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日本学研究室
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今日のSEX
第2回 sex and the generation
by SHIBAHARA Mitsuhiro(芝原三裕)
社会学的カテゴリーとしての「世代」
例えば大学院では、当然僕は年齢的に一番下の世代ということになり、「80年代生まれ」だの「20代前半」だのという、僕の世代なり年齢なりに見合ったイメージで人と話をすることがよくあります。もっといえば、ときどきそのようなイメージを無理矢理担わなければならない場面というのがある。もちろんそのような各々のイメージで判断されるのは好きではないし、そんなもんは血液型で性格を判断するのと同じくらいあてにならないものだと僕は考えています。一方、日常生活で避けることのできない、人との面倒な付き合いを適当にやり過ごすためのツールとして、そのようなイメージが便利なときもありますし、そのような世代なり年齢なりに付随するイメージがないと、ちょっと離れた年齢の人と途端に話ができなくなるということもあります。ややもすると、日常における人間関係などというものは、ほとんどがそんなもんなのかもしれませんし、そのようにして築かれた人間関係こそが、コミュニケーションの大半を占めるということになるのかもしれません。
社会的な生き物としての人間は、階級や民族、国籍、性差といった様々なカテゴリーで分類され、またそのようなカテゴリーが複雑に絡みあうところで、自らのアイデンティティというものもおぼろげにイメージされるわけです。(ネグリ&ハート『<帝国>』を読んでいると、どうも最近はそうでもないようですが・・・。)また他者との実際的なコミュニケーションにおいても、そのようなカテゴリーは極めて重要な要素です。僕たちはそのようなカテゴリーとの葛藤と共生の中で、なんとか社会と自己のイメージをよりバランスのとれたものにしようとする。
しかし、社会学が分析の対象としてきた様々なカテゴリーの中で、世代や年齢というものが、いささか軽んじられているのではないかという気がします。社会理論の中で、世代や年齢は絶対的な要素としてなかなか確定されてはこなかったし、どちらかというと、それは歴史変動に関わる関数的な要素として考えられてきた。もちろん、例えば地理学という空間を取り扱う学問などでは、空間と時間の関係を理論的に分析しようとしてきたわけですが、それが人間の経験としてどのように蓄積され体系化されていくか、あるいはそれが世代や年齢というカテゴリーとどのように関係しているのかということになると、やっぱりちょっと弱いわけです。社会的存在としての人間を考えるときに、世代や年齢という要素を導入しようとすると、しばしば似非心理学ともいうべきいかがわしい説明がなされてしまうのは、僕としても非常にフラストレーションがたまるところです。かといって僕自身の中でうまく説明できるわけでもない。別にここで心理学と社会理論との間に横たわる乖離を論じるつもりはないのですが、今回はそのようなことを頭の隅におきながら、sexについていくつか話題を拾ってみたいと思うわけなのです。
「性欲全開30代女性」?
最近観たドラマで抜群に面白いと思ったのは、なんといっても「Sex and the city」 でしょう。(7月9日からは朝日放送で観ることができるようになるようです。)マンハッタンに住む30代女性たちの恋愛とsexを、それなりにできのよいコメディとしてみせてくれます。しかし、マンハッタンのセレブ女性に、就職難に苦しむ日本の女性がまんまシンパシーを抱いているのかというと、それはちょっと違うようです。この「Sex
and the city」この「Sex and the city」ホームページ
に掲載されている、日本人女性を対象としたアンケートからも、その微妙な違いは見てとれます。(だいたい、日本のセレブ代表が叶姉妹じゃねぇ・・・)
でも、ちょっと気になったんですが、30代女性と性欲の関係をリアルに表す表象ってあんまりない気がするんです。「Sex and the city」に登場する30代女性は、もう毎回毎回ヤりたい放題なんですけど、30代女性がこんな性欲バリバリで表象されるのは、ちょっと珍しいかなと思いました。これまでの性欲全開の30代女性の表象っていったら、
「熟女」 とかぐらいしか見当たらない。――まぁここでは女性と男性の視点の違いも大きな要因ではありますかね(笑)――「性欲全開30代女性」の表象で最近特に目立つのは、中村うさぎや倉田真由美
といった人々でしょうが、彼女たちが「Sex and the city」にハマってるというのも、分かりやすいといえば分かりやすい構図です。
なんでこんなに「性欲全開30代女性」表象が気になるのか、自分でも分からなかったんですが、どうやら一方で、最近これまた急速にリアルな「社会問題」として認識されるようになった少子化問題が、私の中で気になっていたことと関係しているようです。
アホな政治家はまたとんでもない発言をしている
ようですが、最近では国を挙げて「子供を産みましょう!」ってことになってる事態が一方にあって、形骸化していた 公立の結婚相談所
にも、予算がどんどん降りているようです。最近の30代女性の表象にはどうも少子化という「社会問題」が微妙な影を落としてる感じがしてなりません。もちろん性欲と少子化は全く別の話なのですが、やっぱなんか気になるのです。遺伝子技術の急速な発展による不妊治療などの医療の進展とモラルの欠如、年金をひっくるめた社会保障に関する最近の改革、あるいは女性を労働力として動員しようとする引力が非常に強いと思われる(ので僕は基本的に反対な)配偶者控除廃止
、といったレベルにとどまらない、もっと微細なレベルで「子供を産みましょう!」的生−権力が働いてる、ってこれはちょっと言い過ぎでしょうか・・・
「お見合い」の復活?
もうちょっとだけ、世代としての30代について考えさせてください。
20代後半から急速に高まってくる圧力といえば、そう、結婚です。最近僕も周囲に結婚する友人がにわかに増えてきて、否応無しに考えさせられるテーマ、それが結婚です。この「結婚しなきゃいけないかもしれない」圧力というかシンドロームは、例えばイスラム圏なら20代前半にくるのだろうし、高度経済成長期以前の日本でも20代後半で結婚していないと、やはりちょっと問題視された。本人も負い目を感じる。そう考えると、現在の日本における「結婚〜」圧力orシンドロームは、比較的軽いものかもしれません。長い長い歴史の中で考えると、結婚しないことを選択する人にとって、今の世の中は結構生きやすいのではないかという気もします。でも今後はどうなるか分からない。というか、事態は悪い方向に向かっているのでしょう。
ちなみに、最近私が結婚について結構真剣に考えているということは申し上げましたが、もし結婚するなら
事実婚だな〜という気がしております。でも、これって相手の親とかどうやって説得するんでしょうね。「親なんて関係ない
!」というのはあまりにも非現実的でしょう。私の親は1950年代生まれですが、「役所に書類を出すこと=結婚」を当然視する親の世代をどう説得すればよいのか、結婚する予定もないのに真剣に考えています。
もうひとつ、これまたどうでもいい話ですが、さっき結婚相談所と書いて思い出したのですけれども、お見合いというシステムがどうも最近また復活してきているみたいです。「ニュースステーション」(6月19日放送分)で現代のお見合い事情について特集していたりもしたのですが、(
こんなドラマ もやってました。)これは先ほども述べましたように「社会問題」化した少子化や不景気と関連しているのだろうし、もっと大きなことをいえば、コミュニケーション・ネットワークがこれだけ発達した社会において、逆に人との出会いが狭小なものになってきているのではないか、とも思えるのです。
例えば、僕はポケベル
を使ったことのある最後の世代ですが、これが年齢がひとつ下になるだけで、携帯電話にガラッとかわってしまいます。ポケベルと携帯ではコミュニケーションがとりにくい。なんとか乗り換えようと思っても、新たしい通信メディアが次から次に登場し、追い付けなくなった途端にコミュニケーションの対象が極端に減少してしまいます。今、職人技的なスピードで携帯メールを打っている高校生が、5年後にどんな職人技を体得しているのか、そしてそれはどんな技なのか、今は知る由もありませんが、ここでの変化は世代というよりもすでに年単位、月単位での変化です。一年違うだけでコミュニケーションの取り方も話題も全く変わってしまう。世代間でコミュニケーションをとることは現代においては、実は結構難しいのかもしれません。
さて、お見合いの話なんですが、システムとしての「お見合い」を真剣に取り上げた社会学的研究ってそういえば見当たらないのです。民俗学にもない。(これぐらいかな?)
だいたい「お見合い」システムが近代以降に成立したものかどうかさえ分からない。私たちのちょっと前の世代では、ねるとんパーティ(恐ろしく死語)
や合コン といったものが「お見合い」的な機能を代替していたのかなとも思われます。でも、最近合コンとかっていうのもめっきり減ったような気がします。みんなどこでどうやって出会ってんですかね。よく分かりません。いずれにせよ「お見合い」は時間があればちょっと調べてもいいかなと思います。
誰か僕と「お見合い」(研究)しませんか?
以上、第2回終わり。
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