小林 博教授の講義。演習室でやってるので冷房も効くし、パソコンで講義メモを取るのには
最高の舞台・・じゃなくて場所である。
 主に、円からみた日本経済をやった。金本位制から現在のフロート制にいたるまでの過程を日本
にスポットを当てて取り上げていく。
 といいながらも、経済の基本原理である購買力平価の法則やら、利上げによる経済効果と円高に
よる輸出拡大の理由についてレクチャーもあるなどミクロ・マクロを包括した講義である。
   火曜日 4限目 とっても眠い時間 
7月3日
 円とドルとの関係について。
1973年の10月、第四次中東戦争勃発。そうすると、中近東で石油たくさん生産している関係から石油の値段が一辺に上がった。3
ドル=1バレルから11ドルまで上がった。約3倍に上昇。これが第一次オイルショック。
   石油ショックが起きた時に円は弱い方へ舵が取られ始めていく。70年代後半は円はずっと強くなっていくようになった。これは経常
収支の黒字がどんどん増えてきたから。日本の輸出がどんどん増えて、貿易収支、経常収支の黒字がどんどんふくらんできたので7
0年代後半は円が強い状況が続いた。(P168)  また、78〜79年位に状況が変わる。この時に円が安い方向に動きだした。これは、第二次オイルショックが起きたから。イラン革
命もあった。1バレル=13ドルが36ドル位まで、約2.7倍も上昇する。
 で、針の振り子はまた戻る。円高へ。
 80年代に円高が急速に進行した理由は?  原因は日本にあるというよりもアメリカに原因があった。
 ポール・ボルカー連邦準備制度理事会議長。この人は7年くらい。今はアラン・グリーンスパン。1986年からやっているので1年
間もやっていることになる。正に世界経済の番人。
 ボルガーはインフレ抑制を最優先にした。これはDFBにも共通するね。インフレを抑えるために、当然金利を上げた。80年代はじ
めにね。他にも理由はあるがボルガーの連銀就任が大きい。
 金利が上がるとその国の通貨は強くなる。(他の国の通貨は安値に進行する)アメリカのインフレが当時は大問題だったので銀行家と
しては当然の防衛行動といえる。
 ひとつは金融政策と言うことでボルガーが推進した。そしてこの時、あのロナルド・レーガンが登場する。
 ウォーターゲートでニクソンは退陣。ベトナム撤退による北ベトナム共産主義の勝利。これが70年代前半の激動。
76年にカーター就任。人権外交を試みる。つまり、政治的な強さには元々欠けていたというめんがある。民主党のいい例。しかし起こ
ったのはイラン大使館事件。キートン大活躍だった。
 強いアメリカ、偉大なアメリカを旗印にしたレーガンがやったのは、自由競争に委ね、円を攻撃した。小さな政府、規制緩和を推進。
その効果が現れたのは6年後位。クリントンの時なのは皮肉。
インフレ抑制、税制改革、規制緩和の拡大、軍事力増強、長期成長の達成、マネタリズムの反ケインズ政策の代表格でもあるのがこのレ
ーガノ・ミックス。別名はサプライ・サイド・エコノミクス。まあ、需要を刺激するのがケインジアンの本音だから、供給重視はマ
ネタリストということになる。
 レーガンは政府は小さい方がいい。政府が橋を造ったりするのではなく、民間企業をより力強くしようと、そのためには税金を低く、
物事を自由に出来るように規制を緩和、企業民間の生産能力を強くしようという方向を狙った。民主、共和の二大政党の中では、民
主党というのは弱者重視傾向が強い。だから福祉バラマキや保護貿易主義。カーターはその典型。クリントンは彼なりの民主党であ
る。
レーガンは規制緩和で企業を強くすることを主眼においた。それともうひとつは、個人の税金を下げて購買力を上げる。これは今のブッ
シュもやっているから減税、税制改革は共和党の十八番なのか。
レーガンのブレーンはあのミルトン・フリードマンやエルドシュタイン。シカゴ学派の巨頭。自由的保守主義の旗頭。マネタリストのト
ップ。
政府が何でもやることは基本的に(ファンダメンタリティー)に信用せずに、お金の量が年何%だけ社会に定期的に入れ続ける機能以外
は政府が経済に関与する必要が無いというのがマネタリズム。
 ボルガー連邦準備制度理事会議長も同じ。彼の場合は金利調整も頭には入れたが、金利はほっといても通貨発行量の調整とういフリー
ドマンと一緒で、お金の量を重視する政策を打ち出していた。ので、金利が急上昇してしまう。今では金利を重視するのもインフレ
抑制には必要とされている。今のグリーンスパンのあり方はボルガーの例が相当影響しているのかも。
ドル高が急速に進行するという事態が生まれ、赤字はむしろ拡大、結局成果を上げきれなく終わってしまう。
もう一人の学者はラッファー。レーガンにものすごい影響を与えた。ラッファーカーブで有名。減税に関連している。税金を下げると税
収は落ち込む。上げれば増えるのは当たり前だが、下げたって税収が落ち込むわけではなく、あるところまで行くと税収を上げても
少なくなってしまう点がある。税率を下げて企業が元気になる。瞬間的には税収が減るが、結局は増収していくことになる。そうい
う点があるというのを見極めるカーブの事。ある点まで下げると逆に税収が上がる点があるので、税率には最適な点があるという理
論。
 フリードマンのマネタリズム、ラッファーの税率理論がレーガン政権を支えていた。
  それで今、いおうとしていることはドルが強くなって円が弱くなった。これの原因はアメリカの金利が上がったから。上がった理由は通
貨供給量を重視していたため。
税収が増えていくことを期待したがそうは行かなくなってしまった。結局双子の赤字が出てくるだけだった。それはフリードマンとボル
ガーのマネーサプライ偏重重視が理由。支出を削減して小さな政府を実現するのが規制緩和と連動する重要な理由、経済に極力影響
を与えない政府を作るはずだったのに、国防費はスターウォーズで増大。社会保障費は削減しようにも反対が多くて減らせない。で、
入るのは減税で減ったのに、出す方ばかり増えたので財政赤字、ドルが高いから民間企業の輸出体力は衰え、輸入による貿易収支は
赤。財政収支はさっきの理由で赤。これが双子の赤字。
ボルガーは社会に出すお金の量を少な目にコントールした結果金利がどんどん上昇していった。プライムレートはこの時期に21%に。
ただ日本にも原因はある。(p172) 
新外為法の施行がそれ。日本からの資金流出が増えたのは為替取引の自由化が進んだところにボルガーの金融引き締めで金利が上昇した
のをきっかけにアメリカの株式市場、債券市場に急速に金が流れ込むことになった。外貨預金の自由化により届け出制が廃止された
ことも大きい。
これは資本収支の赤字が経常収支の黒字を上わまると通貨安(円安)に進行することもあるといういい例。
レーガン時代、人気があったから一気にレーガノ・ミックスをおもいきって進めた。今の小泉さんはその点が非常〜に似ている。大体、
彼が何をやろうとしているのか知っている人は多いのだろうか?レーガノ・ミックスとサッチャリズムの共通点は小さな政府、金融
改革だった。コイズミニクスは小さな政府は同じ。だけど、社会保障費が増えるのはレーガノ・ミックス以上であろう。だからレー
ガノリセッションではなく、コイズミリセッションはレーガノリセッション以上に大きいだろう。アメリカの90年代はじめの苦境
を日本はその倍位の大きさで味わうに違いない。
プラザ合意
プラザ会議に参加した蔵相は竹下。
プラザ会議では為替レートを「望ましい」レートに戻し、主要非ドル通貨(円とマルク)のドルに対してのある程度までの秩序ある上昇
が望ましいとする決定がプラザ合意。
このため、1ドル80円までのものすごい円高が進んでしまう。
ルーブル合意

1990年、フランスに主要国が集まり、ドルが充分弱くなったので1987年位のレートに戻していいでしょうとしたのがルーブル合
意。これくらいでいいじゃん!って感じ。プラザ合意と対になっている
円高不況を克服するために低金利政策を始めた。それだけじゃないが、バブルを生み出す理由になった。土地上昇、株上昇に繋がってい
った。
7月10日 レーガノミックスは結果として双子の赤字を発生させ、世界的大問題となった。そこで行われたのが、プラザホテルでの合意。
G5(Group of 5)先進五カ国(アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、 ドルが強く成りすぎたことが認められた=ファンダメンタルズを反映すべきだという意見に押され、アメリカも認めざるを得なかった。で
、1ドル242円が年末(3ヶ月で)200円まで円がものすごい勢いで強くなった。ま、これがバブルへの一因になるのだけど。口
で言うと、円が自動的に強くなったのではなくて、G5による協調介入が行われたのである。日銀と連銀がドル安円高へ強調して外国
為替市場に介入したという経緯がある。


協調介入はポイントなりすけ。
ルーブル合意
ずーっと円が強くなり続ける訳にはいかない。ある水準でもういいだろうとしたのが、ルーブル合意。ルーブルはパリのサンシェリオンの
宮殿。エルゼ宮が大統領宮殿で、ルーブル宮は何だったっけ?ベルサイユにあるやつだったっけ?ルイ14世の創ったやつ。
 このルーブル合意ではパリでサミットを開催することと、イタリア、カナダを加えてG7にすることが合意された。この時から、世界の
重要事項(経済面)、特に言うならば通貨、今ならユーロ、円が話題になるのはG7の中央銀行蔵相会議とか首脳会議の時になる。G
7,G7〜〜。
   暗黒の月曜日


1987年10月19日
 アメリカの株価が22.5%も一日で急落した。この時に1929年の悲劇が思い出されただろう。あの時は木曜日だったけど。
 1929年10月24日は世界の最悪の日。1987年の10月19日に起こった悲劇によって、ドルが下がり、円相場は10月30日
までに138円まで急騰する。この時は、グリーンスパンの必死の努力で60年前の悲劇は繰り返されなかった。
   ではこの時の日本
 いわゆるバブル期の直前にあった日本だった。具体的には土地、株が上がり続けるとうい異常事態。これは円高や成功による金余りが原
因。他にも社会制度がこれ以上ないくらいに完成されてきたこともある。この時の市街地価格指数では、1990年を100として1
985年は六大都市商業地平均で25.6%。つまり5年で地価が4倍上がった。住宅地でも3倍。ただし、田舎は2倍程度。バブル
で顕著に現れたのは東京とか大阪とかが翻弄されていることがわかる。
 では2000年の数字を見ると。六大都市の商業地平均の数字は19.9%。10年で5分の1まで下落した。住宅地は45.7%、つ
まり建て家は半値になった。そしてずっと下がり続ける方向にいる。これからもね、多分。
 土地神話はどこへ?今は下がり続けるという神話が成立しているが。
 バブル期のげんしょうとして、海外の物を買い漁ったりした現象もある。今では見る影もない。千葉そごうの美術展だって閉館したし。
 マンハッタンのエンパイアステートビル、ロックフェラーセンターを買収したときには、サンライズニッポンだったのだが・・・。三菱
地所はどうしているのだろう?
 同じように三井不動産もエクソンビルを買ったし。ベルブリーチも買ったし。オーストラリアでも買い漁ったし。よく話題になるのが絵
。無茶苦茶高い値段で買いまくった。政治資金の温床にもなったし。ゴッホの「ひまわり」はいくらだったっけ?安田海上火災は50
億円で買ったが今はどれくらいの価値があるんだ?
 バブルの世界最初というわけではないが、よく言われるのがオランダのチューリップバブル。あそこでは、いろんな品種改良をしたチュ
ーリップの先物とかを大金で売買していた。新作の色とか、早い成長をする種とかを大金でやりとりしてたら、いつの間にか落ち込ん
でいた。まあ、重商主義の限界だったとも言えるんだが。チューリップに狂乱していたのさ。でも、日本とだぶらせて感じるのは、そ
の国の最盛期には必ずバブルがあるということ。日本、オランダ然り、イギリスの南海株式会社事件然り。野球チームじゃないぞ。1
910年から20年頃にあった事件ね。この時にはバブルだという認識があった始めての時代。規模はチューリップの比較にならない
。  あとはイギリスの1970年代のセカンダリークライシス、アメリカのSandP事件そして、日本のバブル。
 因みに8年間で株価が4.5倍に上昇し、1929年に大暴落したのがアメリカ。その時ははっきりとバブルとは認識されなかったが、
狂気の時代ではあった。
   閑話休題
 この10数年でアメリカの株価もものすごい勢いで上がってきていた。これがバブルだという指摘はグリーンスパンを始めとして多かっ
た。
 アメリカは1989年から10年で4倍上がり、そして、たった3ヶ月で3分の1まで落ちた。(落ちたのはナスダック)上がったのは
、ニューヨーク証券取引所なので、同じではないのに注意、ただ表現上でごっちゃにしたのは適切ではないと今は感じている。
   ソフトランディングとハードランディング
 物事が行きすぎてしまった時に、少しずつ修正していくのがソフトランディング。で、行きすぎたときにストーンと急激に調整を起こし
て元の適正基準まで戻すキックをするのがハードランディング。アメリカの株価もソフトランディングで行けば、大きなこともなく最
終的には落ち着くつくという大事業を達成できるが・・・。でも、落ち続けるでしょう。上がるのは難しい。V字カーブじゃなくて、
L字だよ、アメリカは。
 株というのは一つの対象としてよく取り上げられる。何故って、動きが激しいから儲かりやすい側面が危険性が強いがあるから。投機、
ヤマであることには変わりない。
   ファンダメンタルズから見たバブル
 日本語で言うと、経済の成長率、物価上昇率、国際収支バランス、失業率等の経済の基礎的条件のこと。成長率やインフレはそう激しく
動かず、安定している傾向があるが、バブルというのはファンダメンタルズが不均衡に陥りやすくなる。それは、投機がまきおこるか
ら、値上がりが値上がりを呼ぶという不健全、不均衡が起こるのがバブルと言える。急激に上がればいつかは急激に下落する。これが
過去の例から見た最大の教訓。
 バブルの原因
 日本の金融政策であると言われている。金融拡大が、つまり公定歩合を87年に2.50%にまで下げて経済を緩ませた。これが行きす
ぎではなかったのか?三重野さん?
 それが89年になって金融引き締めに転じた。90年8月30日に6.0%に。ここまで急激に上げ下げした日本銀行、その割合も下げ
すぎ、上げすぎた、余りに長く下げすぎた、上げすぎたのが土地と株価が急速に上がり、急速に落ちた原因ではないのか?それが主因
であって、他にも理由はあるが・・・・。
 で、プリントには澄田元日銀総裁の言葉。「プラザ合意が日本の金融政策を制約した、つまり日本のバブルを導いたという見方があるの
は認める。円が高く、強くなるが輸出産業を中心として不況が深刻になると考え、公定歩合を下げた。だが、ブラックマンデーが起こ
ったために上げるのに転ずる機会を逸したと言われているが、悪影響を避けて慎重に機会を探っていたのだ。物価が上がらず、資産が
上がるのは今までの日本にはなかったことだ。(日銀だって難しかったんだ)私はみんながその責めを負うべき問題だったのだと考え
ます。邦男財政・金融政策、金融機関の行動、それに金融機関から資金を借りまくって土地を買っていた企業や投資家。私はそのすべ
てに責任があったのではないかと思います。」
 ま、一番責任が重いのはこの澄田 智元日銀総裁なのだが。
 で、その下にはジェームズ・ベーカー(プラザ合意の時のアメリカ財務長官)「プラザ合意後に金融緩和の道を選んだのは日本政府だ。
アメリカの責任ではない。」が主旨。
アメリカのドルが強すぎたのを修正するように日本・ドイツに協力させ、国際的合意を創ったのだが、場合によっては国際的合意がある国

の経済にものすごい影響を与えることもあるのだという、これは好例だろう。
国際政治経済システムが各国とリンクしており、それらのバランスを取る際には国の国内政策であろう。
次は三重野 康元総裁。澄田総裁の次の人。それは飛ばして、最後はエズラ・ボーゲル。
ハーバード大学教授で『japan as number one』の著者。日本人の自信過剰がバブルに繋がっていったという論。当時は日本のべた褒め程度
にしか日本では受け入れなかった。で1987年のポール・ケネディの『the rise and fall of the great power』邦訳『大国の興亡
』日本で受けたが、まったく反省していないじゃん、日本人。ポール・ケネディは経済学者と言うよりは政治学者だけど、ボーゲルは
経済学者。
ボーゲルが言いたかったのは、アメリカ人に日本を分析して、キャッチアップを目指せということだったのに、日本人はまあ、そんなこと
には元々気づくはずもない。大平が「褒めら過ぎてくすぐったい」と誤解していたのは日本の政治家の頭の良さを良く表しているだろ
う。
閑話休題
では、プラザ合意がバブルを創り上げる元凶か?答え=元凶ではない。影響はあったが、金融政策を決定したのは日銀、公共事業に走った
のは日本政府の決定である。
円高
今まで円が最強だったのは1995年4月の79円。これが反発して1998年7月に147円に。これが落ち着いて今は120円位。1
ドルね、因みに。さあ、これから円はどうなる?
@ 国際収支が強いから円が強くなる
A アメリカのドル高政策で円安基調は変わらない。
さあどっち?
   終