「精神分裂病」メーリングリストで「他サイトによる今回の事件へのコメント等」としておとなげない日記がとりあげられてました。びっくりしました。こことここです。
★ Juin Giugno June ★
6/30/Samedi 「bad company」rough laugh
ひさびさに楽しいひととき(生・焼酎ロック・焼酎ロック)。
4人で×ら×ら山に。予想以上の車車車。ぷるかつとか。今回もホワイトアウト状態だったが、ときおり雲がはれて下界をみおろすことができた。O 県 K 郡 K 町 K 中学校の M K 君をステーションホテルまで送って(おれの運転じゃないけど)26時前帰宅。楽しかった。おつかれさま。
6/29/Vendredi 「They say it's wonderful」John Coltrane and Johnny Hartman
今日も I 君運転の車で。古本屋による。文学とか古文書のようなものは充実してたみたいだったが、社会学系統はほとんどない。社会学とかは。道すがら今日もあほおやじを見た。マナーを守りますと黄色いステッカーをはったタクシーのおやじは、開けた窓からたばこを捨てた。お亡くなりになりなさい(以前読んだ日記で、「日記上で『死ね』とかいう表記はどうなんだ」というのがあった。指摘をうけた彼は、表記を「死ね」から「お亡くなりになりなさい」に変更した)。
今日は、いつもの公民館のおとなりの城南中学校で城南中学校の先生による美術の授業。美術室。暑い。一点透視図法という方法で各自まちなみの絵をかく。このような志しのある先生の協力によって学習者のハルモニたちにもおもしろい授業になったのではないだろうか。指や腕をうごかすのはそれだけできもちよかったりする。
城野がおわって I 君とふたり夜のまちを帰る。I 君運転なので、おれは助手席で缶ビールをのむ。BGM は Coltrane & Hartman。いいきもちなのだが、せっかくコンビニで買ったビールがぬるい!これにはゴフマン。
6/28/Jeudi 「ルール」古内東子
青春学校にむかう道。信号まち。となりにとまった車では、ちょっと薄くなった髪の・でこひろの・でもそんなに歳はくってなさそうな・いわゆる(おれなんかが想像する)「仕事してます」風の男。携帯でしゃべってる。それだけでもうおれはなんかむかっとくるのだが。窓があいてる。もしや、と思ったらやっぱりたばこを捨てた。「死ね」とか「死んでしまえ」とかでもいいけど。たばこすう資格なし・運転する資格なし。
今日はこのおやじの紙粘土。たぶん何も考えてなかったんだと思う。でも、みんなでこねこねした。顔をつくる。カツカレー。
6/27/Mercredi 「45分」古内東子
先週は思うところあって休んだのだが。先週の出席者は3人でしかも結構おもしろかったらしい(もちろん悪い意味で)。でればよかった。みんな「6月は勉強してない」ということで話。5月病ではなく6月病。後輩の某君がいうには「おれなんか5月の学会発表がなかったら2ヶ月もなんもしてないことになりますよ」。→ それはわたしです。
6/26/Mardi 「en playa」el indio
午前中つよい雨がふった。今は小康状態。雲がきれたりして青い空。あいかわらず明日の準備にもんもんもん。結構今まで書いたものが未整理でたまっている。
6/25/Lundi 「STRIPE!」槇原敬之
水曜日の準備で悶悶モンモンもんもん。
(再録)もともとこの日記なんてだれかのために書いてるもんじゃなし。けれど結果としてだれかがこころやすまったり笑ってすっきりしてくれたりするのは全然構わない。それはこの日記の目的であったりはしない。というのは、そういう効果をねらって(不)特定の誰かに書かれたものではないからだ。最初から最後までこの日記はわたしのためのものである。でも読む人が勝手に意味を解釈してくださるのはかまわない。いや、すっきりしてくれたり笑ってくれたり喜んでくれれば、それはむしろ望外のよろこびである(意図せざる結果として。癒しということばは嫌いだし使わないけれどもそれで理解してもらってもこの際かまわない)。
ただ、正面きって弱音をはくこと(はかれること)を見つめるに耐えない人もいるらしく、こんなとるにたらないひとつの日記にも自分の「正論」をぶつけなければ安定が保てないのか、「弱音をはくんじゃねー」とかいってくるばかもいる。まったくおとなげない醜態をさらしてくれる。もしも「おとな」なら、こんな日記など笑って読みとばしてはどうか。そういう余裕すらないことを自分の言動が如実に示している、ということには気がつかないらしい。かわいそうだと同情することもできるし以前の自分ならまちがいなくそうするだろうけれど(それは今もなくなりはしないが)、今はほんとに「ばかだな」と思うだけだ。そういうばかにかぎってちゃちなハンドルネームをこしらえて自分が何者かは絶対に明らかにしようとしない。いや、そういう態度だから「ばかかこいつは」と思えてくる。自分を高みに据えてそこから自分だけは反撃をくらわないように周到に絶対安全な攻撃をしかけてくるばか。それをやられたわたしはもちろん「まあいーか」などと簡単にゆるしたりはしない(なんせおとなげないので)。憎む。
弱音をはく・弱い自分をみつめるということはとても大事で大切なことなんだと思っている。それを正視できないことのほうがあぶないんじゃないかと思っている。
6/24/Dimanche 「むすんでひらいて」キリンジ
久しぶりに夕日がでる。久しぶりに EBI を見る。彼のことが好きだといっていた彼女のことを思いだす。彼女の顔でなく、そういっていた彼女のことを。
6/23/Samedi 「Esperanza perdida」Joao Gilberto
これが梅雨なのねん。朝から大雨。気ばかり焦ってなにもできないいつもの土曜日。
6/22/Vendredi 「How high the moon」
18時すぎ。ふくすけ君が見つけた公民館ちかくのお好み焼き屋さん。I 君はなぜかいつも焼飯だ。おれも好きだけどいつもではない。おれはミックス。ふくすけ君はやたら大盛りのなんとかスペシャル。やたらフレンドリーな老夫婦の小さなお店。金曜の夕方だというのに客がひとりもいない。近くの高校のじょしこーこーしぇーがキャーキャーいいながら食ってるのでは………などという妄想は木端微塵。ちょっとべちゃってしてる感じはした。サービスでこーしーもつけてくれたんだけど、これもあんまりうまいとは思わなかった。I 君とふくすけ君は老夫婦とフレンドリーな会話をかわすのだけど、こういうのがおれは得意ではない。
きめぜりふ、というもの。おれにはないが。きめられぜりふというのはあるかもしれない。「お願い!別れて!」とか。
8月もおわる。ふたりで夜通し喋ったりしてそのまま砂浜へ。サラ=ヴォーンなんかきいてる彼女だった。砂浜に彼女の名前をかく。「あきこ」。しかし覚えまちがいしていた彼女の本当の名前は「ちあき」だった。終了(ちなみにわたしの体験ではありません)。
6/21/Jeudi 「アンブレラズ」original love
まー木曜日は大体機嫌が悪いので。まわりのみなさんにはすいません。昔から大変よく顔にでるもんで。
昨日も青春学校にむかう途中、夕方の小雨の国道(片側2車線)で、右車線をはしってた車が右側からでてこようとした車をさけて左のおれの車線にはみだしてきた。急ブレーキ&急ハンドル。同乗者の言では「華麗なハンドルさばき」で難をのがれる。あほか!グラサン(←?)と帽子の男&同乗者の男。何もなかったかのように走りさる。よっぽど追っかけてとめさせようかと思ったけどさ。交通量の多い時間帯、おれの後ろにくっつけてくる車がなかったからよかったけど。ほんとこういうバカがおるからなー。ボランティア保険はやはり必要だし(500円まだ払ってない≒払えない?)、なんなら車に乗るときには遺書も必要かもしれない。同乗者を怪我でもさしたらえらいことだし(その時おれ以外に女子2名)。
車からたばこポイ捨てするおっさんとちりがみポイ捨てするおっさんも見た(別の時間帯)。
構造改革で ↑ のような人間も改革してほしい。
それにしてもやる気なし祭り。この時期にやる気なし祭り?やばいんじゃ………。投げ出し刑事も久々に捜査活動再開。
なんつーか「みんなで陽気に騒ごうよ」的な(←そんなもんいまだにあるのかとゆー気もするが)ものには全然ついていけないわけで。なるべく多くの人に自分の顔を売って、知りあいを多くしてみたいなものにも全然ついていけなくて。いろいろな人とつながりをもっていろんな体験をしていくことが人生を豊かにするんだ的な信念も全然もちあわせていなくて。だから、だから勝手にやってくださいよ、という。その場その場を楽しくかなしく笑顔でとりつくろってなんとかその場をやりすごそうというような。そんなみえすいた手は、すくなくともおれの前ではやってほしくない。それが不機嫌の一番大きな理由だったりする。黙ってるってことが怖いのか。黙ったまま一緒にいる、ということもそれはそれで大事なことなんではないかと思う。いろんな体験が大事だと思うなら、そーゆー体験も大事だと思うよ。
あれもこれも確かに自分を成長させてくれるはずのものではあるから、ちょっときついんだけれどもなるべく食わず嫌いをしないようにしてみんなの期待にこたえる。結果ちょっと苦しい。
いろいろ読んだりはしていろいろと考えて、結果やることなすことに意味をみうしなって一歩をなかなか踏みだせない。結果かなり苦しい。おれはまちがいなく後者だけれども。だけど、どっちも自分で自分を窮地に追いこんだり苦しくしたりする必要はないんだと思う。もっと弱音を。
6/20/Mercredi 「ペテン師のうた」original love
久々にへこみ復活。とゆーか要するに久しぶりに原因不明のへこみ。
98年のことだったか、鹿児島で同級生の女の子とご飯を食べた。その時どっかでこーしーを飲んだ。「エスプレッソを………」と頼んだ。しかしおれはエスプレッソとは何か知らなかった。名前ぐらいはきいたことがあったし、こーしーグループに書いてあるんだからこーしーだろうとは思っていた。彼女は「エスプレッソってさー」と教えてくれた。しかし今だってコーヒー検定試験をされたらまちがいなく落第。ほとんどうろ覚え。今でもよくわからない。
そんなこと思いだしたり。
思いだす。凹みの夏。BGM は original love 『イレブン・グラフィティ』。
6/19/Mardi 「nuevos horizontes」el indio
梅雨らしく激しい雨が断続的にふっている。
練習ののち、ある女の子(実は名前もしらない)が「ピアノのソロお上手ですね。いっつもうまいな〜と思ってるんですよ」とかいってくれる。もちろんうれしいし、望外のお褒めのことばなのだが、ただ残念なのは、彼女の名前をしらないってことではなく、こーゆー話をして「うわーやらしーなー。きたねーなー」と地団駄をふんだあと、しかし必ずおれを地獄に突き落とすようなひとことを吐くへたれ男がいないことである。
ありがたいことば。思っていってくれていることがよくわかる。寝つけないほどではないけど気になっている(これは別のことば)。
6/18/Lundi 「新宿駅で待ってた」Ban Ban Bazar
またしてもだめ連メンバーがテレビに(たけしの TV タックル)。もう一方のゲストがエリート高校生軍団(?)だったから、対決みたいなことしてくれるんかと思ったら、高校生軍団弱すぎ。というかだめ連強すぎ。ビッグマン神長氏はボブ = マーリィをかけだして圧勝。つーかあそこまで達観してる人には生半可すぎるうんこ(日下部流)意見など通じようもないのだ。たけしの横の緑色の服をきた人になぜかモザイクがかかっていて笑えた。田嶋先生?
6/17/Dimanche 「O sapo」Joao Gilberto
うまれてはじめて劇場でちゃんとした劇というものをみる。後半がたるんだかなという印象。お米ギャラリーの丼。バナナジュース。あんまりおいしくはないお好み焼き。不躾なおっさん。
6/16/Samedi 「助手席」古内東子
ひさびさにテレビ(しかもNHK NMK でなく)にビッグマン・神長氏がでておられた。はっきりいって神長さんのひとり勝ち。誰もかれに有効な批判をくわえることができない。全体的に30歳台が脱力系なのに対し、若年ぐみときわめつけ竹内宏がなんつーのかあいかわらずっつーのか、ぴんぼけぼけ。いいたいことがさっぱりわからなかった。つーかこの人の顔がもとから嫌い。あいかわらず煽ることしかいえない。自己実現と会社勤めをおなじものとしかみなせないひからびた思考。いうにことかいて「あなたの意見は10年前の意見だよ」。根拠をしめせあほじじい。神長氏の「そもそも自己実現する必要があるのか」というような疑問には一貫して黙秘(別に秘密があるわけでもなく、まして語ることができるとは思えないけど)。
そういえば最近(とゆーか以前から)まったくわからないもの。大仁田出馬?(←???)アンナ結婚(←???)。大阪の事件ですっとんじゃったけど。
再確認。やはりだめ連はすごい。とゆーか神長氏はビッグマンで偉大。
紛失していたバインダー、昨日公民館で発見。忘れていたのを取っていてくれた。
6/15/Vendredi 「Silent night」take 6
I君号で城野へ。途中かれの趣味の店へよる。「やっていけるのか」と思わずにはいられないような店。でも懐かしい感じ。今日はみなさん、先週の山登りの話に花がさいていた。楽しかったのだろう。Y 君と話。「いやーしょーへーさんの生きかたなんておれからみたら憧れですよー」。彼に憧れられるということはかなりヤバイということは間違いない。彼がむかし書きためたものを見せてもらったが、考え方がまんまヒゲなので、ヒゲに憧れたほうがいいと思う(××への道)。今日の授業は大御所 O 先生の日本語(とゆーか漢字)の授業。2001年度(21世紀)最初の。コミュニケーションの手段からときおこす。おもいを伝えるための手段とか。アイコンタクトとかウインクとか。「ぼくは手ぇ握るほうが専門だけど」。占いの方法から漢字がうまれてきたという(定番の)お話。母。こどもを抱く姿から。「真ん中におっぱいがあります。これをつなげて書くと、おっぱいがだら〜んと下がった形になるので注意して」。適度に(?)セクハラスパイス。さすが大御所。I君と英ちゃんうどんでふたりともかけ(素)うどん。おれはいなりもつける。I君はめちゃ食うのがはやい。研究室でヒゲの消息をしる。あいかわらずのようだ。
今日はいつもの道からちょっとはずれ旧電車どおりをゆく。背に夕日をうけながら寂れた鉄都を走る。岡持をもって歩く女の人。こんなところで家の前に椅子をだしてビールでも飲んだらとてもきもちがいいだろう。
6/14/Jeudi 「Don't get around much anymore」小林桂
思ったよりもテンポの速い 4 beat swing 。四分音符で240。はやっ。左手と右手がアンバランス。全然できないアドリブソロ。それなのに「右手と左手が別々に動くなんてすごいですね」とか「あれ楽譜みないでやってるんですよね、すごいですよね」とか。「いや〜全然そんなんじゃないんですよ」とこたえる。素朴にそういわれると、自分自身が全然納得いってないことがますます悲しいことのように思えてくる。
6/13/Mercredi 「Grace」Quincy Jones
今回の事件も新聞かテレビかネットかのどれかでしか知ることはできないんだけど。とりあえず報道が事実を伝えているとして(そんな根拠などどこにもないが)。もし今いわれてるように、容疑者が精神障害者を装っていたとしたら、もうなんといっていいかわからないが。とにかく最悪だ。とりあえず死刑制度には反対だが、8人も殺しておいて、相応の罰を免れるために精神障害を騙るなど………。残念ながら今の自分にはことばが(見つから)ない。
現時点での報道でちょっとひっかかるのは容疑者の父親の存在(というか伝えられかた)。かなりなんというかエキセントリックにみえてしまう。もちろんすべてを父親に還元してしまってもいけないんだろうし(それは正しくはないだろう)、家族だけがケアしなければならないということでもないとは思うのだが。なにかを感じる。多分、容疑者の「精神障害」とかだけではないのは間違いないように思われる。
今回の件で一番不快なのはやはりメディアだ(それしかソースがないのも事実ではある)。不快のひとつはいつでもそれを報じる側が匿名だということだろう。テレビなどでは報じるレポーターの顔もでたりするがカメラマンは誰で誰が音声で誰が現場をしきってて……ということはわからないし顔も名前もでない。どうしても加害者も被害者も顔を出して実名も出したければ、まずは自分たちが実名も顔もだしたらどうか。そして、被害者や事件にあったこどもたちに不躾に無礼にマイクをつきつける(それをさせる)ことの快感をのべたらどうか。それが次の行為へといかなる接続をするのかちーっとは考えたらどうか。自分たちがマイクをつきつけられたりカメラにとられるのはかなり不快なようだ(そういう記事を以前読んだ)。自分たちはされるのは嫌で不快だけれども犯罪被害者にそれをやるのは快感ってか。「国民の知る権利が……」などとどうのこうのいう権利はそもそもおまえらにあるのか。「今のお気持ちは?」などとあらためてきかなければどういうきもちにあるのかを理解もできないのか?できないならやめてしまえと思うけどね。
見る側もそんなにばかではないのかもしれないけれど。なにか、事実以外のというか事実とは不可分でそれに付随してしまわざるをえないのだろう様々な感情までそれを水路づけたりしなくてよい。感情規則までもつくろうとしている、というのか。「悲しいですね、悲しいですよね、さあみんなで悲しみましょうね(しかもこのようなこちら側が提示する悲しみ方にそって悲しんでくださいね)」というしつこい・たちの悪いメッセージ。すかすか。
ついでに(いやこれが一番大事?)。したり顔でかたる専門家には大大大大注意!
「病気」は、帰属主義と切断主義の格好の道具になることは、社会学では三十年以上前から知られています。「そうか病気だったのか」(=帰属処理)。「自分や自分の子供は病気じゃない。だから自分は関係ない」(=切断操作)。ほら、これで安心できるじゃないですか。そういう共同体的な処理装置の中にメディアが組み込まれてしまっています。 90ページ
それが日本では、例えば、すっとんきょうなことをいう精神科医を出せば出すほど、番組の間がもったり視聴率が集まったりするので、すっとんきょうなことをいう、しかし学会では最悪の評価を得ている人物が、分野を問わず出演し続けるという悪弊が続いています。 92ページ
宮台真司 2001「『夜明け前』以前の日本の言語状況」『論座』朝日新聞社 2001年4月
高速バスで街中へ。本屋で後輩をみかける。これ買おうかなーとも思ったんやけど。迷った。でも買わない。ゴスペラーズがあるならペログラーズもあってもいいかなーとか。「いや。あの。あなたすでにあほなんで」とつっこんでくれる人がほんとに少なくなってきたのはさびしいかぎり。実は今日はおつとめが休みだったことを忘れていた。なくして2週間ぐらいたつ論文メモなどがはいった大事なバインダーをさがしたりする。梅雨らしくちょっとハゲしめの雨がふる日。
6/12/Mardi 「Tell me a bed time story」Quincy Jones
某坊主といつものあの店でのみ。昨夜突然電話をもらう。休みの前の日にいきなり休みを告げられるのだそう。人は時々無性に誰かと話したりお酒を飲みたくなったりするようだ。彼によると今がちょうどそんな時期なんだそうだ。内容はいつものごとく。あーあとは×さきあ×みの歌詞はいーとかいっとったなー。おれの前でよくそんなことがいえるな。そしたら「あんたどうせ歌詞とか読んどらんやろ」ギクりんこ。高校時代の部活みなさん、夏はひょっとしたらちょびっと集合がかかるかもしれません。
6/11/Lundi 「God rest ye merry gentlemen」take 6 and the yellowjackets
まーこことここですか。
容疑者が精神障害者なのかどうか?どのように同定するのか、という問題。だれが同定するのか?どのような行動・行為をもって同定するのか?精神病院に通院歴がある人はみんな精神障害者なのか?今回の容疑者は精神障害者って証明されたのかよー。精神障害者とそうでない人の犯罪率ってどっちが高いんだっけ?後者にきまっとるだろうよ。××学をまなんだ人にはお決まりのレイベリング。なんであんなあほ医者ばっかテレビでてくんだろう?
人権派とかいって揶揄するバカ。そんなこというやつって自分は人権とかいらないんだろうなー。こんなことしかいえないヤツに限って「お前はソ連がせめてきたらどうするんだ」とか「お前んちにサリンがまかれたらどうするんだ」とかいうことしかいえないんだろうなー。ほんでマジで防毒マスクかうバカ。
死刑が抑止力になるならなんで今回の犯罪がおきたのか。人を殺そうと思ったけど死刑になるからやめました、という実例がないかぎり軽軽しくいうな(そしてそんなもんどうやったら明らかにできるのか)。あるいはあれか、三審制とかなくして第一審で死刑判決がでたら即日死刑にしたらどうか。いっそのことあの見せしめの刑をもっと大々的に復活したら?
それにしてもマスコミとかワイドショーとかは喜んでるんだろうなー。「やったーこれでしばらくはネタに困らないぞ」とかいって。勝手にこどもたちの作文にこどもの声のようなものをあてたりとか。葬儀の様子を中継しながら泣くな。ほんとの自慰行為(おれの日記なんておよびもつかんよ)。醜悪。「加害者の人権もですが失われた8人の人権はどうなるんでしょう」とかいうならよー、その前に被害者の実名報道やめたらんかい。ボケ。人権派とか揶揄する前にもうちょっと根本概念のお勉強でもしとけ。
露骨に「隔離しろ」とかいうヤメ検。「国はなんとかしろ」とかいうタレント。隔離して遠隔化したらなくなるんかい。「自分じゃなにもしたくねーんだよ。かかわりたくねーんだよ。はやくなんとかせんかい」的気分まるだし。あほの本領発揮。
こいつらって結局は他人の不幸ごとだからこんなにはしゃいでるのねん。ほんとに自分の問題として切実なものととらえられるのなら、あんなに不躾にこどもや保護者にマイクやカメラをむけられないんじゃ?ほんとにこの種の不幸な事件をなくそうとしたり考えたりするためなら実名(加害者も被害者も)や顔写真なんていらないと思う。残された者は、テレビや新聞やある種のメディアのようにおもしろがったりしないで、冷静にまじめに考えなくてはいけないのだと思う。
6/10/Dimanche 「Midnight dreamer」t-square
もしかしたら今までで一番でかいかもしれないというぐらいに腫れている。こえーし病院いきたくねーよ。考えてみたら5日の引用は何かを暗示していたのかしら、とこじつけてみたり。そういえば最近あんまりこじれてないので、この日記のまにあ様方からは「どこがこじれ系なんじゃい」と怒られそうで怖い。焼肉。
6/9/Samedi 「When you wish upon a star」Bill Evans
あいかわらず背中のできものにやられっぱなし。今日も寝てる。腫れて痛い。あじの塩焼き・ほうれん草・おから。
6/8/Vendredi 「My foolish heart」Bill Evans
火曜日ぐらいから気になりだしてた背中のできものが巨大化。多分ひっかいたりしてばい菌がはいったのだと思う。痛くて一日ずーっと寝てる。腫れてる。膿がたまっているのだと思う。すげー事件が。これはいっとき騒ぐだろう。
6/7/Jeudi 「Ela e' carioca」Joao Gilberto
先週からとりくみはじめたスケッチブック作戦。最初はやってたんだけど、ハルモニは嫌気がさしたのか「やっぱ本みらなわからん」といわれ、結局はいつもどおりの小学生用「国」語の教科書よみ。ちょっと残念。不満。例の教科書を P 氏が購入されたとかでちょこりんこと読ませてもらう。歴史より公民のほうがおれは気になった。「公」ばっかし。おもしろいトピックではあると思うけれど。こんないいかたして何か問題提起とか解決になってるとは到底思えない。つーかねー。自分たちだけの肥大した妄想だけで議論しすぎ。もうちょっとリアルに現実をみたら?あのブルセラ社会学者には死ぬまで勝てないぞ。こいつにも勿論勝てない。
共同体の復興、再建が叫ばれている。復興に値する共同体が、この国の何処にどれだけ存在していたというのか。……と、とりあえず言ってみただけ、共同体主義ってなんですか? 知らなーい。
6/6/Mercredi 「Dark ocean」古内東子
これを購入。おつとめのあと、先輩がたの本がでた記念に(という口実で)飲み会。6人で串ぼうず。生と焼酎ロック。4人で2次会。焼酎ロック。終電にのるため23時前辞去。うひょひょうひゃひゃ飲み会だった。
だいたいわれわれの組はマイノリティ系統の人があつまっている。そして「実証」にどこか疑問をもちながら、「実証しなきゃだめだよー」という人よりはよっぽど「実証」してるんじゃないか、と。皮肉なはなし。ある人にとってはそれは羨望の的なのかもしれない。しかしそれぞれがそれぞれのフィールドをもっている。それに気づくか気づかないかは別としても。もちろん「現場」があるかどうか、ということが最終ステップではないだろうけれども。
でもほんと久々に自分の思いを語ったのかもしれない。「おれのフィールドに勝手にはいってくるな」というか。いやそうじゃない。搾取型調査がおおいのだ。ワンショットすぎるのだ。2〜3度足を運んで「お話きかせてくださいねー」で自分の用がすんだらもうさようなら。それじゃ誠実な調査にはならないっつーの。調査票の倫理条項うんぬんですらなく、すでに倫理が欠落してる。なんのための調査か?今日はそれに関する結構おもしろい話がきけたんだと思う。
6/5/Mardi 「Away in a manger」take 6
よく参照するこの文献。89年にだされたもの。
犯罪統計において、各罪種の検挙人員数が変動するとき、そのデータが私たちに直接示してくれるものは、その時々の社会が重点的に取り締まっていた犯罪は何かということであって、当該の罪種の実態そのものの変動ではないのである。………そこで、非行の低年齢化というけれども、それは少年たちを見つめる取締り側(→というよりおとな一般)の“眼”の対象が、むしろ低年齢化してきたのではないかというようにもいえるわけである。 8−9ページ
不安に駆られた今のおとなたちは、取締り機関に対して、どうやら積極介入を要請しているように見える。同じ市民社会の一員としてのしつけ努力は放棄して(もっといえば、自分たちの手はよごさないでおいて)、「問題児」はとにかくどこか違うところへ、隔離=収容してもらいたいと望んでいるらしいのである。しかも、このいわば「魔女狩り」要請の成果として、「非行戦後最悪」や「低年齢化」があったにもかかわらず、おとなたちはいよいよ不安になり、今後は学校の管理強化なり体罰主義なりに拍手を送るようになった。 12ページ
暴力と同様、「迷惑」も専門家に委ねようというのである。老人、病人、身障者、そして逸脱者を、こうして自分たちの目に触れない場所へ隔離しようとする。一体、だれがひとに迷惑をかけずに生きているだろうか。迷惑をかけることを、あたかも犯罪的であるかのようにいえるのは、ここでも、常日頃「迷惑をかけずにひとさま」を傷つけ、辱めることに、よほど長じたひと(それこそ小関三平のいう“臭才”)に違いない。 30−31ページ
大村英昭 1989『新版 非行の社会学』世界思想社
6/4/Lundi 「You'd be so nice to come home to」小林桂
嘆いたってはじまらない、とかいいたがる人はいるが。つーかいったい何をはじめるつもりなのか。
6/3/Dimanche 「Planet Home」jamiroquai
たこ焼きとソフトクリームとカルシュームナンコツ(100g180円)。思いだす断念の夏の味。神社の木陰。すすまない部屋のかたづけ。おすし。
もちろんもうモー娘。になんの思いいれもないわけだが。今あるすべてのアイドルグループも全部モー娘。に加入させたらどうか。ほんでモーニング娘。ブラックとかモーニング娘 RX とかモーニング娘。V3 とかモーニング娘。アマゾンとかモーニング娘。アギトとかモーニング娘。タロウとか帰ってきたモーニング娘。とかをつくる。あるいは、モーニング娘。キャノンとかモーニング娘。タンクとか黒いモーニング娘。3連星とか Z モーニング娘。とかシャア専用モーニング娘。とか量産型モーニング娘。と旧モーニング娘。もつくる。帰ってきたモーニング娘。と旧モーニング娘。は微妙なところ。
6/2/Samedi 「Sing a song」take 6
昼前。高速をちょこっとはしってめかりの PA 。展望レストランは結構な客。カルビ丼。191号線を海ぞいに北上。海岸線に山がそのまま落ちこんでいる地形。大雨のときは通行止めだという表示板。思ったより車がおおい。車のなかにいても十分に日焼けするほどの日ざし(紫外線?)。15 時半。あの海にくる。もう3回目ぐらいだろうか。日本全国を旅行なんてしたことないけど(というよりなにしろほとんどの土地にいったことがないといったほうがいいかもしれない)、そんなおれの目にもなにか珍しくみえる風景。海があって山があって家があんまりない。多分日本はじゅうぶんに広いのだろう。帰って肉じゃが。
6/1/Vendredi 「ティラノサウルス」original love
今日は城野を休んじゃう。大村さんのをもう一度読みなおしてみたりする。いろんな解析がある年代にうまれ生きて死んでゆく人々を分析してみせてくれて、「これはこういうことだった」と過去形で説明してくれる。それは納得がゆくしなるほどと思わせられるんやけど、全部の説明が後づけなのだ。後づけになるのは仕方がないとしても(たしかにある部分は予測のほうにむかっていったしそうせざるをえないんだろうけども)。でもそれでもわからないのは、なぜなにゆえその道を通らねばならなかったのか、ということ。それを運命とか必然とかそんなマジックワードでかたづけないとすれば、その時そこに生きた人々がどう考えたかということを問題にせざるをえない。それはやっぱり意味とか解釈とかの問題なのだと思う。そういうところによりそう××。
□ Mai Maggio May
□ 過去も結構おとなげない