★ Aout  Agosto  August ★


8/31/Vendredi  「S'wonderful」Helen Merrill

 
I 君邸前に車をとめ I 君号で城野。うたいながら。定時制高校ぐみがいらっしゃる。明日から新学期。Kさんと数学。今日は梅と桃のゼリーをつくってきてくださった。他にせんべいやクッキーなど。O 草先生の相変わらずのセクハラ授業。いわく「努力の努の字は『女の又に力をいれる』なんて昔はおしえられまして………」。一緒に笑ってくれる人がすくないのがさびしい。つーかこれで誰も笑わないとちょっとヤバいんじゃ………。

 バスケットのクラブを見学してきたとゆーふくすけ君。カラオケいきましょう!と結構ハイテンション。

 あの人がいなくたっていつだって話の中心はあの人のこと。あの人って………。そうあの人。


8/30/Jeudi  「Dizzy's blues」Dizzy Gillespie and his orchestra

 わたしが毎週木曜日にかよう
青春学校のホームページ。しばらくわたしが管理することになりました(いつまでかはわからない)。この日記とまんま同じですが、もしよろしければみてみてください(その作業で寝不足。他にしなければならないことが………?)。

 それにしても今日はいろんな人がやってきた。いつも思う問題のひとつ。メディアというかマスコミ関係の人の不躾さ。繊細さがないように感じるのはおれだけ。知られりゃいいのだとは到底思えないからいつも疑問で不愉快。T世のことをもっと考えよう、というあのことばはこの人たちにこそ必要。


8/29/Mercredi  「Laura」Clifford Brown

 藤井誠二氏の本をよみ、
これをよむ。「自分のアイデンティティを欠如に求める」ということばが印象的。それはこどもの特徴なのか?という疑問はあるが、あの話にもつながるテーマ。


8/28/Mardi  「Yesterdays」Clifford Brown

 海を・島をみながらカルボナーラ(妄想?)。もうおわり。それでもまだ少しは人のいる海岸。風がきもちのいい一日。


8/27/Lundi  「Crossed Paths」Claudio Ragazzi with Arto Lindsay

 だめ人間というのはいる。真性かどうかというのは難しいが。昨日の帰りがけ前をいく車。「こどもを乗せています」というのを貼った車。こういうのってだから自分の車が気をつければいいのであって、要するになんでこんなの貼ってるかわからんのやけど。どうやらヤンママ(死語?)風の3人がのっている。後部座席の女がタバコをすっている。まさかと思ったらやっぱり予想どおりたばこを投げすてた。

 渋滞でほとんど止まってる状態だったから歩いていって拾って窓から投げ返してあげればよかったんやけど。おれ気がちいせーからなー。ここで書いて鬱憤はらそー。

 つーかこーゆーのがほんとのだめ人間なのだ。とゆーかだめ人間を名のる資格さえない。だめ人間以下。蛆虫以下だな。とゆーと蛆虫に失礼だ。うんこ以下だな。いやうんこに失礼か。とにかく最低だ。自分で金稼いどるとかそんなの関係ねー。あほ。最低やろー。

 
だめ連のだめ人間チャートなんかやってみて、もちろん半分冗談ででもちょっと本気でやってしまって心配になってしまうような心智など全然もちあわせないのだろうし、いややる資格なんてないのだ。

 とにかく何がいいたいかというと窓からたばこやゴミをすてる人間というのは最低で自分がゴミ以下だということを証明していてとにかく最低で、そんな人間が大嫌いということです。

 失礼しました。


8/26/Dimanche  「stay」Astrud Gilberto

 夏休み最後の日曜日?汗だらだらで渋滞の道を
ここ。感想。自分からは多分二度といかないだろう。理由。買うもんがない。雑貨とかも買わんし。ちょうど同じ歳ぐらいだろうベビーカーを押した若夫婦ばっかし。あるいはガキばっかし。狭いところにとじこめられる感じがしてだめ。全体的にがきっぽい印象。

 ごろー謝ることなんかない。ワイドショーレポーターってなんであんなに横暴なのか?モー娘。来年には50人ぐらいに増殖しそう。


8/25/Samedi  「Triste」Elis Regina

 安部公房『砂の女』途中までよむ。ぶらりんこ。


8/24/Vendredi  「Batucada」Bebel Gilberto & Vinicius Cantuaria

 今日のいきがけはやたら車が多くてすすまない。
城野のあと、I君・ふくすけ君・Y少年という珍しいくみあわせでジョイフル。安い。ので人もおおいのか。いろいろと。予定調和な授業の問題点とか。みんないろいろと考えていて、考えていることがわかってなんか安心。もっとスタッフ間で意思疎通をしなければならないし、なにより学習者ひとりひとりのことをちゃんと把握できてるのか、とか。いろいろと。ふくすけ君が一番話をしたかったのか?あまり機会がないといってた。ビバ出家氏のこととか。音楽のこととか。ふくすけ君は「今とっても勉強がしたい」といってた。

 「覚えることは苦痛で、忘れることも苦痛だ」と。おおもとのところは共通で、ちょっとずつ違うことば。


 なにかから逃げだしたいというのが丸だしというか。そのせいでやたら饒舌だったりする。それはわかりやすすぎて。かなり透けてみえてしまう。そしてそれはおれの姿でもあるから吐気を催すようなきもちの悪さ。

 高速で帰る。I君をおくりとどける。25時。ネタにされているだろうことへの強い不快感をおさえられず寝苦しい夜。


8/23/Jeudi  「310」スガシカオ

 古本屋で先週みつけていた『孤独な群集』がなくなっていた。まっさらで100円だったのに。がっくり。自分のあほさにもがっくり。

 意味のないことならはなさなくていい。ききたくないし。所々微妙に自慢がはいるその口調。最悪をきわめてくれ。沈黙や気まずさにもたえてくれ。久々にきくすばらしい音楽。デトロイト。はーびーの影響。


8/22/Mercredi  「命の一発」theatre brook

 ぶらりんこ。昼飯の場所を物色。ほんで
ここで。スリランカ料理というかランチのカレー(850円)。注文して30分以上忘れられていた。後からきた客がどんどん食ってるのにおかしいなと思ったら完全に忘れてやんの。おれっていっつも(うどんのうちだ屋とかね)。紳士なので黙して語らず(← 誤用)。一番甘いやつでもおれにはちょい辛。汗だらだら。スタンダードなやつをひとくちもらうと、ビリビリひりひりしてとても食えない。おれは辛いのは全然だめです(キムチはなんとかいける)。

 本やCDを物色。金があればいろいろとほしいのはある。しかし金がない。こんなところにこなければほしいとも思わんのに。これのサントラ購入。Vinicius CantuariaBebel Gilbertoや Elis や………といった有名どころ多数参加の。もうちっとひねったのがほしかったかな。社会学関係のは購入せず。ほしいけど高い。広井さんのを1冊。

 ピアノ譜も物色。アドリブを採譜してるやつもあった。すげー耳してるなーと思ったら途中できれていた。残念。購入せず。pizzicato のはやはりお洒落。

 料理の本を物色。「〜な人のための〜」などといろいろと初心者用のもあるが、おれのばやい超初心者なのでやっぱりそれ用の本がほしい。「包丁をもつと手が震える人のための料理」とか。料理できる男になりたい。習うより慣れろだよなー。書いたら書ける論文もってか。ふきやでお好み焼きのあと帰宅。足がぱんぱん。


8/21/Mardi  「Pretty world」小野リサ

 久しぶりぶりにまじめに勉強。でも意味不明。


8/20/Lundi  「Just Friends」小林桂

 好きなこと、たとえばおれの場合自分の好きな音楽のことなんかを力説したり解説したりするってーのは、はたからみたらすっごいバカなことにみえるんじゃないだろうか。「それ」が好きな人同士では別に説明せんでも「あれがさー」「うんうん」てな感じでほとんど説明を要しない(好きな人同士で「なぜ好きなのか」「どこが素晴らしいのか」語りあうこともあるけれど)。でも、「それ」が好きじゃない人に「それ」の素晴らしさをとうとうと説いても「こんにゃく」。なんつーのか暖簾に腕おしというのか。ききめがない。無駄。「よさがわからんやつには何いっても無駄」状態。

 人がそーゆーのをやってるのをみるとちょっと「?」と思うときがある。まー人のはいいとして、自分がそれをしてたらほんとバカに見えるんじゃないかと恐怖(まーバカですが)。感想をのべるってのとはちょっと違うのよねん。


8/19/Dimanche  「wonderful fish」斎藤和義

 誰もはしってくれなんてたのんでない。誰も感動させてくれなんてたのんでない。愚。久々の(あの)ラーメン。あの歌を思いだす(そんなこといったら泣かれる、か?)。

 みーこまたしても自分で網戸をあけて脱走。してやったりの顔。


8/18/Samedi  「vera cruz」Elis Regina

 いずし君の
Bebel GilbertoElis Regina のはなし。ベベウといえば娘さんで………というのが普通のはなし。ベベウがこの映画の中でうたってたというのは後からきづいたこと。あるテレビの中で紹介されてた。

 それにしてもブラジルの音楽ってちょっとすごすぎる。最近の洋楽(といってもほとんどしらない、というよりしる必要がない)なんてなんてチンケなんでしょう。さてエリス=レジ―ナといえば初めてきいたのが94年。田島貴男の番組で。

 94年にoriginal love は『風の歌を聴け』を発表するのだが、きいたらわかるけどブラジル風味いっぱい。この時期の田島貴男が(おそらくは)ブラジル音楽に傾倒していたということがよくわかる。この時期の密度の濃さといったら。


 ほんで番組で紹介されてすげーと思ったのがエリスの「vera cruz」。一生懸命さがして『Nada sera como antes』を購入。はじめボレロのリズムが一転して激しいサンバ調へ(時々、「これはサンバではない」とか「ボッサ」ではないとかいうのを書いてるのをみるが、誰か楽譜にしてちゃんとおしえてちょうだい)。他の何ともちがう音楽。洋楽=アメリカの音楽に毒された耳にはちょっとした衝撃(← うーんひどい)。エリスのでもってるのはもう1枚。あと I 君から借りっぱなしなのがあるな(ごめん)。エリスのアレンジってちょっと考えつかないようなアグレッシブさ。


 小野リサの新しいのってちょっと聴く気がしないんだな。ハワイアンってのはちょっと。まーそれもボッサになっているんだろうけど。


8/17/Vendredi  「Don't explain」Helen Merrill

 
I 君号で城野。今日のBGMは『Helen Merrill with Clifford Brown』。久々にきく。ふたりで車中うたいまくり(女性ボーカルなのに)。I 君はレコードをもっているとかで、時々はいる針の音がまたよい。これはほんとによすぎ。おれもCDをもっているのだが、某女子に貸したまま彼女は就職。極貧だから是非かえしてほしいのだがどうやって連絡を………。

 おかえしにおれのもっていた Chick Corea and return to forever『light as a feather』をかける。複雑だ。この時期の(とゆーか他の時期のはしらない)Chick Corea のエレピはすごい。どっちもすきなのよねん。


 韓国修学旅行組のはなし。今年は4人も学習者(とゆーことは年配の女性だ)が参加されておもしろかったようだ。昨年一昨年と参加しながら今年はしなかった。来年はどうしようか。熊本から見学がふたり。NHKのアナウンサーも見学に。一斉学習ではS川さんのおはなし。自身下肢に障害がある。障害年金のはなしとか。障害学とともに(先に、か)ある当事者の語り。


8/16/Jeudi  「ドキドキしちゃう」スガシカオ

 はま荘でひるめし。部屋のすぐ下はもう砂浜で眺めも最高。風もなくおだやかな海をみながらあらだきの定食。それにしてもここの海がこんなにも美しかったことを再確認。


 久々に恋愛系日記を読む。おれっていっつもそうなんやけど、恋愛系日記を読むと大体はくらっとくる。うはぁーっと思う。いいな〜いいな〜バブゥ〜ばぶぅ〜。ばぶりんこ。

 ほんでやっぱ思いだすんだよね。いろんなことを。片手で(多分)たりる自分の今までの経験を。思いだすのよねん99年の夏を(それはひどい夏だった)。あんなどいことされたっつーのにさ(とゆーかおれの夏はいつもどい)。どいことはその後いくつかあった。

 今はらぶらぶなあたな(たち)にもなにかきっと悪いことがおきますよ。そんなもんですよ。もうそんなには信じられないっす(でもひっかかってしまうんやけどね)。でもふたりの世界にひたって周囲のことすべてが全然みえてなくたってそれはそれでいいのだと思う。

 なんつーのか、だから、そんなきもちではらはらしながら恋愛系日記を読んでしまうのか(もしれない)。決して不幸を願いながら読むんじゃないんだけど。必ず壊れていくものだから(もう一回転したぐらいじゃおれにはそんな境地にはたどりつけない、あるいは?)。


ぼくらが確かに いまいい大人になったからって
全ての事を 許したとでも思っているのかい

君のそばで 今笑顔つくって話してるからって
全てを 水に流したとでも思っているのかい

スガシカオ「ドキドキしちゃう」



8/15/Mercredi  「tepid rain」theatre brook

 「おまえそれでも日本人か」

 「やっぱり日本人として………」

 「日本は天皇を中心とした神の国である………」

 日本人=日本国籍をもってる人、と考えるほどナイーブな方とはお話ができないかもしれない(軽い拒絶)。

 簡単・単純なことをあえて難しくすることはないし、そんな人を憎む。どっかの神社にお参りしなければ、あるいは黙祷をささげなければ慰霊したことにならない、などとどうしていえるのか?なぜ8月15日にしなければ慰霊したことにならないのか?「おまえはそれでも日本人か」などという恫喝以外にこれを論理的に(論理的にというのはわかりやすくということと同義である)はなしてほしい。

 死者に感謝を………つーのはどういうことなのか?まさか「死んでくれてありがとう」ということか。

 神社にいくっつーのは
宗教行為ではないのかしら(なら「参拝」などということばは使わないほうがいいのでは?)。あーゆーコスプレはしてもいいんだ。

 それにしても「おまえそれでも日本人か」とか「日本人ならば当然」とかいうものいいはほんとにひどい。ほんでもってナイーブすぎる。ちっとはものの本でもよんだら………とお節介(お説教)したくなりそうだ。国民概念の創造(想像)とか。日本国籍をもってなくたって日本にうまれ日本にいきる人々はいっぱいいる。

 あるハルモニがかつておれに耳うちしてくれたことば。
 「わたしね日本国籍じゃないんよ。だけんね、わたしは世界人なんよ」

 つーかこの際おれも「日本人」なんて返上するか。おれって国際人だから。海外旅行なんてほとんどしたことねーけどよ(おわかりのように、海外にたくさんいったとか外国人のともだちがたくさんいるとか外国語をいくつもしゃべれるとか、そーゆーのが国際人である十分条件であるとはまったく思わない)。


 まじでひきこもりなので、たまには外にでようと本屋へ。2時間もたちよみした。腕が痛い。なんかの中でしりあがり寿が書いていた。
 「(超整理法のように)あたまに『超』をつけると売れるらしい」
 そこで文学者らしいじいさんが、こーゆーのはどうじゃ、といった。

 「超人間失格」



 かえり田んぼの中をはしると、黒い雲と白い雲が大きく二本たちあがっていた。その右上から日もさしていた。夏は雲が一番おもしろい季節なのかもしれない。これをみるためだけにでも一日に一回は外にでなければならないのかもしれない。


8/14/Mardi  「Mas que nada」tamba trio

 いちんち過去(97年!)の新聞記事の整理。進捗せず。『女性自身』7月1日号の広告につぎのようにあった。

シリーズ人間:愛で結ばれた全国の家族に捧げたい、この「ひとこと」
母よ障害者に生んでくれてありがとう 車イス生活を送る川野陽子さん(18才)が「明るさだけは自信がある」と綴ったエッセイ(『朝日新聞』1997年6月19日 木曜日)

 障害があることを一様に「不幸」としては勿論いけないのだが、ここにグロテスクに示された「不幸」を消費しようとする姿はなんなのだ?最近はじまったことではなかったようだ。うまくいえない。ちなみにこれをとっていたのは加藤周一「夕陽妄語」を読むためだったらしい。


8/13/Lundi  「One for Helen」Bill Evans

 自己紹介のときに、かならず「好きな野球チームは?」とかきいてくる人がおる。あほか。おれはラグビーずきだっつーの。野球よりもサッカーのほうがずき。もちろんホークスは応援するけれども。つーか、(男なら)野球ぐらいすきだろう、というあの思いあがりが嫌い。野球でもベースボールでもいいけど、おれはフットボール系統がすきだ、と。それだけ。

 イチローはすごいと思います、たしかに。でも好きではない。新庄がんばって。どこかのロボットとは違って、より人間らしい感じがする。


 
海峡花火大会。なにを後悔するんだ。


8/12/Dimanche  「Boogie bossa nova」Quincy Jones

 はじめて焼きカレーを食べる。結構うまかった。

 代理母っつーのは「だいりぼ」なのか「だいりはは」なのか。おれは「だいりはは」だと思うんやけど。

 出生前診断。おれは「しゅっせいまえしんだん」だと思うのだが、「しゅっしょうぜんしんだん」だという人がいた。


8/11/Samedi  「ドレッドライダー」theatre brook

 新しい歴史教科書。

 まーダメなんだろうけど。でもこういうの語る場合頭ごなしに否定する人って結構いる。「あれはやばい」って定説ができてからそれに触れるから、反応はみなおなじ「あれはやばい」。もうすこし冷静に自分のことばで考えたりいったりしたら、といつも思う(私的言語?)。感想も批判も全部ステレオタイプ。だから飽き飽き。

 いや、だから、戦争に反対するって立場の人がおれにいったりするんだよね「この、非国民!」。


 後輩の某M君によると、社会科教育の大学院生とは何をしているのかわからない人たちのことのようであって、某M君の後輩(数学科)から「社会科って年号覚えてるんですか」ときかれたそうだ(昔の話)。とってもおもしろいと思う。さて(いわなければならないことかどうかわからんけど)教科書(検定)のこと。勿論新しい教科書を作る会とかいうものに賛成できるはずもなく。ただ、あんまりヒートアップするのもどうかと。なんというか中途半端な立場にみえるでしょうが。知っている人は知っているが、当時のわたしはすごくましこさんの影響をうけていた(今も)。

 おれは一応かつて歴史教師を目指したけどあきらめたぐらいの実力のもちぬしなのだ。まーちょこりんこと考えるわけです。過去のできごとを理解するとはどういうことなのか?

 たとえば戦争とか。戦争はいけないよとか。そーゆーことを覚えることが理解することかどうか(覚えること=理解)?しかし(物理学のことは全然わからんけど)一応過去へは遡れない。そしたら、今に生きるわたしたちは過去の経験をするということは絶対できないのだから、じゃあ歴史を理解するってことはできないのか(経験=理解)?戦争を理解することはできないのか?戦争を理解するためには戦場にとびこむしかない、とか(あほか)。

 追体験すること=理解すること、としてもいいのでしょうが(体験とか、なんも定義せず使ってしまっているが)。

 しかし、体験すれば理解できる、というのはわたしは違うと思っています。体験しなければ理解できない、というのも違うと思っています。

 たとえば。外国人やあるいは将来自分のこどもがわたしやあなたにたずねるとします。「オウム事件とはどのようなできごとだったのですか?」と。どう説明しますか?たしかにあの時期日本はオウム事件を経験しましたよ。説明できないから理解もできてないんだ、とはならないかもしれませんが、わたしには少なくとも(たとえ相手が日本人だったとしても)共感をえられるような説明はできそうもありません。わたしがそうだから、他の人も同じようにできないかどうかはわかりませんが。もっといえば、いわゆる普通に生きている人々にとってもとよりそんなことはどうでもいいことでしょう。

 同じ体験でも人によってまるで別の体験であるかのように体験することがある。

 同じ体験かどうか確定する根拠がない(わたしが知らないだけなのかもしれないので教えてほしいとは思っています)。

 共通の経験や体験がないと理解できない。というなら、人間は相互に絶対にわかりあえない(多分独我論でもそんなことはいわないと思うのだが)。


 この際だからいっちゃいますが、たとえばわたしのようにろくに外国も旅行したことのない人間とたくさん外国を見てまわった人間と。どちらが広い見識をもっているのだろう。もっと極端にいえばですよ。何らかの原因で一生を病室のベッドの上でおくらなければならない人と、外国を見てまわった人。どちらが見識が広いのか?一生をベッドの上ですごす人間のなかに誰もみたことのない小宇宙がひろがっている可能性は否定できない。

 いろんな体験をした人と、いろんな体験をしたことのない人と。どちらが人間として望ましいのか?

 逆に、たとえば障害のある人が「おまえにはおれの気持ちはわからんだろう」とかいうこと。違うと思う。直観で理解に達するのでないかぎり、理解というのは「わかろうとすること」「わからないけれどわかろうと努力する」の中にあるし、そこにしかないと考える。

 自分の経験や体験をもとにいろいろというのは構わない(とゆーかそこからしか話ははじまらない)けれども、他者の経験や体験を裁断したり審判したりする立場には絶対にたちえない。


 かつてわたしにむかって「あんたにはどうせ私の気持ちやらわからんやろ」といった女がいました。すでにその当時こんな考え方ができていたわたしは、もちろん一瞬頭にきましたが、彼女がかわいそうに思えました。考え方が狭すぎるからです。わかるとか理解するとか共感するとか……そういう大事なことをこの人は考えたことがあるのかしら?と思いました。

 わたしもかつて「あなたは目に見えることだけしか信用しないの?」とへたれキックをいれられたことがありますが(わたしのいいたかったことは外部から内部が構築されるということ)、「きれいごとばかりぬかす」ということにこだわるあの方のやり方は、それにちょっと似ているような気もして、苦笑します。

 要するに、目に見えることしか信じない・きれいごとも信じないといわれているようにわたしには思えます(わたしの解釈がちがうというのなら、あなたは恥を忍んでもう一度なんらかの形でわたしにこたえなければなりません。それがルールではないでしょうか?)。などとちょっと昔のはなし。


8/10/Vendredi  「Be with me」小野リサ

 ちょっと小難しい文章をよんだ。難しいことを難しくいう、小難しいことを小難しくいう、こういうことはばかだと思っている。あんたの頭がいいならおれにもわかるように書いてくれ、といつも思う、何を読んでも(こう批判するからといっておれができるわけでは勿論ない、ハヤトチらないで)。

 でも昔師匠がいっていた「理解とは誤解のことである」。


8/9/Jeudi  「only you」スガシカオ

 今日は青春学校のみーちんぐ(スタッフ会議)。終了後のみかいがあるとかで、今日は(?)電車でいこう。時間も調べて小銭まできっちりんこと用意したが、結局送ってもらえた。切符を買っていたから払いもどしをしてもらったんだけど駅員さんに嫌な顔された(540円の切符の払いもどしに210円の手数料がつくってどーゆーことなんか?)。まーまーいつもの顔ぶれ。しかし若い男子が参加してくれ、そこそこ意見もいってくれたのでその点はよかったと思う。いっときおれは休んでたので最後に暴発(予定調和的だからそれほどではない)。

 いつもいわれる在日T世のため・ハルモニのためというのはどういうことなのか?おれは、それはこれからの限られた・そんなに多くはない残りの人生を「生きてよかった」と思ってもらえるように、死ぬときに「いい人生だった」といってもらえるように、つまりは大往生してもらえるようにすることなんじゃないか、とかます。

 一同とりあえずは頷いてくれた。それを基本にして考えていかなければならないと思うし、そうすればぶれはなくなるのではないかと思う。

 21時すぎから暑気ばらいののみかい。ひとり3000円。しかも客が全くいない!ハルモニから1万円の補助がでていた(ありがとうございます)。1000円しかもってきてなくてこっぴどく怒られたY少年も結局参加。いわく「オピニオンリーダーになりたい」とか「
社会学を勉強したい」とかいろいろと。あるいは「(おれを)尊敬します」とも。高校生の女子どもはアイスなんか頼んでる。飲み屋でアイス………とゆーのがおれはいまだによくわからない。それにしても最近焼酎2杯(ロック)できついなんて………。


8/8/Mercredi  「On the street where you live」小林桂

And oh, the towering feeling
Just to know somehow you are near
The overpowering feeling
That any second you may suddenly appear



8/7/Mardi  「One Fine Morning」theatre brook

 大学にはいって時計はしないようになった。時間にしばられるなんてバカらしいと思ったからだし、(特に)高そうなキラキラギラギラした時計をみせびらかす奴なんて「ばかか」と思ったりもするからなのだが。

 学部をでたあとぶらぶらしてるときに、ふたりの人から時計をもらった。ひとつはその人(女子)がしていたもので、「この時計あげる」といわれた。もうひとつは後輩のどこかのおみやげだった。どっちにしてもそれらをするということはほとんどなかった。たしかに試験のときとか、時計がないので時間がわからんで不安になることもあったが。でも教室には時計はあるだろうと思ったし(ないところは実は結構ある)、街中にも車のなかにも時計がある。むしろおれは時間に厳しいほうだと思うし、人が遅刻してくるのもかなり許せない人間だ。

 いや、たとえば試験のとき時計がなくて時間がわからんで、残り時間がわからなくてできなかったとしてもそれはそれでいい、と思うようになっていた。開始時間にさえまにあえばいいし、時計がないので遅刻するということは今まで一度もない。前もって調べるし間にあうようにいくからだ。鹿児島に試験にいったときにも勿論時計はなかった。試験におちたのは時計がなかったからではない。

 そういう人間。


8/6/Lundi  「A sleeping bee」Bill Evans

 リセットするということばは好きではない。でもいわんとすることには一応納得はさせられるのだ(ちょっとちがうか)。たとえば、「8月になったらばりばり勉強して日記もどんどん更新しよう」とか考えたりする。ほんですることといえば、「8月になったらがんばるのだから、7月中はだらだらしよう」ということ。そのくりかえしの人生。

 もともとおれにはこつこつやるという行動・行為はできないようだ。あともうすこしで手に届きそうだとわかったら、それ以上がんばる気にはなれないのだ。多分それをはっきりと意識しだしたのは中学生ぐらいのころだろう。「もうちょっとがんばったらもひとつ上の学校へいけるぞ」といわれてもがんばる気になれなかった。大学えらぶのも適当だったし。大学はいったら、今までの反動か「南の島のなんとか大王」状態になった(あれなんだっけ?)。雨がふったら学校は自主的に休んだ。あまりにも天気がいいときは、あの坂道を登りながら青空がみえるわけだから、左折せずそのまま直進してドライブになった。海へいった。

 ひとつ下の後輩が、部活の指揮者になったとき(だったと思う)「やりたいこととやるべきこととの両立」云々という手紙をもらったことを覚えている。

 教育実習の事前指導もすっぽかした。たしか朝から雨がひどく、勝手に「今日は電車は動かない」ときめこんだ。そーゆーことをしない人だと思われていた(そんなふうにいわれた)。今も一部の人には思われているかもしれない。教育実習の評価はひくかったから、そのときにきづいていなければならなかったのだろう、後悔の道を。

 しかし、そーゆー(人)なのだ。どうしようもない。やりたいことややるべきことがないのでは勿論ない(むしろ山積)。多分これからもおわらない部屋のかたづけとか(プリント類の整理のなさはほんとにひどい)。


 試験前になぜだかみんなお互いに「いやーおれ勉強しとらんけん」とかいうがあれはなんでなんだろう?全国各地そうなのか?おれなんかほんとにしてなかったんやけど、結果的に(勉強してないわりには)いい点がとれることがあったりしたから「嘘つき」とか「役者」とかいわれたりした(高校1年生のとき)。

 めちゃめちゃできない、とかそんなこともないかわりに、大変よくできるということもない(自分ではそう思う)。もうすこし指くぐりの練習もすればはやいパッセージの曲もひけるのだろうがそこまでしない。まさに「何でもそこそこにはできるあなた」(by ヒゲ)。別にそんな人間でありたいわけではない。


 高校のとき、ある男と語ったことば。恥ずかしすぎて当分書けないだろうけど。


8/5/Dimanche  「Soul bossa nova」Quincy Jones

 いろいろとここでこのように自分の意見を表明するということ(まーよく感情の吐露というのもあるけど)。でもこれって思いっきり「政治的」なことだと思う。

 何年か前、師匠のひとりが授業中に「ボクは〜政治的ではないけどね〜」とのたまうのをきいた。がっくりきた。「政治的」ってどーゆーこと?

 いわゆる「政治」の話題をするとかそーゆーことが「政治的」であるのと同じくらい、自分の好きなこととか嫌いなこととか、選択することを表明することは「政治的」なことなのだと思う。なにかを選択しないことも「政治的」。
××ー×ーの おとなげない 日記 for Otonagenai peopleは思いっきり「政治的」な日記です。


8/4/Samedi  「the venus」original love

 このごろいろいろと余計なことを喋りすぎると思う人物。古舘伊知郎。田島寧子。うるさい。大黒摩季はうるさくはないけどあんなにぶさいくとは思わなかった。


8/3/Vendredi  「Un homme et une femme」小野リサ

 I 君はお休みとかでひとり城野にむかった。いきも帰りも高速。久々に女学生も参加。ノースリーブ。それをまじかでみるおれ。うへへ。ぐへへ。と妄想。

 それをある人に話すと、「そんなことで喜ぶなんて30ちかい大人の男のすることじゃない。中学生なみ」。

 そのとおり。多分ブラジャーの線がみえたとかいって興奮して話すと思う。おれはその程度。


8/2/Jeudi  「8月のセレナーデ」スガシカオ

 歳若い定時制の高校生男子が見学。恥ずかしいのはわかるが、もうちょっとしゃんと挨拶してほしかった。いろいろなおもいがある、とは思う。しかしそれは誰のため?ハルモニのため?粗雑になっていく場所。雑種性・混交性。のなかから(のみ)たちあがるもの。


8/1/Mercredi  「Just you, just me」小林桂

 8月ですね。この日記はじめてもうすぐ1年たちます。

 このごろ更新さぼり気味。それでもよんでくださるみなさん、ありがとうございます。もうちっとだらだらすると思います。

 ここ3週間ほど絶不調。

 何回か思うように更新できないことがあった。何を書いたらいいのかわからんときもあったし、嫌になるときもあった。でも、今は別に書きたいことがないのではないし、書かねばならないことがないのでもない。むしろそんなことはどうでもよくなってしまった。「誰からも反応がない」とか「メールもこない」とか、だから書く気がおこらない、のではない。もう、なんかどうでもよくなってしまったのだ。

 しかしなんと憎むべき相手のおおいことか。おれって好きな人よりも嫌いな人のほうがおおいのかもしんない(嫌いな人のほとんどは直接にあったこともない人ばかりだが)。インチキ経済学者とかあほ政治評論家とか。ワイドショーとかみながら難癖をつける毎日。やっぱ夏はだめだわ(まにあなら「夏だけじゃねーだろ」とつっこまなければならない)。


 かっこつけるだけつけて、そしてそれは目的でもあるのだが、ひでー歌しかうたえないミ×タ××××××とか。

 それにひきかえ
スガシカオ「8月のセレナーデ」はなかなかだ。やられておれはさめざめ?と泣く、と。しかしそれもネタにする、と。それじゃ誰かの倫理学のレポートだろっつーの(ぎくりんこ)。

 「激白」とか「激似」とか、「激なになに」ということばが最近すきだ。よって、この日記でもさまざまなことを「激白」していこうと思う。

 激へたれ。
 激へこみ。

 日本の夏、断念の夏。




 Juillet
 過去も結構おとなげない