまたお引越し。cafe16というホテルに移った。管理人は痩せたおじいさん。5ドルと言ってきたが、「今いるところも5ドルなんですよ」とハッタリかけて4ドルにしてもらった。そんでcheck inしてからprince hotelに戻ったら2ドルの部屋に移らないかと言う。しまった。
という訳で、明日の予約をしてから今日のところは引き下がる。
その後、ラオス大使館に行ったら、土、日は休みだと言う。しまった。やっぱ昨日行けばよかった。
いいかげんハノイにも飽きてきたので早く移動がしたい。最近ロクなものを食べていない。昨日は1日でクッキー一箱。今日はパン2個とアイス、クラッカーだけだった。
5月5日
朝、prince hotelに行ったら、午後に来いというので、街をウロウロして時間をつぶした。夕方にチェックインした。ドミトリーに日本人の女性がいた。白鶴大学を卒業して今はフリーターだそうだ。竜ヶ崎一高のこととかも知っていた。少し話したが、その後、友達が迎えに来たとかで、どっか行ってしまった。俺は部屋のベッドでダラダラしていたが、隣に来たルクセンブルク人のラウールと飯を食いに行った。ベトナムに入って初めてまともな食事を食べた。料理は美味かったが、俺の英語は不味かった。ラウールがときたま訂正する。恥ずかしいなあ。
5月6日
8:30にラオス大使館へ。ビザは35ドルだった。当日の午後にゲット。ビザ待ちの間、ホーチミン博物館や、B-52Victry博物館を見に行った。かなりの距離だったけど、歩きまくった。
夜はラウールと水上人形劇を観にいった。ベトナムの伝統芸能らしい。ファーストクラス(40000ドン)のチケットを買ったら、テープも付いてきた。劇の内容はイマイチ意味がわからなかったが、おもしろかった(眠かった?)。そのあと、ラウールがミヤダ(?)というサトウキビのジュースをおごってくれた。1500ドン。
5月7日
朝、腹痛がして1階の便所に駆け込む。体が下痢をしようとしているのに、水分不足。吐き気も催すがゲロも出ない。あぶら汗を全身びっしょりかいた。水分不足で手足がしびれる。ピンチ。しかもトイレットペーパーがない。ピンチ。トランクスが少し汚れた。昨日のジュースの氷がまずかったのだと思う。水分は常に余分に持っておくべきだ。
朝飯はサンドイッチとピザパンを食べた。目玉焼きがうまい。同室の日本人女性(=竹内さん)と少し話したが、体調が悪いそうなので、外に出た。今日は半日、湖でボーっとしてから国立美術館に行った。美術品はやはり、戦争モノなど、暗いトーンのものが多かった。
5月8日
午前中は革命博物館に行ったが、半分も見ないうちに昼休みだと言われて外に出されてしまった。その後、銀行で2ドルほど両替してからホテルにもどると竹内さんがいたので少し話しをした。竹内さんは中学の頃から海外青年協力隊に憧れていて、大学でも国際関係論を専攻したが、試験に落ちてしまったらしい。俺にはかける言葉がなかった。みんないろいろあるんだなぁ。
5月9日
竹内さんは下痢で休んでいる。俺はホテルで読書したかったが、居づらかったので外に出た。外で物売りの少年と話しをしていたら、料理の本を売っていた。向こうは18万ドンと言ってきたが、俺は6千だと言った。少しばかり価値観が違ったらしい。商談不成立。3千ドンでポストカードを10枚買ったと言ったら、値切りすぎだと怒っていた(店で買っても8千はするらしい)。
宿をチェックアウトしてから、もう少し写真を撮ろうとしたら、カメラが壊れていた。市内のカメラ屋で修理したら、15ドルだった。18時に返してもらうはずが、土砂降りの雨で立ち往生。何とか取りにいってホテルでバスを待つ。バスは10分ほど遅れてきた。客は半分以上が外国人の旅行者。日本人もいた。土砂降りの雨のなか、バスはラオスへと向かう。
5月10日
バスは雨漏りがして少しぬれた。夜中にベトナム人乗客と乗務員が口論していてうるさかった。朝、国境につく。国境は奥深い山の中で、ベトナム側の出国管理官は出国スタンプを押すのに2ドル要求した(地元の人間は1万ドン)。多分賄賂。みんなブーブー言っていた。外国人2人と一緒に最後まで粘ってみるが結局払わされた。まじムカツク。(スタンプを押した後で、金をよこさんとパスポート返さんぞみたいなカンジだった。バスに置いてかれそうになったのでしかたなく払った。)
(・・・ラオスに続く)
|