11月2日 レオン・ワルラス

*レオン・ワルラス(1834〜1910)  一般的に限界理論は経済政策については保守的な立場と重なるが、ワルラスは農本社会主義者で、土地の国有化を主張していた。し
かし、彼が土地の国有化を主張するのは、農場労働者の社会経済状況を改善するためというよりは、その移動を容易にして、社会福祉
を最大にするのに必要な「交換の一般均衡」の実現を速めるためであった。この主張にも、実は保守的な限界学派に特徴的な見方が現
れている。
 ワルラスは新しい分析技法を発明したというよりも、非常に意識的なやり方でそれを完成させた学者である。特に一般均衡と呼ばれ
る状態が達成されるためには、厳密にどういう諸関係が認められなければならないかを方程式によって説明しようとしたのである。1
892年に発表された「価格決定の幾何学理論」は、代数や計算を用いると「物事の性質」が大いに理解しやすくなることを述べた論
文であり、その2年後、1894年に『純粋経済学要論』が出版された。
 交換価値の理論と一般均衡理論について。
* 価格決定の幾何学理論
ジェボンズの理論では、供給量が減り需要が変わらなかったら価格は上昇すると説明され、需要と供給のどちらかが大きければどこか
で均等になるとしていた。だがそれだけでは説明しきれない部分が実はある。
 例えば、一日1フランで10時間働く労働者がいたとしたら、その人は一日10フランなら4時間以上は働こうとしない=労働を供
給しようとしないだろう。何故なら、一日10フランで四時間働けば、一日1フランで10時間働くより遙かに儲かるからだ。そうな
ればわざわざあくせく働きはしない。  このように、人は必要以上になったら余計に供給しようとしなくなるし、満たされていれば余計に必要以上の物をほしがらなくなる
だろう。需要が増えたからといって供給が増えるとは限らないのだ。
『純粋経済学要論』(Elements of pure economics)
 市場における価格とはいかにして決まるのだろうか?
 まずその前に、市場における価格とは一定でないことを思い出してみる。今日は24フランだけど、明日は卵一個が25フランにな
っているかもしれない。また、1時間後には24.5フランになっているかもしれない。
 唯一重要なのは、今この瞬間、卵一個が24フランであることだと思う。その価格ならばただちに方程式で表すことが出来る。
   例えば、「小麦5ヘクトリットルが銀600グラムと等価である」ということは
 =「小麦1ヘクトリットルは銀120グラムと等価である」と同じである。
また、銀五グラムが1フランであると仮定すれば
=「小麦1ヘクトリットルは24フランである」と同じになる。
以上の三つの表現はどれも「小麦1ヘクトリットルの価値は24フラン」であるということの翻訳、別の見方に過ぎない。
 このように今では当たり前のことなのだが、部分均衡でしか市場の価格決定を説明仕切れなかった時代には交換価値を厳密に定義し
、研究の道を開いたことがワルラスが後世に評価される理由だと思う。
 交換価値について厳密に数学的に証明することが出来れば、経済というそれまで経験的に捉えてきた「物」を合理的に研究していく
ことが出来る。つまり、ワルラス以前では経済の価格決定についてもなおざりだったためか、経済を厳密に数学で定義づけてから研究
する手法よりも、経験的に解き明かす方法の方が主流だったのかも知れないと思う。
   交換価値の実験が証明されれば、次のステップにいける。それは、数学が経験に基づいた知識を理論化し証明するのと同じ事だと思
う。つまり、それまで経験的に価格というものを捉えてきた経済を純粋経済学として定義しなおす作業だ。
 純粋経済学では定義を基礎にして定理を証明し、これを実際に応用するようになる。幾何学では三角形の内角の和が二直角に等しい
ことは、抽象的理念的な、つまり一切誤りのない想像上の、円または三角形でしか真では無いことは自明の理だ。実在する円や三角形
ではこれを近似的にしか証明できない=つまり100%理論通りには確認することは出来ない。純粋経済学も幾何学と立場的には同じ
だ。
 供給、需要、資本、収入・・・・その他諸々は経験を基礎にするが、それら現実から引っ張ってきたものから理念化し、抽象してい
くのが純粋経済学だと思う。
   純粋経済学の効用は、応用経済学や社会経済学のような理論を応用するためにこそ存在する学問でろんそうがあったり、不分明だっ
た部分に光を当てることになる。それが何かは未だ私は知らないけど。
一般均衡理論
 すべての市場で同時に均衡が成立すること=これが一般均衡の定義である。だが、それが困難なのもすぐにわかる。どこかの市場で
変化が起きたら、例えば市場が拡大したら、それは他の市場の購買力を吸収した結果であることがほとんど確実だ。つまり、ワインの
消費量が増えたらどこか他から持ってきたに違いない。減ったら他に欲しがる市場があることになるし、現金として保持されるならワ
インの消費量の変動が金融市場の状況を変化させることになる。
 したがって、すべての市場で均衡を達成するための計算式は途方もなく難しくなる。何故なら、調整していくことが絶えず行われて
おり、それが常に変化し続けるものなので、システム全体に影響を絶えず与え続けているからである。
 結局、ワルラスも全ては解決できなかった。ただ、彼は「模索」と呼ばれる手法で理論化しようとした。それは、売りと買いをマッ
チさせる行動を繰り返していくことで、部分均衡を解決して一般均衡という全体的な一点を見つけることである。
 ただ、そんなことは非現実的なのはすぐにわかる。卵農家が絶えず、金融市場の変化を注視し、一般均衡の価格を見つける作業をし
ているわけではない。卵農家は卵市場の部分均衡点を絶えず探って利益の効用最大化を狙っているのであるから。
 ではなんでそんな非現実的なことを説明したのか?それは、一つの市場で売り手と買い手の効用が最大化されることがどこの市場で
も達成されることが、社会全体にとっての効用最大化=目指すべき最高善だということだからだ。
 ワルラスは結局全てを解決できなかった。ただ、一般均衡こそが社会全体にとっての最高善だという考え方を導き出したことによ
り、企業の構造や生産そのものの分析まで現実生活の経済学の側面の探求という新たな刺激を与えたことこそが彼の最大の功績なのだ
と思う。
                        終 経済システムの変化に対する考察 ニューエコノミーとグローバル化の場合
氏名   ヒ・ミ・ツ     
                 島根県立大学総合政策学部総合政策学科
     学籍番号   ナ・イ・シ・ョ
                  目次
0−本論の趣旨
1章 バブル経済発生のメカニズムについて
  ―1 ファーストステージ 〜 制度改革局面 〜
  ―2 セカンドステージ  〜 プライオリティの変化 〜
  ―3 サードステージ   〜 伝説が織られる 〜
  ―4 フォースステージ  〜 投機局面 〜
  ―5 ファイナルステージ 〜 崩壊局面 〜
2章―1 バブル経済下とバブル経済崩壊後の比較
−2 バブル経済を崩壊させた不確実性の正体
3章−1 変化に対する考察、ニューエコノミーとグローバル化の場合
  ―2 ニューエコノミーに関して
  ―3 デジタルデバイドに関して
  ―4 では変化の先にあるべき経済モデル
0−本論の趣旨
 今回は、『現代日本経済論 〜「バブル経済」の発生と崩壊〜 』(著者 奥村 洋彦、東洋経済新聞社)やNewsweekを
通して、現代経済システムの不安定さと、バブル経済という日本経済史の事件を幾ばくながら追う。
1−バブル経済発生のメカニズムについて
  Kindleberger(1978)によって指摘されたハイマン・ミンスキー(Hyman P.Minsky)・モデル(1982)の図式化がこ
の書では、バブル経済発生のメカニズムとして記載されていた。
1−1 ファーストステージ 〜 制度改革局面 〜
 バブル経済発生の第一ステージでは、外生的ショックがマクロ経済システムに対して与えられる。ショックを与えるのは、
金融改革に取り組もうとする政策当局であることが多い。例外的に、グローバル化による他市場からの資金流入によるミニ
バブル化も考えられるのだろうか。
 そして、ショックによる変化とその影響を各経済主体が勝手に予測して、変化を利用した利潤の拡大を目指す。だが、金
融システムの改革では消費者への機会提供が主な内容となっているはずなのに産業構造そのものに変化があるものだと勘違
いする者も多いのではないか。
 また、政策当局自身が変化による経済システムへの影響を予測できずに混乱を助長することが多い。日本のバブル経済に
関して言うならば、政策当局の依拠した経済モデルに問題があったといえる。日本銀行と経済企画庁は実物経済の分析に頼
ったために、株価経済の影響が実物経済に与えるダメージを見通すこと出来なかったのだ。

1−2 セカンドステージ 〜 プライオリティの変化 〜
 第二ステージでは、経済活動でブームが起き、設備投資や金融投資の拡大がいつまでも続くと錯覚される中で、金融取引
が膨張する。つまり、改革に対応して経済主体が新たな商品軸を探し出し、従来の信用取引を越えたもうけ口を探し出すの
だ。これは、政策当局による景気拡大政策と低金利政策がトリガーになることが多い。つまり、大銀行は低金利で日本銀行
より借り入れる。
大銀行は企業に大口優遇預金金利を提供し、グループで企業の囲い込みを図る。大企業はCP(コマーシャルペーパー)や
預金金利より低い金利で借り入れる。
そして、調達した金を調達金利より高い優遇預金口座に入れる。こうすることで、金を借り入れれば借りるほど儲かるとい
う仕組みが発生する。
これに、金融改革によって登場した「金銭信託以外の金銭の信託」(ファンド・トラスト=ファントラ)や「特定金銭信託」
(特金)が幅を利かせ有価証券に極端に資金が流れ込み株価が伸び続ける。そして、財テクの成功は財務部の顔をでかくさ
せ、その評判がどんな企業も財テクに走らせた。実物経済に向かって商売をしているはずの企業達が、ただの書類上の数字
のやりとりで売り上げを増やす時代が確かに生まれていた。第二ステージまで来ればバブルの芽が膨らみ始めたと言えよう。
1−3 サードステージ 〜 伝説が織られる 〜
 第三ステージでは、金融が実物に対して膨張する中、資産の過剰取引と投機が発生し、資産価格が高騰する。高騰した資
産価格を基にした更なる設備投資が発生する。人々は経済成長は永遠の物となる基礎を固めつつあり、我が国は安泰だと鼻
を伸ばす。この時、財は単なる転売、つまりころがし、を目的に購入されたり、価値上昇を織り込んだ売買益狙いだけで購
入されることが珍しくなくなる。また、そのために必要となる資金を全額調達せず、信用取引や分割払い取引も行われがち
となる。
 その資産価格だが、20世紀に入ってから資産価格が急激に上昇(3年で50%以上上昇)したのは7回ある。資産価格
が上がると、大抵土地と株も両方上がっている。例外は1917年から1919年の戦後経済の時で株価の上昇は26.4
%だった。ただ、資産価格上昇と共に消費者物価も急激に上昇した時期が4回(1917−19,1946−48、195
1−53,1972−74)あり、これは日本経済全体がインフレ状態に陥っていたことを示す。つまり、本当のバブルと
言えるのは、1955−57年、1959年―61年、そして1987−89年の3回であり、80年代後半のバブル経済
のように資産価格は急騰するが一般物価は変化がない状態というのはすべて1950年代後半以降ということになる。更に
言えば、バブル経済崩壊後の都市部の地価(沿線価格)は90年―97年で46.1%も減少、つまり土地は半値になった。
現在も地価は下がり続けており、資産価格の上昇が無ければ個人投資家の積極的な投資はあり得ず、金融改革によって株式
市場の変化が実物経済に与える影響が過去最大になって、まだセーフティーネットが確立されきってない今では経済成長が
本当に持続するかは疑問だ。何故なら、資産価格の上昇に基づく個人投資家の投機が株価を上昇させるはずだから。実物経
済の健全な回復だけが日本経済回復の決め手になりうるのだろうか。私にとって興味ある問題である。
あれだけ、ITだ、ニューエコノミーだと騒ぎ続けているアメリカでも住宅価格は上昇し続けている。アメリカ経済の積極
的な投機は、株価資産の上昇が基礎となっているのは承知しているが、それでも不動産の価値が上昇し、それが更なる投機
を生む源泉になっているのではないのだろうか?日本の場合、債券先物価格で見ると、1985年末以降87年5月にかけ
ては約16%上昇(金利低下)したあと、1990年9月にかけては金利上昇につれて24%も低下した。その後は、ほぼ
一貫して金利は低下したため、まず、1990年10月から93年12月にかけて価格は33%も上昇、ついで、94年1
1月から98年9月にかけてさらに28%も上昇した、このことは、1998年の価格137.32と90年9月の88.
13を比べると、8年で59%も値上がりをしたことになる。なお、この間の一般物価の動きは年平均上昇率で1%程度
(消費者物価)と非常に落ち着いていたので、こうした価格の動きは名目でも実質でも大差はない。金利自由化以後、日本
経済が如何に迷走を続け、90年代が特に「異変」が起こった時代であったのだろう。
1−4 フォースステージ 〜 投機的局面 〜
第四ステージでは、熱狂的相場が出現し、泡沫投機、つまりバブルの状態に移る。企業や家計が、他の企業や家計の投機的
購入や売却によるもうけを見て、横並び行動をとろうとする。正常な合理的行動は、熱狂やバブルに取って代わられる。そ
して、合理的な理論は、株価は5万円まで上がるとぶちあげる投機屋によって踏みつぶされる。
ここまで来るとバブルが更なるバブルを呼ぶ連鎖反応の状態に陥る。これを停めることが出来るのは、金融当局の政策介入、
つまり金利引き上げやディス・クレジットのような金融引き締め策以外に存在しない。
日本の場合は、不動産融資への総量規制であり、イギリスの場合はコルセットによる銀行貸し出しの制約である。また、両国
でも金利引き上げを実施している。日本銀行も1989年に公定歩合2.5%から3.25%に上昇させたのを皮切りに、以
降90年8月まで4回にわたって連続的に引き上げた。イギリスの場合、イングランド銀行が1972年6月に最低貸出金利
を5%から6パーセントに引き上げ、以降、73年12月まで13%に上昇させた。
1−5 ファイナルステージ 〜 崩壊局面 〜
 第五ステージでは、資金需要が著しく増大して、貨幣の流通速度や金利が上昇する。これは上に示した。企業の資金繰りは
苦しくなり、資産価格の上昇が止まると、投機家は、実物資産や金融資産を一刻も早く売ろうとし始める。資産価格は急落し、
過剰取引に関わった経済主体は金融ポジションが悪化して倒産する。日本の場合は住専のようなノンバンクであり、イギリス
の場合はセカンダリーバンク、アメリカのS&L危機では貯蓄組合がその対象となった。金融機関はそうした資産を担保にし
た貸し出しをやめ、信用の回収に取りかかる。また、一部金融機関は不良資産を抱えて倒産する。
   最終ステージでは、金融当局や財政当局が、金融不安定性を市場経済が内在させている問題として考え、マクロ、ミクロ両
面からの対応策を講じないと急激な反動と金融の収縮の中で金融危機に陥る。つまり、セーフティーネットの確立と、「最後
の貸し手」としての中央銀行の登場である。
 たとえ、セーフティーネットが確立しえて、最後の貸し手が機能していればいいというものではない。最後の貸し手がそび
え立つと言うことは、モラルハザードやフリーライダーの登場を許す。代表的なフリーライダーは大正生命を食いつぶしたク
レデンシャルグループだと言われるようになるだろう。
   以上に、バブル経済発生のメカニズムと日本の動きを並べて追ってみた。
2 バブル経済下とバブル経済崩壊後の比較
 バブル経済下では、資産価格が膨張したのは前述したが、他にも企業の社債や株式増資、大企業のCP発行量も異常な上昇をした。
例えば、社債と株式増資に見ると、1979年から82年にかけては、借り入れが22.1兆円と社債・株式増資による11.9兆円
であるのに対し、1983年から1986年に掛けての4年間では借り入れ9,1兆円で社債と株式増資では18.6兆円と逆転現象
が見られる。
 この時期、日本銀行は上のようなマネーサプライの増加を設備投資への好材料として認識していた。これは、プラザ合意以後の景気
収縮局面を脱し得たのが公定歩合の低金利誘導政策と政府の住宅や減税などの財政出動、技術革新や規制緩和であり、その効果が出た
と考えていた。
 だが、日本銀行でも1990年4月に『日本銀行月報』で土地価格の上昇について警告を発している。が、それらが政策に反映され
るにはウエイトが低かったようだ。
 企業での社債や株式増資、CP発行量の増大は金融改革の効果である。銀行でなくとも、良い運用先があればそこで大量に資金を調
達できる時代になったのだ。これに対応して、銀行は運用メリットを中心とした新たな金融実物商品を開発せねばならないと考えてい
た。しかし、それらは新商品のリスク管理や技術革新によるシステムリスク、ヒューマンエラーによるリスク等、従来には見られない
新たなリスクを抱え込ませることになる。
 企業の設備投資が増大した理由は、技術革新や規制緩和の影響と、何よりもプラザ合意の景気への悪影響が1987年前後で底を打
ったというのが大きい。だが、異常な設備投資の増大はバブル崩壊後の過剰な設備として負の遺産と化す。
 それ以上に異常だったのが、外部調達資金の運用先である。これは、前述の設備投資が内部調達資金で行われていたのに対し、株式
市場やCPで得た資金はそのまま運用に当てられていることからわかる。
 具体的には、@資金調達額が膨張し、内部資金調達と外部資金調達を合わせた合計純増額では年度平均116兆円となり、それ以前
の4年間平均に対して2倍の規模であった。
 Aこの時期の外部調達資金は圧倒的に金融資産への運用に当てられていた。
 これらからわかるのは、1987年度から1990年度にかけては、企業の動きの最大の特色は金融市場など外部で調達した資金を
再び金融資産で運用するという、金融負債と金融資産のメリーゴーランド取引を活発に行い、金融の実物に対するウェイトを大きく高
めていったことにあると判断される。これは、上述した財テクのことである。
 銀行側は、金融改革によって新しい土俵を与えられ、そこでどのように戦うかを考えねばならなかった。レギュレーションが変わっ
てしまい、それまでのやり方では通用しないと考えたのである。
 前述のように、企業の外部資金調達のウェイトが銀行からの間接金融から株式市場やCP発行による直接金融へ移ったことにより、
銀行はその貸出先に困った。そこで出てきたのが、不動産などへの異常な貸し出しシフトである。不動産への融資には、有担保原則に
よる預貸併用が見られる。つまり、銀行が地上げ屋に金を貸し、その借りた金を銀行に預金する。その間の金利の鞘は資産価格の高騰
で補ってきた。
  2−2 バブル経済を崩壊させた不確実性の正体
 日本銀行がバブル崩壊を重視し始めたのは1993年位からである。それまでは、「資産価格下落についての企業マインド面への影
響などは測りがたく、分析範囲で見る限りでは実体経済への影響はいまのところそれほど大きなものとはみられない。」(『日本銀行
月報』1992年6月号)
 三重野日本銀行総裁は「今回の調整は、バブル経済の崩壊を伴っている点が一つの特色であるが、実体経済面で起きている現象それ
自体は、基本的に、典型的なストック調整のプロセスとして捉えることが出来る。」
 しばらくは調整局面であるとの認識が日本銀行には強かった。それから1996年まではバランスシート調整の影響やアジア金融危
機、阪神淡路大震災が景気に影響しているとの姿勢を崩していない。
 だが1997年に入って、景気は一転して停滞し始めた。これには、財政支出が景気にブレーキを掛ける中、消費が低迷を始めたこ
とが大きく響いた。これを日本銀行は、「財政赤字や年金制度改革に関する議論が活発化する中で、将来の家計負担に対する不確実性
が強まった可能性などが考えられる」(日本銀行月報 1998年6月)と「不確実性」を取り上げた。同書には、「経済主体の期待
形成に働きかけていくことや市場の信任を得る努力」「先行きに対する不確実性を減らしていく不断の努力が求められている」点を強
調するに至る。
 財政赤字の増加や国債発行残高の増大が消費者マインドに、日本経済の先行きに対する不確実性を高め、消費者の購入意欲が減少し
たことは間違いない。これこそが、バブル経済崩壊後の景気低迷局面を彩った不確実性の正体である。
3−1 変化に対する考察、ニューエコノミーとグローバル化の場合
 ニューエコノミーによりまたも金融市場は変化を迎えた。それに各国政策当局も歩調を合わせている。そのかけ声は「グローバル経
済に対応した、より豊かな社会を築くため」であり、本音は「グローバル経済というバスに乗り遅れず、隣国より経済成長を享受する
ため」であろう。特に、グローバル化とニューエコノミーはスピードがどうしても必要とされる。その上、世界経済の連続的な変化の
影響の一歩先を常に予測し続けながら、政策当局も対応をしていかねばならない。煩雑さが増すだろう。が、変化の影響を予測しなが
ら政策を立てていくのは、成功と安定への唯一の道であることだけは神が与えた人類の法則である。それは変わらないのに、グローバ
ル経済と言われ叫ばれてからそれに気づくのでは人類はなんと進歩が無いのだろう。
3−2 ニューエコノミーに関して
 ニューエコノミーの基礎は新規起業者達が担うべき物だ。その点、従来のオールドエコノミーがB2Bを導入するのと一線を画す。
 だが、日本での新規企業率は0.9%(Newsweek January 29,2001 P30「The Scoreboard ~Percentage of adults starting
new businesses」より)であり、ドイツの3.8%、イギリスの3.1%にも劣る。ヨーロッパがようやくIT産業の与える経済への
好影響を認識し始め政策を展開しているのに比べ、書籍販売だけでなくなんでも売り始めているアマゾンドットコムがやってきたのに
代表されるITショックがヨーロッパより速かったはずの日本が遅れているのが現状だ。アメリカが9.8%と一人飛び抜けているが、
これがアメリカ経済の原動力であることは間違いない。裏を返せば、アメリカ並みの経済成長を呼び込みたいのなら新規起業者の割合
が増えなければならないのだ。
 結局、日本の場合、従来のオールドエコノミーがニューエコノミーの要素を取り入れて、グローバルスタンダードに追いついている
ソニーがニューエコノミーだと言う人はいないが、オールドエコノミーとも言うことはできない。これは、企業間取引=B2BのG
DPに占める割合が、日本とヨーロッパ諸国で大差ないことからもわかる。日本はB2BのGDPに占める割合が0.7%、フランス
0.7%、ドイツ0.9%、イギリス1.2%であり、実経済が日本のみ落ち込んでいることから相対的にはまだ日本が劣るが、ヨー
ロッパと同じスタートラインに立っていることは言えよう。因みにアメリカ合衆国のB2BのGDPに占める割合は5.0%である。
(Newsweek P31 「B2B trade as a percentage of GDP」「Real GDP growth」) 3―3 デジタルデバイドに関して
 では、デジタル化とは何だろうか?ずいぶん前に日本ではOA化が叫ばれ、ほとんどの企業にワープロと低能力の小型コンピュータが
導入された。が、これはある種のトレンドであり、実際に労働生産力が増大したのかといった裏打ちが無いまま導入が進み、結局は新
卒囲い込みの為の道具に成り果てた。
 OA化(Office automation)とは、企業の労働生産効率を上げるために、コストが低く、配線設備等の手間が掛からない、小型の低能
力なコンピュータを導入することだ。低能力な、とは能力的にはワープロと大差なくせいぜいイントラネットを導入する程度である。
この小型コンピュータは特別な冷房設備や電源配線を必要としない。動かそうと思えば人一人でも動かせる。が、如何せん、能力は対
したことなく、90年代後半のパーソナルコンピュータの急激な発達の前に消滅した。
 OA化は結局、労働生産効率を僅かしか上げなかった。デジタル化は労働生産効率を目に見えるように上げねば結局は何だったのかと
いうことになる。
 だが、少なくとも一部はデジタル化の効果によってアメリカは労働生産性を上げている。日本は下げた後、1990年代後半になっ
て上昇曲線を描き始めている。アメリカが1990年前後には1.0%だったのが、1995−2000年には労働生産性が3.0パ
ーセントに上昇している。日本は1990年前後の3.1%をピークに減少し、最近になって1.5%まで戻してきた。(Newsweek P30
「Labor Productivity」)
 デジタル化は電子決済、電子決裁などのワークフローシステムの導入、絶えざる効率化への努力であると今の所は言える。電子決済
の代表例はB2B市場である。また電子決裁により業務の効率化が進められる。これは、営業や財務だけでなく、工場部門にも導入可
能である。
 だが、デジタル化の恩恵を受けるにはそのハードを使いこなせなければならない。この差がデジタルデバイドと呼ばれている。個々
人の習熟度が一定でなければその企業のデジタル化は進展できない。一様に社員が使いこなせなければデジタル化の恩恵は得られない
のである。
 これが国や地域ごとに大きな違いを生み、悲惨なまでの状況を創り出しかねないのがグローバルギャップとなる。(2000,Boston
Consulting Group)
3−4 では変化の先にあるべき経済モデル
 グローバル化とニューエコノミーの台頭が、新たな経済モデルに組み込まれる要素である。だが、それらを取り込んだ経済モデル
には、株価経済と実物経済の相互連関の強さを常に念頭に置いたフレキシブルさが求められる。
金融は常に変化し続けるため、それ故に不安定であり続ける。その上、グローバル化はその変化の揺れが激しい。それを念頭におい
て政策を立てることが、安定した経済モデルであろう。
 つまり、安定とは一カ所にとどまることでも囲い(システム)をがっしりと構築して防御の姿勢に入ることでもない。積極的な投資
と、経済状況にフレキシブルに変化していく経済モデルの構築、情報の流動性の加速を維持し続けることである。これは、政策当局に
も求められることだ。
 最も怖いのは、バブル経済発生の第一ステージである「外圧」による拙速な変化である。拙速な変化とは、経済や金融システムの変更
によるリスクを政策当局が理解できずに「積極的に」改革を進めてしまうことである。
 例えば、「とある国」が自国の経済成長に有利になるような恣意的な外圧をかけたとしたら?その「とある国」が、グローバル経済
の主役であって、その外圧が無視できず虚論も正論として受け入れざるを得なかったとしたら?バブル経済が世界史上、数限りなく起
こり、その度に反省されてもその後悔が活かされないのは、単に世の中が変わったからなのだろうか?インターネットが導入されれば
、70年代や80年代のクライシスとは状況が全く違うと言い切っていいのだろうか?
70年代のイギリスのセカンダリークライシスはグローバル経済への端緒となった。80年代後半から90年代初頭の日本のバブル経
済は、成長神話に充分な疑問を寄せ付けた。では、2001年現在のアメリカのニューエコノミー経済は?またも、神話が崩壊するの
か?それとも変化による影響をグリーンスパンが予測し得て経済恐慌を防ぐのか?
 過去の失敗は決して過去の遺物として大学の中で研究され続けるだけの対象ではない。直近の反省や後悔は例え、使う道具がインタ
ーネットになろうが、モーションキャプチャーになろうが活かされうるのであるから。
グローバル化に対応した経済システムとはどうあるべきなのか?それは、実物経済ではなく、株価経済に主軸を置き、@実物経済の
内容
がそのまま株価経済に反映されA逆に株価経済の影響が実物経済に与える被害を最小限にするシステムだろう。言うのは簡単
だが。  株価経済と実物経済がリンクしたものとなったのが遅蒔きながらグローバル化による金融事情の変化だと気づいた。となれば、常に
変動する株価経済は金融の不安定さを一層増す。そして、今日の売り上げではなく今日の株価に一喜一憂するような世界は現実的では
ないし、未来はそうあるべきではない。