
1.プロローグ ノルウェー移民の子としてソースタイン・ヴェブレンはアメリカで生まれた。彼は幼少の時から天才だったらしい。長じてシカゴ大学の 経済学者になるが、教え方が下手でその上女子学生へセクハラ?をして追放、その後は大学を渡り歩くことになる。結局、そんなこんな で助教授以上になれず、最後は孤独のうちに死んだ。 さて、彼の学問的業績とは、 @ それまでは特に分析されなかった個々の企業家の心理行動を詳しく分析し、「技術者評議会」(ソヴィエト)という概念を持っ て、企業内での階級対立を予言したこと。 A 個々の企業の行動分析を通して、資本主義システムは科学的に進歩、進化するだけではなく、社会的矛盾を生じさせていること を厳しく指摘し、古典派が幅を利かせていた当時に痛烈な皮肉を投げつけたこと。つまり、経済とは社会構造を規定するものであり、よ り進歩を繰り返していく過程では、科学的経済分析ではなく社会構造との関連を常に考察する道を開いたことである。 特にAがP319にある「彼の偉大な業績(中略)大きくなり続ける経済思想の図体を更に大きくしたことではなく、その思想のよりど ころである「科学性」の拡大にまったをかけたことである。」に通じていると思う。 2.ヴェブレンの感じた疑問 古典派とは、つまり如何にすれば完全均衡状態が達成されるのか?また、どのような資源分配を行え競争状態が出現するのか?個々の企 業や家計はおおまかにはどのような動きをするのか?を分析してきたが、どれも社会が進歩し、独占企業を生んだ状態で社会構造がどん なものになるかは分析してこなかった。 ヴェブレンはそこに『技術者と価格体制』の本の中で新たな分析を行った。それは企業の行動を詳しく分析したもので当時はマーシャル に次いで数少ない存在と言える。 工場において、支配する所有者(金持ち)とただ生産に従事する技術者達の間には、社会が進歩・拡大するにつれてさまざまな仲違い・ 矛盾が生じてくる。 簡潔に言えば、企業経営者は儲けや利潤には注意を払う。技術者達は自らの技術の向上と新技術の開発に取り組む。開発に成功し、企業 が儲かれば自分たち技術者も儲かると思うからだ。だがその結果だが、技術者達の新開発よりも金のことしか頭にない企業経営者達は労 働者を最低賃金で酷使して企業利潤の最大化を図ろうとするだろう。労働者の考えなど企業経営者には理解など到底出来ない。技術者達 は会社の利益を上げて貢献しているのは自分たちであり、金のことしか頭にない経営者に対し常に不満を持つようになる。現代でも変わ らぬ企業の本来の使命とはくいちがっている企業構造の矛盾をヴェブレンは発見した。 3.古典派との決別 この矛盾にはある命題が隠されている。 それは、従来の古典派経済学によれば経済は最終的には需要と供給がマッチングし調和すると唱えられてきたが、ヴェブレンの考察をさ らにさきに進めれば需給がマッチしない矛盾した状態が生まれてくる。 技術者達は必死で新技術の開発に取り組み生産量を拡大させようとするだろう。それが彼ら技術者の使命だからだ。だが、そのような努 力を続ければいずれ社会の需要を越えた供給を生み出してしまうに違いない。だが、技術者に生産拡大の使命を与え、利潤の最大化を命 じたのは誰か?企業家である。だが、経済では需給は一致すると話されているが実際はそうはならない。社会構造では技術者達に努力し ろと命じているのに、古典派経済では需要と供給がマッチしなければならないとしている。いずれ、この矛盾は吹き出す。それをヴェブ レンは指摘した。 このような古典派では説明しきれない矛盾を創り上げたのは社会構造であるとヴェブレンは指摘した。だから、経済を規定するには社会 構造との関連性を考えねばならないのである、そう主張したのはアメリカ制度学派であってそこまではヴェブレンは言っていないが。 4.ヴェブレンの最大の功績 この社会的矛盾の発見をヴェブレンは活かすことなく終えてしまっている。だが、企業の肥大化による社会的矛盾の発生を予言すること で次世代に道を開いたのである。ヴェブレンはアメリカにいたため古典派などの強い影響を受けなかったこともこのような新視点からの 分析を可能としたと言えるのではないだろうか?そしてその視点はアメリカ制度学派を生み出した・・・。 前述の企業所有者(金持ち)と技術者達の例を引用すれば、アメリカ制度学派は技術者達と経営者の間に生じた社会的矛盾をただすため に社会制度を変えていかねばならないと論じた。 何故なら、人々(例えば技術者達)の集団行動のありかたを決めるのは社会構造だからである。政治形態、思想、法律、習慣、伝統が その社会にいる人々の行動を半ば強制的に決定させるからだ。 例えば、労働組合は自分たちの賃金の値上げや福祉の向上しか考えない、企業経営者達は利潤を最大化させるために賃金を抑え、首切 りをしたくてしょうがない。さらに学校、政府機関等々・・・・。 様々な場所で矛盾が発生しないように社会の制度を変えてしまえば上のような矛盾は抑えられると考える人達がアメリカ制度学派と呼 ばれる一団である。経済の進歩がどのように社会構造に変化を与えるのか、社会構造の制度を変えればどのように経済に影響があるのか を考察する人達で、ジョン・ケネス・ガルブレイスはアメリカ制度学派の最新バージョンといった所か。そして、彼らの思想の根幹を作 り、現代アメリカ政治経済、引いては世界経済に影響を与えることになったのがソースタイン・ヴェブレンだった。 5.マルクス、ヴェブレン さて、技術者の数がいくら増え、彼らがいくら技術開発の努力を繰り返しても利潤を追求するのみの経営者にとってはあまり意味が有 るものではない。むしろ経営者にとっては金融専門家達のアドバイスの方が有効だろう。経営者は技術者達の意見よりも、金融専門家達 の言う更なるリストラを推進しがちだ。 そのような不平等のような状況が長く続けば技術者達が怒って結束して経営者を追い出すようなことにでも不思議ではなくなるはずだ 。 従来の会社所有権とは法律や習慣によって保護された旧秩序の遺物である。だから、社会構造の変化の中で新たに生まれた技術者達が その旧秩序を壊したとしても、むしろ論理的で当たり前の行動と映るだろう。 それは経営者達やそれを支持する人々にとっては「嘆かわしいものであろう。」(P385終わりから3行目) だが、技術者達と軍人の評議会(ソヴィエト)にとっては自分たちのやりかたで、自分たちのための行動をするだろう。今の社会状況 では技術者達の評議会がいつ行動をおかしくない状況であり、彼らの決定によっていつでも社会を覆すことが出来るのである。 というのがヴェブレンの『技術者と価格体制』に記されている。ここで重要なのは @ 社会構造の変化が加速すれば古典派の経済理論では説明できない。 A 社会構造が変化をすると各者の利害対立も加速する。 B 労働者達が結束して革命をおこすのはそう遠いことではない。 の3点である。特にマルクスと主張の違いがあるだろうか?あまりあるとは感じない。また、@に関してはシュンペーターやケインズに も共通する。Aに関してはシュンペーターとは根本的に考えが違うと思う。それは資本主義は完全で発展し続ける、というのがシュンペ ーターの主張だからだ。ヴェブレンは言及していないが、資本主義が完全だとは思っていないだろう。 Aについては、企業経営者達は社会の需要と供給のシステムを壊すような生産の増大を招いて価格を不安定にするよりは、技術者達の首 を切ってコストを下げようとするだろう。技術者達は自らの開発努力や生産努力を認めてもらい賃金を上げたいとより強く願うだろう。 ここに、企業内の階級対立が発生する。そしてBに繋がる。 でも社会主義革命は失敗した。それが歴史の現実だが。 6.マルクス、ヴェブレン、シュンペーター それでもヴェブレン、マルクス、シュンペーターに共通するところは「社会は進化する」「社会構造は変化する」という点である。マル クスとシュンペーターはいずれ資本主義が崩壊すると予言した点では共通しているがその理由はそれぞれ違う。3人の思想の根幹は古典 派の否定である。それは、市場に自然均衡など存在し得ないという点で明らかになっている。3人は社会主義をそれぞれ標榜しているの が特徴だ。 今、日本で盛んに言われている構造改革は中央集権制度や官僚制度、地方自治制度を変えることで経済に活力を与えようとする発想であ る。この構造を変えるという発想自体がヴェブレンの打ち出した新機軸だったのだと思う。 オ ワ リ シュンペーター 彼のシナリオはいたって簡潔で澱みがない。資本主義が成長し続ければ、企業家の結合が進んでついにはそれが自動化して、もはや企業 家がいなくても結合が起こるようになる。これは資本主義を支えてきた企業家を消滅させ、社会システムは一部エリートによる官僚層が 指導するだけで機能する。そして、企業家精神を持たない資本主義社会そのものを崩壊させる。マルクスとの違いは、資本主義には欠点 があるから崩壊するとしたマルクス思想をはねつけ、資本主義は完璧だから崩壊するだろうと予言した・・・のである。 また、上に付随して資本主義の本質を彼は明らかにした。しかし、それは古典派を半ば否定する所から始まっているが、ケインズを嫌っ て作られているので論理的ではあるが実証的では無い部分が多い気がする。 さて、循環的フローという静止状態が資本主義の一形態ではあるが、それが理論上の物でしかないとして彼は資本主義の本質を示してい る。資本主義は絶えず動き続けている。つまり、企業家が動き回って新製品を作り、新市場を開拓し、新組織形態を作り・・・彼の言う 新結合繰り返している状態が資本主義の現状であると彼は言っている。 では世界に普く資本主義が広がった時に例えば世界は完全な状態になるのだろうか。普く資本主義が広がったときとは、スラムの類の 貧困が資本主義によって駆逐された状態でのことだろう、私はスラムの類はボランティアのような硬直的な組織や寄付活動のような資本 主義の恩恵の一部を投下する程度で解決するような問題などでなくして単純に資本主義の浸透こそが唯一の解決手段だと信ずる・・・。 さて、『資本主義 社会主義 民主主義』の第十二章で示されている「人間の経済的欲望がいつの日にか完全に充足されて」、つまり収 穫逓減の法則によって欲望が新たな欲や夢を生むこともない状態になったとき、人間に収穫逓減の法則は結局あてはまらないだろうが、 「しかしそれにも関わらず、更に一層非現実的ではあるが、生産方法がこれ以上の改善はあり得ないような完備状態に到達したと仮定し て、右の可能性に一顧を払いたい。」 そうなったとき社会はどうなるのかというシミュレーションだ。資本主義は野望と欲望という名の発展しつづける本質を持っているの でオイルが切れたら資本主義のエンジンは止まってしまう。さらに技術的に発展の余地が無くなる。(そんなことは「無い」とシュンペ ーターは言っているがそうはいっても今の我々にとっても絶えず感じる心配事の一つの気がする) マーケットに則せば、利子率は低下し、新産業が生まれなくなる。 私は人間が消滅しない限り資本主義の本質、つまり野望と欲望をエネルギーにする人間そのものが消え去ることはないと考える。 まず、利子率、特に社会の信用問題に関わる長期利子率が下がれば新たな投資が誘発され利子率が上昇し、低すぎる場合はバブルへ近 づく。そうしてインフレが起こると利子率はまた上がる。昨今のアメリカは労働生産性が上昇したためいくら雇用が増えてもインフレが 起こらなかったが。 いくら資本主義が発展しつづけるものであって、そしてグリーンスパンのような人物達、シュンペーターの言うエリート層によって持続 的発展の道が図られたとしても、経済は上昇と下降の伸縮を繰り返し続けている。 シュンペーターは発展の限界という点を指摘して、人間固有の「完全」への恐怖を突いたがそれこそ人間の本質であっても、資本主義 経済においてはあまり用の無いものなのではないかと考えた。 また、彼流の進化論にもほころびが見える気がする。彼の言うように現実にイノベーションや結合が進んだが一向に社会が官僚化して いく気配が無い。それどころか、官僚システム的制度手続きシステムよりもむしろ市民社会的制度システムに世界が、日本も又同じよう に、動いているのはシュンペーターに言わせれば社会の逆行で、後退に移るのではないだろうか? それとも、ただ彼は企業行動について詳しく分析した点は評価されても、彼の言う進化論は理想主義として評価されないだけだろう か。そうだと思うのだが・・・・。 |
