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日本学研究室
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006
奈良古書巡り
川村邦光
私の奈良の住まいの近くには、古本屋が五軒ほどある。よく行くのがフジケイ堂とブック・オフ奈良法華寺店である。今回はフジケイ堂にて500円でどれだけ興味深い本が買えるか、挑戦してみた。以下、5冊買ってきた。私としてはかなり満足のいく買物であった。
(1)田辺元『歴史的現実』岩波書店、1940年(100円/定価50銭)
(2)朴寿南編『罪と死と愛と』三一新書、1963年(50円/定価250)
(3)山口清人・山口久代『愛と死のかたみ』集英社、1964年(50円/定価240円)
(4)奥浩平『青春の墓標』文藝春秋、1965年(100円/定価500円)
(5)『現代東欧文学全集 8』恒文社、1976年(200円/定価530円)
一応、出版年順に並べてみた。(1)の田辺元は、この頃、野上弥生子とのT純愛U文通(?)で話題になっている。私はこの人のものを一度も読んだことがなかった。本書は京都帝国大学学生課主催の6回にわたる「日本文化講義」の速記本である。講義集ということで、私などにも読みやすいのではないかと思って買ってみた。はしがきには「当時満堂の学生が非常な緊張と感激とを以て此の講義を傾聴した光景を今も眼前にまざ/\と憶ひ浮べる」とある。講義は1939年、学徒出陣は1943年のことだから、まだ死は迫っていなかっただろう。とはいえ、最後の講義をちらっと読んだだけだが、T死の哲学Uを高言している。
一君万民・君民一体という言葉に凝縮されているように、国家の統制と個人の自発性を結合・統一しているのが日本の国家の特色であり、そのような国家の理念を体現しているのが天皇である。そこから、排他的・閉鎖的でなく、開放的な日本の文化が生まれており、それが八紘一宇という言葉の意味となる。日本の国体思想は仏教を日本化して、大乗仏教の精神を生み出した。この精神は西欧の科学を包容していき、新しい時代の建設の原理となる。田辺は仏教信者でないといいながらも、この大乗仏教の精神において「日本の指導する東亜建設が世界歴史に於て重要なる意味をもつ」とするのである。そして、生死の問題である。「自己が自ら進んで人間は死に於て生きるのであるといふ事を事実として体認し、自らの意志を以て死に於ける生を遂行する事」、それが生死の対立を超え、生死に関わらない立場に立つということとなる。ハイデッガーの哲学が採り入れられているのであろう。「具体的にいへば歴史に於て個人が国家を通して人類的な立場に永遠なるものを建設すべく身を捧げる事が生死を越える事である」「自ら進んで自由に死ぬ事によつて死を超越する事の外に、死を越える道は考えられない」とする。大乗仏教の精神によって、世界史的事業で「永遠なるものの建設」でもある東亜建設に自発的に邁進することが、生死を越えることとなる。なにかしら壮大な言葉ではある。
学徒出陣兵にはそれなりに受け止められたのだろうが、この言葉の世界がどのように解体し、空虚なものになっていったのかを探ることは、今日、少なからず意義あることではなかろうかと思った。
(2)の副題は「獄窓に真実の瞳をみつめて」、T小松川事件Uの死刑囚の李珍宇と朴寿南の往復書簡集である。李は18歳で逮捕され、1962年に22歳で死刑にされた。二人は互いに姉と弟と呼び合っている。大岡昇平が李珍宇を死刑にするな、と書いていたことを思い起こした。
(3)は副題「処女妻と死刑囚の純愛記録」とあるように、獄中結婚した死刑囚と妻の往復書簡集である。62年に初版が出されている。どちらにもT愛と死Uという言葉がある。大島みち子・河野実の往復書簡集『愛と死をみつめて』は64年に出版された。みち子は『愛と死のかたみ』を読んでT純愛Uを語ったのである。(4)は30年ほど前まで、かなり読まれたものである。革共同(マル学同)中核派の奥が革マル派シンパの恋人に宛てた手紙やノート(日記)などを集めた遺稿集である。副題は「ある学生活動家の愛と死」で、ここにもT愛と死Uが見える。(5)はポーランドの作家ヤロスラフ・イヴァシュキェヴィッチ集で、「尼僧ヨアンナ」などが収められている。映画『尼僧ヨアンナ』をかなり前に観たように思う。
以上、5冊、田辺の空疎な空念仏のような言葉を読むことができたのはひとつの収穫だったが、「尼僧ヨアンナ」を読むのが楽しみである。
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