■ Janvier  Gennaio  January
「Too High」「I wish you love」「Living for the city」「Visions」「赤いくつ」「My You」「曼珠沙華」「Un Homme Et Une Femme」「Tuesday Heartbreak」「Lullaby of Birdland」「Autumn Leaves」「Just Another Story」「風来坊」「Higher Ground」「It's a wonderful world」「そろそろいかなくちゃ」「Cherokee」「日曜日の印象」「All In Love Is Fair」「千年紀末に降る雪は」「アルカディア」「Fly me to the moon」「flower」「サイドシート」「トーキングヘッズ」「Daahoud」「私の願い」「さつきによせて」「My brand new day」「sandalwood」「Dark ocean」


1/31/Mardi 「Too High」Stevie Wonder

 この前やまぐ×と車に乗っていた時のこと。すちーびーの「Too High」が流れてきた。この曲は1973年の『Innervisions』の1曲目なんだけど、なんつーのかすごいカッコいい(貧弱な説明だ)。エレピとか打ち込みのベースとかドラムとか全部がいいのだ。しかもすちーびーはこれを一人でぷれいしているのだ。NHK-FMの年末の番組で20世紀のソウルの名曲かなんかでもかかっていてびっくりしたんだけど。

 でやま×ちと、これは名曲だという点では一致した。で、おれはこんな曲がやりたいんだというと、彼は「うーんどうかなー。そんなこというのあんたぐらいやないの」といっていた。うーんそうかも。今日こそは勉強しよう。


1/30/Mardi 「I wish you love」Jacinta

 最近やたら腹が減る。少しは規則正しい生活になってきたからだろう。食っても食っても腹が減る。一日家にいるだけなんだけど。でそんなダラダラ生活だと自分の部屋の掃除さえできない。もう何ヶ月ほったらかしだかわからない。こんな生活10年前には想像さえできなかった。ひきこもりとかパラサイトシングルとかいうことばもなかったし。

 で、今日は久々の練習だと思ってちょっとドキドキしたりしていた。もうまるまる2ヶ月以上楽器にさわってない。と思っていたら今日は休みだったらしい。連絡ミス。しょうがないので、ビデオの整理でもしようかねと思いながら見てしまう。92年の Jazz Aid 。Jacinta というシンガポールの女性ボーカルと日野皓正(字あってるかな?)がやっていたのは I wish you love 。その時も「この曲なんかいいな」と思っていたのだが、あの曲だったとは。Jacinta のほうは4beat のバラードだったんだけど。で、
小野リサ。歌詞がいいんだよね。お別れするふたりの歌のようなんだけど、こんな寒い日にはあなたを暖める炎も必要だけど、それよりもなによりもあなたの愛を願っているわ……。あらーいいなーうらやましいなー。


1/29/Lundi 「Living for the city」Stevie Wonder

 東京では人を助けるために人が死んだという。別にきれいな話はいらないし、道徳的な人間でもないけども。だけど、そういう死にかたをした人を「冗談」にしていいのかなーとは思う。あるページでそのような行為をちゃかすような記述があった。どういう意図があるかはわからないけれどとても不愉快になった。「冗談」にしていいことといけないことというのはあると思う。そういうのがおもしろくてたまらない人もいるのかもしれない。そういうのでしか笑えない人もいるのかもしれない。それは「自由」なのかもしれない(おれはそうは思えないけど)。

 ならば、「そんなこと冗談にして笑っていいのか」って指摘されたときには、「悪いとは思っているんですが……」とかいってシュンとしたりしないでほしい。あくまで堂々とおもしろがりつづけてほしい。もちろん最低だとは思うし軽蔑するけどね。


1/28/Dimanche 「Visions」Stevie Wonder

 演奏会とその打ち上げのためにこちらにきていたやまぐ×から電話。しょーへー号で××港へ。どうしても1月中にいっておきたかったのだ。高速でいってみたら(1350円)駐車場は渋滞中。あきらめて都市高速で橋をわたり戻ってくる。ぼた雪混じりの雨は本格的な雪に。Sun Live 売り出しか混んでいる。でお好み焼き。焼きそば・ビール。さらに雪の海沿いを走る。

 もてない男どおしいろんな simulation 。実践に役だつかどうかはわからないが。やま×ちは「面倒くさい」らしい。おれは面倒くさくなるぐらい振りまわしてもらいたいなーと思う。が、スピードにのったところで手を放すのはやめてほしい。危ないので。

 雪が積もったんだけど、雨まじりなのですぐとけて屋根からドスンドスン落ちてくる。結構揺れる。や×ぐちはおれの日記からは、おれの持っている「土くささ」が見えない(読めない)といっていた。


1/27/Samedi 「赤いくつ」mio

 表紙ページかえてみました。またかえるかもしれません。

 嫌いだったり苦手だったり・おれのこと嫌ってるんだろうなーなどと思っている人から予想外に優しくされたり。ほんで、そんなのが実は嬉しかったり。まーほんとに大嫌いな人から優しくされたりしたら気持ち悪いだけなのかもしれない。

 めちゃめちゃに貶されれば泣いてすっきりもできるのに。自らが蒔いた種とはいえ、誰も本気でそこまでは貶してはくれない。中途半端にそこそこにはできるし、期待もいつもそんなものだから、余計にほんとに宙ぶらりん。しかしそこそこにできるぐらいならなんもできんほうがまし。

 やっぱりこの日記がどーゆーふーに読まれているかというのも気になるところではあって、書いている自分が自分の日記を嫌になってきてしまっている。読む人はどうなのか?できればくすっと笑ってくれたりばか笑いしてほしいとは思っているのだが。最近、今までにない凹みモードだということにやっと気づきました。

 おれにとって
 公開することになんの意味もなくなった時には
 その時にはおしまい。
 ただそれだけ。


1/26/Vendredi 「My You」

 髪をきったり。You Me タウンのおむらいす亭でオムライスを食したり(490円)。まあまあだと思うがご飯の味つけが辛かった。

 久しぶりの
城野。新しく中国人の女性や在日のかたが参加されたりといつも以上に賑やか。そしてKさんの手作りマドレーヌとコーシーが嬉しい。Tさんと少数の割り算。そして韓国語(朝鮮語・コリア語)。

 「自分を強くする言葉」というプリントが配られた。「何もしないでとりすましている人間よりも、何かをしてそして恥をかく人間の方が、どれだけましかわからない、人は人に笑われながら成長する。」とかね。「本気でやればたいていの事ができる……私はできる、私は強い、私は必ず勝つ。」

 Kさんはプリントを読んで「これはよくわかる。わたしこのとおりやってきたもん」。おれに「甘えとーんよ」と。ずばり。そうでしょう。「わたしたちやら会社はいられんでしょうが。やけひとりでやっていくしかないんよ」。在日U世として生きてきたかただからやっぱり納得させられる。そしておれ。


 ある人は能力主義がどうのこうのと気になっているらしいが、かつておれも「できる・できない」とゆーのは疑似問題で「やるか・やらないか」の問題だと思っていた。でも、できる・できない、というのはある。「本気でやればたいていの事ができる」というのはそうだろうなとは思う。でもこの論法の矛盾は、「たいていの事ができる」その基準というのは絶対に設定できないということだ。

 今できていること・今手にしていること(もの)は、本気でやったからなのか?その結果なのか?できないこと・手にしていないものは「本気で」やってないからだ、ということになる。また、本気でやらなくてもできることや手にはいるものはある。おれはどんなに念じても意中の女性を手にはできなかったぞ。おれはその当時の自分が考えうる・できるかぎりのことをしたけど手にはできなかった。そういう時持ちだされるのは「あんたは(彼女のことを)ほんとうには欲しくなかったんだ」とか「本気で手にいれようとはしてなかった」とか。

 違う。やったけどできなかったのだ。後からならなんとでもいえる。でもその時は自分にできる最大限をやったのだ(思いっきり裏目にでたけど)。だから問題は「その人が思う最大限をやったのか」ということと、まわりからみてその人はできる最大限のことをやったのかとのズレなのだ(もっとすっきりいえればいいんだけど)。当人が本気でできるかぎりやったというのであればそれは当人にとってそのとおりであろうし、他人からみたら「まだできたはずなのに」と、ただそれだけなのだ。そしてやるのはその当人なのだから、主観的にやったこと以外に「できたはず」のことなど存在しようがない(もちろん他者とのかかわりはあるし、主観は社会的に構成される)。

 「私はできる、私は強い、私は必ず勝つ。」という最後のフレーズはなんかおれに嫌な感じをおこさせる。「私はできない、私は弱い、私は必ず(?)負ける」。そんなんでもやっていけるよってことが大事なんじゃないのか?「つよくなくてもやっていける」。勝つか負けるかなんてくだらん土俵にうかうか乗ることなんてない。そんな人生いらない。


 帰りの車の中「エイリアンズ」を聴きながら。あのフレーズを聴くたびに「やっぱこの歌はへたれの歌だよな」と思ってしまう。


1/25/Jeudi 「曼珠沙華」theatre brook

 70歳台の男性が港の倉庫を3年間借りあげて、そこで美術とか彫刻とかの若い芸術家に作品を作ってもらおう、と。ひと月30万の賃料だそうだ。でそれを3年間。5000万円ぐらいするらしい。運営は任せる。金は出す。昨日のニュースでやってた。すげーなー。これがパトロンってやつか。誰かへたれに金を出資しないかしら(ヘタロン → なんかいろいろ考えてしまう。下手な論文とか)。

 「映画はみない」っていうと結構驚かれる。「映画ぐらいみなさいよ」とか「あなたばかなの?」(プラス蹴り)とか。「映画ってホントにいいもんですね」とは思うんですよ。でもなぜかあんまり見ようとは思わない。映画のよさ。教えてください。想像力はないのかもしれない。けれど妄想力(へたれ印)はあります。

 で何が好きかっつーとやはり音楽。聴くのと自分でぷれいするのと。いい音楽を聴いていたらやっぱり「よっしゃーおれもやってやる」って思うんですよね、特に最近。ほんとぷれいがすっげー楽しくなってきた。あるいは美術館めぐりをしたりとかしてみたいね。絵もあんまりわからんけど。で、ぶらりんこしたりとか。金は余裕でないので(ご存知のとおり)、なんつーか町並みをぶらりんこするのがどうやら好きらしい。

 久々本格的な雨。で、寒い。雨もいいよね。もうちょっと寒さは続いてほしい。で寒い街をふたりでぶらりんこ、とかね(妄想妄想:NMK)。まいうー。

 最近思うのだが、一緒に「勉強」しているSさんと小学2年生とか3年生の「国語」の教科書を読んだり漢字をうつしたりしているのだが、それもなんか。つまりお話がやっぱりこども向けなのだ。ただ、詩にはうーんと考えさせられるものもあったりして、だから詩とか短歌とか俳句とかそーゆーのを読んだり詠んだりしていってもいいかな(とゆーかしたいな)と思っている。


1/24/Mercredi 「Un Homme Et Une Femme」ono lisa

 自分の日記を読みながら、海の「中道」とkochan 批判の「中道」は、なかみち繋がりだったのかー。などと。

 kochan のこころのつぶやき
2001年1月に「2001/01/21 (日)日記への反論の反論。」がある。おれは彼の日記を「読んで」としか書いてないんだけど。彼には「反論」に見えるらしい。どうでもいいけど。彼とはどうせ明日も会うので別にこれ以上日記に書こうとは思わない。興味がある人もいないだろうし。なぜおれがあんな感想を持つのか。また明日以降。


 師匠のところに久しぶりに顔を出す。今日も温かい励ましのおことば。まー「まさかの逡巡だった」ともいわれたんだけど。でも「君は自分の経験をもっと信頼しなさい」といわれたのが一番こたえた。「自己信頼(セルフトラスト)の問題だと思うんです」などと力説していた自分が一番自己信頼できていない、というこれまた陳腐なおはなし。

 思えば、こいつすごいなーと思う人ってやっぱり自己信頼ができている人のようにみえる(内心はわからないけど)。自分が自分を信頼してやれないっつーのはほんとにキビしいことなんだと思う。この日記は自己信頼へのツールのひとつになりえるんだろうか?


 それにしても、「ふざけるな!!」の件で、まにあ様たちはわりかし冷ややかな反応。思うに、「甘えるな!!!!!! きれい事ばかりぬかすな!!  逃げてるだけだろ???」などと今さら書きこみして何になるの?しょーへーが「甘え」てて「きれい事ばかりぬか」してて「逃げてるだけ」なんてーのは、もうみんなとっくにわかってるのに、今さら何書きこんでるのかしら?ってことのようだ。意気ごんで反論してるおれに対しても「ズバリ言われたからってそんな熱くなんなよー。あたってるだろー?」ってことなのねん。さすがわがまにあ様たち。よくわかってらっしゃるのねん。つーか、みなさん忙しくてそれどころじゃないってことなのねん。


 で、最近そんな話ばっかしだったので、ちょっと色気のある話(すいません無理してます)を。

 ここ2月ほどずーと自分のことばっかし考えていた。とゆーか考えざるをえない状況だった。そんな時って異性を好きになるってこともあんまりないのかも…と思ったりした。そもそもこのへたれ生活の中では女性とであうこと自体ほとんどないんです。で、いつも車の中から女性を見かけたりとか図書館の中で見かけたりとか。そして「うはぁー」と思うだけ。行動しない。

 前にも書いたけど、今のこのおれのへたれ状況は彼女がいるからって改善するものではない。だけど、日記上で弱音を吐くだけじゃなく、たまには彼女に思いっきりバブゥーーとかいってバブゥリングとかしてみたい(日本妄想協会:NMK)。

 はぁー。こんなこといってるから「品のいいモテナイ男」のまんまなんだろうなー。まいうー。


 などと書いていたら『にんげんゆうゆう』に小谷野敦が出ていた(昨日ね)。ヒゲはない。細い目。ゆっくりした口調ではない。ちょっと鼻にかかったようなわりと低いトーン。

 司会の柿沼郭アナウンサーが「やはり片思い(それで向こうにこちらの気持ちが伝わらないということ)は苦しいですか?」と尋ねた。何を当たり前のことをと思いながら見ていると、小谷野さんは「そ・そ・そうですね。そりゃ苦しいですね」とぼそぼそと早口で答えた。なんか笑ってしまった。

 もてない男には2種類あって
@どんな女性にも相手にされない ってのと
A自分の好きな女性に相手にしてもらえない というやつ。

 番組の後半で、小谷野さんの奥さん(由本陽子さん)へのインタビューが流れた(小谷野さんには内緒だったそうだ)。答える陽子さんの画面の右下に、ピンク色の楕円で囲まれてその様子を見る小谷野さんが映しだされた。かなりまぬけな構図だった。

 番組の終わりのほうで、アドバイスを、などといわれていたのだが、「さっきので動揺してしまって」という小谷野さんが印象的だった。


1/23/Mardi 「Tuesday Heartbreak」Stevie Wonder

 昨日。凹みを通りこして放心のヒゲをしょーへー号に乗せる。

 夜。日下部(C)達哉(売出し中)から電話。「ぶらりんこしませんか?」で、ふたりで海の中道。観覧車。金印ドッグ(500円)。「肉がこぼれますよ」という日下部の注意のそばから肉をこぼす。


 夜の砂浜。ほんで星空を眺めながらちょこっと思った。前から思っていたことだけど。どこかの本に書いてあったようにも思うが。

 星々の間には、それぞれが互いに「オリオン」であったり「大熊」であったり「水瓶」であったり「天秤」であったりする必然性はない。それは人間がそう名づけたり決めたからそうなのであって、星々が話しあって「ぼくたちオリオン座になりましょうねー」とかなっているわけではない。

 自然科学系は恥ずかしながら結構(とゆーか全然)わからないのですが、社会科学系のばやいそーゆーことをやってるんではないでしょうか?ばらばらに見える動きのなかに観察者が何か法則性のようなものを見いだす。

 星に「あなたがたを今日からオリオン座と名づけます」とかいうことは無意味だが(多分今のところ。電波系でないかぎり)、社会科学系のばやい見出されたり分析されたものが、分析されたり観察された対象にかえっていく。で「わたしたちは全然こんなこと思ってません」とか「この分析はわたしたちからみると全然生活の実感にあっていません」とか。

 生活者たちさえも気づいていない法則のようなものを見いだすのが観察者・分析者の仕事だよといわれるかもしれない、普通はね。だから観察者・分析者側(内)の妥当性の基準と、観察された側・分析された側の妥当性の基準というのはズレてるんでしょうけど。「なんだかなー」とかいって終わるのでなければ、やっぱりそこのところはちゃんと考えなくてはいけないなと思う(もうとっくにそんなことされてるんでしょうけど)。



 kochan 「2001/01/21 (日) 離れすぎず、くっつきすぎず。/ニ者択一的なとらえ方」を読んで。kochan のことを書いてみます。彼とは日常生活上でもよく話をするのだが、まー大体意見があわないですね。まずは彼の
日記をお読みください。

 さて彼の人間関係についての話。「ひろく浅くつきあう」ことと「深い人間関係を持つ」ことを、「ニ者択一的なとらえ方」をしてはいけない。「どちらも大事」(これについては後ほど)。そして「人間関係において。離れすぎず、くっつきすぎず。基本だ」という。まず、もうおれにとっては前提からして??と思う。そうかなあ?基本かなあ?

 「同じ人とべたべたすることは思考パターンがマンネリする事にもなるし、お互い、うっとうしくなる。適度に距離をおくことも必要」。そうかなあ?「思考パターンがマンネリする事」と「同じ人とべたべたすること」の間にはどんな関係が?

 で10000歩譲って「思考パターンがマンネリ」するとする。で?何がいけないのか?

 「あと『ひろく浅くつきあう』ということ必要だと思う。自ら交際範囲を狭めてしまうのは、自分で自分の首を絞めているのに等しい」といっている。

 そうかなあ?ひろく深くつきあえばいいんじゃないの?「いやーそうはいっても現実には無理でしょ」ってこと?やってみらんとわからんだろ?それはおくとしても「交際範囲を狭める」ことが「自分で自分の首を絞めている」ことになるかなあ?


 つーかですね、「」で繋いでいったらA必要・重要とかなってしまうから、要するに何が必要で重要かわからなくなると思うんだけど。そしてあれもこれも重要だというんなら、再確認以上の意味があまりないような。再確認にも“再確認”という意味はあるけど。だから「どちらも大事。なんていうとまた『当たり障りない意見だ』なんていわれそうだけど」という自己言及が必要になってくるしね。


 なんつーか、こういう論法に限らず、何か自明に悪いことであるかのような想定を滑りこませているように思えてしまう。で、それを「いや。そうはいわれてるけど実はこうなんだ」といってほしい。自明性をいったん疑うというかね。

 おれの「中道」理解は間違っているかもしれんけど、結果として「中道」になるってゆーのとはじめから「中道」を目指すというのは違うんじゃないか?おれには、彼がいってることは、はじめから「中道」を目指すってことなんじゃないかと思えるのだ。「ニ者択一的なとらえ方」をしてはいけない・「どちらも大事」「離れすぎず、くっつきすぎず」が「基本だ」というけれど、そーゆー考え方そのものがはじめから「中道」を目指すものなんじゃないか?「中道」とかいうのは結果なんじゃないの?要するに誰も傷つけず誰にも傷つけられずってこと?と思ってしまう。で、もしそーゆーことなら、それは違うやろと思う。

 おれがつけられた難癖じゃないけど、彼とつきあったり彼の日記を読んでいて思うことは「本音をいってるのか」「本気でいってるのか」ということ。

 一般論が本心ならしょうがないけど、おれには一般論なんていらない(これもあれか?「一般論はいらない」という一般論か…)。


1/22/Lundi 「Lullaby of Birdland」Chris Connor

 どうも。「品のいいモテナイ男」でこじれ系のしょーへーです。かつて(今も)いや死刑でした。「ふざけるな!!」に対しては、「掲示板は怖いですね」とか「無視したほうがいいのでは?」とか「死ね」とか「しょーへーの反論にはユーモアがない」とか「いつもの開き直りがみられない」とか「お願いだからいずし君一緒に奄美にいってくれないかしら(by ヒゲ)」などの感想があった。


 こんなにも凹んでいる。修論の締め切りまであと20日。もうおれには無理だ……。
 でも、最近はおれの日記の人気も凄いらしく
 一部の女子学生どもはおれの妄想に登場したくて
 しかたないらしい。もてる男はつらいぜ…。
 しかしおれには大事な女性がいる。そして彼女との一時の時間がある。
 ここは彼女の部屋。彼女は安心しきって寝息をたてている。

 ん?寝息のあいまになにやら声が……。そうか寝言をいってるんだな。かわいいな。

 「スペアがある」……。ん?ボウリングの夢でも見てるんだろうか?

 「踏み台にしてやる!」……。???


 ひどいでしょ?とかいいながら結構嬉しそうなへたれ
。いーじゃねーか。「踏み台」にしてくれる女がいるだけでも。しかしおめーを「踏み台」にしたところで大したところに手が届くとも思えないのだが。これがほんとの共依存?


1/21/Dimanche 「Autumn Leaves」Bill Evans

 同輩と先輩が電話してきてくれた。ふたりとも同じ内容だった。手続き上問題があるかもしれないけど、とりあえずはできているところまで提出したほうがいい、と。

 ありがたかった。おれは今まで人間関係ということではほとんど苦労したことがない。恵まれていると思う。いつも誰かが助けてくれるのだから。


 それから、後輩のしょーぞー君から嬉しいメールをもらった。彼とは高校時代からのつきあいである。わたしからみたしょーぞー君は、たしか中学時代陸上をやっていたとかで運動部というか体育会系のイメージがあるのだが、そんな彼が大学にはいっても大学院にはいっても音楽を続けていることは嬉しいことである。

 「なかなか筆が進まず苦労してい」る彼は、「修論が進まないで凹まれている先輩の日記を共感を持って読んでいたところです」とのことであった。嬉しいではないか。

 そして最後のひとことが一番嬉しいのであった。「近々、飲みにでも行きませんか?」。


1/20/Samedi 「Just Another Story」jamiroquai

 わたしは「性ネタ」とか「下ネタ」とかは、読むのはまだしも自分が書くなどということはネット上でもオフラインでも結構苦手ですが、ネチネチ分析したりするのは好きなんですよ。だから、やっぱりもうちょっと書いておこうと思います。わたしは、書きこまれたあの
時点ですでに大体はわかっていたのです。しかし、もちろん腹立たしいこともあって、書かずにおれるかと思ったのでした。われながら凄い勢いで反論を作成しました。去年の春ぐらいにあの書きこみをしてくれれば論文も書けたのに……(ほへ?まだこの日記自体が存在しませんでしたが)。

 で、書いたけどまにあ様たちには「ユーモアがない」とか結構不評だったのでにいたしました。


 完全なる蛇足。それにしても。おれってからまれやすいのかも。どうせからんでくれるなら「お茶しませんか」とかいってくれるかわゆい女の子がいいなー(無理無理無理無理)。


1/19/Vendredi 「風来坊」はっぴいえんど

 昨日。久々に少し温かい木曜日。20万キロを超えたコロナ。修理から戻ってくる。クラッチが変わって慣れずに何回かエンスト。窓全開で「サイドシート」。

 青春学校の新年会。自分の持ってきたワインに酔う。

 帰宅。不思議と眠れず朝7時。

 本当にすべてあきらめてしまった。

 などとセンチメンタルにひたるまもなく
怒り

 はっぴいえんどが BGM のヒゲ号でいつもの海。


1/18/Jeudi 「Higher Ground」Stevie Wonder

 自己完結人間なんて嫌い。というおれこそが自己完結のディスコミュニケーション野郎だったことをここ数日で再確認。

 投げ出し。おれの得意技。そして投げ出しというのは、知ってはいたけどめちゃカッコ悪い行為。

 意味の意味をさぐる。わからなくなる。投げ出す。なら最初からするな!ってことになりますよね。

 何日か聴いている音楽。どうでもいいような音楽が、適切におれのことを(おれだけのことを)歌ってるのかしら?という、全国100億人の人々がもつ錯覚。


 スガシカオ「そろそろいかなくちゃ」

 “大人になれよ”と誰もがいう
 ぼくにしか見えない ユメはもういい
 “ゴメン”と口ぐせのようにぼくはいう
 言い訳はいい そろそろいかなくちゃ


 う〜ん。これがおれです、というにはカッコよすぎるのでつぎ。


 pizzicato five「日曜日の印象」

 すべて
 あきらめたら
 暇になった
 日曜の午後五時半過ぎ

 あれ?これもカッコよすぎるなー。今のおれはもっとどうしようもない感じ。


 たくさんの学者のことばよりもずーとおれの中に残っていることば(ただ単に本を読んでないってことかもしれないけど)。出ました!田島貴男(おれ?)(『音楽と人』1994年6月号:90ページ)。


 でもね、楽にって、絶対生きられないって気がするね。

  ……………(略)……………

 めんどくさいとか、たいへんだとかさ、そういうことって必ずありますよね。そこからぜんぶ逃れて山にこもっちゃうとかさ、そういう生き方ってあるかも知んないけど。でも、それって生きてるってより生きてないのかも知んないしね。こうやって、街でうだうだしちめんどくさいことばっかたくさんある中で、垢にまみれてなんだかんだしていくことが生きてることだって気がする。


 自分の大切なことばをひけらかすってほどに凹みがハゲしい。というのが実情です。残念ながら。

 おっ。こいつへたれてるなー。とあなたを満足させる以外の期待には当分応えられそうもありません。

 苦しそうってのと苦しいってのは違うんです。
 悲しそうってのと悲しいってのも違うんです。
 表層 → 内面(仮想)ではあるけれど。


1/17/Mercredi 「It's a wonderful world」original love

 多国籍軍という名のもとにイラクにミサイルがぶちこまれてから10年。高校の社会科研究室でK先生とS先生と何人かの友人たちとそのニュースをみた。夕方だったように思う。居残り勉強をしていたのかもしれない。

 あの頃も今もよく聴く。「テレビゲームのようです」。陳腐すぎる動機の語彙。大体、そんなにみんな殺しあいのゲームをしてるのか?それに、これはゲームではなく殺しあい(というよりも一方的な殺戮)だということをみんなはわかっているのだろうと思う。

 そんなミサイルをぶちこむ国にすでになんの魅力も希望もなかったし、フセインという男をわかりやすい悪人にしたてるドラマには何のオチもないということもみえみえだった。それにしても、確実に人が(兵士であっても)死ぬのだ。


 6年前。朝起きるととんでもない光景が。

 ただそこにいたという事実。なんの責任もない。のに、ある人たちは災害にみまわれて、背負いこまなくても生きていけるものを背負いこまなくてはならなくなった。ある人たちの範疇にはいらない人たちは、「そーゆーことがあったんだよ」的態度でおそらく日々の生活をつづける。おれもそうだった。

 全盲の若きピアニスト。楽譜なんかなくたって音楽はできる。文法知らんだって短歌は作れる。××読んでなくたって社会学はできる(それは無理?)。

 『ここがヘンだよ日本人』という番組が大嫌いなわけ。いってることも無茶苦茶だけど。自分の意見しかいわないあの態度。他者の意見をまずは黙ってきこうという態度がないこと。きくのが下手な人をわたしは信用しない。


1/16/Mardi 「そろそろいかなくちゃ」スガシカオ

 大学院やめようと思います。修士論文全然書けません。

 ふたつの大学院で5年も修士の学生をして、まともな論文ひとつも書けないのは全く情けないかぎりです。薄々感じてはいたけど、学究の道はわたしの道ではないようです。

 200枚ほど書いてはみたけど、駄文です。なんつーか自分でも情けないけど、ほんとに書けない。

 しばらく春ぐらいまでは体を動かすような仕事でもしようと思っています。まともに働いてこなかったので、少しでも働いてちょこっとでもお金をためたいなとは思っています。

 締め切りまではあがくつもりですが、もう5日しかないし。自分でも納得できないようなものを提出するよりは、学校をやめます。特にこの2年ほど何やってたんだと自分でも思います。情けないです。

 明日師匠のもとに出向き、相談するつもりです。


1/15/Lundi 「Cherokee」Arturo Sandoval

 あと1週間ほどしたら、この星ともおさらばして、お星様になってしまうので、こうなったらいっちゃいます。

 理論書とか別にそーゆーのは読めるんです。難しくておもしろくもなんともないけど時間をかければそんなの読めるんです。

 「イタイ」ってこーゆーことをいうんでしょうか?

 そーいえば板井と相撲協会ってどうなったの?どーでもいいけど。魁皇がんばれ。

 電波系って本当はどういう意味なんですか?


1/14/Dimanche 「日曜日の印象」pizzicato five

 夕方ヒゲから電話。せっかくだから雪見をしましょう、と。久しぶりにしょーへー号。やけにヘリコプターが飛んでるな。しかもでかいクレーン車が2台も。と思ったら、近くでバスが田んぼに落ちて横転したらしい。

 山の中。雪が向かってくる。そしていつもの海へ。休みの日だから結構プルカツがいっぱいいる。缶コーシーを手にしたへたれ男ふたりぐみ。白波(焼酎でなく)と北風と雪の砂浜。なんかプルカツに変な目で見られてるような……。

 せっかくやろーふたりでこんな海ににきたんだから、テンション下がっててもしかたない。それに論文では足跡すら残せないんだから。と砂浜を走る。ドスドスと足跡をのこす。はしゃぐことにする。……そしてやってくるむなしさ。

 夕暮れの別の海。もちろん寒い。空港からあがってくる飛行機の光。なんつーかいつも西にいきたいなーと思う。終わったらいってやる!ちくしょー!

 それにしても「岐阜県って関東ですよね」という男が社会科教師の免許を持っていていいのでしょうか?

1/13/Samedi 「All In Love Is Fair」ケイコ姉さん

 学部生のころ、いろいろと大事が待っている前にはラグビーのビデオをみた。特に試合前選手たちが男泣きしながらフィールドに出ていく姿が好きなのだった。

 
友達からのメールが届いた。今度遊びにこい、という。幸い青春学校の近くのようだ。ひとやまこえたら訪ねようと思う。

 やっぱりこの歳になると、幾分かは時を共有した知りあいを亡くしたりもするわけで。別に彼らの分まで生きようとかは思わないけれど。でもおかげで、時々は自分がなんのために生きているのか考えることもある。

 そしてそんなことをここに書いて「そんなことを思うぐらいのおれではあるんだよ」ということをアピールしてみたり。

 おれは冬に友を亡くすことが多い。

 高校時代のおれを知る人は、いずし君の「ラグビーと認知的負荷」を読んで、なぜあんなにも昼休みや放課後にタッチフット(ハンドリングラグビー)に燃えたのか(“萌え”?)・なぜあんなにも部活をやれたのか。ちょこっと思いだしてください(書きこんでくれればなお嬉しいです)。

 ギャップ?ギャップとかゆーな!(突然思いだした)。


1/12/Vendredi 「千年紀末に降る雪は」キリンジ

 間違い電話かけてきて「すみませんでした」のひとこともなしで電話をきるような〈ばか〉が嫌い。

 昨日ヒゲとした話。なんでおれにはイベント事とかプレゼントとか関係ないんだろう?そうか。仕事してる大人たちはルーティンのあいまにそんなイベントとかプレゼントとかでも仕掛けないと退屈で仕方ないんだ!平坦な生活だから。と勝手な理屈をこねていた。

 あれ?でもおれって平凡な平坦な人生だけどなんもねーぞ。などとヒゲに愚痴っていたら、ヒゲから「自分の人生を平坦だと思ってるんですか?」と突っこまれる。ヒゲによれば、おれの今のところの人生はかなりグルグルの行き当たりばったり“すりりんぐ”人生らしい。

 おれはそうは思わんけどなー。自己認知と他者からの認知はやっぱりちがうのねん。


 今年ブレイクするアーティスト。いろいろやってるけど、BSのある番組では1位が花花だった。まだブレイクしてないの?

 キリンジは20何位かだった。また別の人がいうには、キリンジとか他のいくつかの・よく聴くと難しいことやってるバンドが出てくる、と。

 たしかに。コード進行とかひねりまくり。ほんでこの曲。よく聴いたらやっぱりひねり。


 そんなにおれのことが嫌いですか?どんなとこが嫌いですか?教えてください。たぶん努力しても変わることはできません。ごめんなさい。ありがとうございました。


1/11/Jeudi 「アルカディア」キリンジ

 いくつかの日記を読む。おしゃれだったり。それは無理。で中身がみなさんこゆい。たとえば風俗嬢の日記だったり恋愛の日記だったり。ほんで「なんでおれ日記公開しとんかいなー」と凹む。なんかこの日記読む意味ありますか?

 思いっきって端折って書いてみたりとか…。そんなのが“スタイリッシュ”(苦)に見えたりする。まーできないな。おれがそげんことしても“嘘こけ”と思われるやろうし。おれにできることしかできないし。そう。この日記はそもそもオフラインでおれを知るみなさんに「とりあえず死なずにやっとるよ」ということをお知らせしていく日記なのだった。

 考えすぎ。誰も何にも期待してない。ありがとうございます。


 ときどき「調子はどうですか?」とか。悪いっちゅーんじゃ。悪すぎの開きなおり。

 ヒゲ号で今日も図書館。ちなみに本日の所持金は7円。ヒゲから「そーゆー作戦はやめてください」と指導&注意。ないものはない。

 でヒゲに1000円借りて昼飯。ちなみにお金は出世払いでいいとのこと。おれの出世とヒゲの生涯の終焉とどちらが先にくるのか?サンリブ内のポップなんとかとゆー店でオムライス。やりました。ただのケチャップご飯でした。卵の皮も薄いし。で680円。いずし君に怒られるぞ


 ほんで図書館で遅々として進まない読書など。ヒゲがきては「休憩しませんか?」攻撃。ふたりで図書館の外に出ようとした途端に大雨。やはりわれわれには70円のこーしーをすする自由さえ与えられないらしい。雨の止み間をぬってこーしーをすする。山肌から白く雲のようなものが沸きたつ。さみぃー。寒いの大好き。

 18時すぎ kochan 号で青春学校。今日は人が少ない。帰り学習者おふたりをそれぞれのご自宅まで送る。Kさんからはキムチをいただく。さびしい田んぼの中&山道を帰路。

 Kさん宅でしばらく待っていたのだが、おれは車外で十六夜の月を眺める。それにしても今日は一日寒かった。この冬一番かも。そして月を眺める今も寒い。でもこの寒さは今でないと味わえないもの。夏には味わいたくても味わえない。そう思うと車の中にいるのはもったいない。嵐の日に海いったりするのもそうなんです。同じような日はあっても同じ日は決してない、と思うんです。でもったいないから味わう。それだけ。でも運転手は外には出てこようとはしない。まー人それぞれだろうけど。でもおれには彼が食わず嫌いをしてるように見えるのだが。まー、おれだけ味わわせてもらいます。

 もういっちょ。おれは結構車の運転は好きなほうだから「送ってください」とかいわれたらほとんどは送っていく。送り狼になったことはない。おくりへたれ

 しかもそれが若い女性だったりしたら余裕で右派右派ウハウハいいながら(もちろんこころの中で)送っていく。とゆーか別に下心とかなしで送っていくんだけど。だけど「送ってください」とかいわれることは76年に1回あるかないか(……つーかありませんが……)。

 つーかあれか。よっぽどヘンタイと思われてるんだろうか?でもおれが女性にメチャ熱心に「送らせてください」とかいったら完全にヘンタイ扱いされるんだろうなー。「しつこいんだよ!このへたれ野郎が!」とか思われたりいわれたり。そんな妄想でいつもおよび腰。最悪ループ。

 でもほんと十六夜の月は美しく、心地よいほどに寒い夜。こんな夜は「アルカディア」と「エイリアンズ」。


背で見るあの明日が
悲しみを彩ってみせたら
永遠と刹那のカフェ・オ・レ
冬の空を満たす

テンポの乱れた風、風
冬の宇宙も焦がす
ほら、もう空が開く

「アルカディア」キリンジ




1/10/Mercredi 「Fly me to the moon」ケイコ・リー

 ヒゲから電話。ヒゲを招いて、蒸しすぎてしかも中途半端に温かい肉まんを供す。ヒゲ文句たらたら。ヒゲ号ですこしぶらりんこしてから図書館にいこうということになった。

 そういえば今朝早朝は皆既月食だったそうで。いいなー。で図書館に18時半ごろ到着。閉まっている。ヒゲは、おれが知っていて黙っていたと思ったようだが。それにしてもあほのへたれ凹み共依存人間にはぴったりの仕打ち。適切な一語で表すと「分相応」だと思う。われわれはその程度。

 でも、この一月ほとんど家に閉じこもっているだけで、なんも捗らないおれにはありがたい気分転換。今日の満月。満月ってどうして月の出のときはあんなに黄色く大きく見えるのだろう?ベンチにも座らず(だって寒いので)立ったまま月見。足早に家路を急ぐ学生を横目に、中庭でいつものように70円のこーしー。おい!せっかくだから月を見ろ!

 いまだに、誰もいない休みの日に(あと夜とか)中庭に来てはこーしー。こればっかりは多分もうずっとやめられない。

 しょうがないので帰宅。今日のヒゲ号 BGMは Original Love 。そしてケイコ・リーの「Fly me to the moon」。満月とこの曲のせいでもうちょっとぶらりんこ。

 ヒゲと話す。それにしても、最近なぜか気になることば「元彼」「元カノ」。葛谷葉子の「サイドシート」のライナーには魚喃キリコさんの挿絵があるのだが、その中にも「元カノ」が出てくる。

 なんでしょう?そんなこじゃれたことば。わたしのばやい「これからはお友達として…」みたいなことは余裕でできないので「元カノ」とか「元彼」とかいうことばは関係ありません。おとなげないですね。いずれまた。

 海にうつる今日の月があまりに美しいので、この前の
に来る。波に揺れる月は銀色。ほんで満月なのに、その明るさに負けない冬の星々。あらー美しい。まともに記述できないへたれエスノグラファー。


Fly me to the moon let me play among the star.

In other words, hold my hand.

In other words, please be true.

(Fly me to the moon/Bart Howard)



 1998年春に亡くなったララ。生きていれば今日が20歳の誕生日。


1/9/Mardi 「flower」Tina

 以前掲示板に「シェア」のかきこみをしてもらった。考察はなんもしてなかったので。基本的には個人の自由だと思う。マインドコントロールとか一時期話題になったが、おれは教育=マインドコントロールだと思う。別の世界・別の時代にたてばいっそうはっきりすると思う。マインドコントロール間の闘争。「きみのはネー正しいマインドコントロールじゃないんだよ」「おめーのマインドコントロールのほうこそ間違ってる!」。

 シェアされて、妙に明るくなったりとか。ふっきれたとか。

 何かを一心に信じることによって得られる(そして当人は気づいていない)あの独特の笑顔。もちろん嫌い。あの偽善的な笑顔。他の人まで幸せにしてあげなければという根本的おせっかい。

 幸せはおすそわけしてもらうものではあっても、あるいは自分の知らない間に誰かが勝手に幸せを盗んでいってもらうものではあっても、意識して分けたり与えたりするものではないと思う。

 なにかをふっきって悩みがなくなるのだとしたら、それは不幸なのだと思う。われ悩む。ゆえにわれあり。悩みがあるかぎりでかろうじて自分がある。ほんで悩みがなくなってしまえば、それは充実した生を生きるというよりも、もうこの世には生きていないということなのだと思う。

 悩みまくりの凹みまくり。生きること。


 「住むところがだいぶ違ってしまったんやね」。彼女がそんな陳腐なものいいをするとは思わなかったのでちょっとびっくりした。しかしそれは事実だった。

 彼女のはなしはといえば、会社の○○さんがどうしただのそんなのばかりだった。そんなはなしにおれなりに一生懸命ついていこうとはした。もちろんお金とかで彼女を支えてやれるはずもないおれは、でもなんとか彼女にとっての自分の意義みたいなものを確認しておきたかった。今思えば、彼女のためというより思いっきり自分のためだったかもしれない。何にも思いつかない自分の頭に浮かんだのは、せめて彼女の話にこころから相槌をうとうとかそんなことだった。でもそれにも所詮限度が見えていた。

 おれはといえば、相変わらず先のことなんかなんも考えず(それはそうさせてもらえるだけの××があったということなのだろう)、自分だけが信じている青くさい学問のはなしなんかを一生懸命になってはなした。彼女はお金という・いわば目に見えるものを手にしていた。彼女が仕事にどれぐらいの情熱を傾けているのかはもちろん知るよしもないのだけど、その対価を手にしているのはまちがいなかった。だから、おれもそんな青くさい話でもして、何か一生懸命にやっているアピールをしないと簡単にポイ捨てされそうで怖かった。

 彼女は「ふーん。すごいね」とだけいった。彼女は最後までいつもの笑顔だった。でも「わたしには関係ないわ」という感じがして悲しかった。


 考えてみれば、自分の大事な人さえいつも「シェア」できなかった。というそれこそ陳腐なおはなし。ありがとうございました。


1/8/Lundi 「サイドシート」葛谷葉子

 
葛谷葉子の「サイドシート」買っちゃいました(第一次変換“再度シート”。そんなシートはいらない)。葛谷葉子いいです。おれの音楽嗅覚はわりかし信用してもらっていいんじゃないかしら(どうかしら?M谷先生風に)。

 前の彼女の香りがのこるサイドシート。香りとともに想いも残ってるんじゃないの?そんならナビしてあげない。……あらーいいなー怒られてみてーなー(あほ)。

 Brass & Strings でもって Bass がウネウネうねればとりあえずいうことなし。適度に“でぃすこてぃーく”。完全におれごのみ。うひょー。

 とりあえず車は修理中(20万キロ超えたので)なうえに、しばらく女子(女性)をサイドシート(しかもきたない)に乗せてない……。乗せられたうえにひきずりまわされたい人募集中(……さみしい……)。


 それにしても。もう限界。残念ながら。ほんで頭皮(逃避)しまくり。でひと様の日記をよむ。みんなおしゃれ。大体 about とかいうようなページがあって(ページということばであっているかどうかさえ心もとないが)、○○が好き●●が好き、というようなことが書いてある。食べ物とか飲み物とか俳優とか服とか香水とか映画とか本とかマンガとか。

 赤裸々に(当人にはそんな気もないのかもしれないけども)性行為をしたとかしないとか、そんなことの記述。興味がないのではない。むしろありあり。ただ今のおれの日常には実際そんなことがないから日記に書きようもない。いや、あったとしてもおそらくおれには書けない。そういう記述も読んでいて不快なのではない。いやサラッーとあっけらかんと書いてあるので、ただ「そんなふうに書けるなんてすげーなー」と思うだけなのだ(多分必要以上になにか大事なもののように考えてしまうわたし)。この日記を読んで「おお〜っ」とか思う人はほとんど(マニア以外)いないと思う。この前も書いたけど、この日記にないのはなんつーのかそんな「なまなましさ」。

 で、本は読まない・マンガも読まない・映画は見ない・金はない。ある人いわく「よく絶望しませんね」。でも音楽がある。最近ぷれい志向。いや聴くのもいいんですが。あとラグビー観戦ね(もちろんテレビで)。

 ほんで、ひと様のそんなページを見ているとカッコいいなあと思う。おれも作りたいとは思うが、ちょい時間がないので代わりにここを紹介します。このなかのことばはいくつかはおれのことばであり、いくつかはおれのことを指示しており、そして大体同じです(なにが?)。

 一部でいずし君の「そんな君の我侭に」が「いやらしい」(by ヒゲ)と好評。おれはその時はまだ読んでなかったのだが、ヒゲは何が気になるのかというと、「どうしたらそんな文章が書けるのか」ということではなく、「あの日記を読んだ女性の反応」ということのようだ。おめーには無理。おれにも無理(捕まる)。

 ほんでついでに今年の目標。今年こそは彼女と別れます。別れる前に、別れることのできる彼女をさがします(多分無理あほだから。え?そんな理由じゃねーだろー?)。ありがとうございました。


1/7/Dimanche 「トーキングヘッズ」Script

 市井紗耶香はやはりかわいい。が福田明日香がいないのはやはりさびしい。そして最近加護とか辻とかフカキョンとかの喋りがやけに癇にさわる……。


1/6/Samedi 「Daahoud」Arturo Sandoval

 今日の『朝日新聞』の夕刊に辰巳渚という人の「寄り道ではあっても学べば教訓が生きる」ということばがあった。そうかなー?まーおれにはあてはまらない。それだけ。ありがとうございました。


1/5/Vendredi 「私の願い」鈴木雅之

 遥か山を下から見上げて羨むのなら、山に登ってみればよい。なるほどなーと思う。

 で登ってみる。登っていろんな感慨がある。もういっちょ。登って引きかえせないとか遭難死とかもあると思う。

 そういえば、初夢はどっかのビルで人に追いかけられて、飛び乗ったエレベーターがどこまでも落ちていくというものだった。

 ちゃんらーん。今日も凹みだご飯がウマイ。今日も元気なしょーへーでーす。ありがとうございました。


1/4/Jeudi 「さつきによせて」北村えいじ

 
昨日と同じ今日。今日できることは明日もできる。そんな程度のことならば来週だってできる。そう、たとえあと締めきりが1週間しかなくたって!……そんなへたれ野郎のセルフへこみ回路は今日も順調。

 さすがに正月料理つづきにはちょっとこたえたので、お好み焼きをすることに。大好きなジャスコへ。お好み焼きの粉を買う。「牛乳」も頼まれたので買う。家に帰ると母から「これ牛乳やないよ。脱脂乳やない」。そういえばそんな区別があるんだった……。「牛乳」すら満足に買えないとは…。こんな記述の仕方はヒゲにそっくり。

 「今年大丈夫でしょう」とよくいわれる。温かいハゲましのおことば。でも同時に、そのことばの裏に「こんなに時間をかけてるのにまさかできんなんてことないよね」というプレッシャーを(それこそセルフで)感じてしまうわたし。できない予感。そん時は逃亡します。九州の西部へ。だからどうか誰も探さないで(← ほんとに探してほしくなかったら何も言わずに消えるよな。普通)。

 『噂の真相』にはロフトプラスワンの広告があるが、なんとだめ連は12月25日に「クリスマス&大交流忘年会」を開いていた!「今年もダメだったのか!?」というフレーズがなんか嬉しい。そんな話をヒゲにしたら、何か大事なものを失ったかのような顔つきで「僕は行きませんでしたよ」といっていた。


1/3/Mercredi 「My brand new day」古内東子

 朝遅く起きて、あんまり食欲もなくて「昼からやろう」と思い無為な午前中。朝飯兼昼飯をとり「ひとやすみしよう」。そして憂鬱な午後。特に16時とか17時とか日の落ちるころになると、なにもやっていない一日が半分はすぎたことと夜がもうすぐそこまできていることにブルー。夕飯を食うと、なんかドキュメンタリーを見たりとかして「よし!おれもがんばろう!明日から!」とか思って、布団のなかで『点と線』とか読みながら寝てしまう。

 ほんで、「明日から」がんばろうと思いつづける毎日。たま〜に風邪をひいて一日ゆっくりと休んでいる人、のような生活よりもっとだらだらした生活。しかも長期間。うーんさすがにこれじゃ………。


 プリティ長嶋。アンド小出監督(イジリ―岡田)。そして、今いくよ・くるよのどっちがいくよでどっちがくるよか区別ができない人は、おれを含め5億人いる。ありがとうございました。


1/2/Mardi 「sandalwood」古内東子

 慶応を応援していたから2点差で負けたのは残念だった。法政はハイタックルなどで3人がシンビンで退場になったのに、それをいかせなかった。たしかに法政のディフェンスのプレッシャーは強力だったけど。慶応は、前半の風上の有利さをうまくいかせなかった。

 それにしても再確認。おれは長髪が嫌いだ。同志社と法政に長髪の選手が多かったのも、いまいち気持ち悪くて応援できなかった。93年シーズンの法政の復活のころのほうがなんか微笑ましくて、応援する気にもなれたのに。日々再確認。だけど再確認するのはどうでもいいことばかり。


 それにしても。ひと様の日記を見るのは楽しい。ほんでなぜか浮気系・不倫系(おそらく)が気になる(←あほ?)。浮気も不倫もおれには一生縁がないだろう。が気になる。で見てみる。多分嘘とかが書いてあるんじゃないようだ。ほんとの話なのだろう。浮気も不倫も「どうか?」とは思うが、おそらく自分に正直な気持ちが書いてあるからだろう、そんなに嫌悪感はない。

 それよりも。「キスをした……」とか。う。うひょ〜。うはぁ〜。「キス」なんてよく書けるな〜(ちなみに第一次変換は帰す)。おれは実生活でもそんなことば使ったことはないし、これからも使うことはないだろうと思う。

 その行為をさすことばとしてはおれは「ちゅー」のほうがいいと思う。やはりこれは「おとなげない」というよりも「こどもっぽい」んでしょうかね……。それか「接吻」。
Original Love ファンとしては当然でしょう。

 「キス」なんてここにこうして書くだけでも恥ずかしい。それに、実生活でおれが人前で「キス」なんてことばを使ったら捕まえられると思う。「キス」ということばにいちいち反応するあほ男。それぐらい過剰反応するわたしなので、この日記でも「キス」なんて書くのは今日が最初で最後になると思います(たぶん)。ありがとうございました。



 ずーじゃを聴きながら高校ラグビーのハイライトをみる。秋吉敏子がゲストでなかなか興味深いことを喋っているのでききのがすことができない。ちゃーりーぱーかー・がれすぴー・でゅーく・ばどぱうえる。うーん。わからん。しかしかっこいい。でぃじーはインテリでびばっぷのインプロビゼーションも全部いちいち分解して分析していた。それはバッハの作業にもなぞらえられる。

 テクニックは無いよりはあったほうがいいけども、それは方法論であって、いかによく“音楽”を伝えるかということだ。なんてきくと「かっちょいー」と思ってしまう。

 でも、おれだっていちいちずーじゃの概念を考えてから聴いてるのではない。つーか思うにそんな聴き方は邪道なのだろう。かっこいいと思うものがかっこいいのだし、それは人それぞれだし、自分がかっこいいと思うもの・いいなーと思うものをそれぞれが楽しめばいいだけのこと。それをなんだかんだ分析してみせるのは、どこかあほな仕業。

 ラグビー。高校生がひたむきに走る姿。泣けてくるのは歳のせい。まちがいない。

 とかなんとかいいながら、日記サイトをのぞく。浮気のはなしなど。「今の彼のことをもう恋愛対象としてはみれなくなった」とか「ちゃんと悩んで自分で結論出した」とか。そんなのが多いのか。つーか今どき・いまさらのようにそんなことに興味津々の自分が不明。

 恋愛にルールなしというのがそれこそ鉄則なのでしょうが。しかしやられるとあれ結構きついっつすよね(←さもやられたことがあるかのように見えることば)。でも自分たちにもどうしようもなかったりするんですよね。でもそこでやられた側がですね「うんうんわかるわかる」なんて理解を示してはいけないのです。あくまで「なんじゃこのやろー。このおれのつらい気持ち思いしらせてくれるー。ばぶぅーばぶぅー」というのがおとなげない人間の正しいありかたです。

 しかしそれらの日記の登場人物(ご本人様たち)はすげー積極的。どんどん自分から行動をおこしている。おれとおれのこの日記にないのは、そんな貪欲さというか積極性。だからいつもなんかどうでもいいはなしばかり。「そこがいいところじゃないですか」というような逆説でしか評価できない日記。


1/1/Lundi 「Dark ocean」古内東子

 この前ヒゲんちの近く(100m?)のカルビ家という焼肉屋にいった(屋と家をよく間違う)。そんなに美味しいとも思わなかった。それよりも流れてきた曲が「黄色いお空で Boom Boom Boom」だった。なんで?

 大晦日。なんにもできず。なんだかおれに原因があるかのように書かれてしまったこの前のすっぽかし(大体彼はすっぽかしの責任をひとに・特におれに押しつける)。のでその仕返しにヒゲを呼びだし連れまわす。You Me タウンで『噂の眞相』1月号と『言語』1月号を買う。屋上駐車場からみまわす景色がやけに美しい。山の端を染める今年・今世紀最後の夕日。来年はやることやってしまって“うひょー”な誰かとふたり眺めたい。まーヒゲとふたり眺めるというのもある意味……。

 大好きなジャスコに移動して古内東子『Dark ocean』購入。がんばりきれない自分へご褒美(?)。大晦日なのにそんなに客がいない。大丈夫か?そんなまばらな感じが好きなんだけど。ポテトチップスを2袋買う。グリルビーフがない。

 海に移動してコーシー。ヒゲいわく「なんかドラマチックですよね」。最後の陽がほとんど落ちて、暗くそして北風と波のハゲしい海辺。そんなとこに野郎ふたりで立つのはどうか?ということらしい。そんで、ヒゲがもし今のおれの状況だったら絶望するそうだが、「よく絶望しませんね」とかそんなようなことを。だからおれは
だめ恍惚系なんだって。

 「しょーへー実は彼女いる説」(いません!) → 「実はふくすけ氏には彼女いる説」 → 「いずし君のあの状況ならおれもヒゲも『そんなのありかよ』といってしまう」(これは説ではない) → でヒゲのいつもの持論。「本当はおれは彼女ほしいと思ってない説」。

 ヒゲの観察によれば、口では「うひょ〜彼女ほしいなーちくしょー」とかいってる。ほんで学校帰りの高校生カップルがふたり並んで歩いてるのを見るだけで「ちくしょーこんにゃろー」とかいっている。でもそのわりに行動が全然ともなってない。いつもおよび腰のしおしお野郎。たしかに彼女がいたっていなくたってこのおれの状況が変わるわけではないしなー。自分でどうにかするしかないんだけど。でも「欲しくない」わけではないんだが。


 古内東子の最新作(12/6)。表題曲「Dark ocean」。この人にしては珍しく、それこそちょっと dark な感じの導入。あれ?この状況?さっきの海でのおれとヒゲの状況?(吐)。


 掲示板にハゲましともとれるかきこみ。ありがとう。「だめな状況でも、なんかやってやろう」感。そうだなー。「4年くらいまえなのに遠い昔の気がします」。同感。でも気がするんではなくて、おれにとっては完全に「遠い昔」。何も考えてなかったし、だから恍惚系なんだけど、それでも当時の自分がおぼろげながら想った未来がなにひとつかなえられていない。だから凹むんだろう。それは彼女がいるとかいないとかの問題ではない。


 あの人は、おれが勝手に心配してるなんてことを知ったら怒るかな?いっそ「ほっといて」といってくれたほうがすっきりする。なにかとふりむきすぎるので。


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