「I・Can・Be」「Winter's Tale 〜冬物語〜」「赤い日記帳」「Spirit」「We'll Be Together」「Oh! He is Christmas」「Elis」「Love Communication」「On the Street Where You Live」「Change for good」「クリスマスイブ」「こころ」「Big City」「ダメダメの歌」「Wild Rabbits」「メリー・ゴー・ラウンド」「Blue」「Fly Me To The Moon」「漢字読めるけど書けない」「雨降る東京」「くちづけ」「ピアニシモ」You and the Night and the Music「冬三昧にはまだ遠い」「SIMPLIFY」「迷わない羊」「Fly Me To The Moon」「大丈夫」「師走」
■ Decembre Dicembre December
12月を振りかえる。作者より。12月は、締め切りがいよいよせまったということもあってか、かなり凹みがハゲしい月でありました。そんななか、あらためてこの日記が「弱音吐き」系日記であることが確認されました。
また、いつものことですが、過去の思いでにひたったり、やがて訪れるであろう断念を予見して凹んだり、彼女の写真なんてもってないしおれだって写されたくねーんだよとゆーよーなことをなぜか宣言したり。
また、20日以降はいよいよ凹みがハゲしくなって、更新も内容も減じていくのが見てとれます。
12/31/Dimanche べたですがユーミンのあの曲
おれの「想像上の共同体」内部では「投げ出し刑事(なげだしデカ)」が活躍中。特技:投げ出し。途中までやりかけたことを「ええい。もういいや」と投げ出す。1993年初秋から登場していたのだが、はっきりと自覚するようになったのはここ5年ほど。でも他人からみると、おれはそこそこにはできているように見えるらしい。
おれの「やる気なし祭り」の実行委員会兼主役はこの「投げ出し刑事」たちである。「投げ出し刑事」にも純情派とかなんかいろんな種類の人間たちがいるかどうかは今のところ不明。
とかなんとか書くとですね、この日記の「まにあ様」(複数)からは「あのネーミングセンスはイマイチですね」とか的確な指摘をうける。おれにももうちっと概念構築力があったらなー。
どんとマン。気になる人は気になると思う。「痛くない。僕CGだから」というのは意味不明でとてもよいと思う。どんとマンとつだつよしの見わけがつかない人は3億人いる。
なぜ年のおわり&世紀の変わり目にこんなこと書くのか自分でもわからないが、嫌いなシチュエーションとか嫌いなタイプとかはある。好きなタイプはあほさがにじみ出ている人(というのは最近気づいた)。嫌いなタイプっつーのは(男でも女でも)自己完結している人なのだ。なんつーのか、そーゆー人っていうのは結局その人の前に誰がいても一向に構わないようなのです。あなたやわたしがその人の前にいても・いなくても一緒なのです。
この前「ショムニ」の再放送をみていて、「自分の価値は自分できめる」とかなんとかいってた。いいことばだと思う。でも「自分の価値」って自分では決められない。むしろ人(他者)から決められる。他者の承認という経路がなければ「自分の価値」は決まらない。アイデンティティは自給できないというあの有名なはなし。つーか、そもそも決定したり主張したりする「自己」という「主体」が他者とか社会の産物だっつーことですよね。
ひとりよがりはいけない、とされることが多い(わたしの作文はよく指摘される)けど、でも、自分だけが自分のことを信じてあげられればそりゃーそれで全然いいのだろう。自分で自分が信じられないってのが最悪だ。
でも自分で自分を信じる(自己信頼といってもよいか)ということと、目の前の他者を無視するとか他者に関心がないとか、目の前の他者を無視して自分のことだけを言いまくるとかいうのは違うと思うわけなんですよ。さらにいえば、「自己主張がたりない」とか「もっと自己主張しよう」などという言説はつまり何にもいってないわけですよ。そんなことの前に「きく」練習が必要なんですよ。ほんで自己完結型の人っつーのは要するに「きく耳」をもたない人なんですね。
8月終わりからはじまったこの日記。最初は完全にオフラインで知っている人のみに公開していたのだが、テキスト庵に登録後ネット上でのみしか知らないかたにも読まれているようだ。公開当初は、あまりにPCに触れる機会から遠ざかっていたのでその解消にとはじめたのだが、12月にはいって今度はPCを立ちあげるのが怖い日々が続いた。
つまるところこの日記は、××さんが適切に指摘してくれたようにわたしの愚痴にほかなりません。ちょっと自己言及しすぎかとも思いますが、なんでもかんでも(自分のことまでも)まるで他人ごとのように書くというのは大嫌いなので。そんで、こんな愚痴日記のへたれ内容にも反応があるということはほんとうにうれしいことです。
とかなんとかいいながら、いずし君のところときゅう。さんのところでこんなことが…。おれもやってみる。きゅう。さんと全く同じ結果のようだ。
委員のコメント
小野寺みどり氏:戸内女子大学助教授
彼の場合ね、総合的にみても決してレベルが低い訳ではないと思うんですよ。むしろかなりいいレベルなんじゃないかと思うんです。ただ一点だけ指摘しておくと、ひと言多いんです。多分本人は大して意識してないと思うんですけど、逆に意識してないから厄介というか、余計なひと言でマイナスイメージをもたれる事が結構多いんじゃないかと思います。そのへん本人が意識をもって、相手を傷つけるような事とか、ちょっと突き放すような発言をしないように気をつければ、絶対もてると思いますね。
梶原敬一氏:コピーライター
僕も彼はかなりいい線いってると思いますよ。ただね、時々子供っぽいというか、まあいい意味でいえば、少年ぽいって事になるとは思うんだけど、そういう幼さみたいなのが感じられる時があるんですよ。そういうのって人によってはウザぃって感じたりする人もいると思うんだよね。多分ケイタイのストラップとかにそのあたりの性格が現れてたりするんじゃないかと思いますね(笑)。
西山洋司:渋谷カウンセリングセンター所長
私が思うに、彼がひと言多いとか、意識せずに人を傷つけてしまうとかいった点は、自分に対する自身の無さと、それを隠そうとする心理が原因じゃないかと思うんです。ですから、自分に自身を持ってと言いたいところですが、それはとても難しい、彼にとってだけでなく誰にとっても簡単な事ではないと思います。したがって、本当の自分をさらけ出せる相手を探すこと、「この人は等身大の自分を見てくれるかどうか」そういった視点で相手を判断する目を養って欲しいと思います。
総評
余計なひと言に注意!
等身大の自分でいこう!
特に梶原さんと西山さんのいうことがあたってる。
なんかあたりすぎていて元気がでてきた。
12/30/Samedi ずーじゃ
誰がどんなお話を紡いでももちろんかまわないのですが。
でも、なんかいろんな雑多なことをですよ、「すべてのことたちが……」なんて歌ってしまう歌には共感できなくて。
まーあなたのリアルはわたしのリアルではなかったりするので。
年の瀬。ここ5年ほど穏やかな気持ちでむかえる…なんてことはできないまま。
なんかいっつも何かに追われている。仕事してる人はやっぱり家に仕事持ち帰ったりするんだろうか?でもなーそれで金もらえるならなー。
わたしはといえば、安くはないお金を払ってそのうえ怒られるわけだから、こんなに公然としたSMがあるだろうか?
自分のやってきたことが意味のないことだった。としたら、その時、その「無意味であった」ということの意味を受けいれられるだろうか?そんなことのために今からこころの準備をするというのもどうかとは思うが。でも、激しく動揺するだろうと思う。そして、がらにもなくちょこりんこと「旅」にでようかと思っている。山×のところにいこうかなー。で温泉でも入って。またあの島の突端から夕日でもながめて。
それか韓国。韓国にいって「お姉さま」に「へたれキック」の一二発でもいれてもらおう。
それにしても。「金が欲しいから」といって人を殺してはいけない(いつならいいんだろう?)。
12/29/Vendredi 「I・Can・Be」米米
あまりにもいいお天気。
そしてなにもはかどらず。
そして途方にくれまくり。
あれ?
「優しくされると切なくなる」(古内東子)ってこーゆーことか?
多分違うんだろうな…。
12/28/Jeudi 「Winter's Tale 〜冬物語〜」高野寛&田島貴男
山下達郎の「クリスマスイブ」。名曲だ。で、これはイブ(24日)までしか聴けないようだ。25日FMで流れていたけどかなり違和感。この曲夏に聴いてもいい曲だと思うけど、イブ直後に聴くとあれ?って感じがする。なぜなんだろう?値崩れするクリスマスケーキ以上の違和感。
真夏の曲を冬に聴いても、冬の曲を真夏に聴いてもおれはあんまり違和感を感じない。とゆーかむしろ全然オッケーだと思う(おれが季節感ないだけなのかも)。そういえばヒゲは「季節感のある男ってなんかやらしいなー」とどっかで書いていたが。なんで??
知ってる人は知ってるし、知らなくても誰も何にも困らないことだが、なにしろわたしは Original Love 好きである。
以前も書いたけど、ビートルズをちゃんと聴こうと思ったことがない。興味もない。とゆーかあまりにみなさんが偉大だとかいうから聴く気をそがれたのだと思う(早い時期に)。いまだに聴いてみようという気は全くない。これからもないと思う。ローリングストーンズは一度ちゃんと聴きたいと思っている。
でラップとかヒップホップとか(一緒なのか違うのかもわからん)いうのも全然好きになれないわけなんですよ。特にあの歌詞。「韻をふむ」という露骨な戦略。ヒップをホップでってことなのか?おれの場合ピンチでパンチだって感じだ(しかもパンチ“する”んじゃなくて“される”んだと思う)。
つーかやはりオリジナルラブ。20世紀とか21世紀とかどうでもいいけど、20世紀の名曲は「接吻」か「Let' Go!」か「二つの手のように」か。
すべての冬の曲のなかで「Winter's Tale 〜冬物語〜」が一番好き。多分。
Pizzicato Five の「12月24日〜」とか歌ってたあの曲は、この先売れるのだろうか?
12/27/Mercredi 「赤い日記帳」あか組4
昼間の密会。ヒゲと kochan 。これを形容する適切なことばをしりませんが、男3人モスでコーシー。あほ。
15時。あらきでお好み焼き。3人それぞれが黙々と雑誌 or 漫画を読みながら。おれのかなり嫌いなシチュエーション。食事中に会話がないっつーのはかなり嫌い(まー初対面でどう話してよいのやらって時はあるけど)。
その後おきまり&お約束のヒゲとのらぶらぶ(吐)ドライブ。漠然&超具体的な不安をかかえる男がふたり。冬の海で缶コーシー片手に不安を語りあう。
ヒゲは寒いのダメらしいが、おれはかなり好きなので、結構こーゆー状況でぼけーとするのが好き。
あーどっか行きたいなー。とゆーか逃げたいなー。と妄想していたら、なんといずし君のデート(12/26 ジャンプは日付がずれてるようです)。ふくすけ氏の感想には全く同感。あ〜うらやましいな〜。こじゃれた店なんてもうずっと行ってないな〜。
なにも進捗しない。まじで12月入ってハイになっただけで実質何もしていない。
12/26/Mardi 「Spirit」スガシカオ
スガシカオが犬顔の女性が好きだというのは知っている人は知っている。モー娘。のなかでは中澤裕子好きだということも知っている人は知っている。で、かれは気の利く女性が嫌いだといっていた。カラオケとかで「はいこれビールでぇ〜す」とか、デートのときに弁当なんか作られてきた日には「帰る」といっていた。
おそらくほとんどの人にはどうでもいいことだろうが(この日記がそもそもそうだが)もしおれがそんなことされた日には卒倒するか飛びあがって喜ぶ(大げさではない。おれのビックリしようを知っている人は知っている)。つーかメロメロ。
つーかリードしてもらいたいんですよね。あれ?リードされるのと振りまわされるってのは一緒なのか違うのか?(振りまわされまくり)。
相変わらず
ぼくはしょうもないことで
おじけづいたりしてる (「Spirit」スガシカオ)
12/25/Lundi 「We'll Be Together」すちんぐ
東京では猫の皮がはがされているという。そして猿は人間のためだけにむやみに殺されている。なんで人間だけがこんなに特権的にのさばって生きているんだろう?
どっかの国の人々は軍事でしか生きていくことができないらしい。白いシルエットとなって映しだされた人を、自分たちは(少しは危険だろうが基本的には)安全な場所から一方的に撃ち殺す。
その戦争に参加した軍人が「これはゲームではないのだ」とかゆーよーなことをいっていた。そのとーり。ゲームじゃないことをあたかもゲームであるかのようにやっている。くるところまできているのだろう。これ以上堕落できるものなんだろうか?
環境が大事だとかいう歌をうたいまくる。そーゆー歌をうたいまくりながらあなたは超有名な車を乗りまわす。馬鹿にするのもいいかげんにしろ。あなたの浅はかな企みなんてみんな知っている。曲調をいくら“でぃすこてぃーく”にしてもだめなのだ。まして「おれは悩んでるぜー」なんて歌じゃねー。
いきなり社会問題うたってもだめ。個人的なことすぎてもだめ。なにを歌えばよいのやら?少なくとも自分が生きて在るということ。と、全然かけ離れた(ようにきこえる)ものは絶対だめだ。つーかあなたがたの歌などは結局は自己満足でさえなく、誰のこころにも響くことなく、ただ“売れる”だけなんですよ(多分当人たちが一番虚しいのだと思う)。
なんか急にスチングのこの曲がききたくなった。女性コーラスが超カッコいい。
今年の冬一番の冷えこみらしい。寒いのは好きだからとてもうれしい。ちらっと雪のようなものがちらちらしていた。今日の荒波と夕日のとりあわせも大変よかった。
12/24/Dimanche 「Oh! He is Christmas」Take 6
北風の強い浜辺で。
「ねぇ〜。手ぇ〜つないで〜」。
などというようなこともなく、凹みまくりのやる気なし祭り。
おれのやる気なし祭りはキリスト教と連動していたらしい。
なんか何をして一日過ごしたかもおぼろげ。たしか駅伝みてバレーボールみてちびまるこちゃんみて……。ケーキ食って豚しゃぶ食べて雑炊食べて……。
靴も靴下さえも履いてない。要するに一歩たりとも外に足をだしていない。
で夜中目を覚ますと明石家サンタがあっていた。
結婚式当日。彼女がエスケイプ。
「門限があるの」といっていた彼女と別れた後、忘れ物に気づき送り届けようとしたら、彼女が別の男とエスケイプ。携帯は留守電。
おもしろすぎる。………が………。
携帯なんてないほうがいいのかも。彼女なんていないほうがいいのかも。
12/23/Samedi 「Elis」渡辺貞夫
金曜日。Kさん宅で忘年会。もつ鍋。チヂミ。いろいろと。みなさんの一芸。はじめて三線をひく。けっこう飲みすぎた。
ほんでもって今日。平尾台10時集合はきつかった。練習・練習&練習で19時よりパーテー。で酔った勢いでぷれいしまくり。結構いい演奏ができたと思います。
それよりも、練習のあいまちょこっと冬の平尾台をぶらりんこ。
空は青く風はつめたい。冬は好きだから全然気にならない。
すすきのさびしい感じがたまらんランでごわす。
ふたりを送り届け、23時半帰宅。さてわたしはなにをやってるんでしょう?
12/22/Vendredi 「Love Communication」広瀬香美
「お互いに傷をなめあうだけでは何になるんでしょうね」とは、人の痛みとは何かがまったく理解できないあなたのことば。そういうどーしよーもねーあなたが在るということも、嫌になってしまうけど認めなくてはならないんでしょうね。
自分でいうよりかなりお行儀よく生きてしまうわたしは、そんなどーしよーもねーあなたを、だからこの世から消えてなくなってほしいとは思いません。むしろ、人の痛みとは何かとかそーゆーことが全然わからない本質的にお馬鹿なあなたには何があってもしぶとく生きぬいてほしいと思います。そして、その本質的にお馬鹿な姿をさらしつづけて、せめてみなさんの反面教師ぐらいにはなってほしいと思います。
その程度のあなたに「この世の中はどうなってるんでしょうね」などと嘆かれてしまうぐらいだから、この世の中はほんとうにめちゃめちゃに腐ってしまっているのかもしれません。
12/21/Jeudi 「On the Street Where You Live」小林桂
今日も何人かのこころない人(ひとびと?)のことばに傷つき、そして苦笑。そりゃー××××じゃなくたって怒るよ。
ヒゲと荒波。
再確認。凹むのは考えすぎる時間があるから。
社会の構造であれ、あるいは文化の個性であれ、近代の社会科学はそれらを実体的な対象であると見なしてきました。けれども、対象としての実体を客観的に正しく認識することに科学の価値があるとする信念は、「近代の呪われた運命」を自覚してしまった者からすれば、あまりに素朴な進化主義だとされざるを得ません。
山之内靖『マックス・ヴェーバー入門』岩波新書 1997 224ページ
そう。だからニーチェなんですよ。「てゆーかですね〜。あなたは〜。だめな自分が好きなんですよ〜」。黄色いお空で Boom Boom Boom & Bomb してる場合ではない。そしてだれかお願いだから「恋愛革命」してください。
12/20/Mercredi 「Change for good」Misia
朝型生活改良計画頓挫。午前5時に起きる計画が、3時に目が覚めて「いかん。もっと眠らなければ」と思っていたら、いろんなことを考えすぎてしまったのでしょうがなく起きて5時ちかくまで作業したら、今度は眠くなってしまい「よっしゃ6時には起きよう」と思ったら9時。こりゃいかんと思っても後の祭り。
先輩に100円おごってもらって「ありがとうございます」といいながら、なぜか冷たいカフェオレが出てきてしまう(押し間違い)。そんな自分が「やっぱりね」状態。人様の厚意(行為)までも「向かい風」に変えてしまう。そんな自分の神通力に苦笑。
偶然いずし君と遭遇。「やる気なし祭り」はもうやっていないとのこと。「やる気なし祭り」が今真っ最中なのがヒゲ。それはもう凄い勢いだ。
いずし君に「昨日の日記。なんか彼女がいるかのように読めますよ」とのこと。こーなったらいっちゃいます。いますよ。「想像上の共同体」の内部にですけどね(外部問題?内部観測。それはおれの手には負えない……)。
とかいいながら、実は今自分も「やる気なし祭り」が結構にぎわっていることに気づく。
12/19/Mardi 「クリスマスイブ」山下達郎
夢をみた。Kinki Kids のふたりから、おれでも知らないようなおれの地元の超マイナーなラーメン屋に連れていけといわれ、なぜかバイク3人乗りでご案内。おれも知らない店なので田んぼのなかで道に迷う。
夢のなかで中澤裕子にであう。夏の海辺。カメレオンに迫られる。中澤はなぜか(?)歌が超下手だった(いや中澤さんは応援しています)。
やまとなでしこ最終回。ハッピーエンド嫌いの kochan はどうかしらないが、おれは満足。東十条(東幹久)が「おとなげないかもしれないけど……」といったのを聞き逃さなかった。
というのは今日の午前中書いたものですが、今日起こったこととかを時間順にならべて書くといったことは今まであまりなかったように思います。それまで考えていたことを、なにかのきっかけでその日の日記として公開する、ということのほうが多かったかも。それは今後も(この日記が続くとして)変わらないと思うし変えるつもりもありません。でも久しぶりにちょこっと時間順に。
ジャスコ好きのわたしは、ジャスコでボールペン(84円)と髭剃りクリーム(501円)を購入。図書館にいこうと思い、腹がへったのでモスバーガーへ。ハンバーガーとコーシーと消費税で378円(16:23)。せっかく腹ごしらえしたのに図書館にむかう途中で気がかわる。夕焼けがきれいだったのでそのまま海へむかった。
わたしのばやい気がかわるということはよくあります。特にひとりのときは。彼女と一緒に昼飯食いにいっても、混んでる店はいやだし何を食べようか結構迷います。そんな時彼女に決めてもらうとほんとに楽です。嫌な時(こと)は嫌といいますが、ほとんど嫌ということはないので、彼女にぐいぐいリードしてもらうとありがたい(そこがへたれ?)。
そんなわたしは結構写真嫌い。写されるのが嫌いです。こんな不細工面を写してなんになるんでしょう?ですから旅行にいってもカメラを持っていこうなどとは思ったことがありません。写真に頼ると、自分の目にしっかりと焼きつけるということをしなくなるように思うからです。忘れてしまってもよい。そんな景色はその程度の景色なので、あとで写真でみかえす必要もない。たしかに写真は便利です。がそれは人まかせにします。こんなわたしは多分歴史研究なんてできないのでしょう。
また、もし彼女がいたとしても絶対写真はとりません。むこうがこちらの写真をとるということはありましたが、こちらがむこうの写真をとるなんて一度もしたことがないししようとも思いません。要するに、自分の記憶のなかでのみ残っていればいいし、残らなければそのような人だった、ということ。正確に覚えておく必要もないと思います。もし美しく歪曲されるならそれもよし。醜く歪曲されてもよし。もともとが過去を振りかえりすぎるわたし。あるいは過去をグチグチいうわたし。だから、写真などがあったらいつまでもグズグズと振りかえるだけなのです。さらに、ふたりで一緒に写っている写真を「あなたの手で処分して」などといわれた日には………。
ふたりの思いでの品などというのも同じ理由からいりません。プレゼントなどもしません。いや、してみたいなーとは思うし、なにしろ自分がもらうと結構嬉しいものです。こんなわたしは、おそらく女性からみれば最低男の部類に入るかと思われます。ただ指輪とか買うには余裕で金がないし……。「モノ」がきもちをあらわすという境地にはまだ至りついていないので。むしろ、「モノ」として残らないもの。かたちのないものでふたりの絆を確かめあうことができるのなら、それは結構素晴らしいものなのではないかと思うのです。あるいは、後に失われてしまうもの。花とか。
自分がやっている作業。時間をかけすぎています。他人の書いたもの(論文や著書など。他者の日記はそんなことありません)がおもしろく読めない。とは8月の日記に書いたことですが、自分が書いたものが、これまた数億倍おもしろくない。ひどいものです。自分で書きながら自分の書いたもののひどさ・おもしろくなさがわたしを「もうどうでもいいや」という気にさせてくれます。
自分が漠然と10年前にえがいた10年後のわたしは、平凡な日常をおくっているはずでした。いつのころからか、進むも地獄・帰るも地獄といった道にはまってしまいました。しかしそれも今年限りにしたいものです。そして、そんなこんなで、そもそもが凹み防止のために始まったこの日記。
リミットはちょうどあとひと月ほどとなりました。自己管理がしっかりできる人間ではないということはここ5年ほどではっきりしたので、せめてここに明記してあと残りわずかな時間をすごしたいと思います。
12/18/Lundi 「こころ」沢知恵
前にも書いたことがあるけど(11/28)、感動してるのに感動してるようには見えないってことはあります。悲しいのに悲しんでるように見えない。悩んでるのに悩んでるように見えない。
もっといえばですね。悩んでるところを見せたくないっつーのもあるわけですよ。
そんなわたしが唯一(でもないか人に愚痴ってるし……)弱音はきまくりのこの日記。
人は見せたくない自分を隠す → 隠したものを自分の本当と思う(石川准『アイデンティティ・ゲーム』)。で、おれは?隠してるものを露出させたがってる露出狂?つーことはおれは痴漢ってこと?(ある意味そうですが……)。江頭2:50の芸は、人が「嫌ーっ」っていってくれることで成りたっている芸。「きゃー素敵ーもっとやってー」といわれると芸が芸として成りたたない。
何がいいたいかっつーと自分でもよくわかりません。クリスマス前にちょっと重症な凹みモードに突入しそうな感じ。でも、自分がかつて誰かにいったことで忘れてしまっていたものを思いがけず思いださせてくれることもあります。「やらかす」。忘れてました。やらかさないかんのでしょうね。思いださせてくれた日下部には感謝します(練習お疲れでした。おれはかなり疲れました)。
12/17/Dimanche 「Big City」T-Square
時間をかければかけるほどいいことがある。そして、そんなに時間をかけてもあんまりよくないこともある。時間をかけないほうがいいこともある。そしてわたしはひとつのことに時間をかけすぎた。そんな自分に見切りをつけるという勇気がない。
「感動する作品を」というが、感動できないのは、感動できないような作品をつくる作者の側にあるのか?感動をそこに読みこむことができない読み手の側にあるのか?
表面上、同じことばが羅列されている。そこに何を読みこむか?
いずし君の「ふと思い出す(12/16)」。山×とふたり昼飯食って中古CD屋によって、T-Square のライブ盤を買って、ふたりで車のなかで聴きながら、「Big City」の須藤満の Bass Solo に「おおーっ」とかいっていたころのようには無邪気(ということばを使ってよいかわからないが)にはすごせない。
「おとな」には、音楽以外に考えなければならないことが山ほどあり、「そーゆーことはさー、やることやってからにしよーよ」というプレッシャーがとぎれることはない。
12/16/Samedi 「ダメダメの歌」
「わたし魚屋さんの欧介さんが好き」
「わたし埋めたものを掘りもどすあなたが好き」
「わたし名刺を折りまげるあなたが好き」
「わたしだめ人間のあなたが好き」
12/15/Vendredi 「Wild Rabbits」槇原敬之
「わかりにくい!」「意味がわからん」と好評の音楽ばなし(え?意味わかるけど…というあなた!それは多分勘違いです)。いやーやっぱ冬は“ずーじゃ”がいいっすよね(いやズボンズもいいっす)。で今ヒゲ車の社内は小林桂がかかってるんですが、これがいい。「Fly Me To The Moon」をヒゲと車内でふたりできく。ヒゲいわく「ほんとこんな曲ふたりできいたらいかんすよね」。同感。お互いに「これじゃいかん!」と思いつつやってしまう…。これが共依存か……。しかしほんとCD欲しい。だれかくれ。
以下今週きいた音楽。
Astrud Gilberto 恥ずかしながらジョアンの奥さんだったとは知らなかった。あのふわぁーっとした歌いかた。でも当初ミュージシャンの間では不評だった?そういえば音程がふらふらしているような…。「でもそこがいい」とかいうんだろうな。おれもそうだけど。
季節がら山下達郎「クリスマスイブ」をきく。名曲だと思う。でもあのアルバムで一番好きなのは「真夜中の遊園地にふたりで忍びこんで……」と歌う「メリー・ゴー・ラウンド」。この歌のなかで「月が昇ってきた」というくだりがあって、今の美しい月を見ているとこの歌を思いだす。とても“でぃすこてぃーく”でよい。ヒゲもお気に入りの曲。
そして今日のタイトル曲。「僕らは冬を遊ぶ天才」とうたうこの曲。そうだなー部屋でへたれ日記つけとる場合じゃないなー。「おめーうるせーよー」といわれるぐらいはしゃいで遊びまわればいいんだよなー
夢見る××歳(え?夢みてるばやいか?そのとーり!)。 最近「このページおもしろいですね」などということをいってくださる女性ファン(不安?)が急増しているが、このページにはまるのはあまりおすすめできません。それはほとんど「わたし杉作J太郎ファンなんです」と公言してまわっているようなものだから……。
ヒゲは「誰かがかまってくれないとボク寂しくて死んじゃうんです」などと100億年前のアイドルのようなことをいっていた。日記をもっと大々的に公開しなさい。そーしたらかまってくれるぞ(といいつつプレッシャーをかける。あ。このやり方××さんと一緒か…)。そこまで思わないが、なんとなくわかる。つーかこの日記を読んでひとまず「こいつ死なずにやってるな」と思ってくださるみなさん。わたしはあなたの近況も知りたいと思っています。何らかのかたちでお知らせしていただけると幸いです。
12/14/Jeudi 「メリー・ゴー・ラウンド」山下達郎
「好きなタイプは福山雅治」などといってしまうそんなあなたは20歳。そんなあなたにささげます(ささげられたい人もあわせて募集します。幸福を祈るかどうかはわからないけど)。
つーかなんでみんなタイプって興味あるんだろう?あれですか類型化ってやつですか?理念型ってやつですか?(どうでもいいか…)。福山雅治かっこいいと思う。江口洋介かっこいいと思う。木村拓哉かっこいいと思う(戦略は破綻している)。で。だから。「何が」タイプなのか?顔か?性格か?スタイルか?髪型か?眉型か?ヒゲ型か?
実際につきあうとしたらこーゆー人がいいってことか?それとも鑑賞に耐えうるかってことなのか?まーわたしの場合誰を見てもタイプとかはあんまり思わないと。それだけです。
最近マニア筆頭のヒゲと kochan から「日記がつまんねーんだよ」との叱責をうけた。恐る恐る「それはどーゆー意味でございましょうか?」と訊ねてみた。「つーかよー。凹みネタがおおすぎんだよー」と丁寧にご指摘していただいた。「しかしわたくしには凹みネタ以外にないんでございます」。「おめーのくだらねー政治ネタでもいーから書いてみろよこのやろー」。
という温かいハゲましのことばをうけたのでちょこっとやってみる(勿論大したことはできない)。21世紀などというくぎりも大して意味があるとは思えない。つーか普段あんだけ「平成という元号を使うように」とかいっておきながら、こんなときだけ世紀末とかいって(昨年は2000年問題とかいって。まーおれにはちゃんと2000年問題も1999年7の月のハルマゲドンもあったけど…)騒ぐ心性は理解できない。でもまー21世紀の幕開けを「ブッシュとよしろー」という漫才コンビが飾ることにはあんまり手放しで喜べないような気もする。この漫才コンビのねたはどこかうすら寒い。これから先も決して心底笑わせてはくれないだろう。そんな漫才コンビには「強制義務奉仕」と「厳罰化」がお似あいだ。この際少年法はなくして「おやじ法」を制定してくれ。「21世紀の世界には日米関係が重要でともに協力していく」そうだが、頼むからこれ以上余計なことはせず、せめて自分たちの退場のしかたでもせいぜい整えておいてほしい。
つーかあれか?敵を輝かすためにうつ芝居ってやつか。昔どこかの学生運動が使用したとかいう。ヒゲによれば、「あれは自民党が選挙までめちゃめちゃだめな奴を使っておいてとことん失望させておいて、いざ選挙って時にすごい奴をだしてきて『すげー』と思わせて勝つ」ということらしい。それにしても、そんな「だめだめ脚本」をおそらく演出家の予想以上にみごとに演じきってしまうよしろーは稀代の役者だ。よしろーにも2000年のノーベル主演男優賞を贈りたい。まじでめざせ9割台。ちなみに主演女優賞はデヴィ夫人。助演女優賞は不叶姉妹。助々演女優賞は叶姉妹。
つーか、もしやよしろーはだめ連が送りこんだ工作員じゃねーのか?いつのまにか内閣総理大臣というポストにまでだめ人間を送りこむとは……。だめ連おそるべし…。
あれ?しかしこの日記はこの前も宣言したとーり「弱音吐き系」日記ですよ。つーかあれですか。「おめーには弱音吐く権利さえねーんじゃこのやろー」ということですか?「ただでさえだめ人間なんだから弱音吐く権利を認めろー」(ヒゲ風に)。
この日記を公開しはじめた当初、ある男性が「この人は死んでしまうんじゃないだろーか?」と思ったそうな。これからもそんなことは絶対にないが(死にたいなどとは一度も思ったことがないしこれから思うこともない)。つーか死んではいけないと思う(それがその人に残された最後の自己決定だとしても)。「生きている意味」がわからないから死ぬといいたい人もいるのだろうと思う。でも別に生きていることに意味なんかない。意味がわかって生きている人など(おれの知るかぎり)いない。意味を考えることは大切だと思う。でもそれは生きていることよりも大切なのではない。意味を考えぬいた末生きることをやめる、ということにはならないのだと思う(立岩さんのいわれるのと同じように、「みんなに生かされているから生きる」のではないのだろうと思う)。
あるいは高校時代のある後輩は「おれの知っていた××××さんがこんなことになってしまっていて、なんだか感慨ぶかいです」と感想をよせてくれた(ありがとう)。つーかあれか。「なっちはあんなことになってしまって……」てやつか(違うか)。もう二度とあんなモー娘。を見ることはできないのだ……。今さら「恋愛レボリューション21」っていわれてもよー……。
デカルトの「われおもう。ゆえにわれあり」ということば。つーことは、おもってない時には「われ」があるかどうかはわかんない、つーことですよね。なんてことは昔からいろんな人が考えてたらしく、ヴァレリーは「われときどきおもう。ゆえにわれときどきあり」といったそうな。いえてる。
そんなわたしを知ってはいたがあらためて定式化するとつぎのとおり。
われ凹む。ゆえにわれあり。
12/13/Mercredi 「Blue」WHAM!
最近長嶋一茂がかっこよくみえて気になってしょうがない。おすぎとピーコの毒舌絶好調ぶりも気になってしょうがない。こんな自分が病気だということはわかっているが、一体どんな病名なんでしょう。
そしてまじめそうに見えてすっぽかしをかましてしまう自分が情けなくなってしまう冬の午後。
12/12/Mardi 「Fly Me To The Moon」Astrud Gilberto
「好きな女性のタイプは?」と聞かれることもほとんどない。が。100年に1回ほどそういう時もある。そんな時「女性なら誰でも……」などといって顰蹙をかってしまう男は4億人ぐらいいるがわたしもそのひとりである。つーか「この人タイプだなー」と思ってつきあったことなど一遍もないし、大体「あんたおれのタイプだからおれとつきあえ」なんて100回死んでもいえない。つーかつきあいだすその最初の瞬間にこちらが主導権をにぎったなどという経験は一度もない(やられっぱなし)。
「好きなタイプは?」とかいわれてもないし、つきあってみないとわからないことも多いと思うし、つきあってみたらすげーいい人だった(あるいはひでー人だった)ということもあると思うし……。タイプじゃないからつきあわないということも(この先そんなことがあったとして)ないと思う。あ、そうだ。大体こっちには選ぶ権利なんかなかったんだ……。
「誰かに最近『好きなタイプは?』とか聞かれたのか?」などというつっこみへの予防線。全部妄想です。磯野貴理子がテレビに出ていたので。「ええっ!?そんなこと普通せんやろ」とかいう人は好きかもしれない。あほがにじみでている人というか。そうか。あほがにじみでている人がタイプだったんだ。なんとかしてあげないといけない気にさせられるというか(おめーこそどうにかしろというつっこみは重々承知しております)。演技してそういうことしてるんではなくて、本人はいたってまじめなんだけど、そこはかとないあほさがにじみでてしまうという…。磯野貴理子はほどよいかんじであほがにじみでているので好きです。
なんで一生懸命こんなこと書いてるんだろう?
12/11/Lundi 「漢字読めるけど書けない」ダンス★マン
日曜日。久しぶりの雨。雨は好き。そんなに寒くはない。今日も仕事(?)だ。
18時をすぎてふたりで落ちあった。傘は2本あるがひとつはたたんで相合傘(古っ)。「雨がやんでもどうか傘は閉じないで」という「雨降る東京」のシチュエーション。ああそういえば東京いったときこんなことがあったなー。
……などという妄想が浮かんでは消えていく日曜日。
実のところはジャスコで晩飯のあじの握りとか唐揚げとかマカロニサラダとかを買って家で食べてヱビスビール飲んで気づくと0時半!そんなだめだめ生活。全然「ひとりお料理月間」になってない…。
「クリスマスなんてうらやましくないぞこんにゃろー」と思ってきたこの×年間。そうじゃなくて実はめちゃうらやましいのだ…ということは再確認しなくてもわかってはいた。ほんとにうらやましくなかったら、わざわざ「うらやましくないぞ」なんて思うはずがないのだ。だから、以後、うらやましさ丸出し日記にしていこうと思う。ちくしょーうらやましいなーこんにゃろー。
カリスマミセスにカリスマ獣医。なんでもありだなこりゃ。カリスマだめ人間。カリスマ凹み氏(師?)。だめ人間はカリスマになるとだめじゃなくなってしまうんだろうか?
12/10/Dimanche 「雨降る東京」古内東子
かなりご心配をかけたようで「生きていればいいこともきっとあるよ」メールもいただいたりしました。大丈夫です。死んだりしません。とゆーかそんな勇気はありません。
なんか気を使ってくださってですね、「こいつの耳に入るとこいつがきつい(傷つく)だろうからこいつの耳にだけは入らんようにしよう」ということが耳に入ってきたりするんですよ。隠すのが下手というか。でですね。そういういらん気は使わんでください。え?なんのこと?いつものあのことですよ(思えば昨年もそれで結構厄介なおもいをしたのでした)。
しかし不思議なもので、彼女(たち?)との楽しかったおもいで(おもひで)なんてちっとも覚えていない。覚えていたりおもいだせたりすることといえば泣かれたこととか怒らせたこととか。苦笑い。と同時に申しわけなかったなーと思います。思いだすのはそんなことばかり。
12/9/Samedi 「くちづけ」広瀬香美
図書館ですいてるのにわざわざおれの直後ろの席に座るな!(しかも男のふたりぐみ)。おれのどこからそんな磁力がでとるんじゃ!(ま〜いつものことか)。あと、さもいつもは勉強してないんだけど今だけはやってますみたいな顔したばか男ふたりぐみ(別の)。いくら人のすくない図書館だからといって、これみよがしに「太宰にかんする論文は……」などと大声で話すな!普段勉強してないのが丸出しでついでにばかも丸出しだぞ!
冬の快晴のとてもいいきもちな日。17時。仕事おわりのあいつを中庭でまつ。ふたりでいつものように70円の立ち飲みコーシー。そしてちょこっとドライブ。ふたりで気分が盛りあがったので「ねーご飯食べにいきましょうよ」ということになった。
ほんで英ちゃんうどん。あいつはごぼう天うどんとかしわおにぎり。おれは超奮発してあなご天ぷら定食(1000円!)。うまい。しいたけとかしめじの天ぷらってうまいよなー。そーいえば、と思いだす。いつかふたりでお昼の寿司屋で天ぷら定食を食べたこと。すごく「おとな」になった気がしたこと。
こいつとも春になったらお別れだ。離れてしまえばきもちなんてどっかにいってしまう。予想以上にはやく。思うより簡単に。だけどあの時は距離に負けたのではなかったなー。あんなにあっさりやられるもんだとは思わなかった……。
白いコートをきてブーツを履いている女性をみた(たぶん高校生ぐらい)。倒れそうだった。あほ絶好調(なぜかこのごろハイ。え?灰?)。
12/8/Vendredi 「ピアニシモ」広瀬香美
80×24×365=700800
セクシャルオリエンテーションがヘテロのおれとしては、なにが嫌いってタバコ吸う女と飯をマズそうに食う女。タバコポイ捨てしようもんならほんと軽蔑の極致。
そーいえば。「ねえねえ『せつない』ってどーゆーきもち?おしえて。ねえねえ」とかいう人がそばにいたらかなり鬱陶しいかもしれませんね。
わたしは飾ったあなたではなくて・あの人のために愛想笑いしてしまうようなあなたではなくて、時に(おれにはよくわからない理由で)むすっとしてしまうあなたの顔がみたいのです。だからどうかわたしといるときは自分に正直なあなたであってください。それが怒りであっても、飾られた愛想笑いをふりまかれるよりよっぽどわたしは嬉しいのです。
とかなんとかいいながら今までちゃんとは見てこなかった Original Love のオフィシャルページの「Voice」のところに最近の音楽についてのことが書いてある。ハードコアパンクやヒップホップへの批判。いってることは×××××××××じゃねーかこんにゃろーというところはかなり笑える。脱力しまくったことも。そして再確認。まにあご指摘のとおりおれは田島貴男だった(田島貴男はおれだった)ことが判明。やはりもうついていくしかない。
12/7/Jeudi You and the Night and the Music
失意のギター弾きとピアニストで作曲家のおとこ。解説&感想は宮沢和史。
宮沢さんはどんどんかっこよくなってきている。さいこーですかー?さいこーでーす。そして田島貴男。さいこーすぎる。ふたりは結構なかよさそう。まじで彼らの音楽からは目がはなせない。××××からはどんどん目をはなしても大丈夫。
この男にどうしても飯を一緒に食ってくれと泣きつかれたのでしょうがなくモスバーガー。チキンバーガーとコーシーとコーンスープ。この男にはこの前ラーメン代を借りていた(800円)のでしぶしぶ返す。おれの日記マニアのかれがいうには最近凹みネタばかりでおもしろくないからなんとかしろとのこと。う〜ん無理。
情報誌(かたいかな?)を読む。2001年度の占い。やってみる。まず今年は「実績を残せなかった」。ギク。そのとーり。で来年は「恋愛」「人間関係」「仕事・勉強」と「もうひとつあったけど忘れた(なんか項目がありました)」の4群のなかでおれの場合「仕事・勉強」にハゲめと出た。う〜んあたってる。しかも「目標が定まってないのでは?」とも。ギクりんこ。あたりまくり。これからは占いを信じていきていこう。ちなみに同伴男は「人間関係」をがんばりましょう、と出た。「そんなこと急にはできんすよね」という。さ〜あそれはどうかな。おれは自分のことでいっぱいいっぱいいっぱい。
それにしても服装(ファッション)に超疎いわたし。ツイード?バーバリー?タータンチェック?混同してます&全くわかってません(あいつなら「わからんでいい」っていうやろうな)。しかしこれだけはわかりました。マフラーはいい!マフラーしてる女の子はかわいい!だまされまくり!!広瀬先生素敵。ほんとマフラーってなんかいいですね。札幌大通り公園のイルミネーションが映ってたけど、あんなところをふたりでぶらりんこしたら最高なんだろうなー。自分がマフラーとゆーかマフラーしてる女の子好きだということを再確認しました。
早寝遅起のこのわたし。この日記を書きながら流れる音楽は「あなたと夜と音楽と」。夜と音楽はどうにかなるが「あなた」はどうにもならない。というわけで「あなた」募集中。
12/6/Mercredi 「冬三昧にはまだ遠い」D.C.T
いやーしかし槇原敬之のアルバム『太陽』。アルバム名はどうかと思うが中身はよい。やはりあなたはゴンタであるあなたが一番よい。「おめーうるせーよー」というぐらい歌いまくってください。
それにしてもよく歌詞なんかで「自分に素直に」みたいなものがある(つーかおおい)けど。最近特に同感。自分に嘘ついてまで嫌いな人のことを「あの人好き」みたいにいうことはない。疲れるよー(疲れないっていいはるんなら別にいいですが)。あなたはまず第一にあなた自身のことを考えるべきだ。時に人を傷つけても(つーか傷つけずにはどうせいられないのだから)自分のきもちに正直であってほしい。
かくいうわたしもそんなに素直でもない。だから「あなた馬鹿なのー」キックを某女性にくらったりもした。素直になれないこのおとこごころ(ヘタレごころ?)。
ご心配かけましたが、復調いたしました。自分を信じるしかないっす(基本的には誰も信じてはくれないのだから)。うっす。やる(殺る)っす(あれ?)。
は〜それにしても彼女いないふりするのは大変(ヘンタイ)だ。ほへ?
イタリア語講座(再放送)にでていた北原奈々子は最高だ。ヒゲごのみというのも納得。
12/5/Mardi 「SIMPLIFY」槇原敬之
あのーおれもそんなに馬鹿ではないんで(いや基本的にはばかですが)、この長すぎる脛かじり人生を「いぇーい。ピースピース」とかしながらやってるわけではなくて、忸怩たるおもいでジクジクしながらやってるわけなんですよ。それをですね「贅沢な悩みね」なんて一蹴されると、昨年の夏のように一番スピードがのったところで手をはなされて「あ〜れ〜」ってかんじで飛んでいってしまうんですよ(ちょっと違うか……)。
いやーしかし弱音はきまくり。この日記はこじゃれ系ではありません。まー前からそうだったけど完全に「弱音はき」系(吐き気?)ページに宗旨がえします。よくある(と思われる)反応(採取例:某M君のことば)。
「ってゆーかー。人の落ちこんだ話きいてもこっちが落ちこむだけなんでー」
「うんうんわかる。きみのいいたいことはわかるけど。」
いやーなんか自分で書いていても嫌気がさしてきました。なんでこんなにできないんだろう?読んでくださるみなさんが不快にならないことを願うばかりです。不快なときは「弱音ばっかりはくなーこのやろー」メールでもください。「また弱音ばっかりはきやがって。しょうがねーやろーだなー」と思いながら読んでくだされば、それだけでこの日記には意味があることになります。
いくつか槇原敬之のファンページをみる。やはりぶさいく系音楽でないと。福山の歌きいておれが「うん。わかるわかる」なんていったら、おれを知るみなさんは「嘘つけ!」と思うでしょう。自分でもそう思います。復活槇原。ほんと結構いい作品になっていると思います。全体にアップテンポなものが多く、何かを悟ったような雰囲気(それはスローテンポだったり長調だったりした)が払拭されておれごのみ。
わざわざ信じてって
自分から言わなきゃ
人を裏切ることもないのに (「迷わない羊」)
12/4/Lundi 「迷わない羊」槇原敬之
いずし君。「デザインがこじゃれ系になっ」たぐらいではわたしの「モテ度」は「あっぷ」したりはしません。どんな追い風も“向かい風”にかえてしまう。というわたしの実力を知っている人は何人かいます。
どうしても小林桂のアルバムが欲しくなったのでジャスコでいつものように購入しようとするも、以前までかろうじてあった jazz のコーナーがそもそもなくなっていた。で全然買うつもりのなかった槇原敬之のアルバムを買ってしまう。まったく期待していなかった。しかし予想外によい。
勝手に子供をたくさん作るから一人あたりが貧しくなるのだという議論は、分かりやすいし、その「正しさ」は一見疑いようもないものにみえる。それはしばしば、「貧しい国々」の貧しさの原因について、「豊かな国々」の人びとが、それは自業自得のことであると考えて良心を安らかにする、最大の理由とさえなっている。
見田宗介『現代社会の理論』岩波新書 1996 96ページ
適度に情動が刺激されるためだけなら、あるいは感情を安定させるためだけなら、簡単な議論、わかりやすい議論がよい。そして図式通りに自己決定を肯定し、それを様々な場面に当てはめるだけなら、とても簡単である。もちろん簡単なことは簡単に言えばよい。しかし、仕方なく込み入ってしまうこともある。こんな場合には、一見したわかりやすさがむしろ事態をより混乱させてしまう。……だから、大切なことは、むやみに簡単な議論をしないことである。
立岩真也『弱くある自由へ』青土社 2000 15ページ
12/3/Dimanche 「Fly Me To The Moon」小林桂
8時すぎに家をでる。朝の遠賀川はすこしもやがかかっていい感じ。NT君をのせ都市高速をつかって平尾台へ。冬のはじめの山をのぼっていく。ところどころの紅葉がうつくしい。色を失っていく草原もすきだ。よしのさんのところで練習。耳で聴いてコードを譜面におこすのはいつもながら結構大変。
帰りの車のなか。NT君と話しながら。なんとかれは17歳。17歳!?なんかドキドキしてしまった。これが女子(じょし?)だったら当然犯罪だが(?)男子(だんし?)でも、なんかいけないことをしてしまってるような気が……。違いすぎる……。かれには夢がある。夢かー。もうえがけない。ほんとに潮時だ(このことば。いいですね)。
必死で家につくと18時半。おせわになりっぱなしのうっしーさん邸。ヒゲの追突寸前の車で買出し(まじで勘弁してくれ。第一次変換まちがって「追悼」)。鶏肉や白菜で鍋。
ヒゲのしつこいリクエストは「Fly Me To The Moon」。小林桂のこの演奏はかなりゆっくりしたもの。くりかえしますが誰かわたしに小林桂のこのCD買ってください(プライドなし)。
一見“凹み系人間”だとか“だめ恍惚系”には見えないらしいんですよ。で「この人頼りがいがありそうだわー」とかいわれて近づかれようものなら、実は「ばぶぅーばぶぅー」攻撃に見舞われて、「なんじゃこのヘタレ野郎!」と捨てられるわけなんですよ。
明日に不安がないということはない。つーか不安だらけ。そして潮時。でもそんなふうにはみえないらしい。それはおれが生まれもっていたものなのかもしれない。そしてそれなりに揉まれてきたなかで身についたものでもある。なんでも深刻ぶるよりはいいのかもと思う。そんなわたしは、だからだめ恍惚系。明日に不安はありつつ、でもしょうがねーかーと思って生きるしかない…。みんなそうなのかなー?
12/2/Samedi 「大丈夫」古内東子
すごいいい天気でした。部屋からちょこっとだけだけど夕焼けをみる(そうロマンチスト)。母は昨日帰ってきました。結局ほとんどまともな食事つくらなかった。必ず母が帰ってくるとわかっているので、そんなに切迫しなかったのかも。完全にひとりで自分がやるしかないという状況にならないとしないのかも。でもお料理月間だしなー。
プロ教師の会とかいう会の河上某さんというかた。嫌い。大嫌い。偉そう。ニタニタするのはやめてくれ。不愉快。「君たち何もわかってないんだなー」とみえる話しかた。やめてくれ。多分あなたも結構わかってない。
ボランティアの義務化なんて日本語としておかしいだろー。ちゃんと「強制労働」とか「強制奉仕活動」という“正しい”日本語を使うように!
それにしてもいい音楽がほしいですね。冬。古内東子。いいですね。
12/1/Vendredi 「師走」スガシカオ
「一緒にご飯食べてくれる人ー」
しーん。
おれの位置づけ確認作業終了。やっぱりね。
「あなたのためを思って」などということばが好きな人もいるらしい。善意。あなたの善意を疑わない。でもときにそれが結構人を傷つけることもあるということはわかってほしい。励まされればハゲ増されるほど傷つくということがあること。そのこともわかってほしい。
期待にこたえることが信頼をえることになるのだろうか?多分そうなのだと思う。そして人並みに信頼をえたいわたしはそれなりに期待にこたえたいとは思っているし、多分いくらかは期待にこたえているだろう。でも、それにも限界はある。「いい人」と思われたい。でも「いい人」というのは時に「どうでもいい人」と同義である。決して我慢強くないわたしは結構いっぱいいっぱいなのだ。そしてもちろん怒ることもある。愛想笑いということばも行為もあまり好きではない。でもいちいち怒ってもいられないから、あるいはそれなりにスムーズにことを進行させるためにはちょびっとは必要なのだろう。
でもわたし個人としてはあまりしたくないことだ。だから「おとなげない」のだ。「もうちょっとおとなになれよ」といわれるだろう。余計なお世話だ。余計なお世話などもういらないのだ。気づいてほしい。
“ロマンチスト”とは誉めことばだと思っていた(実際そうなのかもしれない)。でも要するに“現実みてない”“世間しらず”ってことなのか。そうだとしたらおれにはぴったりだ。いろんな意味で。
別に昨日(水曜日)のマズいワインを飲んで酔っぱっているのではない。意味づけ。してくださって結構です。いろいろな意味づけがあると思う。それにはつきない(つきさせない)意味があるということも示したいと思います(文脈なしで書いています。補助線は各自ご自由にひかれるのがよいでしょう)。
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