イラク問題とクルド人
奈良裕樹 29/Jul/2003

1、はじめに
4月9日、米英軍によるイラク攻撃が一つの区切りをつけた。イラクの首都バグダットは陥落し、フセイン政権は崩壊した。以来、3ヶ月にわたって米英軍の占領が続いているが、当初開戦理由とされた大量破壊兵器はいまだ見つかっていない。
今回の戦争は大義なき戦争とよく言われる。世界中で米国の傲慢ともいえる政策に対する嫌悪辟易の声が上がった。しかし本当に米国の攻撃理由に根拠はなかったのか。フセイン政権の残虐性が攻撃理由の一つに挙げられた。今回のレポートではこの点に関して、長年フセイン政権に虐げられてきたクルド人と呼ばれる人々に着目した。
クルド人とはイラン、イラク、トルコ、シリア、アゼルバイジャンなどの地方に住む民族である。その居住地域や人口などに関しては後ほどもう少し詳しく書くとして、ここではフセイン政権との関わりについて、ハラブジャ事件という過去にあった毒ガス攻撃を中心に書きたい。

2、ハラブジャ事件
現在、イラクに大量破壊兵器があるかないかで議論が沸いている。しかしそれが過去において実際に「使われた」という事実を知っている人は案外少ないだろう。フセイン政権と毒ガスというキーワードが出たときに、はずすことのできない史実としてハラブジャ事件というものがある。
1988年3月16日、北イラクのハラブジャという都市でイラク軍によって無差別毒ガス攻撃が行われた。場所はクルド人の居住地域で、当時はイラン・イラク戦争の終わりごろだった。1979年のイスラム革命以降、国際社会は反イラン包囲網が形成していた。イスラム革命の輸出を恐れていた国際社会は、80年から始まったイラン・イラク戦争でイラクを援助していた。当時のフセイン政権はイランに対する国際的な圧力、革命直後の混乱に乗じて簡単にイランを倒せると考えたらしいが、存外に苦戦し、最終的に毒ガスの使用という凶行に出た。
当然ながら、クルド人の居住区が国境にまたがっているということは、そこで戦争が起こったときに、彼らは大きな被害を受けることを意味する。イラク内のクルド人組織は60年代初頭から70年代半ばまで、イラク中央政府に対して自治権獲得の長い闘争をしており、手痛い敗北を喫していた。イラン・イラク戦争が始まるや、イラク内のクルド人組織はイランのホメイニ政権との結びつきを強め、再びイラク中央政府と対峙した。こうした経緯でイラク軍はクルド人たちに対してアンファール作戦と呼ばれる掃討運動を展開していた。ハラブジャでの毒ガス攻撃は一連のアンファール作戦の一つであった。
イラク軍の使用したガスはマスタードガス、サリン、タブン、VXなどを混合したいわゆるカクテルガスと呼ばれるものであった。言うまでもなく生物・化学兵器の使用は国際法(戦争法)で禁じられている。サダム・フセインによる毒ガスの使用は明らかに戦争犯罪である。しかもこの攻撃で被害を受けた人のほとんどが一般市民であった。
 この攻撃で約5000人が死亡し、負傷者は10000人を越えた。クルド人はこの大量虐殺を日本での原子爆弾投下になぞらえて、ハラブジマと呼んでいるそうだ。たしかに近代の戦争史で、一度に一般人がこれほど多く死んだ例としては広島、長崎の原爆投下、あるいはユダヤ人が虐殺されたナチスのホロコーストぐらいしか見当たらない。
このような犯罪は当然国際社会で激しく糾弾されるべきものである。しかしながら、この事件は10年以上たった今日でもその存在がほとんど知られていないのが現状だし、かつてこの事件が大きく取り上げられたこともなかった。今回の戦争でも、大量破壊兵器が問題の中核にありながら、その製造能力、原材料の隠匿が問題になっていたにすぎず、フセイン政権最大の「前科」であるハラブジャ事件は触れられなかった。ご存知のように米国は対イラク軍事行動への支持、合意をとりつけようと奔走していたが、この事件が反イラクキャンペーンを展開する上で格好の材料であるにもかかわらず、ハラブジャ事件のことを持ち出すことはほとんどなかったし、あるいは持ち出したとしても、過去の事例として引き合いにだして、フセイン政権が使うと考えられた毒ガス攻撃から米軍兵士をいかに保護するかということだけだった。ヨーロッパ諸国もまた口をつぐんだのだった。
 この事件が国際社会で日の目を見てこなかったのには、当然ながらワケがある。まず、先にも述べたようにイラン・イラク戦争当時、国際社会はイラクを多面的に支援していたという事実がある。よく言われるように、フセイン政権がここまで大きな力を持ったのには米国の支援が大きかったし、その意味で米国が現在のフセイン政権を育てたと言えなくもない(こうした事例は世界中にある。タリバンなどのゲリラももともとはソ連のアフガン進行に対抗して米国が大きく支援していた)。ヨーロッパもまた、商業目的でイラクを支援していた。フランスなどはイラクに兵器を輸出していたし、化学兵器の材料は主にドイツの企業が製造・輸出していた。この点に関して、ハラブジャ事件はドイツの経済犯罪だという人もいるほどだ。
 化学兵器によるクルド人虐殺を実行したのは、もちろんフセイン政権である。しかし、国際社会はそれを10年以上にわたり黙殺してきた。しかも、その国際社会をリードする欧米諸国が実は企業レベルではあれ、化学兵器製造に協力していた。これが、事件の裏の事実であり、事件がほとんど明るみに出てこなかった原因である。

3、クルド人とは
 ここまで近年の北部イラクのクルド人と、フセイン政権およびそれをとりまく国際社会の関係についてハラブジャ事件を通して述べてきた。ここで、あらためてクルド人とはどのような民族であるか、その居住地域や人口などについて、もう少し詳しく紹介したいと思う。
 少し前まで、日本のメディアではクルド人のことをクルド族と呼んでいた。「族」などと言うのは実はあいまいな表現であって、クルド人は中東のほかの民族に含まれるものではなく、それ自体が一つの民族である。中東が日本からはるか遠方にあるというのもあって、日本人には中東地域というのが実感として薄いのかもしれない。
 クルド人とはアラブ人、ペルシャ人、トルコ人とならんで、中東4大民族の一つである。その総人口は2500万人から3000万人と推定される。居住区はトルコ、イラク、イラン、シリアなどにまたがり、さらにアルメニア、アゼルバイジャンなどの一部をも含む地域である。下に地図を示す。

(地図ピンク部はクルド人が民族的マジョリティになっている地域)
この地域は昔からクルディスタンと呼ばれていた。クルディスタンとはクルド人たちの土地(国)という意味で、日本では単に山岳地帯と紹介されることが多いが、実際には険しい山々と高原、標高の高い平野で成り立っている。彼らはここで農耕や牧畜で生計をたててきた民族である。中東の山岳地帯というと、ごつごつした岩肌がむき出しの荒涼とした風景を思い浮かべるかもしれないが、実際には肥沃な土地である。さらに、この地方は地下資源にも恵まれている。北イラクではキルクーク、カナキーンなどの大油田地帯がこの地域にあり、イラク全土の石油産出量の半分を占める。イランの石油資源に関してもその3分の1をクルディスタンが占め、さらにトルコ、シリアにいたってはその石油資源の全てがクルディスタンにある。これらの国がクルディスタンの独立や自治を拒む主因が石油資源による利益の確保である。
 クルディスタンの周辺国は、この地域には経済的基盤がないとして(実際には地域が国境をまたがっているため、正確な統計データが得づらいというのも事実である。)自治を与えない理由としている。しかし、資源や農牧業に関してはその心配はなさそうである。
次にクルド人の人口に関してはトルコなど、できるだけクルドはたいしたコミュニティではないとしたい周辺国の発表する数と、クルド人が主張する数には大きな隔たりがあるが、現実的には先にも述べたように2500万から3000万人ほどと見られている。この数は中東では第4番目であるだけでなく、世界中を見回しても民族して決して小さくはない。東西冷戦が終わってから、近年は世界各地で民族運動が盛んであるが、クルド人は民族自決権のない最大の民族であると言える。

  4、クルド人と国際社会
 ハラブジャ事件の章でも触れたように、ながらく国際社会はクルド人の問題を黙殺し続けてきた。クルド人が虐げられているのは何もイラクだけではない。NATOの一員であるトルコなどは、そもそもクルド人の存在すら認めていない。東部トルコの人口構成比では圧倒的にクルド人の比率が高いにもかかわらず、近年までクルド語を話すことはおろか、クルドという言葉を発することすらタブーであった。クルド人の自治独立要求の運動などは、山賊あるいはごく一部のテロリストの問題として片付けられていた。この国でも長い間(具体的には1923年のローザンヌ条約で北クルディスタンの併合を国際的に認めさせて以来)クルド人との間で自治独立の闘争が起こっていた。
欧米を中心とする国際社会はイラクでの大量破壊兵器やテロリストとのつながりなどについて声を大にして批判はしたが、具体的なフセイン政権のクルド人に対する対応について言及することはほとんどなかった。また仮にあったとしてもトルコ側での問題に関しては表立って批判されることはあまりなかった。そもそも、同じNATOの加盟国という形でトルコの軍事行動は米国の強い支援を受けている。米国は世界の警察、などという言葉を昔聞いたが、このようなダブルスタンダードが公然と通るようではそのような主張に説得力はないだろう。
今回のイラク攻撃では、冷戦以降唯一の超大国となった米国の露骨なパワーポリティクスに対する嫌悪が、世界中で反戦デモという形で吹き出した。米英国はフセイン政権の残虐性と、それが持つとされる大量破壊兵器が世界にとって脅威であるという理由のもとで「防衛的先制攻撃」を行った。このレポートではフセイン政権の残虐性に関してはクルド問題という視点から、一つの事例を出して指摘した。残虐性、危険性に関しては巷で沸く反戦論に十分対抗できるほど確かな歴史がある。しかし、だからと言って米国やイギリスなどが正しいとも言えない。将来力をつけると危険だからという理由での一方的な先制攻撃に果たして正当性はあるのか。危険だからという理由ならば北朝鮮はどうだろう、イランはどうだろう。こうした様々な疑念から、米国の中東での影響力、石油利権の獲得などがその攻撃理由であろうと言われてきた。事実そのような側面もあるのだろう。あるいはブッシュ政権が父ブッシュの時代に出来なかった事に固執したという見方もある。いずれにせよ、国際政治の舞台裏は民主主義や国連憲章などのいろいろな「理想」とは結局のところ、かけ離れたものなのかもしれない。

5、考察と意見
 結局のところ、どうあるべきだったのだろう。この問いの答えは立場によって異なる。欧州は企業利益の追求のために、兵器や化学原料を、それを使用する恐れの高い相手に輸出したりするべきではなかったし、クルディスタン周辺国も石油などの利益と人間の命を秤にかけるべきではない。また、米国も目先の国際情勢だけで物事を判断するべきではない。しかし、そのようなことは人間が不完全でエゴイスティックな存在である以上いつでもありえることだし、各国での民主主義(総意)のもとでは世界レベルでの民主主義は完全には実現し得ない。民主主義が旗印の米国が、国連での合意が得られなければ単独でも武力行使をするなどというのは民主主義の理想とはズレていると言わざるをえない。
その「総意」であるべき国連は、今回の戦争でもそうだが、クルド人問題ということに関してはほとんど何もしてこなかった。戦争をとめられなかったという意味ではない。フセイン政権が自国内で虐殺などをおこしていたのならば、国連は人道的介入をするべきだったし、それが多国籍軍による戦争という形をとることも状況としてはしかたがなかっただろう。しかし、今回のように、国際社会のコンセンサスを得ずに一国が単独で行動するというのは正しくなかったし、そこまでして攻撃する大元の根源が米国にあり、その攻撃を反対していた国々も結局のところフセイン政権とのつながりによってウマミを吸っていたというのは正しくない。クルド人は国際社会に振り回されたという形になってしまったのではないだろうか。
 市民レベルでの反戦運動は各国の思惑とは別な点から出てきたように思える。すなわち、戦争=悪という単純な論理である。これに関しても私には何かがズレているような気がしてならない。手に手にプラカードなどを持ってスローガンを叫ぶ反戦デモはたいがい反米デモであって、その主張するところは米国の善悪2極論と同じくらい単純に感じられる。単純でない物事にある一方向からの視点を与え、都合の悪い部分を切り捨てて「造られた」単純さというものは信用できないと私は考える。
反戦のデモなどでは、必ずといっていい程、戦争当事国の人々の写真が出る。あるいは罪のない一般市民が…というような論理展開をする。今回のイラク攻撃に際してもそのような展開が見られた。もちろん一般市民は犠牲者である。イラク攻撃によって子供たちが犠牲をこうむるのは不当である。しかし、フセイン政権を放置してクルド人の市民や子供たちが犠牲をこうむるのはいいのだろうか。単純でわかりやすいスローガンは人を引き付ける。しかしそれは必ずしも正しいとは言えない。イラク人の被害を叫んだ人のなかにクルド人の問題を言った人がどれだけいただろうか。人間の盾になった人々のなかにクルド人の盾になった人がどれだけいただろうか。
 イラク戦争に大儀はあった。フセイン政権は打倒する必要があった。むしろもっとはやくそれは行われているべきだった。しかし、それはテロとの戦い(イラクとアルカイダ等テロ組織の関係は不明瞭)などという本当かどうかわからない曖昧な大儀ではなく、まして石油利権の獲得などという手前勝手な横暴でもない、人道的な見地からの大儀であるべきであった。そのためには欧米はかつての過ちを認めるところから始めるべきだったといえよう。 以上

参考

  「クルド人とクルディスタン」 南方新社 中川喜与志

NIKKEI NET
http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt57/index20030714AS2M1402414072003.html

国際連合憲章
http://www.lares.dti.ne.jp/~m-hisa/home/strategy/charter/index.html

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