望ましい外国語教育と桜美林大学の中国語の授業の一つ

 外国語教育が始まってから、二千五百年も経って、大きく変わった。最初は外国語教育の目的は書き言葉の理解だけにあって(名柄・茅野・中西、1989 p. 14)ラテン語の文書を読んで、理解できるようになるためであった。現在、交通手段や遠距離通信の発展と情報化が進み、国と国との壁がなくなり、文化の異なる人間が接触しやすくなった。その文化の異なる人間との接触の機会が多くなって、書き言葉の理解だけではなく、ある国の文化を理解できるための外国語能力が必要になった。


 「異なった文化・国民性・思考方法」を理解するためにその文化の異なる人間と交流して、その文化の言葉でコミュニケーションをしなければならない。Marjorie C. Johnston は次のように述べている。


Experience in direct communication through speech or writing, imaginative identification with the people whose language is used, a feeling of personal involvement, induction into a different thought and process and cultural medium--these are the ways in which modern foreign language study can make a significant and indispensable contribution toward international understanding.1

 国際理解のために日本では小学校の段階で英語を教えようという声があって、ある学校では実際に教えられているが、今までは義務教育として英語教育は中学から始まって、高校まで勉強する。大学では英語意外に、ヨーロッパの言葉やアジアの言葉などが教えられて、多くの学生が受けている。こんなに外国語を勉強する機会があって、しかも長い時間をかけて勉強するのになぜうまく話せる人は少ないのだろうか。現在、桜美林大学の中国語のクラスに出ているが、その授業、特に教師の教室内の行動について自分の考察を述べたいと思う。


中国語氓フ授業


 先生は二人いる (Team Teaching)。一人は中国語の母語話者で、もう一人は日本人である。学生の数は30人ぐらいである。週に二回あって、1時間半勉強する。「実用中国語八百句」という教科書を使っている。授業が始まって、もう1ヶ月が経って、教科書の第2課を終わって第3課を始めたところである。


教室の中の活動


中国人の先生

教室に入って挨拶する。
教科書を開いて、前回勉強した文章を復習させる。(コーラス練習)
一人一人に質問をする。(個人練習)−皆にたいして聞かれることはない(何人かに聞く)
中国語の文章を日本語に翻訳(通訳)させ、日本語の文章を中国語に翻訳させる。
文法を説明するのには時間がかかる。
主に使う言葉は日本語である。

日本人の先生

文法的説明が多い。
教科書を開いて、前回勉強した文章を復習させる。(合唱)
一人一人に質問をする。(何人か)
習った単語を使って、教科書にはない文章を作らせる。(日本語で言って翻訳させる。)(書くのではなく、話す)
習った漢字を使って教科書にはない新しい言葉をたくさん導入する/読ませる。
学生がわからなかったら、もう一度説明してその学生ができるまで諦めない。
余計な説教をする。
主に使う言葉は日本語である。

学生

先生のあとに発話する。
ノート/本に書き込む。
聞かれたら、答える。(分からないときにノート/本を見る)
声を出して本を読む。

問題点

 外国語をコミュニケーションのために使うには四つの機能、いわゆる聞く、話す、読む力、書く力を身に付けなければならない。私が参加している中国語の授業を見れば、読むと書く力を身に付けることができるが、話す力と聞く力はなかなか身に付けられないと思う。
 一つの大きな問題は学生はあまり発話しないことである。一時間半の授業で、コーラスで発話させたのは58回で、個人発話は33回である。学生の発話の練習、または、会話練習は足りない。会話練習と言っても、ほとんどは先生と学生とのやりとりで、学生と学生のやりとりはまったくない。学生は答える側が多くて、質問する側は少ない。その結果、学生はなかなか質問できない。言語を勉強するには「oral practice」が必要である。たとえ、最終的な目的はその言葉で読めるようになることでも、話すことは大事である。(Charles Fries, 1945)
 次の問題点は授業では教科書以外の教材は使わないことである。他の教材を使えば、授業はより面白くなるし、学生は飽きない。教師は練習の時にその教材を「cue 」として用いることができ、授業のスピードも速くなる。
 もうひとつの問題点は学習者が中国語の文章を日本語に、また日本語の文章を中国語に訳させられることである。外国語を話せることは頭の中に早く翻訳できることと同じだと思い込ませられている。学習者は言われたことばを翻訳できないと説教されてしまう。
 最後の重要な問題点は授業の進め方があいまいなところである。導入、練習、確認という順番ははっきりしていない。特に日本人の先生の授業の方向性がわからない。授業の終わりに本を読ませるだけである。あと、日本人の先生は教科書のどこまで教えたか分からなくて、中国人の先生と話し合っていないようである。
 これらの問題は私の中国語のクラスだけには限らない。日本の外国語のクラスのほとんどの問題だと思う。この問題を解決しない限り、日本で勉強して外国語を話せるようになる日本人の数は増えないに違いない。それでは、どうすればいいのであろう。


望ましい教室活動

  • しっかりした教案を作るべきである。効果的な授業を行うには、どのように教えることを導入するか、どのように練習させるか、どの教材を使うか、そして、それぞれの活動の時間を決めなければならない。そうすれば、時間を有効に使えるし、無駄な活動を最小限度にすることができる。
  • 教科書以外の教材を使うべきである。教科書以外に視聴覚教材、絵カードや単語カードやビデオなどが使える。新しい名詞(物)を導入する時に絵カードを使うことによって、導入する言葉が覚えやすくなる。文字で覚えるよりイメージで覚える方がもっと効果的であることがすでに証明されている。また、絵カードや単語カードなどを「cue」として使って、学習者の練習に用いることができる。先生は何も言わなくても学生を発話させることができる。いろいろな練習方法と確認方法も取り入れられるし、授業のテンポも早くなる。その上に学習者の発話の数が増える。
  • 正確さのための練習だけではなく、ロールプレイ、ドラマ、ゲームなどのような(話し方の)なめらかさのための練習もやるべきである。そして自然な話し方、どのような場面で、どんな言葉を使用すればかを選んで使用する。
  • 個人で答えさせる場合には、学習者が間違った答えを出した場合に、プレッシャーを与えてはいけない。学習者の意欲を失わせることがある。訂正も必要だが、学習者を攻めるようなことをさけるべき。間違えることをおそれない雰囲気を教師は上手に作ること。
    母語を使わない事を基本とすべきである。母語をあまり使わないで、目的言語を使うべきである。なぜなら、目的言語を聞き慣らすことが必要だからである。母語に翻訳させない。

  • Translation and "word equivalents" which seem to save time at the beginning really cause a delay in the long run and may if continued even set up such habits and confusions as to thwart any real control of the new language.2
     


     以上は望ましい教室内の行動だと思われる。現在の日本語教育では上に挙げたようなことを実行した結果、多くの外国人が日本語が話せるようになったのに、日本の外国語教育ではなぜあまり使われていないのか、謎である。日本人が外国語を話せないのは能力の問題ではなく、教え方の問題である。

    日本語文献


    奥田那男『日本語教育学』福村出版、1992. p.25−28
    田中望『日本語教育の方法』大修館書店 1988.
    ネウストプニーJ.V.『外国人とのコミュニケーション』岩波新書1982.

    英語の文献



    1Johnston, Marjorie C. "How can Modern Language Promote International
    Understanding? ". Foreign Language Teaching: An Anthology.
    Macmillan, 1969 pp.72-90

    2Fries, Charles. "Learning a Foreign Language".
    Principles of Foreign Language Teaching. Seibido 1958 pp.27-46